<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地



ホントは選挙期間中に書きたかったのだが仕事がやたらといそがしかったことと選挙期間中で神経質な人たちもいると思ったので書かなかったことがある。
このこと書きたくて書きたくて仕方なかったのだ。

それは何かというと、NHKで放送されていた日本共産党の政見放送。

たまたまNHKテレビをつけたときに共産党が自ら制作したという政見放送が流れていた。
何を言っているのかさっぱり忘れてしまったのだが、その忘れてしまった原因がすべてそのセリフに呆気に取られたことにある。
あまりにも衝撃的で「この人ビョーキなんや」と確信してしまうほどのインパクトがあった。

そのセリフが、
「日本共産党は共産主義、社会主義の素晴らしさを伝えます」
なのであった。
たぶん、呆気に取られたのは私だけではないだろう。
多くの有権者も呆気に取られたと思う。
さらにもしかすると日本共産党支持者もかなりの割合で呆気に取られ、その結果として議席が激減(と言ってももともと少ないですけど)することにつながったと考えられる。

日本共産党は日本を中国やロシア、北朝鮮、100歩譲ってベトナムやキューバのような国にしたいと言っていたのだ。

そもそも委員長を選ぶのに選挙を否定して、内部で組織を改めようとした人を粛清したのはつい最近。
確かに習近平率いる中国共産党みたいで政見放送は内容が合致する。

いや〜それにしても見事な共産主義礼賛。
これって民主主義否定なので犯罪とは違うのか。
そういえば政見放送で「民主主義で実現できない.....」とか言ってたことを思い出した。

もう大変な人たちなのだ。


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先週、ついに我が家もNHK朝の連続テレビ小説「おむすび」を離脱した。

このドラマ。
感情移入できない。
ギャルって何。
それがどうした。
というような評価が非常に多いとマスメディアでも報道されており、近年のヒット作連発の朝ドラの傾向からすると類稀なる駄作ということができるのかもしれない。

「エール」あたりから毎回見ていたのだが我慢にも限界というものがあり、仕事も忙しいし、他にも見たい番組(「大富豪同心3」「NCIS」「竹田恒泰チャンネル」など)もあり時間を有効に使う必要性から「おにぎり」に引導を渡した形なのだ。

そもそも現代劇は作りにくい。
主人公にモデルらしき人もいるようだがドラマの時間軸がほぼ現在進行形でもあるので「ドラマ」=「ファンタジー」の理論も成り立ちにくく不利な条件にあるのかもしれないが、それにしてもだ。
もし橋本環奈のファンであれば彼女を姿を見ているだけで満足かもしれないが、こちらとしては宮崎美子のほうが魅力があるように思えるような年代でもあるため、彼女の魅力では非常に不足だ。

ということでネットでテレビを見ることを基本にしている我が家ではNHKプラスで視聴する番組が一つ減ったわけでもある。

なお、「大富豪同心3」や11月初旬に放送が予定されている「ブラタモリ」の新作は非常に楽しみなのでNHKプラスを見なくなることはない。


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そもそもギャルっていうテーマが朝ドラに向いているのかどうか。
ちゃんと検討していなかったのではないか。

なんのことかというとNHK朝ドラ「おむすび」。

人気タレントの橋本環奈を起用したドラマということで鳴り物入りで始まったドラマだが、我が家ではついに先週火曜日を最後に見るのをやめてしまった。
とても見ておれない。
そんな暇はない。
そもそも橋本環奈も賞味期限が少々怪しいのではないか。
などと思えるところがたくさんあるため、15分のドラマも他のドラマやネット配信を見ている方が時間の有効な使い方であるということで見なくなってしまったのであった。

昭和生まれの私とかみさんにとってギャルというのも感情移入できない要素である。
これ。
たぶん30代、40代の視聴者をターゲットにしたのだろうが、ドラマは年代層でターゲットにすると内容がつまらなくなることが多い。
ちょうど「女性のための議員」というのが女性はおろか国家には何の役に立たないばかりか、時として大きな問題を生んでしまう(優生保護法、グレーな売春禁止法など)のによく似ている。
特定のニッチなターゲットに絞ってしまうと大多数のマジョリティなターゲット外をしらけさせる効果がある。

