市教委が23日、2008~09年にかけての発掘調査で、弥生時代中期から後期(紀元前2世紀~1世紀)の代表的な高地性集落・会下山(えげのやま)遺跡(同市三条町)で、全山にわたって遺構が広がっていたことが分かったと発表した。金属器生産か、のろし台に使われたとみられる焼けた土の穴や、堀状の遺構が見つかり、数十年単位で定住していたことが推定される。
中心集落とされた尾根部の東側斜面には、竪穴式住居1棟の跡や土器片が多数発見され、北側、東側の別の斜面でも土器片や柱穴などが出土し、生活の跡がうかがえた。遺跡の範囲はこれまで山頂や尾根部など約3000㎡とされていたが、斜面や山裾まで含め、少なくとも1万5000㎡を超える規模に広がると推定されるという。
東側斜面にある焼けた土の穴は長軸約1・6m、短軸約0・6mで、土の硬さなどから高温で焼かれたとみられる。鉄の生産に使われたと確定すれば、県以東では最古級となる。市教委が土の成分をさらに分析する。
堀状の遺構(深さ約0・9m、幅約3・3m)は、境界か防御、祭祀のための保護に使われた可能性があるという。
現地説明会が31日午後1~3時から行われる。
[参考:読売新聞]
中心集落とされた尾根部の東側斜面には、竪穴式住居1棟の跡や土器片が多数発見され、北側、東側の別の斜面でも土器片や柱穴などが出土し、生活の跡がうかがえた。遺跡の範囲はこれまで山頂や尾根部など約3000㎡とされていたが、斜面や山裾まで含め、少なくとも1万5000㎡を超える規模に広がると推定されるという。
東側斜面にある焼けた土の穴は長軸約1・6m、短軸約0・6mで、土の硬さなどから高温で焼かれたとみられる。鉄の生産に使われたと確定すれば、県以東では最古級となる。市教委が土の成分をさらに分析する。
堀状の遺構(深さ約0・9m、幅約3・3m)は、境界か防御、祭祀のための保護に使われた可能性があるという。
現地説明会が31日午後1~3時から行われる。
[参考:読売新聞]