<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地



先週発売された週刊新潮2010年2月4日号を読んで私は小さくない衝撃を受けた。

週刊新潮は毎週購読している雑誌で連載されている高山正之のコラム「変見自在」を読むのを楽しみにしている。
辛口正論で一本筋の通った語り口は大いに魅力的。
買い求めるたびに最終ページに掲載されているそのコラムから読みはじめるのだ。
(ちなみに週刊文春は土屋賢二のエッセイから読みはじめる)
今週号はどんなことが書かれているのかと読みはじめると「サイゴンから来た妻と娘」で有名な故近藤紘一の名前が目に飛び込んできた。

サイゴン陥落時、同じ産経新聞記者だった高山正之にサイゴンにいる近藤紘一から「妻と娘を羽田で頼む」という依頼を筆者が受けた、というエピソードから今回のコラムは始まっていた。
私は近藤紘一の著書も大好きで『サイゴンから来た妻と娘」をはじめ、主な著作はほとんど読んでいる。
絶版されている作品はアマゾンや神田神保町の古書店でわざわざ探しだして、買い求めたくらいだ。
それら著作群のなかでも代表作「サイゴンから来た妻と娘」はとりわけ面白く、私のベトナムへの関心もこの作品を読んでから高まったくらいだった。

ところが今回のコラムを読んでいると、この「サイゴン....」の結末は、かなり悲しい物であったことを知った。

近藤紘一はそのエッセイの中で奥さんや娘ミーユンのことをかなりの愛情を込めて書いている。
日本文化の中で大胆に生きる奥さんの話や、日本人化していく娘の話はホノボノとした気分にさせてくれたものだ。
その近藤紘一が愛したベトナム人の奥さんナウ夫人は、近藤の晩年、彼が「より彼女達の済みやすい場所」として移住させたパリでなんとベトナム人の元夫と娘ミーユンの三人で住んでいたというのだ。
しかもこの事実は近藤へは内緒だったのだという。

「気落ちした様子だった」
とコラムには書かれていたが、これが病状悪化の一因になったのか、近藤紘一はパリに赴任することなく不帰の人になってしまった。

もともとコラムはベトナム人の多くがB型肝炎にかかっている、近藤もそれに感染していたのではないかという話と、1980年代にHIVなどの深刻な感染症を、朝日新聞をはじめとする日本の報道は人権などの名のもとに封印し、国民を感染の危機に陥れたという主張なのだった。
が、私にはその主張よりも「サイゴンから来た......」の意外な、そして寂しい結末を知ったことの方が強く印象に残った。

そういえば近藤紘一の遺稿集には若くして亡くなった奥さんへの恋文が収録されている。
もしかすると編者は「サイゴンから...」の結末を知っていて掲載したのかも分からない、と思った。


コメント ( 28 ) | Trackback ( 0 )





十年ほど前、得意先の営業マンと移動していた自動車の中で大阪万博の話から学生運動の話になった。
当時、得意先の営業マンは高校3年生。
私は小学1年生。
学生が大学を占拠し、機動隊と衝突した話に及ぶと,そのデモに参加したという得意先の営業マンは愉快そうにこう言った。

「あれは祭やったからな。面白かった。」

「人が大勢死んだのに『祭』か」
と私は思ったが口には出さなかった。

いわゆる全共闘世代というのは困った人たちの集団だと私は考え続けてきた。
学生時代は大学自治の名のもとにロクに勉強もせず暴力を行使し、長じてからはバブル経済を引き起こし、世界一優れた製造業を3Kと呼んで蔑んで技術力を落とした。
効率的な社会保障番号制度には文句をつけて年金制度を混乱させ、プライバシーは重要とばかりに政治家の不正も暴けぬ個人情報保護法を作り上げ、外交では共産主義の国家を尊敬し自らの国を「遅れている」とウソをついた。

