<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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名鉄百貨店名古屋本店閉店のニュースとほぼ時期を同じとして、わが街・大阪堺市にある高島屋堺店が2026年3月末をもって閉店することが伝えられて名鉄百貨店よりも遥かに勝る寂しさに打ちひしがれているのである。

と言えば、かなり大げさなのだが、
「ついにこの時が来たか」
という感じは否めない。

かつて学生時代。
私はこの高島屋堺店から府道31号線(地元ではなぜか13号線と呼ぶ)を挟んで向かい側にある堺銀座通り商店街で3年間アルバイトをしていた。
従って高島屋は横断歩道を渡ってすぐのところにあり身近な存在だった。

いや、それだけではない。
物心ついてからというもの昭和40年代。
この堺市で最も繁華な堺東駅前の高島屋堺店は、
「屋上に遊園地のある百貨店」
「お子様ランチを食べさせてもらえる大食堂のある百貨店」
「その大食堂から堺東駅を発着する電車を眺められる百貨店」
という重要なポジションなのであった。

この地域でご飯を食べるというと銀座通り商店街にあった「かどや」といううどん屋さんのかやくうどんか、堺東駅を東に向かって少し歩いたところにある府立三国ヶ丘高校正門前にあった三国食堂のいなり寿司か、高島屋大食堂のお子様ランチなのであった。
当然、お子様ランチが最高位で、ここで食べるランチとおまけの玩具とちっちゃな日の丸が大いに楽しみであったことは今もなお忘れられない思い出となっている。

ところがこの高島屋堺店。
私が学生だった1980年代から「閉店するぞ」という噂が絶えなかった。
というのも、堺東駅というのは100万都市堺市の市役所もある中心地なのだが、高島屋本店のある難波まで南海電車の急行で10分ほどしかからない場所でもあり、中途半端であることは間違いではなかった。
近隣の人々はちょっとした買い物はミナミやキタに出向くようなところなので、いくら乗降客の多い繁華な堺東エリアといっても百貨店は要らんやろというような空気感が漂っていたのだった。

今回閉店が決まったのはコロナ禍で赤字に陥った堺店を復活させようとあれこれやってきたものの、客足は戻りきらず百貨店としての機能はテナントビルの契約終了とともに撤退することにあいなったというわけだ。

客数そのものはかなりあり、家主の南海電鉄はここに新たなショッピングモールを構築するそうで、繁華な場所に変わりはないだろう。

それでも子供の頃の色々な思い出を作った地元百貨店の撤退は、正直かなりショックなのだ。


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先月、神戸のそごう百貨店が閉店してしまい同百貨店の創業地だった関西から完全に姿を消してしまうことになった。

心斎橋の大丸、十河というと江戸時代の地図にもちゃんと掲載されていて、この2つの呉服商がこの繁華街の中核的役割を果たしていたことを知ることができる。
少なくとも昭和の御代まではそのまま続いていたわけだ。

その心斎橋そごう本店が大丸に売り渡され大丸北館として営業されていたが、このほどここにパルコが入ることになったという。
心斎橋パルコ。
びっくりの復活である。

西武系の百貨店だったパルコはいつのまにか大丸系になっていたようで、今回の再開店に至ったというわけだ。
なんでも渋谷パルコのコンセプトを大阪に持ち込むという。
勇気ある決断だ。

似たようなコンセプトに三越伊勢丹大阪店があった。
JR大阪駅に隣接した大型百貨店だった。
ここは伊勢丹新宿本店のコンセプトをそのままもちこみ鳴り物入りでオープンしたのだったが、多くの人が知るように失敗した。
わずか1年少しで撤退。
阪急うめだ本店を抱えるH2Oホールディングスの企画力に太刀打ちできず姿を消したというわけなのであった。
その跡地はJR直営のショッピングモール梅田ルクアとして非常に繁盛している。

