<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地



高速道路の休日1000円が終わったら、東日本大震災の被災地を通る東北自動車道を無料化。
かといって、国民の生活を支えるのかというと、消費税や所得税、電気料金を値上げするのだという。

これって一体なんなのか。

天才バカボンのパパが「反対の賛成なのだ」という、あの決まり文句ににているような感じがする。
菅総理はバカボンのパパレベルなのか、と考えていたらそれはあまりに「パパ」に失礼。

赤塚不二夫の原作漫画を読んでみると、バカボンのパパは、随分と優れたセンスを持っていることに気がついて愕然とすることがある。
(詳しくは天才バカボンを読もう!)

高層道路の部分的無料化は菅政権、というか民主党を中心とする革新政党の「全共闘時代の学生レベル的未熟さ」が感ぜられ辟易とすることが少なくない。
どうして高速道路のような民間企業の料金を無料化し、一報において増税するというのは、支離滅裂としか言いようがない。

率直に言って、今の政治家のみなさんは指導力が欠如している上に、商人のしてのセンスも欠如していて、何をどうすればお客様(国民)を満足させ、かつ会社(国)が繁栄していくことができるのかというビジョンを持った人が全く存在しないのだ。
増税も無料化もしなくて復興させ、さらには発展させる方法がいくらでもあるだろうに、討論さえしない。
まったくもって、情けない。

例えば、大阪府の橋下知事が強烈な発言で話題を集めているが、橋下知事の場合、その極端な発言が意図されたものであり、それが経済や政治の上で何をもたらすのか計算されたものになっていることが府民には感じられている。
ヤンチャな知事が、過激発言で地域に問題を定義してお祭り状態を創りだす。
ある意味、政治的活気が誘発されている。
それだから組合支持の革新朝日新聞なんかが「独裁政治容認」とセンセーショナルな橋下批判の見出しを掲げても府民は無視。
ニセ記事ばかりの全国紙よりも、学生時代に起業して騙され数百万の借金を背負い込んだ経験のある若手政治家の方に信任があつまるのもむべなるかな。
色々論議はあるけれども、主任一年目に府の財政を黒字にし、関西空港を黒字にし、だれもふれなかった市制と府政のサンクチュアリに大鉈を振るおうとする姿は、菅総理とは対照的と言えるだろう。

ということで、
「辞めるけど辞めないのだ」
という菅総理の打ち出す、
「無料だけど増税なのだ」
は、震災以上の災害をもたらすことになるのに違いない。

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「コロンボ刑事死す」
などと書くと、太陽にほえろの人気刑事が亡くなったみたいな感覚になるのだが、刑事コロンボことピーター・フォークの訃報はマカロニやGパンが亡くなった時のような寂しさを感じたのであった。

ピーター・フォークのことで最も印象に残っているのは、その声なのであった。

子供の頃、刑事コロンボの声といえば小池朝雄が定番で、あの独特の江戸なまりがたまらなかった。
小池朝雄が早世してしまったので、以後、石田太郎が吹き替えを担当したけれども、やはり小池朝雄の印象が強烈的で、「新・刑事コロンボ」の題名で放送されたシリーズはストーリーこそ悪くはなかったものの、主人公になじむことができず、未だに見たくなるのは70年代のシリーズだ。

ところで、小池朝雄もしょせんは吹き替えの声。
本当の声はどんな質で、どんな印象なのだろうか、と興味をもっていたのは中学生の時。
高校生になって、はじめての海外旅行でピーター・フォーク本人の声を聞くことになり、びっくりしたことが忘れられない。

場所はロサンゼルスのビルトモアホテル。
自室のテレビのスイッチを入れてチャンネルをガチャガチャ回していると、なんと刑事コロンボの新作が放送されていたのだ。
その新作、日本で放送されたときの題名「秒読みの殺人」というエピソードで、当時、英語はさっぱりわからなかったが、ストーリーはあんとなくわかり、暫しテレビに釘付け。
やがてピーター・フォークが登場して話した声に驚いた。

