<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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今年の夏は例年になく暑い夏だった。
我が家も冷房に使用した電気代が半端ではなく、家計に与えた影響は小さくない。
24時間つけっぱなしだった日も少なくなく、よくよく考えてみるとまだエアフィルターの掃除をしていなかったので暖房が必要な季節までにはなんとかしなければならないと、この文章を書きながら思い出した。

で、こう暑くなってくるとエアコンだけは対応できない時が出てくるのも当然である。
以前訪れたミャンマーのヤンゴン動物園ではあまりの暑さのためか、クマが水風呂に入って寛いでいるという漫画のような光景を目撃したことがある。
私はミャンマーのクマとは違って水浴びはしないが、そのかわりにアイスクリームやアイスキャンディ、それとオリオンビールで涼をとるということを繰り返したのだ。

そこでメインに登場するのがガリガリ君。
昨年あたりから暑くなると経済的に注目されているのが赤城乳業のガリガリ君アイスキャンディだ。
私も家族もあまりに暑いとこのガリガリ君を買い求めてしまう。
価格も100円以下という今時珍しい氷菓子でもあるのでついつい買ってしまう。
気がついたらガリガリ君にかなりの投資をしているのではないかと愕然とすることもあるのだが、暑い時はガリガリ君か生ビールなのでどうしようもない。

このガリガリ君を脅かすアイス菓子が最近出回っている。
それは何かと言うと「葛アイスキャンディー」なのだ。

葛きりの材料である葛をフルーツなどのフィレーバーと一緒に凍らせた和菓子ジャンルのアイスキャンディー。
これがなかなかいけてるのだ。

私はこれを昨年大阪万博公園で開かれていたスイーツエキスポで初めて食べた。
食べた瞬間にすっかり気に入ってしまったのだが、その存在を暑さのために忘れていた。
そういうボーッとしていた真夏のある日、今年は西宮市立大谷美術館を訪れた帰り道で美術館の近くにあった和菓子屋さんで売られているのを見つけて思わず買い求めた。
大いに満足したことは言うまでもない。

この葛アイスキャンディのメリットを挙げると次の通りになる。

1.溶けにくい
  もともと葛で固まっているため普通のアイスキャンディと違って「早く食べないと溶けて落っこちる」ということがない。
2.食感がある
  葛でできているので単にサクッとした歯ざわりではなく、サクッとしたなかに弾力があってほのかに噛みごたえがある。

ということだ。
従来のアイスキャンディーにはない上品さがいい。

デメリットは値段が高いということか。
ガリガリ君は1つ100円以下だが、葛アイスキャンディは200円と少しする。
かなり高級なのである。

とは言うものの、アイスキャンディなら世界中どこへ行ってもあるのだが、葛アイスキャンディは我が日本にしかないであろうことから、今後のインバウンドのネタにも使われるのではないかと大いに期待されるところなのだ。
私には関係ないけど。



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台風21号で関西空港が大変なことになって、その大変なまま運行再開をした9月7日。
私は幕張メッセで開催されていた展示会へ日帰り出張。
行きは新幹線だったのだが帰りに成田空港からピーチエビエーションの関西空港行きに搭乗した。

私は大阪〜東京は自宅が関西空港のほうが新大阪駅よりも圧倒的に近い関係で飛行機で移動することが多い。
その日、大阪から東京へ向かう時はさすがに朝の飛行機便は復活しておらず新大阪から新幹線でゆっくり東京へ向かった。
あまりに久しぶりなのでエキスプレス予約の会員番号とパスワードを忘れてしまっているのではないかと思い、前夜にメモをひっくりかえして確認した。
そしてスマホでの予約の手順も忘れていているかもしれないので、念のためにパソコンで予約をいれておいた。
新幹線に乗るときはいつも駅に着いてからきっぷを買っていたのだが、スマホでの操作に自信がなかったのだ。

新幹線の予約を入れたのはピーチでの往路の欠航をピーチが飛ぶのかどうかを確認してからだった。
実は今回の展示会出張は1ヶ月以上も前から決まっていて場所が幕張ということもあり、成田からが近いのでピーチのチケットは買っておいた。
それも経費節約で最も安いシンプルピーチを選んでいた。
シンプルピーチならオプションの保険を入れても大阪〜成田往復1万6千円ほど。
さすが、空飛ぶ電車。
LCC。
新幹線の片道料金に若干プラスの高速バス並み料金なのであった。

ところがこのチケットは客の都合でキャンセルを入れるとキャンセル代を徴収されるチケットだった。
キャンセル代は決して安くなく、いわばチケット代を放棄するような感覚でのキャンセル代なのだった。