言いたいことは例え内容が間違っていても主張するけれど、その責任は決してとらないという「無責任世代」というのが全共闘世代に持っていた私の印象だ。

産経新聞社から発行された「総括せよ!さらば革命世代」は全共闘世代の今と昔をレポートしたドキュメンタリー。
彼らの40年を新聞記者が代わって総括した内容だ。

この本を読んで、初めて自分と同じ世代の人たちが自分と同じように全共闘世代に不快感を持っていることを知った。
自分たちのとった行動を直視せず、責任もとらない。
人が大勢亡くなったのにも関わらず「祭」と呼ぶそのお下劣さは、現国会におけるその世代に該当する先生方の無責任で幼稚な発言や行動に繋がっている。

本書で目から鱗だったのは全共闘で暴れた連中はほんの一握りのエリートだったこと。
他の多くの同世代人たちは、かなりクールにあの一連の騒動を見つめていたということだった。
そういえば沢木耕太郎も何かのエッセイでキャンパスでピケを張る連中を冷静な目で見つめていたことを書いていた。
東大安田講堂たてこもり、連合赤軍リンチ死事件、よど号事件、浅間山荘。

ともすれば忘れてしまいそうになる「決しては忘れてはならない」1970年前後混乱を呼び起こしてくれる一冊だ。

~「総括せよ!さらば革命的世代 40年前、キャンパスで何があったか」産経新聞社編集~

コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )




1月27日。
アップル社のスティーブ・ジョブズが新しい製品を発表すると予告していた今日。
タブレット型のパソコン「iPad」が発表された。

iPod Touchをそのまま大きくしたようなスタイルで捻りはなかった。

なかったところに「シンプル」なMacデザインが生きていて、なるほどアップル社の製品だということをうならせるものがあった。

そこで一句できました。
「iPod、大きくなったら、iPad」
お粗末。

価格も言うほど高くない。
動画のニュースを見ると、サクサク動いて快適そう。

一般的なMacソフトは使用できないがiPhoneのソフトは利用出来るとのことで、ソフトウェアの本数だけはかなり多いのが特長だ。
ビジネスソフトが専用のiWorkしかないのが玉にキズだ。
だれがどのように使用するのか。
注目されるところだ。

でも、最も注目されるのは年間にどれだけの人たちが、
「ガラス、割っちゃいました。修理してください」
とアップルストアーを訪れるか、なのかも知れない。

ちなみに知人のH君はiPod nanoを過って車で轢いて表示不能にし(でも動いている)、自慢のiPhoneの画面にはヒビが入っている。(でも、なぜか動いている)
彼がiPadを買う日が楽しみだ。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




旅行中に足止めされるということは不安な反面、面白かったりするので一度経験すると、
「なにか起きないかな」
と期待していしまい、普通に旅が終了したりすると
「なんだ、つまんない旅だったな」
となることがある。

南米ペルーのマチュピチュで豪雨のために二千人にも及ぶ観光客が足止めを食っていて、帰って来れなくなっているのだという。
この中には50人ほどの日本人観光客も含まれているということで、あちらに滞在している人たちや家族はさぞかし心配していることだろう。

で、「足止め」の経験は私もいくつか持っている。

最初の足止めは高校一年生の時に大阪から兵庫県の網野というところに海水浴に行った帰り。
集中豪雨のために国鉄播但線が止まってしまい2時間ほど足止め。
夕方に大阪駅に着くはずが、かなり遅い時間になってしまったのを覚えている。

名も知らぬ駅に停車中、何もすることがないので、
「トランプでもするか」
とボロボロのカードを取り出し友人4人とポーカーを始めたのだが、これが盛り上がった。
高校生だからお金は掛けなかったが、確か食べ物を掛けて戦ったと思う。
いつ動き出すのかわからない列車の中で、後にも先にもこれほど面白かったポーカーは未だ経験したことはない。
多分、足止めの雰囲気に魅了されていたのだろう。

