今回の遺構巡りの集合場所はJR加茂駅。
ここは大阪方面からの大和路快速の終着点であり、三重県亀山方面への出発点でもある。
この加茂駅はこれまで利用したことがなく初めての下車となった。
しかし下車したことはないが、通過したことは1度だけある。
かれこれ半世紀ほどまえ私が小学生のとき乗った「サヨナラD51 伊賀号」
というイベント列車で停車はしたが下車せず通過したのだ。
当時、関西本線は現在大和路線と呼ばれる難波〜奈良区間も含めて、大阪近郊路線でここだけが電化されていなかった。
したがって気動車が主力だった。
私の父の故郷である岡山県を走る吉備線も当時は気動車で、
「同じレベル」
の田舎の列車なのであった。
しかも当時は気動車だけではなく時々SLも走っている路線だったようで、私はしばしば天王寺駅の待機線で煙を吐きながら止まっているSLを度々目撃することがあった。
大阪環状線の103形型オレンジ色の電車が走っている横にSLがいる、という独特の風景があった。
この頃、次々に引退の始まったSLに客車を牽引させて伊賀方面まで出かける特別イベントの列車が企画された。
これが「デゴイチ伊賀号」で、私は両親にせがんできっぷを買ってもらい乗車することにあいなったわけだ。
どうしてもSLに乗ってみたいという欲求が鉄道大好きの小学生には魅力的だったのだろう。
でもよくよく考えてみるとSLに乗るわけではなくてSLが引っ張る客車に乗るわけで、蒸気機関独特のシュッポシュッポというサウンドを聞くことは乗車中ほとんどなかった。
SLに乗っていると実感したのはトンネルに入る前に汽笛が聞こえ、父と母が窓を締めようとしたことが普段乗っている電車と大きく異なりビックリしたものだった。
SLにとってトンネルは迷惑以外のなにものでもなく、煙が客車内にも充満し、あたりが煤けるという初めての経験をしたのであった。
で、この時はまだ地上にあった湊町駅、つまり今のJR難波駅で伊賀号に乗り込み、天王寺、奈良と経由して関西線で伊賀上野まで行く小学生の私にとってはワクワクする旅であった。
とは言いながら、実のところあまりディテールを覚えていない旅でもある。
列車は全席指定で私は当然のように窓側へ腰をかけて外の景色を眺めていた。
奈良をすぎると線路脇にワイヤーが張られているのが目に止まった。
ワイヤーは1本だけではなく2本あるところや、もっと複数本あるところも目撃した。
電線でもないあれは一体なんだろう?
と首を傾げていると横に座っていた父が、
「あれは信号やポイントの操作をするためのワイヤーじゃ」
と岡山弁で言った。
当時この路線にはATC装置なんか無いばかりか電気式の信号も存在せず、信号機はランプの横にバーみたいなのがあって、それが上下にカシャンと動いて切り替わる手動式信号機があり、ポイントも現在では模型でしか見ることのできない手動式のレバーを人が操作するポイントがあるだけで、実に素朴かつアナログな設備しかなかったのだ。
ワイヤーは信号所、あるいはポイント操作所から延々とつながっていた動力伝達用のワイヤーなのであった。
この仕組の列車運行システムは後にも先にもこのときしか見たことがなかった。
ついでながら「タブレット」なるものを目撃したのもこのときが初めてで、木津駅から東は単線だったため、列車はタブレットという大きな輪を交換しあい単線区間で列車が重複しないように、つまり衝突しないように運行していたのであった。
このタブレット方式はそれから30年後にミャンマーで目撃するまで出会うことはなかった。
ということで話は延々と遠回りしてしまったが集合場所の加茂駅はそういった信号やポイントの操作用レバーが設置されていた駅であり、タブレットを引っ掛けるポールなどもあった、そんな駅なのであった。
もちろん、今はそんなものは無い。
つづく