<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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歴代最低の視聴率を記録したNHK大河ドラマ「光る君へ」。
貴族の言葉遣いが「武家言葉」ということを書いたけれども、実はそれ以上に気になるのが主人公の まひろ を始めとする一般貴族の「東京弁」。
それも「江戸弁」ではなく現在の一般家庭や学校、会社で使われている言葉遣い。

これではまるでホームドラマ。

これ一つとっても時代物として視聴者である私はとっつきにくくて仕方がない。
舞台はもしかすると実はJR中央線か京王本線の沿線で新宿から30〜40分の住宅地に居を構え、少々生活にゆとりがあって平安衣装に仮装したコスプレ大好き会社員家庭とその仲間の物語かもしれず、そう思ってみると違和感はたちまち解消する。

間違っても「舞台は京都」と思ってはいけないのではないかと思っている。
私には京都人の友人・知人も少なくないが、彼ら、彼女らがどういう感覚でこの時代劇風現代ドラマを見ているのか。
いま少しインタビューをしてみたいところなのだ。


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自民党が派閥政治を廃止するのどうのこうの言っているが、そんなことできるのか。
できないであろう。
それになぜ、派閥が生まれるのか?
その部分からしっかりと考える必要があると思うのに、マスメディアは騒ぐだけ。
そしてまともに考えもしない市井はマスメディアの文言に乗っかって愚痴るだけ。
なんなんだ、というところだ。
問題は派閥にあるのではなくてパーティなどで得た収入をナイショにしていたことであって派閥ではないんじゃないかと思う。

学校でだって腕力のある学生を中心に不良グループが誕生したり、イケメンでスポーツマンの学生を中心にファンクラブができたりするものだ。
人間は社会性を重んじる動物で、その結果、グループができる。
だから屁理屈の大好きな人達(とりわけ政治家、評論家)が集まれば同じ思想の人達がグループを形成し、それが派閥となる。

実は自民党の派閥には大きな意味がある。
それは自民党党内における疑似政党なのだ。
自民党という組織の中に派閥という子政党が存在して、その子政党間で議論されることで国の運営が行われてきた。
だから派閥解消は自民党内で「政党政治は止めまっせ」と言っているのに等しく、これは日本の政治形態からすると著しく負の要素を含んでいるのだ。

よくアメリカの二大政党性といって「見習うべきだ」とおっしゃる人も少なくないが、アメリカの2大政党である共和党と民主党は「国家の利益と自由と安全を守るという大きな目的」を共有し「政権運営するために必要な実務能力」をしっかりと持っている。
2党とも保守政党であることも、日本では忘れられがちだ。

これに対し、日本で国家運営の実務能力を持つのは自民党だけである。
第一野党である立憲民主党の前身の民主党が実務能力が無かったこと、そして彼らの発言内容と面々から今もない、ということは国民が広く理解しているところだ。
ついに第二野党となった日本維新の会は大阪を中心とした関西での政権運営については実務能力が自民党より高いが首都圏を含む他の地域では実務担当できるほどの能力はない。
共産党や社民党、れいわ新選組に至っては「あんたらなんで日本に住んでるの?」というぐらいの存在だ。

畢竟、自民党だけが政権運営の実務ノウハウを蓄積してきたわけで、その中でカンカンガクガクする党員が派閥=子政党を作って党内での政策論議を進めていくのは、当然の成り行きといえる。

ということで、私は自民党の支持者ではないけれども、派閥解体を促進する訳の分からない報道の理由をマスメディアに説明していただきたいと思っている。


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NHK大河ドラマ。
今年はカミさんに無理やり視聴させられて昨日で2回め。
昨年の「どうする家康」は1作目で、
「なんじゃい!このビデオゲームみたいな画面づくりは」
即見る気が失せて以後一回もチャンネルを合わせることがなかった。
今回も同様に失せることになるであろうと見始めたのだが、なぜかカミさんが気に入ってしまい、
「私が見るからあなたも見なさい」
という事になってしまった。
いたってはた迷惑な状況なのである。

で、最近の大河ドラマは見ていると色々と突っ込みたくなるが、今回もそんなところが満載なのだが、その最たるものの一つが、
「話し言葉が江戸時代を舞台にした時代劇と同じぐけ言葉だが、そんなんでいいの?」
というところだ。

「……でござる。」
とか
「かたじけない。」

とか、実にいい加減にしていただきたい言葉が展開されているのだ。
少なくとも本作は日本文学における大衆文学のその祖とも言うべき紫式部が主人公のドラマなのだ。
間違っても「江戸むらさき」ではない。
日本語の言葉遣いぐらいちゃんとしていただきたいぐらいだ。

ドラマの進捗がゆっくりなのも今の時代に少々ミスマッチという感じがしないでもないが、言葉遣いがこれではドラマへの感情移入が非常にやりにくいのだ。
貴族が武家言葉を話すわけがない。

とはいえ、
「……で、おじゃる」
などというと、笑ってしまって、それはそれで大変だ。


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元旦早々、能登半島で大震災が発生した。
10日経った現在でもその全容は不明だ。
ほとんどの道路は寸断されインフラの回復の見込みもたたない。

災害で最も厳しいのは「いつ終わるのかわからない」こと。
30年前の阪神大震災のときも、
「悪い夢を見ているみたい」
「いつ元に戻るんやろ」
というようなことを考えていた。
阪神高速道路は通れない。
一般道は大渋滞。
芦屋や灘区、東灘、長田区は景色が一変。
大阪から神戸までは移動するのに6時間から8時間もかかった。
震災後初めて訪れたのが三宮の得意先。
棚やデスクがひっくり返ったその事務所で一人で片付けをしていた得意先の社長の感情を失った表情は今も記憶に焼き付いている。
地震の前と後では、当事者にとって世界が違うことを生で知ることになった。
それだけに4月になって大阪駅で「姫路行」の新快速電車が走り始めたのを見た時はなんとも言えない感慨が巡ってきて泣きそうになった。
大阪に住んでいて直接被害を受けたわけではないものの、神戸や西宮、芦屋のあの惨状を目の当たりにした感覚は今も消えることはない。

能登半島が実際どうなっているのか、テレビのニュースはどれもこれも同じ地域の同じ箇所をレポートし、似たようなことしか言えていないので、参考にならない。
交通が遮断されているけれども、政府が自治体が、どのような支援や復旧活動をしていて、全国民にどのような協力が必要なのか。
相変わらずきちっと伝えることができていないように見えるのは私だけなのか。

阪神大震災でさえオウム事件以降はあまり伝えられることもなく、関西地方の地域の問題になってしまっていたが、北陸の情勢はマスメディアにとってはもっと地方の出来事なのだろう。


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