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福井県若狭湾 400年前の地震と津波による大きな被害を文献で確認

2011年05月27日 | Weblog
 福井県の若狭湾で、約400年前、地震と津波により大きな被害で出たことを示す記述の残る文献が複数あることが分かった。
 敦賀市の依頼を受けて、敦賀短期大学(敦賀市)の外岡慎一郎教授(日本中世史)が調べたところ、京都の神社の神主が戦国~江戸時代につづった日記「兼見卿記(かねみきょうき)」で、天正13年(1586)に起きた「天正大地震」で「丹後、若狭、越前の海岸沿いで、家々が波に押し流されて人が死亡した」といった内容の記述があった。前日に「夜に地震があった」と記されていることから、地震による津波を記録したものと推定できるという。
 またポルトガル人宣教師ルイス・フロイスが書いた「日本史」にも同じ天正大地震の記述として、「山と思われるほど大きな波に覆われ、引き際に家屋も男女もさらっていってしまった」といった記述が見つかった。
[参考:時事通信、共同通信、NHK、日経新聞]

 また、2006年11月1日付共同通信の記事で、「福井県沖断層群で大地震が起きた場合、若狭湾沿岸で津波が3mを超す恐れがあるとのコンピューターシミュレーション結果を、神戸大の石橋克彦教授らがまとめ、名古屋市で開催した日本地震学会で発表した。」内容の記事があったので付け加えておく。
 要旨: 日本海側の津波被害を伴う地震は新潟地震(1964年)をはじめ新潟以北に多く、それより西側では具体的に想定されてこなかったと。 若狭湾沖約100kmにある問題の断層群は、断層3本からなり全体の長さは約80km。付近には西北西側と東南東側から圧縮する力がかかっており、2000年には断層群東端でマグニチュードM6・2の地震も発生した。
 もし、長さ80kmの断層が4mずれるM7・6の地震を想定すると、島根半島や隠岐諸島から能登半島までの広範囲で、津波は1m以上に。このうち若狭湾内の多くの地点で3m以上となるという。

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