<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地



フランシス・フォード・コッポラの「ゴットファーザー」に映画プロデューサーのベッドの中に馬の生首が知らない間にぶち込まれている、という有名なシーンがある。
マフィアが後押しする俳優の出演要請を断った腹いせの脅しだったが、その生生しさと、豪邸の中で一人絶叫する映画プロデューサーの恐怖が強く印象に残っている同映画の代表的シーンだ。

このマフィアからの出演要請でも断られた俳優のモデルがフランク・シナトラであったこともまた有名で、米国に於ける芸能人とマフィアのつながりを示す代表例として今もたびたび出てくる話題なのだ。

元漫才師の島田紳介が「個人的な暴力団とのつながり」を理由に芸能界を引退宣言。
急なニュースだったので昨日の夕刊紙やスポーツ紙はその話題でもちきり。

「お世話になった方なので残念です。」
「紳介さんがいなかったら今の自分はありません」

という、紳派なタレントのコメントを伝えていた。

私は島田紳介のファンでもないし、むしろあまりいい印象を持っていない市井の一人だが、今回の暴力団とのつながりで引退しなければならない理由は一体なんなのか。
今後の報道は要チェックだと思っている。

というのも、先述のとおり、やくざと芸能人のつながりはなにも日本だけに限ったものではなく、米国をはじめ海外でも似たり寄ったり、
任侠世界とのつながりが無ければ、ある種、芸人生活できない面も無くはない。

昔であれば美空ひばりは山口組の組長の寵愛を受けていたことでも有名だし、西城秀樹の実姉もやはり山口組関係者の内縁だった。
任侠映画でならした東映映画では多くの俳優がその筋とつながりを持っていたと言われ、ただ北大路欣也のみ父の市川歌衛門からの強いお達しで、そういう人たちとの付き合いが一切なかった、と私の大学時代、映画関係者から話を聞いたことがあった。

「後輩800人に示しがつかない」

とは立派な言い草だが、きれいごとだけで解決できるような話ではない。
芸能人、とりわけお笑い芸人として、洒落た理由を話して去っていただきたいものだ。

話は違うが、「兄貴~、やられた」と腹にドスをさしたまま血を流したままヤクザの宴会場に逃げ込んで来て、余興に来ていた講談師をビビらせる、というような「どっきりカメラ」ももうできないのだな、と思うとつまらない時代になったものだとつくづく感じるのであった。

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上方落語の重鎮、桂三枝が師匠の名籍を継ぐというニュースが昨日流れた。

桂三枝改め、桂文枝。

上方落語というと、四天王と呼ばれる噺家さんが存在した。

六代目笑福亭松鶴。
三代目桂春団治。
三代目桂文枝。
三代目桂米朝。

この中で桂米朝と春団治は現在もなお活躍中。
米朝は私の大好きな落語家で、最近は忙しくてなかなか聞きに行く時間が取れなくて残念だが、数年前まで米朝出演の落語会がサンケイホールやその他身近な会場であるときはよく出かけたものだ。
もちろん人間国宝だけに落語の語りは上方一。
米朝落語を耳にしたら、なかなか他の落語は聞けない、ということもないものの、やはり安定感がベストで、枕の話など人生論にもなったりして楽しめるのだ。

春団治の落語は子どものこ「しょーもない、おもろない落語」と思っていたが、生で聞いて以来、この人の噺は生で、しかもテレビ中継のない寄席で効かなければ面白くないことがはっきりして、いまでは聴きに行く落語会に春団治が出ると楽しみになる。
というのもこの人、テレビで話す落語と、寄席で話す落語がぜんぜん違うのだ。
テレビは言葉の制限などがあり、やりにくいらしく、その点、寄席の落語は遠慮がないだけに次々とおもしろい話芸が飛び出し楽しめるのだ。

松鶴の落語は正直言って上手ではなかった。
でも、この人はなかなか正直で「ワシ、米朝嫌いや、落語巧すぎやもん」と言って笑いをとれるようなキャラクターなのであった。
普通人ではありえない、どこか超越した部分があってなぜか面白かった。
シラフのひとを演じていると呂律が回らず聞きづらい。
ところが酔っぱらいを演じると滑らかな話口調になるのには正直驚いたものだ。
普段アル中のような感じの人ではあったが、アル中みたいな人が酔っぱらいを演じると、ある意味リアルを通り越して素晴しを感じる域のものがあったのだ。