今のところ松平健演じるおじいちゃんがダイエーホークスの熱烈なファンであるということ以外、共感を持って見ることのできる要素はない。

このまま進むのでタイトルを「しんどい」に変えれば納得が行くんじゃないかとおもっている。


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東京オリンピックのあと開催された東京パラリンピック。
いつもと違ったのはテレビ放送が多かったことで、おかげで障害を持つアスリートたちの信じられない素晴らしい競技に魅了され、大いに勇気を与えてもらったことは記憶に新しい。
テニスや水泳、車椅子競技に陸上などなど。
健常者も敵わないその技、パワーに度肝を抜かれて、
「初めてみたけど、凄いね」
とカミさんと話したものなのであった。

翻ってパリパラリンピック。
なんじゃこりゃ?
競技を放送しているのはNHKだけで、それもリアルタイムの深夜枠。
デイタイムの録画放送はほとんどない。
結果をニュースなどで報道しているが肝心の競技は特別でない限り、なかなか見ることはできない。
一方オリンピックの視聴率の取れそうな競技を嬉々として中継して、録画再放送もしていた民放はパラリンピックの放送はなし。
ひな壇タレントの酒場のバカ話はスタイル変えていくつも放送するけど、市井のアスリート、しかもトップアスリートが活躍するパラリンピックは放送しない。

どんな感覚を持ってるんだろう。

呆れ返るのは日本テレビ系で多くの問題を抱えている24時間テレビは放送してパラリンピックは放送しない。
本末転倒だ。
これは24時間テレビなら寄付金を着服して飲み食いができるけどパラリンピックは放送料も安くないし視聴率は難しいそうだし、飲み食いできそうにないからなのか放送しない。

まったくもってメディアの怪なのだ。



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マクドナルドが絶妙なCMを投入。
昭和を知る世代と、知らない世代を同時に驚かせ感動させている。
もちろん私もビックリした。
そして感動した。
音だけ聞いていると紛れもない懐かしのコカ・コーラのCM。
でも画面で流れているのはマクドナルド。
それもビッグマックのCMなのであった。

ビッグマックのセットをコカ・コーラでいただきたくなったのは言うまでもない。
でも私はエグチ、それも倍エグチを2個食べるほうがお気に入りだが、それはまた別。

そもそもこのCM。
友人がFBにアップしたのが知ったきっかけだった。
最近私はテレビはネット配信でほとんどを見ておりCMを見ることが少ない。
このためこんなCMが流されていることを知らず、結局Youtubeで見ることなった。

40年近く前に流されたコカ・コーラのCMソングは爽やかで映像も輝いている。
少しスローモーションにした輝くようなその映像をそのままマクドナルド仕様にしたのが今回のCM。
ファッションやスタイルは2024年の現在そのままにカット割りや構図などは1987年の当時をトレースして瑞々しい水滴に濡れたコーラの瓶の代わりにマクドナルドのカップやバーガーが登場する。
流れている曲では「I feel coke」と歌っているのに画面にはマクドナルド。
それがまったく違和感がない。
もちろん見ている側からするとマクドナルド紙カップにはコークが入っているという感覚だ。

懐かしくて
新鮮で
輝いていて
若さがあふれる

おお、今日はマクドにしよか。
と思わせるCMなのだ。

感性に訴えるCMを久々に見た感じがしたのだった。


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歴代最低の視聴率を記録したNHK大河ドラマ「光る君へ」。
貴族の言葉遣いが「武家言葉」ということを書いたけれども、実はそれ以上に気になるのが主人公の まひろ を始めとする一般貴族の「東京弁」。
それも「江戸弁」ではなく現在の一般家庭や学校、会社で使われている言葉遣い。

これではまるでホームドラマ。

これ一つとっても時代物として視聴者である私はとっつきにくくて仕方がない。
舞台はもしかすると実はJR中央線か京王本線の沿線で新宿から30〜40分の住宅地に居を構え、少々生活にゆとりがあって平安衣装に仮装したコスプレ大好き会社員家庭とその仲間の物語かもしれず、そう思ってみると違和感はたちまち解消する。

