<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地



今場所、相撲が面白い。
上位の期待力士に軒並み土がつき、思わぬ力士が勝利を収める。
言っちゃ悪いが日本人力士の活躍が最大の魅力。

でも、一人、どうしても言いにくい四股名の人気力士がいる。

若隆景。

もうほんま、舌を噛んでしまいそうで、たまらない。
アナウンサー、毎日が大変だと思う。

あなたはちゃんと彼の名前を言えますか?


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市民マラソンというものを新聞記事やテレビのニュースで見ることがあっても実際に見に行くなんてことは今まで一度もなかった。
大阪マラソン、東京マラソン、地元KIX泉州マラソンと見たことはなかったのだ。

ところが今回仕事で奈良マラソンを取材することになり8日(日曜日)朝から奈良市に出向くことになった。

取材対象は3名のランナー。
もちろん市民だが、1人は結構有名な人で取材しているのは私一人ではなかったと思う。
スタート地点とゴールは奈良市北側の丘陵に位置する鴻池総合運動公園グラウンドで、コースはここから南下して登大路をいったん西に向かい平城宮跡前で折り返して東進。
近鉄奈良駅前を通過して東大寺と春日大社の交差点を南進して天理まで走り再び折り返して戻って来るという進路だ。

この古都奈良を走り抜けるという景観の雅さ。
なんといっても1000年以上もの歴史のある都大路(京都より当然古い)を12000人のマラソンランナーと3000人のハーフマラソンランナーが走るとなると、そこは御堂筋パレードにも劣らない大混雑なのであった。

その群衆といってもいいランナーから3人の特定の人物を探し出すのは容易ではなかった。
カメラを構えて待っていても、

「どれが誰やねん」

という状態で、正直、昼飯食って近鉄電車で大阪に帰りたいと思ったのは言うまでもない。

とはいえ、最近は特定のランナーの位置を地図上に表示のできる応援アプリが存在していて、今回はそのアプリの人位置確認機能に頼ることにしたのだった。

アプリの操作は簡単だ。
アプリをスマホにインストールしてランナーの名前または登録番号を検索すると、今走っている位置が表示される。
刻一刻場所が進んでいるのが手に取るように見えるわけだ。

この機能。
あまり信用してもいけないようで、3人のスタート直後は表示位置と実際の位置が大きくづれていて3人のうちの先頭を走っていたAさんが登大路にささしかかり平城旧跡に向かい始めた頃、実際の位置は鴻池総合運動公園からまだ下山の県道を走っているところで、実際と表示には3〜5分の開きがあった。

このために3人のうち1人の通過を見逃してしまいカメラに納めることができなかった。
もっとも、未だこの地点では凄い群衆で走っているので特定の人を見つけるのはアプリが正常に機能していても難しいことに変わりはない。

「頭にパトランプ付けてもらうしかないな」

と言ったのはFBで写真を見た京都の友人なのであった。

そんなこともあり眼の前を3回通過したものの撮影は完璧に行えず、写っても瞬間的で(動画撮影していた)持ち帰ったデータをコマ送りしてやっとのことで見つけた次第なのであった。

とはいえ奈良マラソン。
極寒の大和の都のスポーツイベントは若草山や大仏殿などを背景になかなか素晴らしい光景の市民マラソンなのであった。


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サイクリングを日常のスポーツにしてから数年が経過した。
自転車を買ってから11年が経過するが、最初の数年は買ってもらっただけでほとんど乗らなかったので数年なのであるが、それは本題とは別。

いつもサイクリングするときに、とりわけ少し長い距離を乗るときにはグーグル・マップでルートと所要時間をあらかじめチェックしてから出発することにしている。
昨日、今年始めた料理教室に参加するため自転車で出かけようとルートをチェック。
料理教室は大阪の上本町にあるので我が自宅からは片道30km。
グーグル・マップによると自転車での所要時間は2時間15分と出た。

時々大阪市内まで自転車で走ることがあるけれども天王寺まで1時間15分で言ったのが最短で、そこから上本町までは地下鉄で2駅(地下鉄の駅は谷町九丁目)なので1kmちょっとしかないから、グーグル・マップの2時間はありあえない。

ということでGoogleマップの所要時間よりどれだけ早く到着できるかに挑戦とあいなった。

で、結果から言うと大阪上本町まで1時間30分。
グーグルの表示時間を遥かに上回り、心の中で完勝!
少し時間がかかってしまったのは昨日は風が強烈で南大阪の我が家からは行きはやや向かい風、帰りは強烈な向かい風で坂道を登っているような感覚のため時間がかかってしまったのであった。
なお、上本町まで1時間30分はJR阪和線の各停と地下鉄を乗り継いで向かったより若干遅い所要時間。
なかなかじゃないか、私。