で、文枝。
この人は長らくテレビの「素人名人会」の審査員をしていて子供の頃から良くテレビでみかけたけれども、ついに生で落語を聞くことはなかった。
そのためかどうか、四天王の中でも落語家としての印象は一番薄い。
今も、見た落語のネタをちっとも覚えていないくらい印象が薄いのだ。
それでも文枝は上方落語にとっては重要な名前で、私は知らなかったのだが、「桂」の名前はここからスタートしているというのだから、文枝という名の重要性がわかろうというもの。

その文枝の一番弟子、桂三枝の落語も実のところ生で聞いたことがない。
ミャンマーへ旅行したときにガイドを務めてくれたTさんがウォークマンで落語を聞いていて、
「これ面白いんです」
と私に聞かせてくれたのが桂三枝の創作落語だった。
ミャンマーの人が落語を聞いて笑っている方が印象的で、噺のネタはなんであったかちっとも覚えていないのであった。

桂三枝といえば未だに落語家というよりもテレビのタレントという印象が私には強い。
そういう意味で「桂文枝」襲名は、なるほどでもあるのだが。
文枝という名前が落語会で重要と言うならば、三枝が文枝を継ぐのになんとなく違和感があるのはなんなのだろうか。

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コント55号の坂上二郎が亡くなった。
また一人、味のあるコメディアンがいなくなってしまった。

数年前に発売されたコント55号の「なんでそうるの!?」のコント集DVDを鑑賞すると、今でも十分楽しめるのが良くわかる。
お笑いの世界では時代を超えて楽しめるものを「古典」と呼ぶが、コント55号はまさに「古典」。
昔のものでも十分に楽しむことが出来るエンタテイメントだ。

そのコントの中で欽ちゃんにいじられるのが二郎さんのいつもの役回りで、
「ハアハアハア」
と息を切らせながら舞台を走り回る姿はエネルギッシュだ。
それでいて「下ネタはしない」という55号のスピリッツの通り、不快感の無い内容は、幼稚な内容が多い最近の新しいお笑いと比較しても、良くできていて楽しめる。

晩年の坂上二郎は俳優としても活躍。
もうかれこれ20年近く以前になってしまったがNHK水曜ドラマ「腕におぼえあり」の口入屋役は秀逸で、村上明宏や渡辺徹と並ぶ主役の一人だと思っていた。

これもそれもコント55号が浅草出身のプロのコメディアンで、単に人の笑いをとるだけではなく、人を楽しくさせる修業を積んだ芸人さんだったからに他ならない。

ということで、76才というと今の尺度からするとまだまだ若い。
なんで死んじゃうの!?

コント55号の生のコントは、もう見られない。

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古典落語と新作落語。
何度聞いても面白いのが古典落語で、何度も聞けないのが新作落語。
だって新作落語は使い捨てみたいな噺が多いから。

大体の傾向はそういったところだろう。

古典落語はオチが分かっているのに、なぜか楽しんでいる自分がいる。
そういう事実に自分自身驚くことは少なくない。たぶん古典落語には精神的に人を癒してしまう機能があるのだろう。

それに引き換え新作落語。
オチが分かっていたら聞く気もしないし、だいたいが初めから聞く気もしないものが少なくない。

例えば有名落語家、仮に桂S枝と呼ぶとしよう。
かの師匠の新作落語は数が多い。
多いけれども内容は薄い。
小説や論文の世界ではよく見かける多作で中味なし。
でも演じる人がポピュラーな人だから、それをCDにして販売したりなんかしている。
買う人が居るのが古典の好きな私には理解できないが、理解出来ないだけに地球資源の浪費ではないかと思ってしまうことも少なくない。

とまあ、環境問題にまで、言及しそうになってしまいそうな品質なのだ。

古典は基本。
基本がしっかり出来上がっているのだから、なんど同じ内容を聞いたとしても楽しめる。
新作でも基本がしっかりしている小佐田定雄の作品には何度聞いても楽しい話が結構ある。
尤も、その基本がなんであるのかを説明するのはかなり困難ではあるが。

