<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地



JR北陸本線を走る特急雷鳥が来年3月のダイヤ改正で消え去ることになったのだという。
列車名はカタカナ名の「サンダーバード」に統一される。
きっと雷鳥消去を決めたJRの担当者は来聴が富山の天然記念物であることを知らない人か、拝欧米主義者でカタカナ信仰者か、ITCのスーパーマリオネーションの大ファンなのであろう。

最近は北陸方面に出かけることも少なくなってしまったが、10年ほど前は担当していたお客さんの関係で、ちょくちょく福井県の福井市や鯖江市、石川県の金沢市にでかけたものだ。

この北陸地方の特長は夏はクソ暑く、冬はどか雪が降るという自然条件が大変厳しいところということだ。
どか雪が降ることを除けば、私が住む「日本で最も理想とはかけ離れた気候を持つ大阪府」と変わりのない特長がある。
さらに最近であれば、一旦半島で有事が発生したら海の向こうから大量の難民が押し寄せてくる可能性のある場所でもあるり、有事の際はその半島関係の方々による市内テロが発生するかも知れない大阪市と、これもまた共に似通った、かなりの警戒も必要とする地域でもある。

その地域を走り抜けている特急雷鳥は、私の子供の頃は確か181系こだま型特急車両で走っていたように記憶する。
冬になると、その特急列車の顔や屋根に雪を積もらせて大阪駅へ戻ってくる姿をみては、遥か北陸地方とはどんなところなのかを思い浮かべたものだった。

サンダーバードが走り始めたとき、どうして「雷鳥」を無理やり英語訳しなければならないのか、理解に苦しんだ。
確かにサンダーバードの使用されている車両は新しく、清潔で、なんといっても乗り心地が新幹線に似ているうえに、他の特急車両の窓側の足下にあったヒーター(と思う)の出っ張り部分も無く、広々としていたので、名前を変えたことに納得もしたのであった。
福井駅なんかで特急列車に乗車する時にそれが雷鳥であったりしたら、「お、あのおんぼろかい」と、若干がっかりしたものだが、今回のニュースを聞くとかなり寂しく感じるのも、また事実なのだ。

年末年始、特急雷鳥のラストラン。

ちょっと想像なのだが、北陸新幹線が新大阪直結した時の「新幹線 雷鳥登場!」の布石でもあるのかな、と思えなくもないのだが。
私はテツか?

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大阪のサントリーミュージアム天保山が閉館した。

サントリーは大阪に本社を置く世界最大のウィスキー醸造会社。
中国ではビールの世界で圧倒的なシェアを誇るのだという。
その大阪を代表する企業が運営していたサントリーミュージアム天保山が26日で閉館。
これでまたひとつ、大阪から文化の灯りが消えた.......。

と書くと、とっても寂しく感じるのだが、このサントリーミュージアムは大阪市に寄贈され、後は大阪市の胸三寸の世界に置かれている。
希望を述べれば「大阪市立近代美術館」とでもなって生まれ変わっていただきたいところだ。

サントリーミュージアム天保山は、民間運営の美術館ではなかなか優秀なところなのであった。
私自身もミッフィー展、スタジオジブリ展、安藤忠雄展、その他数多くの展覧館に足を運んだ。
そしていつも共通するのがメジャーな内容で手を抜いていない繊細なミュージアムらしいイベントや顧客サポートであった。

これで「観覧者にはモルツを一杯無料進呈」なんていうサービスがあったら完璧なのに、と思ったことも少なくなかった。

建物はこれまた大阪を代表する、というか日本を代表する建築家の安藤忠雄の設計によるもので、コンクリート打ちっぱなしでありながら、どこか温かみのある海辺のミュージアムとして親しみを持つことができた。
また、同館に併設されていたカフェソラーレもなかなか良い雰囲気で、大きな窓から眺めることのできる大阪港の景観は一日ぼんやり過ごすにもピッタリの場所なのであった。

大阪の美術館や博物館は公共の施設であっても、そのものともとは民間からの寄付であるケースが少なくない。
府立中ノ島図書館、大阪市立美術館や大阪立東洋陶磁美術館などはその代表。
大阪城まで寄付で建てられた建築物なのだ。