果たして心斎橋パルコの勝算はいかがか。
結果は11月に。


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母がなくなってから父が実家で一人暮らしをしているので週に二度ほど面倒を見に出かけている。
母が無くなったあとの一ヶ月ぐらいは何だが寂しげにしていたのだが、もうすぐ一周忌をむかえる最近になると結構気楽に生活しているのでなんとなく安心だ。

そんな父。
4ヶ月ほど前に、
「この薬を買ってほしいんじゃ」
と新聞広告を差し出した。
なんだなんだと見てみると北陸にある通販薬の会社の広告で節々の痛みや体調改善に役立つという薬を売っている。
仮にこの薬を「KW薬」と呼ぶことにしよう。

1瓶の価格は約5000円。
毎日2錠づつ飲んで1瓶が約1ヶ月分になっている。

「高っかい薬やな〜」
と私が言うと、
「でも効くんじゃ」
と父。

父は昨年暮れに体調を崩して一時入院。
その後も年齢が年齢なので体調は完全には回復しないが、自分で生活するには支障はないくらい元気さと憎まれ口をきくようになってきているのだが、それでも年寄らしくあちこちに痛みや不調を訴える。
病院から処方される薬ではなく市販薬の方が効くというので多分プラシーボ効果も手伝っているのだろう。
主治医の先生に相談すると、
「市販薬は大した薬害はないのでいいですよ」
とのことで大手を振って飲んでいるというところだ。

それにして一ヶ月5000円はいささか高価だ。
件の「KW薬」は調べてみると通販だけで売られているようで3ヶ月分まとめて買って、しかもその後自動的に毎月送られてくるシステムに加入すると3本あたり1000円ほど安くなるという。
15000円が14000円になるのだそうだ。

バカにしている。

正直そう思った。

念の為近くのドラッグストアで探してみたもののやはりない。
このまま諦めると悔しいので調査力を評価されている私の本業スピリッツで動くことにした。
で、本気で調べてみると同じ成分同じ質量、ただし別の製薬会社の製品があることを発見。
しかも市井のドラッグストアで売られているらしいので早速いつも利用している大手チェーン店に出向くと、ありました。
瓶のサイズもほとんど同じ。
錠剤の数も一緒。
箱に記載されている成分表をチェックすると、やはり成分、量が全く同じ。
で、価格は2500円で少しお釣りがあるような金額なのであった。

北陸の通販製品は市井で売られているものを倍以上の価格で販売している疑いが生じた瞬間なのであった。
さらにこの倍額販売を証明する広告も発見。
父に送られてきた通販カタログを見てみると、膝サポータが売られていた。
価格2500円ちょっと。
写真を見る限り私が使っている大手ドラッグストアチェーンで買ったものとまったく同じ。
私はカタログ価格2500円ちょっとの製品をいつも980円で購入している。

もう間違いない。
膨大な広告費。
電話応対。
積極的な販売活動。
そのために市販のものを倍額で販売して粗利を稼いでいる会社なのであった。

ちなみにドラッグストアで購入した薬でも効果は変わらないと父は言う。

薬通販ボッタクリを暴いた瞬間なのであった。


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12日まで梅田の阪急百貨店本店で「鉄道模型フェスティバル」が開催されていたので先週の土曜日に近くに行ったついでに立ち寄ってみた。
なんでもNゲージで阪急梅田駅から次の中津駅を再現している、ということなのでどんなに凝っているのか見てみたいと思ったのだ。

鉄道模型のジオラマというと交通博物館にあるデッカイのを連想するので、阪神タイガースのオーナーの阪神電鉄をグループに持つあの阪急百貨店が作る阪急電車のジオラマがどんなものであるのか大いに楽しみにしていたのだ。

で、結果としては「ボチボチ」なのであった。

梅田駅は総力を上げて作っているのはよくわかり、時々京都や神戸へ行くときにも利用しているので、
「お、よーできてるやん」
となる部分もなくはなかった。
しかし三番街に展示されているレゴで作った梅田駅の方が良く出来ているという錯覚に陥った私は少々ひねくれているのかもしれない。
で、中津駅はどこなんや、と見てみるとたしかに中津駅らしきセットが有る。
しかし風景は写真だ。
しかも淀川の土手から取った写真ではないかと思われるものを背景にしていて少々興ざめである。