そういう意味で、夢路いとし喜味こいしの漫才は「古典漫才」と呼んでも過言ではなかった。
なんといっても、古典落語のように同じネタを何度聞いても面白かったのだから、凄い!という他ない。
しかも子供の頃に聞いた漫才と、大人になってから聞いた漫才を全部面白いと感じるのだから、その漫才、まさに芸術。
今も時々、仕事でイライラしたときにYouTubeなどでお世話になっている心和ませる漫才だ。

そのいとしこいしの生き残り、喜味こいしが亡くなった。
享年83歳。

まったくもって惜しいというか、なんというか。
相方でお兄さんだった夢路いとしは随分前に亡くなっていたので、最近は二人の漫才は見ることができなくなっていたのだけれども、それでも片方が存命であるのと、そうでないのは大きな違いがある。

「ぐちゃぐちゃで思い出したんやけど、君とこの嫁はんは元気か?」
「なんで『ぐちゃぐちゃ』でうちの嫁はんを思い出すんや!」

もう、生では聞けないネタになってしまった。
さよなら、古典漫才。

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関西では知らないものはいないお笑いトリオというかクインテットというか、そのチャンバラトリオの名物オッサン、カシラこと南方さんが亡くなった。
享年77歳。

チャンバラとリオというと「お仕置き」と称してハリセンでバシッ!とぶん殴るのが有名だった。
大阪名物「ハリセンチョップ」。
その南方さん、もといカシラのハリセンも、生で見ることは永遠にできない。
かなり寂しい。

私の場合、芸人さんが死去したというニュースを聞くと映画スターやスポーツ選手が死去したというニュースよりも時代の流れを強く感じてしまう。
他の人はどうなのだろうか。
正直、不謹慎ながら述べてみると、過ぎ去りゆく時代を感じさせるのは、森繁久弥よりも藤田まこと、藤田まことよりも三遊亭円楽、三遊亭円楽よりも南方さん、という図式が成り立ってしまうのだ。

私の世代の大阪人はガキの頃には一度は図工の時間に画用紙を折りたたんでハリセンを作った経験があるはず。
もちろん私も作ったことがあり、それでもって罪もない友達を突然ぶん殴る、なんてことをやって叱られた経験がもちろんあるわけで、それだけにチャンバラトリオの漫才への親しみは南方さんと共にあったと言っても過言ではない。

本格的な殺陣。
不真面目の中に存在する真剣な剣劇はチャンバラトリオの最大の魅力だった。
いわば桂枝雀の緊張と緩和理論に於ける「剣劇」は緊張、「ハリセン」は緩和で、見事に笑いを成立させていたというわけだ。

あのネットリした話し方。
誰かがモノマネしたカシラの話し方にMBS角純一アナウンサーが笑い転げていたのも懐かしい。

またひとつ、笑いの時代が逝った。

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講談師の田辺一鶴が亡くなった。

最初、新聞でその記事を読んだ時、
「はて?、講談師の田辺一鶴っていったい誰?」
と思った。
落語が大好きな私なのだが、同じ一人芸の講談は馴染薄。
講談師の名前を聞いただけでは誰か誰だか分からなかった。

昨日、法事で親戚の家を訪れた。
親戚のオジサンオバサン、従兄弟連中と話をするのがいささか億劫だったので新聞を読んでいると、件の講談師田辺一鶴の写真が載っていた。
特徴あるヒゲ。
メガネ。
細い目。

「おおおお!あの元祖どっきりカメラのオッサンやんけ!」

ということで、田辺一鶴があの伝説のバラエティ番組「元祖!どっきりカメラ」の名作エピソードの被害者その人であることを知ったのであった。

私は子供の頃「元祖!どっきりカメラ」が大好きな嫌なガキなのであった。
あまり細かなことは覚えていないのだが、田辺一鶴が騙された「ヤクザの前で講談をする」という作品が最も印象に残っているエピソードのひとつになっている。
ビクビクしながら講談をしていると、そこへ腹を刺されたヤクザが飛び込んでくる、というような内容だったと記憶している。
何がおかしいかといえば、その時の田辺一鶴の驚いた顔ほど面白い表情は、これ以前も、これ以降も見たことがないくらい傑作なのであった。