そんなこんなでサントリーミュージアムもその寄付による公立美術館に姿を変えるのだろうが、それはそれで時代の流れ。
少しばかり寂しいような気もしないではないが完全に消滅してしまうよりは、マシなのであろう。

さらば、サントリーミュージアム天保山。





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1982年。
初めて本格的なコンピュータグラフィックスが採用された長編映画として、一躍世間の注目を集めた映画が「トロン」だった。
当時、大学生だった私はすでにCGに強い興味を持っていた。
例えば「ニュースセンター9時」のタイトル。
「俺たちひょうきん族」のエンドタイトル。
「SF映画に登場するワイヤーフレーム映像」
などを見るたびに、凄いな~、と思って感心しきなのであった。

私自身もパソコンテレビX1というシャープ製のパソコンを夏休みのバイト代で購入。BASIC言語を駆使して拙いCG静止画や、アニメーションを作成していたのだった。
素人が作るCGだし、当時の8ビットパソコンでは画面に表示できる色数は7つしかなく、それをいかに多くの色に見せるのかがテクニックのひとつだった。
さらにまた、画面の解像度も640×200ドットという、そらもう線を一本描いただけでジャギーがギザギザのすさまじい画質だったので、ディズニーが製作し、ボブ・エイブルが携わったという「トロン」には大いに注目し、期待して劇場に足を運んだのであった。
ワイヤーフレームではなく、ちゃんと映画画質にレンダリングした映像は、こりゃ凄い、と思い込んでいたのだった。

で、見た結果、失望したのだった。

CGで作成した場面はほんの数ヶ所で、映画のほとんどはネガを光学的に処理したり手で書き入れたアナログ映像なのであった。

「人の心を打つ映画でなければなりません。未知との遭遇のエイリアンはそういう手本です」
という意味合いのことを、当時映像論を講義していた宮川一夫先生はおっしゃった。
暗に、「ディズニーのトロンみたいな奇を衒った映像を作ってはいけませんよ」と私たち学生に語りかけてくれていると、その時、私は理解したのであった。

あれから約30年。
その「トロン」がスクリーンに帰ってきた。
主演したジェフ・ブリッジスはすっかりジイサンになってしまい、見ていた私もすっかり中年のオッサンになってしまったのであった。
しかし、CGの技術は、最新のテクノロジーでメチャクチャ凄いことになっていたのだった。

このトロン。
当初私は「つまらんと思うので、見るつもりはない」と家族に公言していた。
ところがどういうわけかこの映画、IMAXという大型スクリーンの規格で製作され、しかもそれが大阪の新しいIMAXシアターで上映されるというので、家族に無理やり引っ張り出さるハメになってしまったのだ。
しかも高い料金は私もち。嫌々気が進まないままに、あまり好きではない3Dメガネをかけて劇場の座席に腰をかけたのであった。

ところが、どっこい。
見てビックリしたのだった。

前作はたった数カットしかなかった本格的CG場面が、今回はほとんど全部に及んでおり、しかもどこがCGでどこがセット撮影なのか、サッパリ分からない。
そのスピード感、リアリティは前作と比べることさえできないくらい飛躍的に向上しており、見終わって「見て良かった」と迂闊にも私は呟いてしまったのであった。
さらに、CGにも増して魅力的だったのはジェフ・ブリッジスに育てられたという新しいプログラミングキャラの「クオラ」を演じるオリヴィア・ワイルドなのであった。
正直、CGなどどうでもよく、このセクシーなオリヴィア・ワイルドを見れただけでもメッケモノに感じたのだが、家族に話すと「アホちゃう」と言われる恐れがあるので自分の胸の内にだけしまっておくことにした。

ということで、物語は相変わらずショーもないのだが、見せ場が多く、2時間以上もの上映時間内に退屈することは一度もなく、気がついたら「オリヴィア、ええな、あの黒髪」と映画のキャラに魅了されている自分に気付いて、とりあえずは合格点を与えてもええんじゃないか、と思える作品に生まれ変わっていたのであった。