間違っても「舞台は京都」と思ってはいけないのではないかと思っている。
私には京都人の友人・知人も少なくないが、彼ら、彼女らがどういう感覚でこの時代劇風現代ドラマを見ているのか。
いま少しインタビューをしてみたいところなのだ。


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NHK大河ドラマ。
今年はカミさんに無理やり視聴させられて昨日で2回め。
昨年の「どうする家康」は1作目で、
「なんじゃい!このビデオゲームみたいな画面づくりは」
即見る気が失せて以後一回もチャンネルを合わせることがなかった。
今回も同様に失せることになるであろうと見始めたのだが、なぜかカミさんが気に入ってしまい、
「私が見るからあなたも見なさい」
という事になってしまった。
いたってはた迷惑な状況なのである。

で、最近の大河ドラマは見ていると色々と突っ込みたくなるが、今回もそんなところが満載なのだが、その最たるものの一つが、
「話し言葉が江戸時代を舞台にした時代劇と同じぐけ言葉だが、そんなんでいいの?」
というところだ。

「……でござる。」
とか
「かたじけない。」

とか、実にいい加減にしていただきたい言葉が展開されているのだ。
少なくとも本作は日本文学における大衆文学のその祖とも言うべき紫式部が主人公のドラマなのだ。
間違っても「江戸むらさき」ではない。
日本語の言葉遣いぐらいちゃんとしていただきたいぐらいだ。

ドラマの進捗がゆっくりなのも今の時代に少々ミスマッチという感じがしないでもないが、言葉遣いがこれではドラマへの感情移入が非常にやりにくいのだ。
貴族が武家言葉を話すわけがない。

とはいえ、
「……で、おじゃる」
などというと、笑ってしまって、それはそれで大変だ。


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訃報の連続は精神にダメージを与えるものがある。
それがいかに芸能関係のものであったも子供の頃から慣れ親しんできた人の訃報である場合、そのショックは小さくない。

谷村新司。
財津一郎。
海を越えてマシュ・ペリー。

一週間ばかりの間にこれだけ多くの著名人が亡くなると自分の年齢も考えてしまうものがある。

中学1年生の時に仲の良かったK君。
非常に穏やかで勉強のできるやつで、勉強のできない私とよく付き合ってくれるなと今になって考えるのだが、ある日彼のお姉ちゃんの話になった。
友達の兄弟姉妹というのは「見てみたい」という欲求に駆られるもので、念のためにどんなお姉ちゃんか訊いてみたのだ。
「うちの姉ちゃん、アリスってバンドが好きでよく神戸行ってるわ」
と弟であるK君は姉の音楽の趣味を話だした。
ニューミュージックブームが到来する直前でアリスなんてグループは聞いたこともないし、まわりに訊いても誰も知らない。
K君のお姉ちゃんぐらいじゃないか、知ってるの?
今で言うインディーズバンドの一種だと思っていた。
その翌々年アリスは一躍有名になり人気番組「ザ・ベストテン」の常連となった。
もちろん、谷村新司を知ったのはこのときなのであった。

財津一郎は幼い頃に見ていたという「てなもんや三度笠」での「非常に厳し〜〜〜いい!」というギャグなどで物心ついたころより記憶に刻まれており、タケモトピアノのCMはどちらかというと意外性はなく、私はNHK水曜時代劇「三屋清左衛門残日録」の奉行役で渋くていい味を出していたところが強烈に印象に残っている。
大阪の芸人さんという感覚だったが、東京で活躍する優れたバイプレーヤーだったわけだ。
なお、「手なもんや三度笠」の内容は稚すぎて記憶になく、当たり前田のクラッカーも未だ食べたことはない。

マシュー・ペリーは米国のシュチュエーションコメディ「フレンズ」の主役の一人。
このフレンズは自分自身と世代が重なることもあり、笑いながらもあるときは大いに共感し、あるときはべそをかき、あるときは染み染みと感傷に浸るという優れた番組だ。
だから54歳でなくなってしまったマシュー・ペリーのことを考えると、他人事ではないような感覚になる。
彼はアルコール中毒やその他の薬物中毒を克服して、先年「フレンズ リユニオン」に出演したばかり。
20年ぶりの新シリーズになるかも、というファンの期待はこれで永遠に叶えられることはなく、非常に残念だ。
もちろん日本でよりも米国でのメディアの扱いが格段に大きく、CNNなんかはイスラエルのニュースよりもトップに扱っていたのが印象的なのであった。