でも、経験した足止めの最大のものはミャンマーでの経験だ。

その時、私は鉄道でヤンゴンからマンダレーに向かっていたが、途中「タッコン」という街で12時間も足止めをくったことがある。
これも集中豪雨による足止めだったが、その原因を聞いたときは流石にびっくりしたものだった。

「この先の鉄橋が大雨で流されました」

日本語はもちろん英語も通じない田舎町。
食べ物も持ち合わせが無かったので完全にその土地のものを食べることになったし、外国人慣れしていない子どもたちは面白がって寄ってくるわで、非常に和やかな経験をしたのであった。

幸いなことに通訳兼ガイドさんがいたので事なきを得たものの、もし完全一人旅だったら、と今、考えると、不安を思い出すこともない。
しかし、「足止めをくった」からこそ体験できたことが少なくなかったので、その面白かったという経験の方が記憶の中で先にたつ。

ということで、マチュピチュで足止めされている観光客の皆様。
江戸時代、大雨で足止め食っていた大井川の川渡りでも想像して「足止め」の楽しさを満喫してください。
な~に、会社なんて気にしない。
それくらいでクビにされるようなら、その程度の会社と諦めることです。
なぜなら外国で「足止めくった」という土産話はお客さんへの強力な販促ツールになること、間違いなし!

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




幕末維新というのは政治・経済的に物凄くややこしい時代でたった百年ちょい昔のことなのに学校の授業では習わないことに満ちあふれている。
その「習わないこと」を教えてくれるのが司馬遼太郎や吉村昭の作品を代表とする歴史小説の数々だ。
ただし歴史小説の多くは人や政治に焦点が当てられ「経済」のことについて語られることは殆どない、
それほどこの時代の経済は複雑で専門家でない限り、なかなか素人でもわかるような解説ができないのではないか。
と私のような金銭音痴は考えている。

たぶん今の中学校や高校の授業では国内外における金銀の交換レートの違いによる日本経済の大打撃以外はあまり教えていないのではいだろうか。
かといって幕末維新の経済が重要ではないかといえばそうではなく、当時、幕府も薩長も経済活動を前提に政治紛争を行っており、経済を知らなければ「なぜ」を理解出来ないこともある。

そしてこの時代の経済が現代へと連なっているのだ。

例えば、現在世界中で活躍する有名企業には、この幕末維新に設立されたり、近大企業に変身したところが少なくない。

三井、住友、大丸などの大店から変身を遂げた企業だし、三菱、東芝、資生堂、木村屋といった電気製品や化粧品、食品などで身近な企業もこのころに設立されている。

でもそれらの企業がどのように誕生して進化したかなんていうことは、私企業のことなので学校で習うことはほとんどない。
経済立国、日本の大切な歴史なのに。

そんなこんなで学校教育では明治維新は歴史の"ひと欠け"程度の認識しかもたせておらず、主に虚飾騒然とした大河ドラマで満足しているのが現実だ。

そんななか、面白い小説を発見した。
渡辺房男著「円を創った男 小説大隈重信」。

旧幕時代の"両"の時代がどのように新政府(現政府)の"円”に変わったのかが素人にでもわかるように描かれている。
貨幣制度改革はこうして成された、という小説なのだ。
正直、長い間、江戸時代の貨幣制度がどのように現代の制度に生まれ変わったのか、私は不勉強で知らなかった。

「時代劇では両とか文とかつかっているけど、それってどれくらいの価値があるの」

なんてことを調べようとしても手軽な資料はなかなかない。
ましてや、

「円はどのように誕生して、どのように使われるようになったのか」

なんてことが簡単にわかる書籍など、見たことがなかった。

大隈重信の伝記として、あるいは時代小説としてはイマイチの感がなくもないが、幕末維新期における貨幣制度の変革を知るということについては、本社は他にはなかなか見かけられない良書だと思う。

~「円を創った男 小説大隈重信」渡辺房男著 文春文庫~

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )




