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蔚州・霊鷲寺址 統一新羅時代の石仏座像が出土

2013年12月13日 | 韓国の遺跡・古墳など
 蔚山博物館は10日、新羅第31代神文王3年(683)に宰相忠元公が建議して建てた蔚州郡青良面粟里の霊鷲寺址で統一新羅時代の石仏坐像1点が出土したと発表した。
 石仏は上半身が欠けているが、半跏趺坐(はんかふざ)石造座像で大きさは幅83㎝、厚さ54㎝、現存高さ35㎝で、衣服のシワ表現が自然で写実的に表現されており、当時の統一新羅公認の優れた彫刻技術を見せているとしている。
 昨年の調査では、霊鷲寺が統一新羅時代の双塔一金堂式伽藍であることを確認したが、今年の調査では中門と回廊跡を確認して、中心寺域範囲が明らかになった。
 中心寺域は東西69.6m、南北56.5mであり、地方寺刹であることを考慮すれば、相当な規模の寺刹だったとしている。
 中門は正面3間、側面2間(長さ8.6m、幅5.1m)の大きさであり、金堂から30m南に位置している。
 回廊は東西南北全てにおいて側面1間である単廊構造であることが確認された。 東・西回廊は金堂中心から東に32m、西に32mに位置し、南・北回廊は金堂中心から南に29.5m、北に24mに位置している。
 ほかに、左右対称の構図である双鳥文軒丸瓦、鬼面瓦、蓮華文軒丸瓦などが新しく確認された。
[参考:2013.12.11聨合ニュース]

過去の関連ニュース・情報
 2013.10.17 霊鷲寺址 2次学術発掘調査 寺域範囲確認
 2012.12.31 霊鷲寺址 典型的な統一新羅時代の伽藍配置である双塔一金堂式構造を確認

キーワード:半跏趺坐石造座像 
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