でも、そんなことよりも最も問題になったのはNゲージのそのスケールだ。
小さすぎて老眼、もとい遠視の私にはよく見えない。
ハズキルーペの貸し出しでもあれば面白いのだが、そんなものはなく非常に見にくいことがわかった。

遠くから見ると迫力はないし、かと言って近くに寄ったら見えない。

Nゲージのジオラマは中高年にはきついことがよく分かる展示会なのであった。





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台風21号で関西空港が大変なことになって、その大変なまま運行再開をした9月7日。
私は幕張メッセで開催されていた展示会へ日帰り出張。
行きは新幹線だったのだが帰りに成田空港からピーチエビエーションの関西空港行きに搭乗した。

私は大阪〜東京は自宅が関西空港のほうが新大阪駅よりも圧倒的に近い関係で飛行機で移動することが多い。
その日、大阪から東京へ向かう時はさすがに朝の飛行機便は復活しておらず新大阪から新幹線でゆっくり東京へ向かった。
あまりに久しぶりなのでエキスプレス予約の会員番号とパスワードを忘れてしまっているのではないかと思い、前夜にメモをひっくりかえして確認した。
そしてスマホでの予約の手順も忘れていているかもしれないので、念のためにパソコンで予約をいれておいた。
新幹線に乗るときはいつも駅に着いてからきっぷを買っていたのだが、スマホでの操作に自信がなかったのだ。

新幹線の予約を入れたのはピーチでの往路の欠航をピーチが飛ぶのかどうかを確認してからだった。
実は今回の展示会出張は1ヶ月以上も前から決まっていて場所が幕張ということもあり、成田からが近いのでピーチのチケットは買っておいた。
それも経費節約で最も安いシンプルピーチを選んでいた。
シンプルピーチならオプションの保険を入れても大阪〜成田往復1万6千円ほど。
さすが、空飛ぶ電車。
LCC。
新幹線の片道料金に若干プラスの高速バス並み料金なのであった。

ところがこのチケットは客の都合でキャンセルを入れるとキャンセル代を徴収されるチケットだった。
キャンセル代は決して安くなく、いわばチケット代を放棄するような感覚でのキャンセル代なのだった。

これまでピーチを何度も利用してきてキャンセルになったことはなかった。
だから今回も遅れることはあってもキャンセルになるようなことはないだろう、と勝手に思い込んでいたのだ。
ところが台風が関空に決定的ダメージを与えた今回。
飛行機が飛ぶのか飛ばないのかが大きな問題となった。
キャンセル料は払いたくないので飛ぶのであれば乗る必要があり、飛ばないのであれば代替ルートを確保する必要がある。
もちろんピーチから「フライトキャンセルの知らせ」を確認する必要がある。
にもかかわらず、ピーチはなかなか飛ぶのか飛ばないのかを発表しないので、こっちも伊丹から青い翼で飛ぶのか新大阪から新幹線に乗るのか決断することができない。
ようやく行きはキャンセル、帰りの便はフライトするというのがわかったのは前夜遅くなのであった。

成田空港へ着いたときいつもなら長い列ができているピーチのチェックイン機の前には数人がいるだけ。
これはやはり大勢がフライトキャンセルをしたのだと思った。
ところが実際に乗ってみると座席の8割は埋まっており、相変わらずの人気であることがわかった。
安さはフライトの便利不便利よりも魅力的あるようだ。
搭乗口に表示されていた「行き先 関西空港」という表示がなんとなく、阪神大震災の4ヶ月後に大阪駅で見た新快速「姫路」と書かれた表示を見たときの感動に似たものがあった。