なお、なんでタイトルが脇役のキャラ名「トロン」なのか。
今回も謎を解くことはできなかったのであった。

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「サックス博士の片頭痛大全」(ハヤカワ文庫)をやっとのことで読了した。
読みはじめたのは今月第1週。
医療エッセイ読破の困難さを改めて体験した3週間なのであった。
別に面白くなかったわけでは決してない。
どちらかというと面白い部分が少ないないエッセイなのだったが、なんといっても専門用語や、イメージしにくい様々な症例が登場し、読書の進行に時々大きな壁となって立ちふさがったのだった。
思わず読んでいるうちに片頭痛が起こってしまいそうな状態に陥ってしまいそうになった。

ともかく、片頭痛という聞きなれた病気の本質はどうやら今もって謎に満ちているらしい。

かくいう私も中学生、高校生の頃は片頭痛持ちなのであった。
天気がどんよりと曇っていて湿度が高く陰気な日中は、かなりの頻度で頭痛が発生した。
その頭痛は頭を揺らしただけで、脳天からこめかみにかけて「ズッキン、ズッキン」するほど猛烈な痛みと不快感を伴うものであった。
毎回バファリンを飲んで暫く横になり痛みを緩和させなければ、歩くのも困難になるほど、大変な頭痛なのであった。

「これはどこか悪いに違いない。大変なことになった。」

とある時心配になって、かかりつけのお医者に診断してもらったことが一度だけあった。
だが、先生は
「片頭痛やで、心配せんでええ」
のひと言で片づてしまい、頭痛薬と胃薬が処方されただけで「ハイ、おしまい」なのであった。
頭痛薬はありきたりのアスピリンだった。

今回「サックス博士の....」を読んで最も驚いたのは「中華料理店症候群」なる病気が存在することを知ったことであった。
なんでも中華料理に含まれる大量のグルタミン酸ナトリウムが作用して発生する頭痛などを諸症状があり、それを「中華料理店症候群」と呼ぶのだという。

私は高校生の時、中華料理が大好きで関西では有名な中華料理チェーン店、仮に餃子の飛車と呼ぶことにすると、その餃子の飛車を訪れては、「餃子」「天津飯」「中華丼」「ラーメン」「チャーハン」などを大量に食べていた。
さすがに、
「餃子10人前を制限時間以内に完食したら無料」
というような無茶なキャンペーンには小遣いの上からも健康の上からもおかしいのではないかと思い挑戦することはなかったが、野球部のO君はそのキャンペーンに挑戦し、見事クリア。
翌日、学校の授業中「頭痛いし」と言っていたのはもしかすると中華料理店症候群を起因とする片頭痛であったのかもわからない、と今になって考えるのだ。

ということで、片頭痛に関したエッセイも、アスピリンをラムネ菓子の如く食べ続けるアメリカ人だからこそ書き得た文章なのではないか、と思えるものなのであった。
今では中華料理を食べる頻度も量も減り、そのおかげかどうかわからないが頭痛が発生する頻度もほとんど無くなった。
尤も、ビールをジョッキに3杯と焼酎をロックで5杯、仕上げにハイボールを2杯ほど飲むと、数時間後に頭痛が発生するが、これは片頭痛とは違うようだ。

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週のはじめに東京から始まったわたしの出張は、週の終わりに博多で終了。
これで今年の出生生活もピリオド。
やっと平和な大阪での年末年始を過ごせる、と思っていたら今週は宴会の連続なので「出張と変わらんやん」と家族に指摘されている今日この頃なのだ。

で、週のはじめに東京で、
「お、東北新幹線が青森まで走りはじめたんやな」
と感動したのは、前回のブログで書いた通り。
そのままちょっとだけ大阪に戻った後、週末に福岡へ行ってきたのだが、
「お、そういえば九州新幹線が来年3月に開業や」
と思い出し、北から南まで新幹線の旅が「できる」時代に突入したことに改めて驚きを感じたのだった。
尤も、「できる」としか書けないのが新幹線の旅。
間違っても「楽しめる」と書くことができないのが、つらいところではあるのだ。
なんといっても新幹線は「旅している」という感覚が欠落している乗り物で、「仕事している」という感覚しか存在せず、旅情、風物、文化、娯楽、といったジャンルとはまったくかけ離れた存在のように思えるのだ。

