宮城県教委は19日、亘理郡山元町坂元地区の「熊の作(くまのさく)遺跡」の遺跡南西部の湿った土の中から、東北最古級の木簡が出土したと発表した。
木簡は一部が破損しており、残存部分は長さ約32cm、幅3.6cm、厚さ0・7cmの短冊状になっている。
肉眼では文字が不鮮明だが、赤外線を当てた写真から、「信夫郡安岐里人(しのぶぐんあきのさとのひと) 大伴部法麻呂(おおともべのりまろ) 丈部伊麻呂(はせつかべのいまろ) 大伴部□麻呂(おおともべの□まろ) 丈部黒麻呂(はせつかべのこくまろ)」の名が書かれていることが分かった。 木簡は、大宝令で郡里制が施工された8世紀初頭(701〜717年)のものとみられる。
現在の福島県相馬市から同町にかけては、当時、陸奥国最大の鉄生産地であり、また同遺跡と周辺の遺跡からは、製鉄施設と管理していたとみられる有力者の住居跡が見つかっている。そのため、木簡は、製鉄施設で働いていた人の住居と名前を書いた名簿とみられ、現在の福島市周辺の地名「信夫郡安岐里」が書かれていることから、約40kmも離れた地域から動員していたことがうかがえるという。
出土した木簡は、山元町歴史民俗資料館で来年1月26日まで展示される。
[参考:河北新報、毎日新聞、読売新聞、宮城県HP]
過去の関連ニュース・情報
2009.5.31多賀城市・山王遺跡 平安時代の漆器工房跡か
10世紀の前半から中ごろの漆紙文書が見つかり、当時この地方にいた「丈部田主(はせつかべのたぬし)」という人物に関する文書と推測。
キーワード: 熊の作遺跡
木簡は一部が破損しており、残存部分は長さ約32cm、幅3.6cm、厚さ0・7cmの短冊状になっている。
肉眼では文字が不鮮明だが、赤外線を当てた写真から、「信夫郡安岐里人(しのぶぐんあきのさとのひと) 大伴部法麻呂(おおともべのりまろ) 丈部伊麻呂(はせつかべのいまろ) 大伴部□麻呂(おおともべの□まろ) 丈部黒麻呂(はせつかべのこくまろ)」の名が書かれていることが分かった。 木簡は、大宝令で郡里制が施工された8世紀初頭(701〜717年)のものとみられる。
現在の福島県相馬市から同町にかけては、当時、陸奥国最大の鉄生産地であり、また同遺跡と周辺の遺跡からは、製鉄施設と管理していたとみられる有力者の住居跡が見つかっている。そのため、木簡は、製鉄施設で働いていた人の住居と名前を書いた名簿とみられ、現在の福島市周辺の地名「信夫郡安岐里」が書かれていることから、約40kmも離れた地域から動員していたことがうかがえるという。
出土した木簡は、山元町歴史民俗資料館で来年1月26日まで展示される。
[参考:河北新報、毎日新聞、読売新聞、宮城県HP]
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キーワード: 熊の作遺跡