ということで寒いのに汗だくだくになりながら上本町に到着。
寒くて風が強かったけど天気がいいサイクリングの午前中になったのでありました。


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夏の高校野球。
京都府代表の京都国際高校が韓国の高校であることをなぜかマスメディアはきっちりと報道せず、唯一産経新聞だけが、
「あそこの学校の校歌は日本海のことを東海と歌っているのをNHKが東の海と故意に解説している」
と伝えただけだ。
産経新聞もはっきりと「どこが京都府代表やねん」と伝えればいいものを。

とまあ、高校野球。
昔から言われているけれども各都道府県代表の学校はホントに都道府県の代表なのか?
ただ単に、学校の立地がその都道府県にあるからだけで代表になっているんじゃないか。
中身は全国各地からやってきたその道で優秀な学生による選抜チームではないか。
はっきり言って、各都道府県代表ではなくて日本代表の一つのチームではないか、なんて思ってしまう人は少なくないはずだ。
また京都の学校のように、実は日本の代表ですらないという学校も中にはあるのかもしれない。

私が中高生の頃。
大阪のダントツ人気チームはPL学園なのであった。
私が高校生のときに初優勝を果たしたと思うのだが、以後、桑田、清原を排出し、高校野球の歴史の一時期を盛り上げた存在だった。
でも、自分の周囲を見渡しても、
「誰かお前ンところの中学からPL学園に進学したの誰がおる?」
と訊いても、誰もいなかった。
不思議な学校だった。

上宮高校や浪商、近大附属へ行った同級生はいたけれどもPL学園は一人もいなかったのだ。

PL学園が常勝校になってきていささか鼻につく存在になった頃。
あそこは果たして大阪の代表なのかと疑問符が具体的になりはじめた。
もちろんここの生徒に対する悪意はない。
たまたま大阪芸大に通う大学生だった私は自宅からの途中の山の中にPL学園があって、そこの生徒と自転車ですれ違うと、
「おはようございます!」
「こんにちわ!」
としっかり挨拶するので、良い学校だとさえ感じていたのだ。
でも、何か違う。

そんななかの1982年の夏。
奇跡とも言える代表校が出現。
大阪府立春日丘高校が大阪大会で優勝し甲子園へ出場した。
これにはびっくりした。
偏差値70近くの府立の進学校の野球部が府の頂点にたったわけで、当然この学校となんら関係のない私も周囲もこの学校を応援したことは今も記憶に強く刻まれている。
印象的だったのは私学のような応援団がいなかったことで、急場で作られた応援団は実に高校野球の原型のようで清々しかったのであった。
なお、シンガーソングライターの槇原敬之、コミックシンガーソングライターの嘉門達夫、手品師のゼンジー北京がここの卒業生である。

昨日、大阪の代表校が完封負けを失した。
私は何度かこの学校の隣にある大阪府消防学校へお邪魔をしたことがあり、ここの学校の明るさ、礼儀正しさをかつてのPL学園のそれのように見ることがあった。
なので、いい学校だと思うのだが娘曰くここもまたPL学園と同じように「同級生に誰も進学したものがいない」学校の一つのようだ。

毎年、甲子園の野球球児を見るたびに、
「あんたどこ出身?」
と尋ねたくなる、少しく寂しい感じもある甲子園大会なのだ。


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オリンピック女子ボクシングが違和感ありありだ。
性転換した「パスポートに女と記載されている」生物学的には男が女性としてボクシング競技に出場。
対戦した女性選手は「命の危険を感じた」たとの理由で試合を棄権。

そもそも肉体的に男の性転換者が格闘技で女性と対戦すること自体、科学的におかしいのではないかと思う。
生まれてからずっと男性として骨格や筋肉が形成されたが「心は女」とかの理由で手術をして女性と称している。
LGBTがある種の政治的主張になってしまっており、人間が生物としての本来のあり方をイデオロギーで封じ込めてしまおうという動きには危険性を感じてしまう。
今回のオリンピックパリ大会はそういう奇っ怪な側面が少なくない。