それはさておき、博多駅を下りると、なんとそこには新しいホームが完成していて最新鋭のN700系九州新幹線の「さくら」号が停車してたのだ。

このN700系は東海道・山陽新幹線を走るチープな座席のN700系と異なり、リッチなレールスターひかりと同じ2シーターの一列4人掛け仕様なのだそうだ。
これは実に有り難いことで、新大阪から西に向う時には、普通車もグリーン車のようなレールスターを好んで予約しようとするのだが、これがいつも満席で、ほとんどの場合、チープな座席の「のぞみ号」に乗ることになり損をしたような気分になる。
そこへいくと九州新幹線の「さくら」はレールスタート同じなのでゆったり感覚で乗車でき、ありがたい。

座席のチープさで行くと東北新幹線を走るマックスという総二階建ての新幹線を利用したことがあったが、あれは最低のチープさなのであった。
なんと両側3列シートの6列仕様なので、狭いことこの上ない。
誰が考えたのか知らないが、まったくもって乗客をバカにしたような車両なのであった。

「あれは通勤用でっせ」

という意見もあるかも知れないが、通勤用なら座席を撤去し、ドアを沢山つけて山手線仕様にして特急料金を取るなちゅうねん、というところだ。

ともかく、そんなこなで新しい車両はなかかな素晴らしく思わず「KYUSYU/WEST JAPAN」と書かれている先頭車の写真を撮影してしまったのであった。
いい年をしたオッサンなのに、テツみたいな行動をしてしまったのだった。

でも、その車両以上に感動したのは「博多駅」の看板であった。
看板には次の駅の駅名が書かれているのが普通だ。
博多駅の場合は、東方向に「小倉駅」、西方向に「博多南駅」の名前が書かれている。
今回、看板を見て見ると、なんとすでに西方向には「博多南」に加えて「新鳥栖」などという聞いたこともないような駅名が記されていたのであった。
「新鳥栖」
つまり新幹線用の「鳥栖」駅の名前が記されているのだった。



未だ開通していない路線にも関わらず、すでに看板は完成済み。

新幹線は北へ、南へ。
味気ない旅かも知れないけれど、青森から鹿児島まで、電車で半日の旅も悪くない、と思ったのであった。




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大阪に帰ろうと東京駅のコンコースを歩いていたら床に「新幹線」案内のサインが。

「そういえば、東北新幹線が青森まで通じてたんや」

ということを思い出し、めったに東北新幹線を利用しない私もお上りさん的感覚で「新青森」行と表示されている出発掲示板を見に行った。

それにしても新路線ができて掲示板に新しい駅名が表示されるのは新鮮だ。
「旅に出たい」
と、感じてしまう瞬間で、遥か彼方、訪れたことのない街の風景を思い浮かべるのは、なんともいえない旅情がある。
とりわけ東北新幹線をほとんど利用することの無い私は「新青森」の表示に未知の世界を見るようでなかなか感動的なのであった。
きっと、東北地方出身の人には、もっともっと感慨深く感じられるものだろう。

ところで、電車の出発表示といえば、普段でも行き先で感動することがなくもない。
例えば、大阪駅で「トワイライトエクスプレス 12:00 発 札幌行き」なんていう表示を見れば、いつも「おお~、あれに乗ったら札幌へ行けるんや」と感動すること昔も今もと言う感じなのだ。
さらに、特急雷鳥「新潟」とか、特急日本海「青森」というような表示を見ると、その長距離に感動したりする。
一方、なんで大阪から新潟や青森に行くのに電車でいくんや?と不思議になることもなくはない。

これからのシーズン、北国を走ってきた列車の屋根に積もった雪を観るのも楽しい季節。

東北新幹線は東京に青森から何を運んでくるのか。

ま、在来線の特急と違って新幹線は旅情に乏しい、というちょっとした欠点があるんですけどね。
どうでしょ。



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鹿島建設は姉歯事件になにも学ばなかったようだ。

そもそもゼネコンは実際の工事は何もしない監督屋で、下請けの鉄骨屋、コンクリート屋、設備屋、内装屋を取りまとめて、一つのプロジェクトを完成させるのがお仕事だ。
時々、何もしないのに上前はねやがって、と怒り心頭に発する事もあるが、そこは監督屋、高い設計技術と経験豊富な管理のノウハウで「なるほど、さすが」と思わせるのもゼネコンだ。

