<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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自治会や隣組といった地域のコミュニティでは「互いが友好であること」が要求される。
祭礼や盆踊り、ラジオ体操、お花見、クリスマス会、などなど。
一緒に活動することも多く、子ども同士が友達であったりするわけだから親としてもご近所とは親しくつき合う必要がある。
また親しくつき合うことで、より多くの目で地域の隅々を見つめることができるので、防犯上も非常に結構だ。

ところが、これが国家同士になるとそうはいかない。
とりわけ日本とその周辺ではまったく当てはまらず、キナ臭く、迷惑で柄の悪い隣人が多く存在している。

中国で開催される抗日記念行事。
隣国日本という侵略国家に戦争で勝ってから70年目を迎える節目のイベントだと言う。
こういうイベントは何のために実施するのか。
それを非難せずしてマスコミは何を考えているのか。
まったくもって日本という国は平和ボケを通り越してアホなのである。

それにしても出席者リストが情けない。
ロシア、韓国、北朝鮮は中国のお友達なので仕方が無い。
アフリカ諸国も金を貰うためには出るしかあるまい。
しかし、国連の韓国人事務総長は何を考えているのか。
国連の第一のスポンサーは我が日本である。
韓国人であるという指摘理由で出席するのであれば職を辞する必要があると思う。

この韓国人事務総長にも増して判らないのはイタリアの出席。
あんた三国同盟の一国やったんちゃうんかい!

と、突っ込みたくなるのは私だけではないだろう。

ということで、今度はイタリア抜きでやろう!とどこかの国と冗談を言い合う前に、今年は日清戦争戦勝120周年であることも忘れてはなるまい。


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仕事ばかりの生活をしていると頭がヘンになってくる。
仕事は生きていくためには必要不可欠な要素だが、心の毒にもなる。
棄権な存在だ。
このため解毒剤として様々な試みをこれまで行ってきた。

まず英会話。
英会話を始めたのは20代後半のまさに仕事中毒になっていた時期で、毎週英会話スクール出会うヘンなクラスメートと友達になり、ヘンな豪州人講師と友だちになり、随分と気分転換をすることができた。
この英会話はなんとか身についたので、海外旅行もあまり困らず、さらに仕事で外国人と話をする時も、そこそこコミュニケーションが取れるので実用的でもある。
外国語を習うことは異なる文化に接すること。
ちょっとした知的好奇心を満足させるとともに、考え方に修正を加える事ができるのですこぶる優れた解毒剤といえよう。
ただ、費用がちとかかるのが欠点だ。

数年前。
知り合ったデザイナーさんの紹介で陶芸を始めた。
そこは面白い陶芸教室で、先生は生徒の作るものに対して大きく口を挟まず、自由に作らせてくれるのだ。
その結果、最初は使い物にならなかった作品しか作れなかったのが、数ヶ月後にはアートを含んだなかんか粋な感じの食器が作れるようになり、今もその幾つかは我が家で使用されているの。
しかしその陶芸教室がほとんど京都府といっていいような大阪府内にあり、大阪南部の私の家からは自動車で1時間以上かかることもあり、足が自然と遠のいてしまったのであった。
もちろんコストもそこそこ必要なのであった。

何かを作る。
異文化を知る。

これらはとっても大切なことで、仕事だけの生活をしている砂漠のような人生に、ある種オアシスのような効果を与えてくれる重要な生きるためのエッセンスである。

そんなこんなで何かしなければ頭がヘンになってくると思っていたところで最近思いついたのはDIYなのであった。

Do it yourself。
日本語で日曜大工。

もともと物を作るのが大好きな私はこれmでにも簡単な棚などを作っていた。
その都度、
「なんなん、これ?」
とカミさんの冷たい眼差しを受けていたのだ。
製作に自信があったとしても、まともな道具を持っておらず、その辺に転がっていた材料を適当に組み合わせて作っていたため、グラグラの棚やホームレスの持ち物ではないかと思えるようなキッチュなデザインのボックス家具などしかできなかったのであった。
「大丈夫?」
と心配そうに見つめる家族の目に、
「迷惑や」
「もうやめて」
「お父さんの実力は、もうわかりました」
という哀れみが含まれており、正直ものづくりに自信を持っている私としては大いに不本意な状況なのであった。
なぜなら、私は会社ではマーケティング及び製品企画のプロなのであるからにして。

この夏。
一大決心をして必要な工具を揃えることにしたのだった。
家族にバカにされないよう、私のものづくりの実力を見せるためにも、もらった賞与からのお小遣いを使って電動工具を買うことにしたのだ。
まず何を買うのか考えたが、やはり主要に使う工具を買わねばなるまいと思い次の4点に絞り込んだ。
・電動ドリル
・ジグソー
・トリマー
・電動サンダー
最後の電動サンダーだけは省略しようかと思ったのだが今更紙やすりを持ってゴシゴシ磨くのはかなわんと思い思い切って購入することに決めたのであった。
またレーザー加工機やNCルーター、高性能3Dプリンタなどは小遣いでは買えそうにないので諦めることにした。