関空までのフライトはいつもの通りで第2滑走路への着陸もいつもの通りだった。
いつもの通りではなかったのはフライトポイントをつける登録機が休止されていたことと、第2ターミナルから乗ったバスが第1ターミナルを経由するもそのまま南海電車の泉佐野駅まで行ったことだった。
第2ターミナルは銀座ライオンが閉まっていたがプロントもコンビニも営業していて、いつもとあまり変わらない風景だったが、第1ターミナルは薄暗く寂しげな雰囲気だった。
道路を走るバスから眺めると空港には数機のANAの飛行機がターミナルに接続されたままになっていた。

鉄道の無いのは本当に不便だ。
そこで思い出したのは初めて利用したときの大阪空港。
あれは1981年の春なのであった。
当時、大阪(伊丹)空港はアクセスがバスしかなかった。
大阪市内からはリムジンバスで向かうのだが、これが時間が正確ではないという欠点があった。
今も多少ある。
市内から空港へ向かう阪神高速道路空港線(現 池田線)は空港だけではなく中国自動車道へ抜けるアクセス道路でもありその混雑はかなりひどい。
とりわけ空港から大阪市内へ抜けるには通常30分ほどがひどいときは90分はかかるということも珍しくなかった。
私はこのバスでのアクセスが大嫌いで、当時は高校生でもあったことから「イライラするな、もう」という感覚なのであった。

このため「空港は不便。よって飛行機は値段も高くてもっと不便」という思い込みがあった。

あれから40年近く。
すっかり時代は変わったのであった。

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昨年の暮。
ふとバカバカしくなってアマゾンのプレミアム会員を解約した。

「ちょっと早く送ってもらうだけでなんで金払わんとアカンねんな」

と思ったこともあるが、なんでもかんでも通販のアマゾンになんとなく疑問を感じたからでもあった。
折しもヤマト運輸の宅急便の価格が上がるのどうのと話題になっていたときでもあり、アマゾンスタイルの通販そのものに疑問を感じ始めていたのであった。

それまでは何でもかんでもアマゾンでチェックして書籍なんぞを買っていた。
書店で探すよりも簡単に見つかるし、簡単に発注できるからでもあった。
例えばその昔、ちょっとした洋書を買おうと思うと大阪市内の旭屋書店、紀伊國屋書店、丸善の洋書コーナーに出かけて、

「すいません。スター・トレックのテクニカルマニュアルを取り寄せてもらえないですか」

と頼んだとしよう。
店員さんが差し出す伝票に書籍名と出版社などを記入して渡す。

「届いたら連絡しますね。でもお待ち下さい」

で、実際に届くまで半年ほどかかることはザラなのであった。
しかも価格は安くない。
10USドルの本が2000円以上したものだ。
為替レートのアップダウンはたしかに影響したが、最も大きなものは手数料の影響なのであった。
アマゾンが日本に進出してそれが一変。
10USドルの本は1200円ぐらいで売られるようになった。
つまり米国、日本の価格差がほとんどなくなった。
さらに注文したら遅くとも1週間もあれば到着した。
書店で買っていた頃とは雲泥の差だ。

書籍を頼むのなら消耗品もアマゾンで買うようになった。
例えばインクジェットプリンターのインクカートリッジ。
今もそうだがインクカートリッジはアマゾンが一番安い。
販売店の仕入システムの中身をお客さんの事務所で覗いたことがある。
なんとなんと、インクジェットカートリッジはアマゾンの小売価格のほうが卸売価格よりも安いことが少なくない。
一体どういう仕組にあっているのだろうか。
未だ謎でもある。

このように、安くて便利。
早いし簡単。
お店に足を運ぶ必要はもちろん全くない。

知らず知らずのうちに、なんでもアマゾンで買うようになって、それが当然のようになってしまっていたのであった。

アマゾン中毒。

この状態からの脱出が絶対に必要だと思った。

「書籍販売の4分の1はアマゾンだ」

そんなことを知ったのは4年ほど前にアマゾンの裏を描いたノンフィクションを読んだときであった。
それってちょっとおかしくはないか。
何故かこの時、私は商品というものは現物を見て、中には説明することの出来る店員さんがいるリアル店舗で買わなければならないのだ。
と思ったのだった。