などと小むづかしいことを考えたり、ニュースを見て文句を言ってたら、ボクシングの顛末にカミさんが一言。

「女をバカにしてんちゃうん!?」


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その昔。
ガンジス川でバタフライという映画にもなったノンフィクションの勇気ある作品があった。
あの死体が流れてくる病原菌で汚染された、泥水かなにかわからないもので濁った母なるインドの大河「ガンジス川」で泳いだ日本人女性の話だ。
私はこの本の表紙を書店でみかけたとき、

「汚ったね〜」
「この人は正気ではない。狂っているのだ。」

と声に出してつぶやいてしまったことを鮮明に覚えている。

なんとこのガンジス川でバタフライがフランスで実行された。
フランスなので、そこはガンジス川ではなくセーヌ川。
バタフライではなくオリンピック競技だったのでクロールだったが、やっていることはほとんど変わらぬドブ川の水泳大会なのであった。

このセーヌ川を泳がされた米国の選手はその水を飲み込み競技中に10回ほどゲロを吐いた、ということがニュースに書かれていた。

私は行ったことが無いが、知っている人に訊いてみるとここは決してきれいな川ではないという。
パリ市内の生活排水が流れ込む、いわば下水。
パリ市民の洗い物、食べ残しの汚水はもちろん、う◯こや、お◯っこ、も入り交じる。
そこでネットで調べてみると、かなりのドブ川のようで、例えば大阪の新淀川との清浄度は比べるべきもなく、東京都内を流れる隅田川よりも汚い。
もっといえば大阪の道頓堀川の4〜6倍の汚染度だというのだから、まさしくドブ川。

こういうところでトライアスロンの水泳をさせるのだからフランスの当局は話題作りか画作り以外のなにものでもなく、今回の水泳で感染症的死者でも出たらきっと、

「コロナで死んだんだ」

てなことにして誤魔化すに違いない。

セーヌ川でクロール。
実行した選手たちの違った意味の勇気を称したい。
正露丸飲みや〜。


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始まったばかりのオリンピック2024パリ大会は盛大なセーヌ川の船によるパレードで開幕した。

これってもしかして天神祭のパクリか?

時期も一緒だし、というよりピッタリだし(開会式が大阪天満宮の本宮)、船で流れてくる山車ということではまったく同じ。
しかもなんだか期待した分、失望も多く、思ったほどの綺羅びやかさはなくて、テレビ重視の演出も、天神祭とどこか共通していて、なんだかな〜と思わせる内容なのであった。

雨模様も影響していた。
たぶんそうだろう。
会場での入場行進ではなかったので、行進曲はもちろんないし、歓声も拍手も聞こえない。
ちょっぴり寂寥感が漂っていたような、そんな開幕だったような感じがする。

せめて天神祭よろしく屋台が並び、中之島ならぬシテ島で花火でも打ち上げればもっと盛り上がったかもしれない。
これではオリンピックの開会式を見るより天神祭や隅田川の花火大会のほうが盛り上がってんじゃないかと。
これも自分とこ贔屓かもしれないが、エッフェル塔のライトアップも近ごろの通天閣や東京スカイツリーと比べても、あまり特別感はなかった。

マリー・アントワネットの演出に至っては、女王陛下とジェームズ・ボンドの洒落っ気オープニングビデオの英国と比べてもフランスのセンスはゲゲゲというところだったような気がする。

とはいえ、いつもと違う開会式は歴史に残ったと思う。
印象には残らなかったけど。

金をかけているような感じだが、大丈夫か、パリ大会。


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暴飲暴食をしなくなり、自転車での移動も最初は1ヶ月100kmも走れた!と喜んでいたのが、200kmを越え、300kmを越えると日常的に毎月300kmから500km走るようになった。
おまけに自転車で山も登ってみようと、かつての私なら絶対に考えないことにもチャレンジするようになったので、体重は徐々に、しかし確実に減っていたのであった。

ところが、ここに体重減だけではどうしようもない壁にぶつかった。
壁と言っていいのかどうか。
それはサラリーマン時代に築き上げた肥満体が残した後遺症。
いや。
労災認定していただきたいぐらいの身体的故障なのであった。

それは膝変形関節症なのであった。

ある時。
とある駅のコンコースをあるいていると、なんでもない瞬間に膝が「バキッ!」と音を立てた。
ちょうと指ポキポキの大きな感覚でそれが指ではなく膝で発生した、という感じだった。
その瞬間から膝に鈍痛が走るようになり、スムーズに歩けなくなってしまったのだ。
どこか引っかかる。
上りの階段は問題ないが降りるときに痛みが走り、スムーズに降りられない。
走ることは難しくなり、寝る時に足を伸ばすことさえままならず、また長時間座っていると立ち上がるときに膝が痛む。

なんじゃいこれ?