次にどこのメーカーのものを買うのか。
小遣いで簡単に買えそうなのは聞いたこともないようなメーカーの中国製のものであった。
ドリル1つが2000円台。
安い。
安いけれども修理はできそうにないし、カタログスペックを見るとトルクは弱いわ、ネットの口コミを入ると「使い始めてすぐにモーターが焼けきりました」と書いてあったりで、すぐに価格だけで購入するのは思いとどまった。
だからといってマキタ製の高級電動工具を購入するのはゴルフを始めるからと言っていきなり80万円もするセットを購入するオメデタイ人と同じであるし、そんな金も無いので無難なものを選ぶことにした。

そこで購入したのが日本の標準的メーカーであるリョービ製のインパクトドリル、トリマーと、ドイツの名門ボッシュのジグソー、そしてどこのメーカーか聞いたこともない中国製のサンダーなのであった。
尤もリョービは日本のメーカーながら製品は中国の工場製で、ドイツのボッシュも、実はハンガリー製なのであった。
しかし、いずれも立派な一流メーカーだけあってしっかりとしたDIYからプロの職人さんまで使えるものであった。

お盆休み。
早速購入した電動工具を使ってタオル収納用のボックスを作ろうと桐材を買ってきて取り掛かろうとした。
ところがよくよく考えてみると電動工具だけで加工ができるわけではなく、ドリルやトリマーにはキリかチップが必要で、ジグソーには鋸歯のブレードが必要なのであった。
さらに穴を開けるだけではなくあけた穴にボルトを通した後にボルトを隠すための穴埋め用のキリも必要であることに気づいた。
これらのうちブレードはボッシュのセットについていたので初回は助かったが、穴隠しのキリやトリマーのチップはなんと一個1000円以上するもので、必要な物を揃えようとしていたら電動工具1台分の費用は簡単に吹っ飛んでいくことがわかった。

DIYも英会話や陶芸と同じようにかなりの費用がかかることが分かったが、いずれも一度始めてしまえば、そこから学んだテクニックは自分の資産になることもよくわかったのであった。
2日かけて作ったタオル収納用ボックスを見た娘は私に尊敬の眼差しを向けてきた。
カミさんは腕を組んで、そしてニッコリと笑った。

高く付いたが、なかなかいい出だしになったDIYなのであった。

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いまどきの子どもたちには門限は設定されていないのだろうか?
何ヶ月か前の神奈川県川崎市や大阪寝屋川市の中学生殺人および失踪事件の報道を見るにつけ、つくづくそう思ってしまうのは私だけではないだろう。

うちの娘は今高校生。
従ってついこのあいだまでは中学生だったわけで、うちの場合は門限というよりも、クラブ活動が終わったらさっさと帰宅するというのがルールであり、塾への通いは別にして祭り以外の時に夜一人で外に出て行くことを許さなかった。
「過保護ちゃうの?」
という意見があるかも知れないが、女の子なのでそれくらい普通ではないかと思うのだ。
高校生になった今も塾が終わるとさっさと帰ってくるように指示しているが、塾が学校の近くにあり、自宅から遠いこともあって必ず電車の駅まで迎えに出ているという、これもまた「過保護ちゃうか」と言われそうな対応なのだ。
尤も娘の方も学校と塾でクタクタなので駅まで自動車や自転車で迎えに来てもらうのは助かるらしく、テストで悪い点を取った時以外はすこぶる機嫌がよろしい。

私は男なので中学生の時は門限はなかった。
なかったというよりも親もわざわざ門限を設定するようなことはなく、私自身、外で遊ぶよりも家で勉強をしたり深夜テレビを見るほうが好きだったので午後10:00にもなると大抵は自宅で14インチのテレビに向き合うか、MBSのヤンタンを聴きながら多少の勉強をしていたのだった。

事件に巻き込まれる中学生の特徴は、門限どころか子供が夜街をうろついていても親は気にしないのではないかと思えるような家庭で育っているのではないかと想像してしまうところだ。
親が飲食業など夜の仕事をしていたら仕方がないが、それでも子供が勝手に家から出て繁華街を彷徨いたり、公園で屯するのを黙認しているのは常軌を逸しているとしか言い様がないと、私の常識ではそう考えてしまう。

度重なる中学生が関係した犯罪の数々。
門限も死語の今の時代の暗黒面を象徴しているのかもわからない。

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どんな爆発だったのだろうかとYoutubeで検索したのは中国天津市で発生した化学物質保管倉庫の爆発事故。

