県埋蔵文化財調査研究所は17日、「中屋遺跡」(浜松市浜北区根堅)から国内で唯一出土した、「黒漆螺鈿鞍(らでんくら)」と呼ばれる13世紀末の鎌倉時代の鞍を保存処理し、報道陣に公開した。
螺鈿鞍は、人や荷物を牛馬の背中に乗せるために使われた鞍に、美しい貝殻などの装飾が施されたものを指し、平安から江戸時代にかけて作られた。今回の鞍には黒漆が3回塗り重ねられたことも分かり、黒漆螺鈿鞍と名付けられた。
同研究所によると、鎌倉時代の螺鈿鞍は全国で13例ほどあるが、いずれも寺社や大名などに宝物として所蔵されてきた伝世品で、遺跡出土品としてはこれが唯一という。
この螺鈿鞍は、第二東名建設に伴う中屋遺跡の発掘調査(2001-05年)で04年12月、河川に築かれた鎌倉時代の護岸施設跡の地下約0・5mからほぼ完全な形で発見された。前輪(まえわ)、後輪(しずわ)、居木(いぎ)という部材を組んだ構造で、前輪の一部が欠けている以外はほぼ完全な状態。鞍の下からまじない用の呪符(じゅふ)木簡と矢竹(やだけ)の束が発見されたため、同研究所は護岸整備の際、地鎮などの儀礼に伴って埋められたと推測している。
前輪、後輪の厚みに段差があり、前輪の肩部分の手形と呼ばれるくぼみなどが中世鞍の典型的な特徴を備える。貝を使った装飾である螺鈿は残ってないが、螺鈿がはめ込まれていたとみられる文様の窪みを25カ所確認した。現存する他の螺鈿鞍と比べ、細工の細かさなどは劣るが、より普及していた螺鈿鞍の特徴を表しているという。漆の摩耗もあり、実際に使用されていたことがうかがえる上、後世に修復された可能性もないため、鎌倉時代の姿をそのまま残す稀有な資料という。
同研究所は22日に、中屋遺跡を含む7つの遺跡の調査報告会を同研究所(静岡市駿河区谷田)で行い、同鞍を一般公開する。その後、12月5日まで所内に展示する。
[参考:中日新聞、静岡新聞、静岡県埋蔵文化財調査研究所]
螺鈿鞍は、人や荷物を牛馬の背中に乗せるために使われた鞍に、美しい貝殻などの装飾が施されたものを指し、平安から江戸時代にかけて作られた。今回の鞍には黒漆が3回塗り重ねられたことも分かり、黒漆螺鈿鞍と名付けられた。
同研究所によると、鎌倉時代の螺鈿鞍は全国で13例ほどあるが、いずれも寺社や大名などに宝物として所蔵されてきた伝世品で、遺跡出土品としてはこれが唯一という。
この螺鈿鞍は、第二東名建設に伴う中屋遺跡の発掘調査(2001-05年)で04年12月、河川に築かれた鎌倉時代の護岸施設跡の地下約0・5mからほぼ完全な形で発見された。前輪(まえわ)、後輪(しずわ)、居木(いぎ)という部材を組んだ構造で、前輪の一部が欠けている以外はほぼ完全な状態。鞍の下からまじない用の呪符(じゅふ)木簡と矢竹(やだけ)の束が発見されたため、同研究所は護岸整備の際、地鎮などの儀礼に伴って埋められたと推測している。
前輪、後輪の厚みに段差があり、前輪の肩部分の手形と呼ばれるくぼみなどが中世鞍の典型的な特徴を備える。貝を使った装飾である螺鈿は残ってないが、螺鈿がはめ込まれていたとみられる文様の窪みを25カ所確認した。現存する他の螺鈿鞍と比べ、細工の細かさなどは劣るが、より普及していた螺鈿鞍の特徴を表しているという。漆の摩耗もあり、実際に使用されていたことがうかがえる上、後世に修復された可能性もないため、鎌倉時代の姿をそのまま残す稀有な資料という。
同研究所は22日に、中屋遺跡を含む7つの遺跡の調査報告会を同研究所(静岡市駿河区谷田)で行い、同鞍を一般公開する。その後、12月5日まで所内に展示する。
[参考:中日新聞、静岡新聞、静岡県埋蔵文化財調査研究所]
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