小池朝雄とは程遠い、バックスバニーのような声なのであった。

「これは..............全然ちゃうやん」

と、テレビの吹き替えは似た質の声が選ばれるものと思っていた私は大きな衝撃を受けたのであった。

あれから約30数年。

またひとり、米国TVのスターがこの世を去った。
とっても寂しいニュースなのであった。

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川之江ジャンクションから進路を変え、いくつものトンネルを潜り抜け高知自動車を南へ走る。
景色を楽しむことがほとんど不可能な旅は退屈でうんざりする。
オレンジ色の光の他、あらゆる色彩を奪い去る橙色のナトリウムランプ.
まるで退屈な実験映画を見ているようで、こういう洒落っ気の無いランプを開発した技術者のセンスを疑いたくなる。

それだけに、最後のトンネルを潜り抜けて、陽光を浴びてキラキラと輝く太平洋の広大な景色が目に飛び込んできたときの感動はひとしおだ。

南国高知への旅は、このような素晴らしい景色を高台を走る高速道路から眺めて「うぉ~」と言うところから始まる。(但し晴れていることが条件ですけど。またJRや飛行機なんかでも違います)

有川浩の「県庁おもてなし課」(角川書店刊)は高知が舞台のラブコメ経済小説。
「阪急電車」を読んで以来のファンなのだが、この作品は文句なしに楽しめる痛快小説なのであった。
ネットの評価を読んでいると概ね得点が高い。
一部、公務員の方々には評判が悪いようだが、実際のところ本書を読んでいると、
「行政のやっていることって、このとおりなんだよな」
と納得してしまうところが少なくないので公共の職についてる人の拗ねたような批判は的はずれ。

ある意味、そんな批判を浴びるほど、リアリティあふれる面白さが存在しているのだ。

この小説を読んでいると、何度か訪れた高知独特の雰囲気を思い出して、それもまた面白い。

私の初めての高知訪問は会社の慰安旅行なのであった。
高知市のこじんまりしたところ、食べ物、とりわけ清酒のおいしさに度肝を抜かれたのを記憶している。
「さすが龍馬の生まれ故郷」
と訳の分からない納得をしたことも記憶している。

それに高知県人の県民性なのか、カラッとしていて一直線で明るいのがまた良かった。
私はその時の宴会で人生始めて浴びるように日本酒(その時は司牡丹)を飲んで(約2升)しまったのだが、あくる朝、
「お客さんはいごっそうな方じゃ」
と仲居のオバサンに真面目に褒められ感動したこともまた、酒豪の多いと云われる高知への好印象として残ったのであった。

以後、家族と2回訪れているが、どちらも夏で、南国独特の青い空、輝く海、潮風と山の緑が極めて印象的な土地で、もちろん食事、とりわけ海の幸と酒が美味く、こんな良いところが大阪から5時間のところにあってバチが当たらないだろうかと、妙な感覚に陥ってしまうところでもあるところなのだ。

ただし、夏の高知の暑さは日本のバンコクと言っても過言ではない大阪のそれをはるかに上回りる。
しかしその厳しささえ、後になると「高知のめっちゃ暑いけど夏は楽しいね」と思えるダイナミックさがあるのだ。

「県庁おもてなし課」
本書を読んでいると、海パンと虫とり網を持ってまたまた高知に行きたくなってくるのだ。


(写真:安芸から南国へ向かう途中に見える景色)

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なんだか知らないが、最近「〇〇の科学」だとか「〇〇統計学」などといった書籍がブームのようで、書店を訪れると科学や経済のコーナーでもないと一般書籍のところにこの種の本が平積みされているのをよく見かける。
私も「〇〇の科学」の類の本にすっかりとハマってしまっており、「〇〇の科学」という題名を見るたびに手にとってみてしまうのだ。
尤も、「〇〇の科学」という名前の出版社や団体は、かつての「なんとか真理教」とよく似た存在であるため、それらと混同しないように配慮することが必要だ。
『「〇〇の科学」?出版社は........講談社。これなら安心だ』
という具合に。