1978年に初めて海外旅行をしてから、あちこち外国を訪れたたが、先日もここに記したように日本の航空会社で海外へ行ったのは3年前のシカゴ行きが初めてだった。
日本の航空会社での海外への利用はホントのところはシカゴ行きの数カ月前に大阪から台北までANAのチケットで出かけたのが最初だった。
ところがこのチケットで実際に乗ったのはANAがコードシェアしているエバー航空の運行する飛行機なのであった。

ANAのチケット(マイレージ特典チケットだった)を喜び勇んで予約したら「エバー航空とのシェア便です」と言われて大いに落胆した。
しかもエバー航空の飛行機は私のあまり好きではないエアバス社の飛行機で、外国の航空会社でありながら、なぜかキャラクターがキティーちゃん。
超親日というか、ほとんど日本と兄弟国のような台湾の飛行機なのに、ナビゲーション画面に表示される日本海の名称は「東海」。
ふざけてるのかと憤りを通り越し、あきれ果てたことを覚えている。

結局、日本の航空会社のチケットで日本の飛行機に乗っての初の海外がシカゴだったというわけだ。

このシカゴ行きで、私はひとつの失望を経験することになった。
それは「日本航空の機内食は美味しくなかった」ということだった。

機内食は総じて美味しいと思えないのがいつものこと。
とりわけ不味いのがアメリカのエアライン。それは独自の食文化と呼べるものがないアメリカという国の個性だから仕方がない。
それでもアジアのエアラインは時々美味しいものを出すので、アジアの頂点、日本のエアラインならきっと美味いに違いないと機体に胸膨らませてのシカゴ旅行なのであった。
私はこれまでシンガポール航空の「うな重」、タイ航空の「鯛のクリームソース煮」がちょっと味わえない美味しい機内食として記憶していた。

で、JALで供されたのは洋風の肉料理。
トレイに加熱用の装置がついていたのはシンガポール航空やタイ航空より「おおっ!」と唸らせるものがあった。
ところが肝心の味が「不味い」。
星一徹のように、ちゃぶ台ならぬ座席テーブルをひっくり返したくなるくるらい不味かったのだ。

機内で配られるビールが「ヱビスビール」であるにも関わらず、その豪華なプレミアムビールであるヱビスの味を台無しにしてしまう不味い機内食なのであった。

味は薄いのにインスタントっぽい。
日本の味、というよりもアメリカン。
ちなみに配膳してくれる客室乗務員も日本語片言のタイの人。
もしかしたら貧乏人クラス(エコノミー)の乗客だから、こういう料理が出ていたのか。
それとも北米線だからなのか。

正直「どうなってんの」と思ったものだ。
日航の国際線不信はこの辺にあるのではないか、とも思った。
食べ物の恨みは怖い。

ともかく、日本航空再生には人員整理などの合理化も必要だろうが、機内食の美味しさアップも必要だ。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




日本航空が倒産した。

倒産しても営業を続けられるところが公共交通機関ないいところのかもしれないが、この会社、今後どうなるのか。
私たちの税金の行方が心配されるところだ。

ところで、国を挙げてのJAL再生。
今の新聞報道を見ていると成功するとは到底思えない危うさが突出している。
初めから失敗しているのではないかとの印象さえ与えている。

例えば国鉄が精算されてJRが発足する時、新会社JRは国家の管理下にならなかった。
厳密には大株主は国だったので「管理下ではない」と言えば間違いかもしれないが、国鉄は借金分が別の事業団体に引き継がれJRはまったく別の民間企業としてスタートした。
だからJRになってからは、
「サービスが飛躍的に向上した」
「電車が私鉄よりも綺麗になった」
「乗り心地が良くなった」
「駅ナカができて便利になった」
といったメリットがたくさん現われて、そしてなによりも、
「国に多額の税金を払う優良企業」になった。

民間企業なので当然、役人や政治家先生の無理難題は容易に受け付けられなくなった。

例えば、整備新幹線を建設するからJRが負担しろ、と言われても「採算の合わないものはできません」と突っぱねることができるようになった。
電車の購入も政治献金などの必要性がなくなったので安く購入できるようになった。