ちなみにもう一本面白かったのは変装した林屋三平が家族を騙しに行くというエピソードで、騙す行動に出る前に途中の道で落語家デビュー前のまだ子供だった林家正蔵に、
「あ、おとうさん。どこ行くの?」
と訊ねられて、いきなりネタバレしたエピソードである。

ということで、図らずも田辺一鶴死去のニュースで面白いテレビ番組を思い出した。
もう一度、講談ではなく、どっきりカメラでびっくりしている田辺講談師の表情を見てみたいと思ったのであった。

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このお盆休み中に桂枝雀生誕70年記念落語会に行ってきた。
場所は大阪のサンケイホール。
サンケイホールといえば桂米朝さんや生前の枝雀が独演会を開いていたホール。
ただし、昨年に建て替え工事が完了して昔のモッサイ、チッコイ、小汚いホールはもはやなく、そのイメージもない。
ただ、めちゃ狭くてイスの座り心地がイマイチなイメージだけは踏襲しての新しくなったホールでの開催となった。

私は昼の部を観賞しに訪れたのだが、出演者は紅雀、雀松、南光の順でゲストは落語に笑福亭松之助、トークショーにイーデス・ハンソンと桂ざこばに小米朝改め米團治。
いずれもなかなか面白く楽しい内容だった。
が、驚いたことがただひとつ。
いろいろと生の落語を聞かせていただいたが、一番面白かったのが、中入後に上映された生前の(もちろん死後はあり得ない)桂枝雀が演じた朝日放送の枝雀寄席「道具屋」のビデオだったことだ。

ビデオ上映終了後のトークショーで南光自身も「悔しいですけど」と呆れたように話していたが、今もなお、ビデオとなった枝雀が一番面白いのは、さすがだと実感、。
枝雀の落語がいかにユニークで突出して面白かったかがよく分かる落語会だった。

これで、もし今も死なずに生きていたら枝雀の芸はどんなものに発展していたことやら、と想像するとポロッと涙がこぼれそうになった。
ちょこっと困ったのであった。

それにしても枝雀の人気は今も衰えない。
私自身、枝雀は今も大好きな落語家だし、学生時代に録画した枝雀寄席のビデオテープもひどい画質ながらたまに見たりする。
とりわけ仕事が行き詰まったり、悔しいことや悲しいことがあったりすると枝雀の落語はいとしこいしや人生幸朗と生恵幸子の漫才と共に元気回復の特効薬だ。

最近のつまらない使い捨て芸人の一発芸を観ていて、こちらが恥ずかしくなくとも少なくない。
そういうテレビ衰退時代に、枝雀のような真のエンターテイメントを目にすると人類の歴史と文化度は時と共に発展するばかりではなく、著しく衰退することもあるのだと、痛烈に感じるのだ。

と、思っている今日この頃でござました。


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インターネット新聞の芸能欄を見ると上方落語の露の五郎兵衛が亡くなったことが伝えられていた。
享年77歳。
上方落語協会の前会長だったと記憶する。

露の五郎といえば「怪談話」が有名だった。

テレビの寄席番組でも露の五郎が出てくると一頃は怪談話を始めるのでは、と期待したものだ。
露の五郎の話し方は子供の私にも理解しやすかった。
だから、どちらかというと好きな噺家の一人であったことは間違いない。
むしろ今は人間国宝の桂米朝のほうが、「ハイ土曜日です」などのワイドショーの司会をやっている、あまり面白くないおっちゃんぐらいに感じられたほどであった。

露の五郎の落語が実はあまり上手ではない、ということに気づいたのは大人になってからだった。
怪談話は確かに人を引き付けるものがあったが、普通の噺となると、これがいけない。
人物描写や説明がくどすぎて、面白くないのだ。

「露の五郎はテレビ向きの噺家なんだ」

ちょっとショックだった。

同じように、テレビで人気の噺家さん。
例えば桂三枝やきん枝、笑福亭仁鶴なども、生で聞くとちっとも、とまではいかなくても、あまり面白くない噺家さんたちだった。

二年ほど前にNHKの朝ドラで落語をテーマにした作品が放送された頃から落語、とりわけ上方落語の人気が高まってきたように記憶する。

露の五郎兵衛がなぜ落語人気が出てきたのに姿を見かけないのだおると思っていたら、病床に倒れていたということだった。

名人、ではなかったものの、印象に残る噺家さんなのであった。

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