統計学についても同じようなことが言えるようで、カルトな宗教団体ではないにしても、統計学で求められる数値をいい加減に解釈して、スポーツ新聞よろしくスキャンダラスに話題を盛り上げようとするものも少なくないらしい。

「ヤバい統計学」(カイザー・ファンク著 阪急コミュニケーションズ発行)はタイトルこそスキャンダラスだが、内容は誰にでも分かりやすく噛み砕いた統計学の科学エッセイだ。

帯に書かれている「ディズニーランドで列をなくす方法は?」のキャッチに惹かれてついつい買ってしまったのが本書。
私はディズニーランドに行ったことがあるのは1回だけ。
それも随分昔にアナハイムのディズニーランド行ったきりで、東京ディズニーランドには行ったことがない。
いつも京葉線で東京ディズニーランドの前を通過するばかりなのだが、列については噂は聞いていたし、大阪人としては類似のUSJの行列も経験しているので、このテーマには興味がったのだ。

本書はアメリカのケースについて書かれているので日本の状況とはちょっと違うが、内容にはうなづかせるものがかなりあり、それも論理的に話が展開されていくので、グイグイと惹きつけられる。
ディズニーランドのシステムは知らないのだが、なんでもアトラクションの予約をして待ち時間を列に入らず過ごすことのできるシステムがあるのだというのだが、本書は「列に並ばなくても、それは一種の列に並んでいるのと同じこと」と分析結果を話す。
結局列がなくなるのか、なくならないのかは実際に読んでみて知ってもらいたいのだが、そのようなネタが沢山あって面白い。

「皆様〇〇空港に到着いたしました。これで皆様の最も安全な旅の区間は終了いたしました」
とアナウンスした旅客機の機長の話にも笑った。
ヒコーキは空を飛ぶし、40代以上の人には御巣鷹山の記憶が今も脳裏に焼き付いて、空の旅は危険がつき物と思いがち。
ところが、統計学上は飛行機で事故に遭う確率は限りなく小さく、例えば毎日飛行機に乗り続けてても、その事故に遭う確率は4000年に1回の割合なのだという。

考えて見れば、自動車事故で毎年数万人が日本国内だけで亡くなっているが、ヒコーキ事故については限りなくゼロに近い。
どっちが安全かは統計学上は明らかだ。

しかし、ここには統計学独特のイリュージョンがあり、そのことを理解しなければ正しく統計学のメリットを享受できないことも本書は指摘している。

誰でも、楽しく、膝打ちながら学べる統計学入門書。
数学にあまり強くない私でも楽しめた、一冊なのであった。

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かつてエミー賞を受賞して、今や世界中のテレビドラマや映画の編集に用いられている動画編集ソフト、アップル社の「Final Cut」シリーズ。

アップル社の発表によると最新版の「Final Cut Pro X」は64ビット完全対応で、価格はたったの35000円。
この低価格は一体何を意味するのか。
アップルの戦略に注目が集まる。

先日、近々リリースされる最新の「Mac OS LION」の価格がたったの2600円であることに驚いた人も多いだろう。
私も驚いた。
長年マックユーザーを続けてきたが、これほど衝撃の走った価格はなかった。
20年以上も以前にアシストという会社がロータス1-2-3そっくりの「アシストカルク」という製品を数千円代で発売してきた時も驚いたが、今度のOSがずば抜けて安いことには到底及ばなかった。

それに加えて今回はプロ用ビデオ編集ソフトがたったの35000円。
凄い特殊効果や合成ができるMOTIONがたったの5000円台。

これでは10万円以上もする古い「FINAL CUT PRO」はまず売れることはなくなり、それと関連しえadobeのPremiereなんかはもっと売れなくなるだろう。
ユーザは今後設備にもっともっとお金をかけることができるようになり、この手の製作環境は劇的な変化をするに違いない。