携帯で撮影したと思われる小さな画面の中央に小さな炎の固まりが見ている。
やがて「ボンッ!」と爆発した4秒後ぐらいにガラスがガチャンと鳴って、
「お~大変だ~」
みたいなことを言っている音声が入る。
へ~大きな爆発だな、と考えたその時、
「ズド~~~~ン!」
とかなり広いエリアが炸裂し、キノコ雲が立ち上がったかと思った瞬間、窓ガラスが吹き飛ばされる音で動画終了。

そもそも原子爆弾かとおも思えるようなドデカイ爆発を起こすような化学物質。
どのように管理していたんだろうかと、かなり不思議だ。

日本では危険物の管理は免許を持った人が所轄の消防署や官公庁の許可を受けて保管する。
保管する量。
保管するための設備。
保管運用するためのルールなどは、その都度立会検査を受けて合格しなければ使用できない。
化学物質については使用した量まで正確に記録して届け出る必要さえある。

中国はいったどうなっていたのだろうか。

化学物質をほかんしているところは普通、消防は水をかけて消化することを考えない。
というか考えるかもしれないが、世の中には水と反応して水素なんぞを発生する物質も少なくないので水消火は危険なのだ。
中国の消防隊はそれを知らなかったのだろうか。

都内で開かれたリスクマネジメントのセミナーに出た時に、日本よりもマレーシアなんかのほうが化学物質の管理については進んでいるみたいなことが述べられていた。
それは日本の通産省が日本ではできないことをマレーシアでアドバイザーという形式で実現したからだそうで、中国には同じような仕組みは多分無かったのだろう。

いずれにせよ、映画でよく見る大爆発は嘘っぱちであったことがよーく分かる恐ろしい天津の化学物質爆発事故なのであった。

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産経新聞の記事

国立大学の年間予算は3600億円。
そのうちの半分が東京大学へ配分され、残りの半分、つまり4分の1が京都大学に配分され、さらに残りの半分、つまり8分の1が大阪大学に配分され、残った8分の1を残りの100余りある国立大学で分配される。
近年、政治経済での知的犯罪以外に注目されることが少ない東京大学にどうしてこうも多くの予算が費やされるのか理解に苦しむが、他の大学はどうやって資金繰りをするのか、一般には余り知られていない日本国内の課題でもある。

この予算が苦しい国立大学はその価値を高め、経営を健全にするために数々の研究を行い実利益を生むように努力されている。

その先端を行くのは東北大学や大阪大学かもしれない。
東北大学はいち早く成果主義を導入し、多くの実績を残している。
もともと得意だった材料分野では世界トップクラスの研究を行っていてその名声は一般人でも多く知るところだ。
大阪大学はもともと関西財界を中心とする民間が発起して設立した大学だけに民間企業とのコラボレーションが優れており、これまた多くの話題を提供し続けている。

ちょっと地味だが科学の分野で特筆すべきは筑波大学。
国策として国力としての科学を伸ばすためにその最前線にある大学だが、この大学であのNHK受信料拒否デバイスが開発されていたとは知らなかった。
こういうのはもっと多く広報すべきで、日本国民で国を愛するのであればこういうデバイスを購入し、偏向報道を繰り返すNHKに民意の鉄槌を下すべきではないだろうか。

ちなみにNHKの年間予算は6480億円。
この詰まらない莫大な金額は、国の研究機関や教育にもっと使われるべきで、そういう意味では筑波大学の開発したNHK受信料拒否デバイスは法的な結果がどうでるのかわからないが、なかなかすぐれものということができるのではないかと期待するのである。

あとは受信料の支払いをふるさと納税を真似して「ふるさと大学助成基金」とか作ればよいのではないかと私は勝手に思っている。

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先々週の週末。
仕事で京都へ行ってきた。

京都と言っても非常に広い。
南は奈良市に接する木津川市から北は日本海に面する舞鶴市まで、どこもかしこも一応京都なのだ。
但し京都府。
普通一般的に「京」というと京都市内を指すものであって舞鶴や天橋立を京と呼ぶには難があるのだ。

で、この京都府と京の違いはなにかというと、京は「夏は蒸せるように厚く、冬は凍えるように寒い」ということだ。
よくもまあこんなところに都を作って1000年以上も首都としたもんだ、と夏や冬になる度につくづく思う。
歴代の天皇さんはこのような環境を「おかしおすな~」とは思わなかったのだろうか。
ま、思ったところで天皇さんは昔から象徴であって実用的権力をお持ちではなかったので暑くとも「そこは我慢」の国家の精神的リーダーのリーダーたる所以かもしれない。

