<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地



最近、他人のレポートをそのまま真似たり、他人のアイデアをそのまま借用することを「私はサノケンした」と言うらしい。
ま、本当にどそうなのかは確かめようがないのだが、少なくとも「家族のためにエンブレムを取りやめました」という他人の責任みたいな佐野研二郎の態度が、世間の顰蹙を買ってそのまま新しい動詞に変化して現れてきたものに違いない。

ここんところ彼も話題からちょっとばかり遠ざかっていて、
「あ、噂も負の要素も、あと僅かで終わりだい!」
と思っているかもしれない。

安保法案の議論。
維新の党の分裂。
寝屋川の中学生誘拐殺人。
少年AのWEB開設。
北関東の大洪水。
などなど。

きっと本人は話題がそれて喜んでいるかもしれないが、

「サノケンする」

という新しい動詞は消しようがない。
デザイン業界を弄んだバツは市井のニュースで消えるはずもないのだ。

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一昨日のこと。
所用があって阪急百貨店うめだ本店に立ち寄ると9階のイベント会場で「小林一三展」が開かれていた。
正面入り口に阿部サダヲ扮する小林一三の大きな写真が展示され、その向こうに大型液晶モニターでNHKドラマの予告編が上映されていた。

小林一三というと阪急電鉄の創業者として知られている人で、今日の大阪のみならず日本の私鉄のビジネスモデルを構築した人物である。
出身は大阪ではなく山梨県の人なのだが、関西財界に献身したその実行力は今の日本人が大いに学ばなければならない部分だ。
現在の阪急宝塚線である有馬箕面電気鉄道を建設するために自ら大阪と池田の間を2往復歩いたという紹介は若い実業家だからこそできる肉体的調査であり、歩くことにより地域をしっかりと見つめ、誰も考えてみなかった住宅開発と住宅ローンを組み合わせ、電車で大阪都心部への通勤をライフスタイルにさせたという、そのアイデアは、他人の作品や研究成果ばかりを模倣するデザイナーや研究者が目立つ今の世とは隔絶された世界という感慨さえ持ってしまうのだ。

ドラマの予告編はある意味、花登筺の大阪ど根性門ドラマを彷彿とさせるのだが、そこは小林一三。
阿波座の工具屋のど根性物語と違って花がある。
阪急は百貨店、スーパーなどの流通や国際貨物のような物流という硬い商売から、東宝、宝塚歌劇といったエンタテーメントまでを統括するオモロイ会社なのだが、ドラマの宝塚歌劇のシーンはちゃんと宝塚歌劇の劇団の女優さんが演じていたりするので、それはそれ単なるど根性ものではなさそうなのだ。

主演の阿部サダヲは超個性的な俳優さんだが、私のお気に入りの役者さんの一人でもあり、大いに楽しみなドラマでもある。

なお、私はちゃんとNHKの受信料は払っている。(本音は拒否です)

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東京オリンピックのエンブレムがやっとのこと舞台から降ろされた。
なんでも「国民の同意を得られないから」だとか。
なぜ素直に「ごめんなさい」と言えないのだろうか。
そういうところが当のデザイナーと選考委員とその他彼らを取り囲む人々の特権階級意識ではないだろうか。

そもそも他人のデザインを盗むことほど現在の日本において恥ずかしい行為はない。
なぜなら模倣イコール中国か韓国か、という感じに受け止められるからだ。
「あー、やっぱり日本もそうなのね」
と、諸外国からは地理的に近いこれら2つの国と同じ感覚を持っている国と思われるだけで十分恥ずかしい。

デザインというのはたぶんに似た物ができることもある。
それをチェックしきるのは至難の業だが、もし万一似ている物が見つかった時にはどのように対処するのか。
それを知っておくのもプロのデザイナーの義務ではなかろうか。

しかし今回は否定して入る物の模倣と言われても仕方がない。
他の作品に盗用疑惑が次々に出て来るデザイナーの作品なのだから「たまたま似ていた」では住まされないものがある。

作家自身。
作家を擁護する周辺の人々。
説明すればするほ盗人の汚名は深くなるだけではないだろうか。

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