以来私は書籍は近所の書店か大阪市内の大型書店。
目的の本が見つからない時は書店のWEBサイトに接続してお取り寄せ。受け取るのはリアル店舗のカウンター。
クレジットカードは一切使わない。
現金だけ。

書店を歩き、家電店を歩き、ものに触れ、人と触れ合う。

アマゾンを使うのをやめようなんて言わない。
でも、なんでもかんでもアマゾンもいかがなものか。
アマゾン中毒は買い物のホントの楽しさを失わせる副作用があることに注意が必要だ。

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数年前、大阪近郊のとある街に「イオンモールが出展を決めた」というニュースを耳にしたとき、私はその地区を管轄する消防署の防災課で職員の人と話をしていた。
すると別の職員さんが、

「困るんですよね。イオンモール。この近隣には都市のように大きな消防署がなくて、もし超大型商業施設で火災なんかが発生したら、大型災害と同じで対応が難しくなる。イオンには再三言ったんですけどね。」

と言った。

その地区は人口数万人の市町が点在するところで、消防署の規模は決して大きくない。
そこに数万平米というような巨大なショッピングセンターが誕生すると、現在の行政だけでは災害に対する備えが十分にできないというのだ。
予算もあれば人の問題もある。
時間があれば可能かもしれないが、小さな防災機関をいきなり巨大にすることなど出来ない相談だ。

私は尤もな話だと思った。

実際、イオンモールが建設されるところは防災行政の問題だけがクローズアップされるのではない。
経済的にも地元メリットが極めて少なく、デメリットばかりが目につくのだという。
イオンはショッピングモールの土地を買わずに借りる。
もし採算が合わなければサッサと撤退し、損害を最小限に留める。
しかし地元はそうはいかない。
巨大ショッピングモールを建設されて、中には東京資本の小売店がテナントとして入り、地元の商店を蹂躙するのだ。
税金は地元には落ちずに、本社のある東京や千葉に落ちる。
その結果、ショッピングモール誕生と同時に地元商店は姿を消すが、イオンが撤退したあと、それらが復活することは考えられないので、イナゴの群れに襲われた農地よろしく、何も残っていない不毛な状態が現れる。

イオンはこういうやり方を大阪圏だけではなく、巨大津波で甚大な被害を受けた東北の三陸地方でも展開している。
大阪圏はまだいい。
イオンはワンオブゼム。
しかし、地方はそうはいかない。とりわけ東北地方はそうはいかない。
小売業の壊滅は復興事業にも大きく影響するし生活に直結する。
「ちょっと試験的に出店なんて、その地元のことをホントに考えてるんでしょうかね」
と言って国の行政に携わる知人は憤っていた。

こういう特定の巨大小売店チェーンが地域に大きな影響を与えだしたのは、なにも最近のことではない。
その昔、大規模店舗の出店が規制されていた頃、ダイエーやニチイといった大型小売店の出店時も同じようなことが云われていたものだ。
かくいう私も近くのイオンモールで買い物をする時もあり、

「なんでやねん。」
と自問することも少なくない。

でも買い物をしながら考えるのは、あの頃と違うのはイオンが多岐にわたって買収を繰り返し、おちらもイオン、こちらもイオンとなっているところが異なるのだ。
まるでイオンは日本国内の小売業を独占しようかという勢いだ。
もしかして政治的手法でもあるのかと疑ってしまうのだが、ね、民主党岡田さん。

ということで、関西の大手スーパーイズミヤの阪急阪神ホールディングス入りは、ある意味歓迎だ。
なんでもかんでも赤紫のトップバリューはかなり食傷気味であるのは、たぶん私だけではないだろうから。

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アマゾン・ドット・コムの米国以外の最も稼ぎ頭が日本市場。
すでに日本国内での書籍流通の約25%はアマゾンが担っているという。
10年前には想像もできなかった流通革命が起こっているのだ。