デジタルカメラはプロカメラマンとアマチュアカメラマンの差を縮めたが、本格動画編集ソフトもまた、プロとアマの差を縮めるはず。
すでに放送免許がなくてもハイビジョンの放送を誰もが始めることができる環境も整い、地上波のバラエティショーよりも、Youtubeのコンテンツのほうが面白い、という時代に入ってしまった。

こういう高度な製作向けソフトウェアの劇的な価格低下は、クラウドを見据えたメディア環境の雪崩のような変化の序章なのかもわからない。

それにしても、これだけのハイテクが技術アップと反比例して価格ダウンをしても、ハサミを持って8mmフィルムをチョッキンチョッキンと切手は洗濯バサミでカットナンバーのメモと一緒に吊るしては、テープで繋いだ超アナログ編集の頃が懐かしいのは、私が歳をくってしまったからか。
謎である。

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アマゾンドットコムの電子書籍についにミリオンセラーが誕生した。

新聞報道によるとミリオンセラーを出したのはケンタッキー州に住むスリラー作家だそうで。過去に電子書籍で発刊した10作品の合計が100万冊を突破したのだという。
印税は一冊当たり28円。
約2800万円の収入ということになり、電子出版がなかなか馬鹿にできない存在になってきた証として注目されている。

そもそも、出版業界は今、革命の嵐が吹き荒れているといっても過言ではない。
インターネット白書によると、日本の電子書籍人口は読者人口の2%程度に過ぎないと言われているようだが、今後1~2年の間に劇的に変化する可能性も秘めている。

まず、インフラはすでに整った。
iPadやAndoroid端末はかなりのパーセンテージ普及済み。
あとは配信と、端末で読むという習慣が広がるだけだ。

iPodが「持っている音楽ライブラリーを全部ポケットに」というコンセプトで成功したように、書籍についても「全部タブレットに」という時代がきているわけで、家の書棚に満載されている書籍が一枚のタブレット型コンピュータに収まってしまう日も、遠くはない。

最も、100万冊も売れる人は限られているはずで、売れる数が100部程度なら、たった2800円にしかならず、小遣い稼ぎの足しにもならない。

ところで、アメリカにはlulu.comという格安で自費出版できるサイトがあるそうで、その費用100ドル程度から作れるのだという。
日本の自費出版費用はまだまだ高い。
静岡大学のベンチャーが一番安いが、それでも最低50万円は用意しなければならない。

文学の歴史では英語圏に決して負けない我が日本。
インフラでは完璧に負けてるのだが、これって大手出版社と印刷会社の意図するところか。


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私の生まれ育った街、大阪府堺市。
堺市は先年やっとこさ政令指定都市になったばかりの街なのだが、大阪府下第二の都市。
面積もそこそこ広くて人口も多く、なんといっても「中世自由都市」の冠で全国的に有名だ。

産業も幅広く、例えば伝統産業のお線香やプロ用包丁、茶菓子をはじめ、自転車、塩ビパイプ、液晶テレビ、太陽電池、発酵食品などなど幅広い。
「ものの始まりなんでも堺」
という訳の分からないキャッチフレーズも持っていたりする街だが、あながちウソでもなく、茶道、鉄砲鍛冶、刀工から銀座、国産写真フィルムなどが有名だ。

もともと堺県だったものが解体させられ大阪府に編入したという残念な歴史も持っており、小学生の時に学ぶ「自分の街の歴史」では、なにかと覚えなければならないことが多い土地柄でもある。
もちろん京都、奈良には太刀打ちできませんけど。