整形外科で診断してもらうと「変形性膝関節症」で完治させるには人工関節手術以外にないということだが、年齢が若いとおすすめできないそうで、まずは膝の負担軽減のために必要な筋肉のトレーニングだと言われた。

内臓が少々いかれると努力すれば治ることが多いが骨と関節については生半可ではいけないことがわかった。
これは117kgの体重に加えてパソコンや資料を持って歩き回ったための労働災害、と私は勝手に判断することにしたのだが、結局、体重が80kg程度までに収まればこんなことにはならなかったのかもしれないと思い、反省するしかなったのだ。

デブは関節を壊し、内臓を悪化させ、体力も奪うし、暴飲暴食でお金もかかる。
畢竟、国の医療費高騰を招き何にも良いことは無いのかもしれない。



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8年前、117kgあった私の体重は現在78kg。
約40kgの減量に成功したわけだが、そもそもなんで117kgもあったのか。
その原因は仕事によるストレスだ、と私は判断しているのだが、カミさんよると「単に生活が乱れていただけ」の一言で片付けられている。

それでも会社員としてのストレスは大変だったことも事実で、溜まった鬱憤を酒や食欲にまかせていたことは事実でもあり、スポーツなど何にもしていなかったのも事実なのだ。

8年前、退職するまでの数年間。私は出張生活をしていて週に1度が2度、大阪〜東京を往復し、月に何度は仙台へ行き、そして何ヶ月かに1回は福岡に行く、というような塩梅だった。
このため宿泊することも少なくなく、最初は「健康なものを食べよう」と心がけていたものもいつしか吹き飛び、飲む、食う、飲む、食うを繰り返し、やがて0.1トンの大台を越え、関取のような状況に陥ってしまっていたのだ。

しかも出張のためにパソコンと資料を持ち歩くので総重量はたぶん130kgを越えていたはずで、その重量で階段の上り下がり、坂道の上り下り、を繰り返していた。
体重が重いので畢竟、高血圧症でもあった。
ある時、健康診断で血清アミラーゼの数値が300以上に跳ね上がっているのが発見された。
「これは大変だ!」
と言ったのは私ではない。
かかりつけのお医者さんが言ったのであった。

血清アミラーゼの数値が高いと膵臓がんの疑いがあり、もし万一膵臓がんである場合、私の余命はあと何ヶ月という状態になってしまうわけで、やはり「これは大変だ!」なのであった。
結果的に血圧を測ると上が200を越えていて、即薬を飲んで降圧し、翌週だったか再度血液検査をしたところ数値は基準内に戻っていたので一安心した、という事件だった。

退職して自営を始めるとストレスが違った形になった。
ただ退職後に肺がんの疑いをかけられて検査入院したことがきっかけで食事量が激減。
結果的にがんではなく肺炎だったのだが、タバコを吸わない私が肺がんであるはずはないと思ったものの、10日あまりの入院生活が食生活を劇的に改善したという効果があったのは今になって思うと幸運なのであった。

その後、自営を始めた夏に大阪北部地震が発生。
電車が停まり、自動車はやめておいたほうが良いというその日に母の介護の打ち合わせで20kmほど先の病院へ行く必要があり、自転車を利用。
これがきっかけで次第に日常的に長距離を自転車で移動するようになった。
これが検査入院による食生活の改善に続く第二の生活改善につながることになった。

自営のストレスは会社員のストレスとはまた違ったものになった。
ストレスによる暴飲、暴食をしなくなったのだ。

つづく


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知らない間に始まって、知らない間に終わってしまった。

なんのことかというと大相撲5月場所。

「最近相撲、どうなんってんやろね?」
「さあ、みかけへんな〜」
「あれ〜、やっているみたいやで」

というのが我が家の会話。
テレビを付けるとスポーツニュースは大谷翔平をトップに、関西では阪神タイガースがそれに続き、サッカー、全米プロバスケ、卓球などが、それに続き、時間の関係なのか大相撲の結果が放送されるところを見たことがない。
それもNHKのニュースでも見ないときがあるくらいで、一体全体大相撲はどこへ行ってしまったのだろう。

国技、大相撲。

しかしWBCで劇的な内容で優勝してから日本の国技は間違いなく野球になってしまった感がある。
モンゴル力士で上位を占められる大相撲そのものが、報道機関をして魅力に感じられないスポーツになってしまっているのか。

いや、相撲は果たしてスポーツなのか?

テレビやラジオの対応はかなり正直なのかも知れない。


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