興福寺が17日、同寺国宝館が収蔵する「波羅門立像」の頭部継ぎ面から、奈良で活躍した俗人の仏師集団「宿院仏師」の一人、源三郎(げんざぶろう)が安土桃山時代に作ったことを示す墨書銘が見つかったと発表した。
高さ62・8cmの木像。出展に伴う修理で半球形の後頭部を外したところ、「□□シンヤ/源三郎/天正五年四月/三十日」(□は判読不能)の墨書があった。
宿院仏師は番匠(大工関係)出身で、源四郎とその子の源次、孫の源三郎の3代にわたって活躍。奈良市宿院町に工房を構えたことからその名がある。 江戸時代の郷土史料で1735(享保20)年の記録には、西金堂(1717年に焼失)の仏像制作に「定政」が携わったとの記録があり、源三郎を指すとみられている。宿院仏師の仏像はヒノキの材を生かすなど清潔感のある作風で知られるが、同像は広葉樹を使用している。宿院仏師の仏像にはほとんどに銘があり、同像も頭部を切って名を記していた。
源三郎の作としては奈良市池田町にある薬師如来像や川上村の徳蔵寺の阿弥陀如来像などがあるという。
波羅門立像は、護国の経典「金光明最勝王(こんこうみょうさいしょうおう)経」に金鼓を撥(ばち)で打つ姿で登場する高僧を表現。734年創建の西金堂に、釈迦如来像を中心に、阿修羅像などの八部衆像や十大弟子像、波羅門像などが安置された。当初の波羅門立像は失われ、何度か作り直されている。波羅門の像はほとんどなく、描かれている例も「興福寺曼荼羅図」などしかないという。
東京国立博物館で3月31日~6月7日に開かれる「国宝 阿修羅)展」で初公開される。
[参考:産経新聞、時事通信、読売新聞、朝日新聞]
頭を割ったら銘文=奈良・興福寺の波羅門立像(時事通信) - goo ニュース
関連情報: 興福寺・世親菩薩立像
高さ62・8cmの木像。出展に伴う修理で半球形の後頭部を外したところ、「□□シンヤ/源三郎/天正五年四月/三十日」(□は判読不能)の墨書があった。
宿院仏師は番匠(大工関係)出身で、源四郎とその子の源次、孫の源三郎の3代にわたって活躍。奈良市宿院町に工房を構えたことからその名がある。 江戸時代の郷土史料で1735(享保20)年の記録には、西金堂(1717年に焼失)の仏像制作に「定政」が携わったとの記録があり、源三郎を指すとみられている。宿院仏師の仏像はヒノキの材を生かすなど清潔感のある作風で知られるが、同像は広葉樹を使用している。宿院仏師の仏像にはほとんどに銘があり、同像も頭部を切って名を記していた。
源三郎の作としては奈良市池田町にある薬師如来像や川上村の徳蔵寺の阿弥陀如来像などがあるという。
波羅門立像は、護国の経典「金光明最勝王(こんこうみょうさいしょうおう)経」に金鼓を撥(ばち)で打つ姿で登場する高僧を表現。734年創建の西金堂に、釈迦如来像を中心に、阿修羅像などの八部衆像や十大弟子像、波羅門像などが安置された。当初の波羅門立像は失われ、何度か作り直されている。波羅門の像はほとんどなく、描かれている例も「興福寺曼荼羅図」などしかないという。
東京国立博物館で3月31日~6月7日に開かれる「国宝 阿修羅)展」で初公開される。
[参考:産経新聞、時事通信、読売新聞、朝日新聞]
頭を割ったら銘文=奈良・興福寺の波羅門立像(時事通信) - goo ニュース
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