確かに現在においても皇室の方々が「暑い~」とおっしゃっているのは耳にしたことがない。
むしろ最近は佳子さんの笑顔に国民が涼やかさをもらっているくらいなのだ。

と、話はともかく。
そんな文化の都、京の京都へ行ったきた。
ある製薬メーカーさんの新しい研究施設を設置するお手伝いに行ってきたのだ。
時間は午後2時。
京都河原町にあるうちの会社のオフィスから自動車に乗ってでかけたのだが、この時にダッシュボードに表示された屋外気温を見て驚いた。
なんと38度を指していたのだ。

確かに暑いなと思いながら四条河原町駅を出たのであったが、まさか気温が38度にもなっているとは思わなかった。
この高温多湿の河原町で多くの観光客がわいわいがやがやと歩いている姿を見てツアリズムに関するエネルギーの凄まじさを思ったのは言うまでもない。
私もバンコクやヤンゴンへ行くと、暑くともへっちゃらで歩き回るのだが、それと同じかも知れないと思った。

目的のお客さんは伏見区にあった。
この伏見区は京都市の面積の三分の一を占めるくらい広い。
それだけ坂本龍馬で有名な寺田屋のある中書島から競馬の京都競馬場、任天堂の本社まで、どこもかしこも伏見区なのだ。
(任天堂は南区だったかもしれない。間違えてたらごめんなさい)
この伏見区というところも場所によっては工場や倉庫が建ち並ぶ東大阪か大田区みたいなところがあり、お客さんのラボはその工業地帯に位置していたのであった。

京都の工業地帯の特長として「駅から遠い」「渋滞がひどい」「乾燥している」「ラーメン屋が少ない」というのがある。
私だけの感想かもしれないが、とりわけ夏は砂漠のような雰囲気がするのだ。
そのお客さんの近くまで来た時に、自動車の外気温表示はついに41℃を示していたのだった。
41℃。
この気温はミャンマーの内陸部を旅行して以来初めて体験する劇的な温度なのであった。

数年前にお盆に京都を散策したことがある。
目的は「こんな暑い時期に京都へ来る旅行者というのはどういうものなのか。確かめてみよう」
というものであった。
あの時の最高気温が36℃。

今回はそれを5℃も上回っていた。

灼熱の京都。
この季節、私なら旅先に京都を選ぶことはないと思う、客先訪問なのであった。


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東京オリンピックが見苦しい。

国際オリンピックは1985年のロサンゼルス・オリンピック以降、ビジネスが重要な位置を占めてしまい本来の目的である「国際親善」「アスリートの祭典」という部分が蔑ろにされている。
なんでもそうだが、イベントというものが社会的価値を持つと、それで金儲けをしようと企む人々が登場する。
そしてそのビジネスが上手く行きだすと、多くの点でグレーゾーンと利権が発生し、やがて市井のものには理解不能な摩訶不思議な取引が発生するのだ。

今回の国立競技場の建替え問題しかり、応援者のユニフォーム然り、シンボルマークしかりで何がなんだか分からない展開なのだ。

そもそも国立競技場で2500億円というのは、ありゃなんだ。
2500億円というと、先日ギリシャが債務不履行に突入しそうになったときに返せないお金の金額として報道されたものとほぼ一緒。
日本で一番ノッポのビルあべのハルカスの総工費が760億円、ノッポのタワー東京スカイツリーが650億円。
それを考えると新国立競技場の総工費は馬鹿げている。
デザイン出てきた時に「予算は?」って誰も訊かなかったのか不思議なのだ。

ユニフォームはよりによって韓国の業者に発注。
一着のお値段25万円でこれも揉めている。

予想しなかったのはトレードマークでベルギーの劇場のマークに似ているからどうのこうのと、それならフランスやイタリアの国旗は色の配置が良く似ていますけど、あれパクリですか?
日本が大嫌いなお隣韓国の国旗も日の丸を立てにふにゃふにゃに切って左右の色を塗り分けてまわりにヒゲを生やしただけではないか、と叱られそうだが、子供の頃からそう見えてしかたなかった。

どれもこれもお金に絡む問題だ。

翻って1964年の東京オリンピック。
色々な文献を読んでみると素朴でコマーシャルイズムなんかあまりない。結果的に今のオリンピックの手本のひとつになっただけで、当時の日本人は成功させるために「手弁当で」必死だった。
儲けを考えていた人たちもいただろうが、バブルの経験もない素朴な日本人は総動員で協力し、応援したのだろう間違いがない。

アジアで初めてのオリンピック。
世界ではじめてのピクトグラフ案内。
世界ではじめての各国混成閉会式。
どれもこれも結果としての国際オリンピックなのであった。

尤も当時1歳の私はちっとも覚えておりませんが。

そんなこんなでオリンピックには素朴さが大切。
だから古いCMではないけれども、
「素朴さのない東京オリンピックなんか、クリープを入れないコーヒーみたいなもんだ」

これも私はクレープ入れて飲みませんけどね。

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