で、鹿島建設が建設した梅田○ー○タワーなんとかというビルで、いい加減な施工をしていた事が発覚。
なんでも鉄骨がずれたまま工事完工したんだとか。
貸間建設のホームページを確認すると「構造上問題ありません」とのこだけれども、まともな返答とは思えない。
例えば、テレビを買って画面枠に傷があるけど画面は綺麗なので「映りますから大丈夫です」では、通らない話。

ともあれ鹿島がどこかの大陸国家や半島国家の企業のようにいい加減な会社だとは思わなかった。
一流会社があの姉歯事件にも何も学ばなかったのかと思うと、残念を通り越して呆れるばかり。

これではゼネコンの存在価値はまったくない。
そんなコワーイ事件なのだ。
まさか、S設計も知っていたんじゃあるまいな?

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仕事で頻繁に東京を訪れるが、宿泊する場所はできるだけ浅草近辺のホテルで、ということに決めている。
なぜ、浅草なのか。
答えは簡単。
親しみやすいだからだ。

浅草以外では例えば新宿や池袋でも宿泊することがある.
が、どうしても落ち着かない。
一度だけ歌舞伎町近くのホテルに宿泊したことがあるのだが、周囲が必要以上にいかがわしく、最もよろしくなかった。
宿泊者以外入館禁止のちゃんとしたビジネスホテルであるのにも関わらず、廊下を「いかにも」という立ちんぼ的ファッションに身を包んだ「女性のようなもの」がウロウロしており、これまた落ち着かなかった。
池袋も似たり寄ったり。
場末た大阪の京橋のような雰囲気が漂っており、そんなところを予約したことを後悔したのだった。
「繁華街」というカテゴリーでは浅草も新宿や池袋と対して変わらないように思う人がいるかもしれないのだが、その雰囲気はかなり異なる。

はっきり言うと、新宿には文化は感じないが、浅草には文化がある。
それも、かなり重厚で、心地よい個性的な文化が存在しているのだ。

例えば、バス停でバスが来るのを待っていると、気軽に話しかけてくるオジサンやオバサンがいる文化。今どきの東京では珍しい光景だと思う。
それと気取らない雰囲気。
古い繁華街と言うこともあるが、浅草寺の門前町としての役割もある浅草には演芸や食文化、祭り縁日などの伝統的な庶民性があり、他の地域とは一線を隠しているように思う。
そしてなによりも、私のような大阪人には、最もとっつきやすい上方文化と対称を成す、というかペアになる江戸文化が感ぜられるのだ。

山田太一編「浅草-土地の記憶」(岩波現代文庫)は維新後、歴代の作家や芸人達が描いた浅草が当時書かれた文章で収録されており実に魅力的だ。
とりわけ関東大震災復興後から第2次世界大戦終戦直後あたりまでが印象的で、各エッセイを読んでいると、その時代の輝きが目に浮かんでくる。

繁華街の中心ともいえる浅草六区を行き交う人々の喧騒。
見世物や寄席の呼び込み。
飲食店から漂い流れてくる酒や料理の香り。

また、私にとっては大いに謎で、かつ、良く知りたいと思っていた「名所十二階」についても詳しく記されており興味が尽きない。
十二階のエレベータはどんなものだったのか。
一階に風俗店らしきもの、それは何?
といった初めて知る事柄が当時の文章で記されている。

浅草に宿泊するのが一層楽しみになるそんな一冊なのであった。

なお、本書を古書で買い求めたところ書き込みがたくさん。
本を汚すな。
汚すなら売るな。
と、ちょっとだけ毒ついた私なのであった。



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新聞報道によるとシンガポールのトミー・コー外務省無任所大使が、米国外交官に向かって、
「「日本は太った敗者。日本の地位低下は「愚かさと質の悪い指導層、ビジョンの欠如」が招いた。」
と語ったのだという。

前半はともかく後半はある意味事実だけに納得した。

ウィキリークスによる一連の国家秘密漏洩の中で、日本の話題が出るのは当然のこと。
この程度のことは出てくるんじゃないかと思っていたら、きっちりと出てきたのであった。

シンガポール。
このマレー半島の先っぽにある島国家は、モダンなようだが所詮は中国人の国家。
マレー人に追い出された華僑たちが暮らしている。
高層ビルが林立し、地下鉄網が発達しているところから、ミニ日本と思いがちだが、実は全く違ったところなのだ。