これまでピーチを何度も利用してきてキャンセルになったことはなかった。
だから今回も遅れることはあってもキャンセルになるようなことはないだろう、と勝手に思い込んでいたのだ。
ところが台風が関空に決定的ダメージを与えた今回。
飛行機が飛ぶのか飛ばないのかが大きな問題となった。
キャンセル料は払いたくないので飛ぶのであれば乗る必要があり、飛ばないのであれば代替ルートを確保する必要がある。
もちろんピーチから「フライトキャンセルの知らせ」を確認する必要がある。
にもかかわらず、ピーチはなかなか飛ぶのか飛ばないのかを発表しないので、こっちも伊丹から青い翼で飛ぶのか新大阪から新幹線に乗るのか決断することができない。
ようやく行きはキャンセル、帰りの便はフライトするというのがわかったのは前夜遅くなのであった。

成田空港へ着いたときいつもなら長い列ができているピーチのチェックイン機の前には数人がいるだけ。
これはやはり大勢がフライトキャンセルをしたのだと思った。
ところが実際に乗ってみると座席の8割は埋まっており、相変わらずの人気であることがわかった。
安さはフライトの便利不便利よりも魅力的あるようだ。
搭乗口に表示されていた「行き先 関西空港」という表示がなんとなく、阪神大震災の4ヶ月後に大阪駅で見た新快速「姫路」と書かれた表示を見たときの感動に似たものがあった。

関空までのフライトはいつもの通りで第2滑走路への着陸もいつもの通りだった。
いつもの通りではなかったのはフライトポイントをつける登録機が休止されていたことと、第2ターミナルから乗ったバスが第1ターミナルを経由するもそのまま南海電車の泉佐野駅まで行ったことだった。
第2ターミナルは銀座ライオンが閉まっていたがプロントもコンビニも営業していて、いつもとあまり変わらない風景だったが、第1ターミナルは薄暗く寂しげな雰囲気だった。
道路を走るバスから眺めると空港には数機のANAの飛行機がターミナルに接続されたままになっていた。

鉄道の無いのは本当に不便だ。
そこで思い出したのは初めて利用したときの大阪空港。
あれは1981年の春なのであった。
当時、大阪(伊丹)空港はアクセスがバスしかなかった。
大阪市内からはリムジンバスで向かうのだが、これが時間が正確ではないという欠点があった。
今も多少ある。
市内から空港へ向かう阪神高速道路空港線(現 池田線)は空港だけではなく中国自動車道へ抜けるアクセス道路でもありその混雑はかなりひどい。
とりわけ空港から大阪市内へ抜けるには通常30分ほどがひどいときは90分はかかるということも珍しくなかった。
私はこのバスでのアクセスが大嫌いで、当時は高校生でもあったことから「イライラするな、もう」という感覚なのであった。

このため「空港は不便。よって飛行機は値段も高くてもっと不便」という思い込みがあった。

あれから40年近く。
すっかり時代は変わったのであった。

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台風21号は予想以上の被害をもたらした。
私の自宅は木造2階建て2x4で地震には強いということで定評のある住宅メーカーの設計ではあるのだが、今日の暴風の中でどれほど揺れたか。
その揺れ方は全く想像していなかっただけに少々薄気味悪かった。
まるで乱気流に突っ込んだ飛行機みたいだったのだ。

「屋根、飛んで行けへんやろか」

と本気で心配になった。

暴風自体は2時間弱で収まったものの、その爪痕は凄まじかった。
風が収まって玄関から外へ出てみると、家庭菜園のトマトの木はすべて横倒し。
近所から飛んできた畳半分ほどのプラスチック製の波板が芋畑に突っ込んでいてバタバタと震えていた。
そのすぐ近くにはどこのものだかわからないプラスチック製のバケツの蓋。
家の建物とお隣の建物との間の1.5メートルほどの通路は猛烈な速度で風が吹き抜けたのか、うちのではない大量の瓦の破片が落ちていたのだ。

私の家と、ご近所はまだよかった。
隣町は停電になっていて、おまけに古い家屋が多くて瓦、スレート、看板などが吹き飛ばされて屋根の下地が露出して散々たる様相を示していたのだ。

国道に出てみるとさらに愕然。
看板の多くは風に煽られて傾いている、反り返っている、倒壊している、落下している、破壊されている、という状態だ。
その看板の破片があちらこちらに散乱していて通行の妨げとなっていた。
おまけに3つに1つ位の割合で信号が消えてしまっていて、片道3車線の国道は大渋滞になっていたのだ、