これは何はともあれ「民間企業」だからできたことなのだ。

で、日本航空。
なんでも借金は一旦取り消しにするようだが、経営は「国の指導の下に行う」のだという。

ちなみに国家の累積赤字は1000兆円。

赤字を垂れ流し、必要なものと不必要なものを種種選択する能力にも欠け、巨額の赤字でも高額給与にボーナスたんまり頂戴する、というような人たち(こういうのを税金泥棒と昔は呼んだ)が指導する経営が成功すると考えるのは、いかにもナンセンス。

日本航空。

再生はもう失敗しているように見えるのだが、錯覚か。

コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )




なんの因果か、今年はじめての映画が「秘密結社鷹の爪」。
新年早々のアニメ映画は一時間三十分以上にもわたる「フラッシュムービー」映画だったのだ。

時として本編よりも面白いTOHOシネマズのマナーアニメ「鷹の爪」。
ついに映画となって今回で三作目。
これまでの2作品は知っていながらワザワザ劇場にまで足を運ぶ気力はなかったのだが、3作目にしてついに劇場を訪れたというわけだ。
劇場を訪れるきっかけになったは、昨年末にFM大阪で放送された「Saturday Waitting Bar Avanti」。
監督のフロッグマンが出演し、この映画のことを話しているのを聞いてしまったからだ。

予算インジケータだとか、
本格的CGだとか、
スポンサーのことだか、
が、独特の面白さを感じさせて「見に行きたい!」という気分にさせられてしまっていたのだ。

お正月映画第二弾として公開された割に「鷹の爪」はアニメーションとしてはかなりシンプル。
いや、シンプル、というのは正しい表現ではない。
ちゃち、
いや、四コマ風、というのが正しいのかも。

そもそもフラッシュムービーなのだから、映画というよりもインターネットのためのアニメーション。
動きとか芸術性とかいうよりも、この作品の最大の魅力はキャラクターが話すギャグにある。
笑っていいのか悪いのか。
展開されるネタはかなりシュールで面白いのだ。

雑なイラストのように思う作品だが、そのネタは大人でないとわからないモノが少なくない。
政治ネタ、
芸能ネタ、
商業ネタ、
と多岐に渡る。

私の大好きな「いしいひさいち」の四コマ漫画に通じる部分もあったりして、かなり笑えるのだ。

しかしながら、そこはやっぱりフラッシュムービー。
一時間半以上の上映時間は正直かなり疲れてしまう部分があったことも、これまた確かだった・

1800円も払ってみるべき映画なのか、それともDVDになってから見るべき映画なのか。
そのへんは人それぞれに意見が異なるだろう。

ともかく、最後の最後に一万人もの人々が一同に叫ぶとは思わなかった。

「た~か~の~つ~め~」
と。

正直言って面白いけど、見るのはビデオになってからでもいいと思う。
そんな映画なのであった。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




古本バザールで鈴木明著「高砂族に捧げる」というノンフィクションを購入した。
「高砂族」という文字が目にとまり台湾が大のお気に入りの「外国」である私はそのままその本を手に取りレジに足を向けた。

初めて台湾を訪れたのは3年前の2007年。
ちょうど新幹線が板橋を起点に開通してほどなくのことで、私は「あこがれの国」台湾とそこに開通したばかりの日本が誇る新幹線を楽しみに、たった3泊4日の短い旅で訪れたのだった。

新幹線はともかく、台湾のその想像を絶する「外国とは思えない姿」に驚いた。
この国が担ってきた「日本」という遺産の重みをしみじみと感じたのだ。
しみじみと感じるといっても、そこは私のこと。
日本の過去の侵略が残した傷跡、なんて朝日新聞のようなねじ曲がった内容ではない。
よくぞこれだけ古き良き日本の雰囲気と精神面を残してくれていたもんだという感動をしみじみと感じさせてくれる旅だった。

