歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

さいたま市・南鴻沼遺跡 4000年前の水場遺構が見つかる

2012年05月10日 | Weblog
 さいたま市中央区大戸1丁目の「南鴻沼遺跡(みなみこうぬまいせき)」から縄文時代中期~後期初頭(約4000年前)の水場遺構2カ所が発掘された。 この時代の水場が見つかったのは、県内では北本市(注1)に続き2カ所目。 食用の木の実や漆器などが遺構付近で見つかっていることから、木の実のあく抜きや加工場として使われていたとみられる。
 市教委は昨年10月から同遺跡の発掘調査を進めている。来年3月まで調査する予定。 発見された遺構の一つは縦横1mほどのコの字形の木組み状。 当時、集落のあった高台近くの湿地帯につくられ、小川の水を貯める施設だったとみられる。
 周辺からはクルミやトチなどの木の実や木の皮とみられる植物片を編んだ製品の一部のほか、漆器の破片、船の「櫂(かい)」のようなものなど未完成の木製品も多数出土している。
 市教委は発掘した漆器や木の実、土器など約30点を紹介する速報展を20日まで、さいたま市中央区の与野文化財資料室で開いている。24~31日は土器の館(同市大宮区高鼻町2丁目)で開催する予定。
[参考:2012.5.9毎日新聞、2012.5.6 埼玉新聞、2012.5.4朝日新聞、さいたま市HP]

(注1)
 2009.2.23 北本市・デーノタメ遺跡 色鮮やかな漆塗り土器が出土
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京都市・最勝光院跡/法住寺殿跡 古墳時代と奈良時代の建物跡が出土

2012年05月10日 | Weblog
 今年3月に、平安時代後期、後白河法皇(1127-1192)の后で平清盛(1118-1181)の義理の妹、建春門院(平滋子、1142-1176)が造営し居住した最勝光院跡を掘り下げると、奈良時代の建物跡3棟分と、古墳初期(3世紀ごろ)の竪穴住居跡10棟分が見つかった。
 調査地は元、一橋小学校の跡地で東山泉小・中の校舎新築に伴い、京都市埋蔵文化財研究所が1月から約1500㎡を調査していた。調査は6月末まで行われる予定。
[参考:京都新聞]

過去の関連ニュース・情報
 2012.3.9 京都市・法住寺殿跡 南側の発掘調査で建春門院が造営・居住した最勝光院跡を確認
 2011.11.30 長浜市・塩津港遺跡 平安時代末期の津波による痕跡か、一様に北側に傾いた柱跡が見つかる
 元暦2年(1185) 7月9日(新暦8月13日)に起きた京都、滋賀方面に起きた大地震(M7超)で、『吾妻鏡』7月19日の条に、「地震良久。京都去九日午剋大地震。得長壽院。蓮華王院。最勝光院以下佛閣。或顛倒。或破損。(略)」と記されている。
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秦野市・二子塚古墳 銀装圭頭大刀が保存処理を終え今月一般公開

2012年05月05日 | Weblog
 2010年7月に県指定史跡・二子塚古墳(同市下大槻)から出土された「銀装圭頭大刀」(長さ約58cm、6世紀後半頃)が、保存処理を終え5月19日から6月3日まで、桜土手古墳展示館(同市堀山下)で同古墳出土品の特別展示が行われる。
 県内では68年に伊勢原市内の古墳で見つかって以来2例目となるが、柄頭から鞘尻まで全形が揃ったものとしては県内初という。
 保存処理と共に行われた調査で、銀装大刀の金属部は銀であり、「花唐草」と考えられる装飾文様が記されていることがわかった。

 また、このときに出土した金属片のX線分析を行ったところ、刀の鞘尻「銀象嵌鞘尻金具」と判明し、錆や汚れを除去したところ、ウロコ模様の銀象嵌が確認された。 前述の銀装圭頭大刀とは別のもう一つの大刀が出土したことになる。
[参考:タウンニュース秦野版、秦野市HP]

過去の関連ニュース・情報
 2010.7.17 秦野市・二子塚古墳 横穴式石室から銀装大刀が全形で出土
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