そんなこなんなで、歴史的遺構は数多く、例えば堺区にある住吉大社は大阪市にある住吉大社の分社で、奈良の都を出発した遣唐使は竹内街道を西進して、このお宮さんい至り、そんでもって北上して住吉大社に参詣してから危険な航海に旅だった場所。
この住吉大社からほど近い場所に千利休の屋敷跡や与謝野晶子や沢口靖子が卒業した府立の高校や、幕末のフランス人殺害裁判で有名になった堺事件ゆかりの地、妙国寺もあったりする。
市内を流れるドブ川の土居川は、環濠都市堺の環濠の名残をとどめていて、ザビエル公園はもともと南蛮船が到着していた船着場のあったところだというから、そのあたりを想像巡らせて歩きまわると、無理やり魅力がると思えないこともない。

この堺市で最も有名な歴史的建造物が仁徳天皇陵。
墓陵としては世界最大の規模を持ち、素直に白状すると堺市民の誇りでもある。

ところがこの天皇陵。
大きな欠点があるのだ。

昨日の読売新聞ネット版によると、
「世界遺産候補にもなっている仁徳天皇陵は大きすぎて近くから見ると、単なる森にしか見えない。そこで堺市は上空へ登って『鍵型になっている』仁徳天皇陵を見てもらう観光事業を計画中」
と、いうことだ。

前方後円墳の美しい姿を空から眺めようという計画なのだそうだが、気持ちはわからないでもないが、無理が有るような気がする。
確かに横から見ると単なる森。
大きな堀で何重にもは囲まれているので入ることは容易ではないし、第一、宮内庁の管轄で中に入るには天皇さんの許可が要る。
だいたい許可などでるわけはなく、私の知りうる限り、子供の頃にお堀で泳いで警察にしかられたという先年亡くなった叔父以外に柵を超えて中に入ったことがあるという人に、出会ったことがない。

ここはかなり神聖な場所で、皇室に慶事があれば、大阪府南部の人たちはここの宮内庁事務所に記帳にでかけたりすような場所なのだ。

さらに、仁徳天皇陵の北方2kmほどのところには大阪拘置所がある。
皇室ゆかりの神聖な場所の近くに刑務所、というのもいささか不謹慎ではないかと思うのだが、それもまた事実。
その大阪拘置所は重罪犯を収容する刑務所として全国に知られているような国の重要な施設。
仁徳天皇陵を上空から見上げるために気球に乗ったりすると、仁徳天皇陵と一緒にその刑務所の中まで覗けてしまい、かなり問題だ。

ということで、どうしても上空から見たい人は、関西空港から羽田空港行のヒコーキに乗る。
これがベスト。
座席は向かって左側、EとかFとかの座席で、翼が邪魔しないところ予約して、快晴の午前中に搭乗して、運良くヒコーキが上昇時に関空上空で旋回して東に向きを変えたら眼下に仁徳天皇陵をはじめたくさんの古墳の「鍵型」を見ることができるかも知れない。

なお、写真を取りたいときは「ここから電波を発信しない電子機器のご使用は可能です。安全ベルトのサインが......」のアナウンスがあってからにしよう。

(写真は、関空発羽田行のANAから私が撮影した仁徳天皇陵です)

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スピルバーグ製作の新作映画が来週公開。
題名は「スーパー8」。

「スーパーエイト? 8ミリ映画の規格かい」

と思って見ていたら、どうやら映画は8ミリ映画の製作を端初にあれやこれやの物語が展開するSF映画らしいということが公式HPを見てみたらわかったのだ。
さすが、スピルバーグ。
9歳にして8ミリ映画を製作し、周囲をびっくりさせたという伝説を持つ映画人。

今回の作品はスピルバーグが監督ではないものの、スピルバーグ製作のAMBLIN映画としての個性を十分に持っているらしいことが伺える。

ところで、今回の「スーパー8」。
宣伝のキャッチコピーを見たとたん、「こりゃ、同じキャッチじゃあるまいか」と気づいたのは私だけではないはずだ。

映画のキャッチは、

「僕たちは、ひとりじゃない」

なんとなくUFOが出てきて、地球人はひとりじゃないって知っていた?みたいな展開のストーリーを予感させる。
実は33年前も同じキャッチの映画が存在した。
しかも監督はスピルバーグ。
ただし、キャッチは日本でも英語で書かれていた、