台北の駅前はなんとなく国内で一般的なJRの駅前に似ていた。日本でもお馴染の居酒屋チェーンが看板を出し、百貨店は三越。路地に入るとお好み焼き屋にどら焼、弁当屋を沢山見かけた。
乗り合いバスも右側・左側通行の違いをのぞけばシステムは全く同じ。
食べ物もおいしいし、漢字がちゃんとした字なので迷うことがない。
最も外国を感じさせないものは、どこへ行っても日本語を話せる人が普通にいることで、これには正直びっくりしてしまった。

私は訪台する以前、日本語は山岳の少数原住民族(これが高砂族)と年配者しか話せないのではないかと想像していた。
ところが違った。
普通の若者がごく普通の日本語話すので(もちろん話せない人も多い)外国にいるという感覚をなくしそうになったほどだったのだ。

台湾はそれほど日本にとっては他のどこの国よりも特別な国なのだ。
ただ不孝なことは現代の日本人はそのような意識はほとんど持っておらず、中には「台湾は中国の一部だ」などという誤った認識を持っている人たちさえいる始末だ。

「高砂族に捧げる」は筆者が暖め続けていた台湾原住民に関するレポートを元日本兵中村輝夫氏が発見されたことをきっかけにスタートしたルポルタージュだ。
多くは太平洋戦争に従軍した高砂義勇隊の足跡をたどったレポートになっている。
そこには世間でよく非難されている日本時代の日本人による台湾人への差別や虐待、搾取といったものは書かれていない。
そのような負の遺産はむしろ作り話ではないかと思えるくらい、台湾原住民の日本人に対する感情が愛憎合いまみれていて、読むもの、つまり日本人を考えさせるのだ。

「もっとも記憶に残っているのは基隆でそれまで一緒だった日本人と別れた時のことで..........あの人たちは元気にしているのかな。病気はしていないかな」

という元高砂義勇隊の人たちからのインタビューが私には最も印象的だった。
日本時代の日本人よりも、むしろ1945年8月16日以降現代に至る台湾に対する日本人の態度が不義理でやるせないものに思えてならないからだった。

~「高砂族に捧げる」鈴木明著 中公文庫~


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




もうすぐ1月17日。
阪神大震災が発生した日だ。

あの時もそうだったが地震が発生するとどういうわけか「後出し」預言者が現れて、
「だから私は警告していたのだ」
なんてことを宣って顰蹙を買っている。
阪神大震災の時も災害を予測したという宗教家や科学者が現れた。
ただあまりに巨大な災害だっため、その殆どが無視されたが今回のハイチの地震は発生した場所が発展途上国だったからかどうかは分からないが「預言者」や「科学者」が現れ好き勝手なことを述べている。

アメリカでは有名なテレビ教会の神父のおっさんが「地震が起きたのはハイチの人々が悪魔と契約したからだ」なんて言って物議を醸し出している。
人々が災害に苦しんでいるときに「悪魔と契約して」なんてよく言えたものだ。
被災した人々の不安を煽り、しかもそこに「悪魔」という宗教と密接に関わる想像の産物を登場させるなど、どこかの胡散臭い占い師のオバハンと同じではないか。

また、「この地震は私たちが以前出した論文で警告していたものだ」と宣う科学者も現れた。
知っていたけど黙ってた、みたいな感覚だ。

以前、富士山大噴火で世間を騒がせて静岡県や山梨県に大規模な風評被害をもたらせた人がいたのだが、その人のほうがまだましかも知れない。
起こっていないことに自信をもって「起きる」と宣言する、その勇気は後出し預言者よりはよっぽどマシだといえるだろう。

実際は目くそ鼻くそでどっちもどっち。
人の弱みに付け込んで不安を煽るのはインチキビジネスの常套手段でもある。

それにしても災害を食い扶持にする人のなんて多いことなんだろうか。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )



« 前ページ