ということで、こんな駄文を書いている間に今度は「朝潮死去」のニュース。
いしいひさいちの漫画にも登場した「アサシオ」もまた、あっちに逝ってしまったのである。


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NHKの朝ドラ「らんまん」を見ていると、一人だけ酷い大根役者がいる。
その大根度は途方もなく雄大だ。
その雄大さは一言セリフを話すとドラマの雰囲気すべてをぶち壊す破壊力を持っている。
まるで絵に描いたようなその技量は大根役者のお手本というべきだろう。

なぜなら、セリフは棒読みで起伏なし。
所作はできておらず、着物も洋服もいっしょこた。
表情は数パターンを使いこなしているものの、数パターンなので往年の英国製SFスパーマリオネーションのサンダーバードの登場人物のような感じでさえある。
そういえば、レディ・ペネロープに似ていないこともない。
でもペネロープの声は黒柳徹子だっただけに演技力は抜群で、
「おじさま」
というその一言だけで、我々昭和な子供たちは、
「おお!英国のお金持ちはこういう話し方をするのか」
と、納得できたものだ。

主役級の配役で大根役者も無いもんだろう。
なんでキャスティングされたんだ?
と何も知らない私がつぶやいていたらカミさんが一言、
「可愛いからやろ」
だと。

古より「美人は3日見たら飽きる」と言われる。
しかし半年も棒読み状態を見続けると、それはある種拷問に等しい。

そういえば、最近セリフが減っているように思えるのは、そういう意見が放送局に寄せられているのかも知れない。


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NHK朝ドラ「らんまん」に広末涼子がカットされずに登場した。
報道によると、
「謹慎後、最初の復帰作」
ということらしいが、これは復帰とか謹慎とかごちゃごちゃ言っているレベルではなくNHKが久々に放った創作者としての一安打ではないか、と私は勝手に思っているのだ。

そもそも犯罪でも起こしたのであれば大きな問題だが、芸能人の不倫なんか仕事の一部のようなものではないか。
私は広末涼子の熱烈なファンではないが、女優やタレントといった芸能人は一般人とは異なることは江戸の昔から日本では知られるところで、不倫、パトロン、同性愛、任侠との付き合いなど、普通だったんじゃないかと思っている。

例えば美空ひばり。
この人のパトロンの一人は某反社会組織の親分だった。
それが原因で晩年はNHKから干されていたのは50代以上の人であればみんな知っている。
それでもあの歌唱力、演技力、スター性がそういう付き合いも相まって磨かれていったことは間違いない。
それを多くの人は楽しんでいるのだから、それがどうしたんだというのが昭和の感覚なのであった。
今になって「素晴らしい人だった」とよくバラエティ番組などで取り上げられるが、あんたたち、あの頃美空ひばりをどう扱っていたの?と誰も訊かないその言論統制が反社会組織よりも私は恐ろしいと思っている。

数多くのヤクザ映画を制作した某映画会社もその筋との付き合いはトップであるほど深かかったと言われており、
「そういう世界との付き合いをさせないように育てよう」
と守られて育ったのは今も時代劇で活躍するスターにはいるくらいだ。

なので不倫でいちいちドラマのシーンをカットしていたら放送するものはなくなってしまうじゃないだろうか。

かつて池波正太郎は鬼平犯科帳の「五月雨」でレギュラーだった伊三次を死なせたときに、
「物語をあそこへ持っていくと、どうしても伊三次は死ななければならなかったのだ。もし、仮に生かすことになると不自然になり、物語は死ぬ」
という意味合いのことを言ったそうだが、「らんまん」のあのシーンで広末涼子扮する母が「不倫したから」カットされたら、「らんまん」が「つまらん」ものになったことは言うまでもない。

朝ドラへの広末シーンのカット回避。
NHK、なかなかやるの。

なお、先日とある官民交流会での高知県の人の一言。
「うちの(高知家の)長女が世間をお騒がせして申し訳ありませんでした。代わりましてお詫びします。」
で済ませてしまったのも南国土佐のねちっこさの無いところだと思い感心した。





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