「WE ARE NOT ALONE」

夜空のもと、まっすぐに彼方に続く直線の道路の上に記されていたコピーがこれだった。
映画の題名は「未知との遭遇」。
1978年、日本の映画シーンを「スターウォーズ」と二分した映画だった。

それにしても英語が日本語になっただけ。
もしかすると、わたしたちのようなオッサン、オバサンを劇場に向かわせるための隠語キャッチではあるまいな、と思ったりしたのであった。

ま、気になるので私は久しぶりの劇場映画として観に行く予定だ。





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CNNによると2009年にハドソン川へ不時着し、乗員乗客全員が助かったA320が博物館入りすることになって、博物館へ向けての輸送が始まったそうだ。

見出しは「ハドソン川の奇跡の不時着機、博物館へ移送」。


このUSエアのA320は事故当時、故障した期待が地上、とりわけマンハッタンの街中へ墜落することを防ぐために機長の巧みな操縦でハドソン川へ不時着したことになっている。

「やっぱり、飛行機は緊急事態には川へ着水するんだな」

と感じたのが当時のニュースを見ての私の感想だった。
だから、飛行機に乗ったら出発前に「ライフジャケット(救命胴衣)の装着の仕方の説明があるんだな」とも思ったのだ。

その昔「エアポート77」というB747が海に沈んでしまうというパニック映画を見たことがあり、飛行機の着水はなるほどと思ったのだ。

ところがこのニュースによると「着水は奇跡」という。
これってもし、不時着水の成功の確率が「奇跡」なら、なんでライフジャケットが重要になるのか、いささか疑問だ。
むしろ、どこかの漫才のように、
「パラシュートつけたほうがいいんじゃないか」
ということにもなりかねない。

奇跡ではなくて、「川への着水は非常時には大有りなんですよ」ということをニュースには言っていただきたいと思ったのであった。

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「そういえば、私らが学生の時って講義室に冷房なんかなかったですよね」
「そうですよね。汗、ダラダラ流しながら講義聞いたもんです」
「それじゃ、講義室のエアコン切るのが一番効果的じゃないんですか。省エネ。」
「そうですね..........でも、ダメです」
「どうして?」
「近頃の学生、エアコン切ったら熱中症で倒れるヤツが出るかも知れません。父兄から大学の監督責任が問われるかも知れません。はははは」

先日、東京本郷にある某大学の先生と省エネ対策について話していたら、つい最近まで講義室にエアコンなんかなかったことを思い出した。

大学だけではなく、小、中、高校の教室や職員室にもエアコンはなかった。
保健室だけ、まれにエアコンがついている学校があったように記憶するのだが、それも稀。
考えて見れば勉強するところに果たしてエアコンが要るのかどうか、疑ってみる必要がある。

というのも、児童の学力は昭和50年代当たりを境に低下傾向にあると言われており、新聞などの報道によるとかつて世界最高レベルだった日本の数学や理科のレベルも今やアジアの中でも10位以下。

この体たらくは偶然にも教室や講義室へのエアコンの導入数と反比例しており、もしかするとエアコンを入れて教室を快適にすると居眠りをするのかもわからない。
このことから、省エネ対策で講義室のエアコンをOFFにすると日本人の知能レベルが回復する副次的な効果が期待できるのではないか、と私は思ったりしている。

そういえば芸大の学生だった時、私はグラフィックデザインの実習中、ケント紙の上に汗のしずくを「ポタッ」と落として作品を台無しにしたことがある。
あれはあれで小さな逆境を学ぶ良い教訓でもあったのかも知れない。
今やデザインはMacやPC。
汗を気にすること無く実習できるのだから、エアコンなんか増々要らないのだ。

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