これに対する楽天やヤフーといった国内勢もアマゾンを追っかける。
ところがアマゾンはその物流網とネット技術を活かして他の追従を許さないパワフルさを発揮している。

このアマゾンの躍進の原動力になったのが、数年前に実施された「送料無料化」。
当初1500円以上の買い物に対して無料にしていた送料を金額に関係なく無料にしたことから、私も含めたアマゾン利用者が爆発的に拡大。
以来快進撃を続けている。
日本通運などと結んでいる最低一口300円の送料を無料にしても、赤字になっても、そのメリットは限りなく大きいと判断したアマゾンの商売力だ。

で、ここに来て「無料配送を禁ずる」という法律が出来上がる。
既存の書店を始めとする小売店を保護するのが狙いという。
だからいくらで顧客が買い物をしようが、送料はかかってしまうというのがその法案。

消費者側からすると残念だが、ライバル小売店からすると大歓迎のこのルールはフランスでの話なので日本とは関係ない。
関係ないが、その影響はすくなくないと思える。
一種の大規模店舗規制法のような送料無料禁止法は日本の状況も対して変わらないだけに導入が検討されるかもしれない。
こと送料は運送業とも関わり、フードマイレージならぬモノマイレージ的思想が発生しそうなので、
「通販は無駄にエネルギーを浪費している」
なんて言われれば、エネルギー問題に敏感な我が国だけに、なんらかの動きが「市民団体」あたりから出てくるとも限らないのだ。

アマゾンは最低賃金時給労働でも帰路に立たされているようなので、おっつけ「70%OFF」なんて表示は消え去るかもわからない。

送料無料、いつまで続くか。
ちょっとばかり注目なのだ。



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仕事から帰宅してテーブルの上を見ると「フライングタイガー・コペンハーゲン」なるお店のパンフが置かれていた。

「あ、それ、今日、なんばに行ってきたら、新しいお店ができてて寄って来てん」
とカミさん。
「フライングタイガー、っていうて雑貨のお店。デンマーク版100円ショップらしいけど。でも日本に運んでくるのにお金がかかるから300円とか、500円で売ってるねん」
「ふーん」と私。
「でも、デンマークはデザインだけで、ほとんど中国製やけど。こういうところって、どうして中国製なんやろ?」
「そら、フライングタイガーやからやろ」
「?」

フライングタイガーは日中戦争の時に米国が中国で編成した対日戦闘機隊の名称であることを、私は思い出したのであった。

当時、アメリカ軍はまだ参戦しておらず、フライングタイガー飛行隊は米国が蒋介石に飛行機とパイロットを貸し出した、いわば出前飛行隊。
中国人のパイロットなんかあてにならなかった時代の、日本向け嫌がらせ政策で存在した飛行隊だ。
中国人の振りをしてアメリカ人は日本に喧嘩を売っていたのだから真珠湾攻撃を不意打ちだとかなんだかんだ言うのは、どう考えてもお門違いではないか、と思ったりするのは、そういう「狡さ」があるからなのかも知れない。

この出前飛行隊を迎え撃ったのは、かの有名な加藤隼戦闘機隊なのだが、それにしてもお店の名前に、しかも日本で展開するお店の名前に、よーこんな名前を付けたものだ。

デンマーク、お前もか。
という感覚を持たなくもないのであった。

なお、名前はともかく、中国製なのでカミさんは、買わない。

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週刊新潮に「JR三越伊勢丹の大阪店が苦戦」という小記事を見つけた。
私の地元大阪では「そんなん、わかっとるわ」という内容の経済記事だが、ついに全国的なニュースに発展しつつあるようだ。

大阪は現在、百貨店の超激戦地区になっている。
梅田地区、心斎橋地区、難波地区、阿倍野地区。
どこも老舗の百貨店と電鉄系百貨店が客集めに奔走しているところだ。

従ってどこもかしこもすごい競争にさらされているのだが、一人負け組なのがJR三越伊勢丹。
日本を代表する百貨店。

大阪駅前周辺は今、グランフロント大阪という関西の大手企業が結集してトライしているビジネス&アカデミー地区の開業をこの26日に控えて活気に満ちている。
三越伊勢丹はその大阪駅のターミナルの一部でも有り、そのグランフロントに直結していることもあるところに位置している。
店の前を通る人の数は西日本ではトップ。
首都圏でも大阪駅前を通過する人口よりも多いのは多分、新宿だけかもしれない、
それだけに三越・伊勢丹という百貨店業界のチャンピオンが苦戦しているというニュースは、全国的には「なぜなんだ?」という波紋を呼んでいるようだ。
その苦戦も、目標額の6割しか達成していないとなると、生半可な疑問ではなくなってくる。