人々は意味不明の英語みたいな言葉(シングリッシュという)を話す。
もともと別の言葉れあれば、通じないことも双方納得できるのだが、一応英語だと思い込んでいるタクシーの運転手とはボディランゲージを使うよりも意思疎通が困難なこともあり、大変疲れるところではある。
しかも衛生状態も良いように言われているが、十年ほど前のSARS騒動でシンガポールは最も感染者の多い国であった。
つまり見かけは綺麗だけれども、中身は中国という現実をさらけだしたところであったとも言える。

こういう所も、かつて三年間ほど日本であったことがあったのだが、昭南市時代の名残は何もなく、ただただ英国の名残を少しく残して悦にひたっているおかしげなところではあるのだ。

ということで、こんなケッタイな国に馬鹿にされている現実は、かなり情け無いと思うのだが、民主党のみなさんはいかがが。


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(写真:サクラタワーから臨むヤンゴン市内)

ノーベル平和賞の授与式に中国の民主活動家劉暁波が出席できなかったばかりか、家族も出席できなかった。
おまけに中国は自分の息のかかった国や、同じような「政治的悩み」を抱えている国に「授賞式に出席しないように」と働き掛けた。
おかけでフィリピンやキューバなどが出席を取りやめ。
おかしなことになっている。

中国国内ではノーベル賞のニュースが流れそうになると、海外テレビがシャットダウンして何も映らなくなるというのだから、その検閲方法は徹底されている。
さすが、人治国家だけのことはある。

中国という国はほんとおかしな国だ。
やっていることはかつての全体主義国家と変わらない。
異民族の住む隣国(例:チベット、ウィグル)を侵略し、自分の領土に組み込んで、そこへ自国民族(漢族)を移住させ、もとのネイティブな人たちは他の地域に移住させる。
市長や町長、村長といった他の国にも存在する行政の長もいるに入るが、選ばれ方が不明瞭。
第一、共産党員でなければ公務員たる行政の長にはなれない仕組みになっている。
したがって、法はあって決定するのは人次第。
共産党に気に入られなければ、何も決定することができない仕組みになっているのだ。

街にも毛沢東という、大変な人物の肖像画が掲げられている。
20世紀希代の殺人者だ。
毛沢東は1950年代、1970年代に大躍進、文化大革命と称しながら、気の向くままに数千万人の自国民を死に追いやっている。

どこの国でもだいたいそうだが、対立する国の人々は死に追いやっても自国民は大切にするものだ。
ところが毛沢東はそうじゃない。
自国民の命を簡単に奪ってしまう人だったのだ。
そういう人の肖像画を「罪はない」と今も掲げる中国という国の神経を疑う。

そういう国に、どの企業も、どの国も、投資を惜しまず進出している。
「色々買ってくれてありがとう」
というところだ。
質より量の人口が、消費社会にとってはなんとも魅力的に見えるのだろう。

一方、小国ミャンマー。
ノーベル平和賞受賞者のスーチー女史が軟禁されたら、先進諸国はこぞって経済制裁。
輸出入を制限し、軍事政権に圧力をかけた。
おかげで街は英国支配当時そのままで、最大都市ヤンゴンでも停電が頻繁に発生。
雨が降るとすぐに下水が溢れて洪水になる。

麻薬取引に明け暮れる少数民族を退治したら、
「マイノリティーの弾圧だ」
といちゃもんをつけられ、さらなる経済制裁。
そもそも少数民族に麻薬栽培を教え込んだのは植民地時代の英国政府と商人で、ミャンマーにして見れば、
「お前さん方だけには言われたくない、民族問題」
というところだろう。

このミャンマーは多少インチキしても選挙をする国。
先述の中国と違って民主的だ。
事実、20年前には真面目に選挙をした実績も持っている。

地球の歩き方には「政治的発言はしないように」と戒めているが、案外、人々が影では政府の悪口を言っているのもミャンマーの民主度か。

ということで、結局にたような物かも知れないが、ミャンマーを訪れるたびに、どうして中国は投資先でミャンマーがそうならないのか。

国際社会の矛盾点をひしひしと感じるのだ。

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