看板だけではない。
駐車場の屋根。
店舗のシャッター。
店舗の壁。
警察署のガラス窓。
レストランのダクト。
などが破壊され、道路に散乱。

これだけ微妙に広域に街が破壊されているのを見るのは映画を見ているような錯覚に陥り現実感が無くなってしまったのだ。

それで最も現実感が無くなってしまったのは関西空港の被災である。
関西空港はなんとこの日が開港記念日。
24年前のこの日に日本で最初の24時間空港、世界ではじめての海上空港として開港。
はじめの十数年間は閑古鳥しか飛んでいなかったのが、今や成田と似たりよったりの便数を誇る世界でも屈指の国際空港に成長していたのだ。
私もこの関空は毎月数度は利用する空港なので愛着がある。

ところが台風21号のために、

① 高潮で第1ターミナルとA滑走路、ならびにエプロンなどが浸水。
② タンカーが連絡橋に衝突。

という事態が発生したのだ。
高潮は関空島を海に戻してしまうほど広域に冠水。
A滑走路は全長3500mでターミナル1の眼の前にあることからメインの滑走路。
これが冠水なのでたまらない。
幸いなことに全長4000mのB滑走路は被害をまぬがれていると言うが、ターミナル1が使えないということはターミナル2を利用しているピーチエアと春秋航空とその近くの専用ターミナルを使っているフェデックスは良いかも知れないが他のほとんどのエアラインにとっては一大事というような非現実的な状況なのだ。

さらに連絡橋がタンカーの追突によって破壊されてしまったために陸路での関空島へ渡る方法をなくしてしまった。
あとは関空に行く方法は神戸から船に乗るのか、他の空港から関空に飛ぶしかないのである。

このような緊急事態に対処する方法は、ない。

もともと連絡橋がアクセスのほとんどを担っている状態だったので、地下(海底)トンネルが要るのではないかと思っていたが、やはり必要なのだ。

関空が大阪湾に浮かぶ孤島となてしまった現在、私の明後日の出張もままならず、このままでは新幹線でゆっくりと移動するしかなくなってしまう大変不便な状況が待っている。

どうなる関空。
建設当時のように泉佐野から貨物船のようなフェリーが運行されるのか。
真剣に要注意なのである。

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台風21号が接近中というニュースが流れる。
「またかいな」
とつぶやいてしまう。

JRが運休を予告。
「またまたかいな」
とつぶやいてしまう。

今年は驚くほど多くの台風がやってくる。
いつから大阪は台風銀座の沖縄になってしまったのか。
大阪市大正区に沖縄県人が多いことはつとに有名ではあるものの、人は増えるのは大歓迎だが台風が来るのは歓迎することができないのは誰でも同じ。

私の実家のマンションは10年ほど前に台風の突風で屋上屋のの裏側に張られたパネルが破損。
周辺の一戸建て住宅に飛んでいき複数の自動車の窓ガラスを割る、住宅の瓦屋根を跳ね飛ばす、など多大な被害を振りまいた。
被害総額は400万円ほど。
幸いなことにず〜〜〜〜〜と大昔に管理組合で加入していた、
「こんな保険いらんやろ」
などと言われていた保険が効果を発揮して全額保険金で修繕と賠償をすることができた。
まるで高さ15メートルの防潮堤を築いていて、
「そんなものは要らんだろう」
と言われていた東北地方の海辺の小さな町が、その現代の万里の長城と揶揄された防潮堤で津波を回避することができたのに、少しばかりに似ていた事件だった。

今回の台風21号は前回の20号もそうだが昭和36年の第二室戸台風とほぼ同じルートをたどっており、大阪に最も大きな被害を出すコースでもある。
当時私の父母は堺の団地に住んでいたのだが、
「こんな台風なんかたいしたことはない」
と居間でのんびりしていたところ、突然ガラス窓が木っ端微塵に割れて衣類、その他殆どが飛んでいってしまったのだという。
その恐怖たるや、まだ若かった二人には忘れられないものになってしまった。
このとき私はまだ生まれておらず、まったく知らないのは当然なのだが、父も母もその台風の恐ろしさを今も時々語ることがあるくらいだ。

室戸台風は史上最強の台風で気象台の風速計が振り切れて最大風速が未だ不明の恐ろしい台風でもある。

今回の21号は気圧も低く、最大風速45メートル。瞬間風速は60メートルというのだから、室戸台風といい勝負かもしれない。

やあやあやあ、台風がやってくる。
庭のガラクタをまた紐で縛らなければならない。

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