このJR三越伊勢丹大阪店の苦戦と正反対なのが阪急百貨店梅田本店。
昨年末にリニューアルグランドオープンを果たした、電鉄系百貨店の日本最古参。
売りあげは好調で、目標の1.5倍。
同じグループになったコンセプトのちょっと違う阪神百貨店と相乗効果を出している。
大阪ではキタは阪急、ミナミは高島屋と大丸・そごうというのがショッピングの伝統で、それだけに阪急百貨店のブランドイメージは首都圏では想像できないだろうが、トップでもある。
残念ながら大阪から老舗のそごうが無くなってしまったのだが、それだけに残った大阪の百貨店は生き残りをかけた様々な工夫を凝らしている。

そう、「凝らしている」のが大きな特徴なのだ。

JR三越伊勢丹にはこの「凝らす」という工夫が大きく欠けているのだという。
日本最大の売上を誇る伊勢丹新宿店のノウハウを、そのまま大阪店に持ち込んだら成功するという見込みの甘さは、このブランド百貨店にはあったのだというのだ。
実は、その大きな「凝らす」の違いを昨日参加したとある勉強会で具体的に知ることになった。

その違いとはなにかというと、店内で展開するイベント数である。
三越伊勢丹は大阪に出店するにあたって伊勢丹の誇るPOSシステムを持ってして品揃えを豊富に、完璧にもっていったという。
品数豊富だと必ずお客さんはそのお店を訪れて買い物に勤しんでくれると考えたのだ。
なんといっても大阪を中心とする関西の買い物客は「関西人はケチンボ」という一般的な印象とは正反対で、平均購入額は首都圏を大きく上回る上顧客なのだ。
だから欲しい商品が見つかると、三越、伊勢丹のブランド価値も相俟って絶対に勝者になると踏んだらしい。

一方、阪急百貨店は伝統的な独自の方法でこの東京資本の巨人を迎え撃ったのだという。
それはイベントの連発。
その数、半端ではない。
勉強会で聞いて腰を抜かしそうになった。
阪急百貨店の年間イベント開催数は大中小合わせるとなんと6000回を超えるのだという。
6000千回。
毎日15以上のイベントが展開されている。
1つの百貨店でそれだけのイベントを開催しているとは想像できなかった。

考えてみると、阪急百貨店の梅田本店は大阪でも他の百貨店とは大きく異る雰囲気がある。
私もそれを体験したことがあった。
それは10年ほど前、クリスマス前。
プレゼントの下見に訪れた私は阪急百貨店しか出来ない芸当を目撃したのだ。

「本日はご来店ありがとうございます。只今より、宝塚音楽学校の皆さんによるクリスマスのパフォーマンスをお届けします」

なんだ、なんだ、と思っていると、未来の宝塚スターの女の子たちが揃いの衣装でベルを手に持ち歌を歌いながら売り場を行進。
爽やかな生パフォーマンスで売り場の中をすっかりタカラヅカで包み込んでしまったのだ。
これには度肝を抜かれてしまった。
どこの百貨店にタカラジェンヌが普通にやってきて歌うお店があるのだろうか。
阪急にしか出来ない芸当。
アイドルとは違うクオリティの高さに、百貨店ビジネスのイノベーターである阪急の底力を感じた一瞬であった。

年間イベント数6000回。

関西では品揃えが多くても、オモロイ百貨店には勝てないということを、多分、ブランド王者の伊勢丹と三越は大いに勉強しているところなのだろう。

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