<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地



駅前に書店がない。
そんな場所が増えている。
私がよく利用する南海高野線・JR阪和線の三国ヶ丘駅には書店がない。
つい数年前までは「天牛堺書店」という地元の書店チェーンがあったが、出版不況の影響をもろに受けたのか倒産してしまった。
暫くの間、その書店が入っていた空きスペースに何ができるのか待っているとドラッグストアがオープンした。
なんじゃそれ。
期待外れ。
まったく嬉しくなかった。

これでは駅なのに雑誌を買うこともできなければ立ち読みしながら電車を待つこともできない。
駅の周辺にも書店はないので、本が欲しければ書店のある駅まで移動するかスマホを使ってネットで購入する必要がある。
本末転倒だ。
そもそも目が悪くて近くのものはよく見えなくなってきており、電子書籍はありえない。
カミさんいわく、それはローガンなのだそうだ。
もちろんヒュー・ジャックマンのことではない。

地方の人にはわからないかもしれないが三国ヶ丘駅は大阪府堺市内でも一位二位を争う乗降客の多い駅で、しぶちんな南海電鉄が客をJRに獲られてはかなわないと各駅停車と準急行しか停車させない駅でもある。
参考に2駅高野山寄りの中百舌鳥駅は御堂筋線との乗換駅だが、ここも同様に急行や特急は通過させる。
そして書店もない。
数年前までTSUTAYAがあったが閉店して今はMacCafeになっている。

このように書店が無くなってくると今も営業を続ける書店はどうやって生き残っているのか。
駅前または駅ナカに書店のある駅はどの程度生き残っているのか。
興味あるところだ。


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ここ数年、毎年ミニトマトを栽培している。
最初は2〜3株をホームセンターで買ってきて上て育てる程度だったのが、会社を退職して自営を始める少し前ぐらいから種から育てるようになって、最近は毎年36株以上のミニトマトを育てるようになった。

その結果、ミニトマトは完全自給できるようになってトマトの類を買い求めることがほとんどなくなってしまったのだ。
それこそ毎年かなりの量を収穫することもができて、多くを冷凍することによりシーズンオフでもトマトに事欠かなくなった。
たった2袋のトマトの種を買い求め、それを植えるだけでビックリするような量が収穫できることに家庭菜園とは言えばかにできないものだと実感している。

で、今年も梅雨前から種を蒔いて育てて順調に大きくなり7月に収穫を始めて、
「今年も大豊作!」
などと喜んでいたら、ちょっといつもと異なる酷暑が始まった。
連日35℃を超える酷暑。
太陽の光は強烈で半袖シャツの露出部分は太陽の光でジリジリと痛いくらいの光量だ。

トマトはもともと太陽の光を受けて真っ赤な実をつける。
だから曇りばかりだと思ったように育たず困ることもあるのだが、これだけ強烈な暑さと光量だとどういうことになるのか。
いつもならまだまだま花が咲いて結実していくのに、今年は足元付近から立ち枯れが始まった。
水を撒いても駄目。
土をかけても駄目。
もしかするとネットを被せて光量を落としてやる必要があるのかもしれないが、家庭菜園でそこまでの設備はいささか無理でもある。

そうこうしているうちに枯れが全体に広がってきて、横で咲いているヒマワリとの対比でなにかこう災害のような様相だ。

暑いこともあり、果物類が高価なこともあり、おやつ感覚でポリポリとミニトマトを食べているという贅沢さも今年は少しセーブする必要がでてきた。

お盆用に植えた花はもっと大変で、7月末には元気だったのが、肝心の今の季節、かなり弱ってしまってお墓に供える花もちょっぴり貧弱になりそう。

ヒマワリをお墓にお供えするかどうか、もっか検討中だ。


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サイクリングを日常のスポーツにしてから数年が経過した。
きっかけは大阪北部地震だったことは度々このブログにも書いている。
あのとき、母の医療相談がなかったら私は家でのほほ〜んとしていただろうが、たまたま20kmほど先の実家近くにある病院へ行かなければならなかったため運休してしまっていた電車に変わって自転車でそこへ向かったのだった。

このサイクリングに目覚めたこともあいまってここんところ走行距離が伸びている。
1ヶ月300km程度だったのが、ここ3ヶ月は500kmほど走っているのだ。
これは何も無理やり走っているのではなく、走っていることに楽しさを覚えた結果なのだ。
走っていると日頃の鬱積が解消されるような感覚がある。
登り坂を上がっている苦しいシュチュエーションでさえ、登り切ったときの快感が忘れられず頑張るようになった。
また仕事のことや私事でも難しい課題があるときは自転車を漕ぎながら考え事をすると何やら解決策を思いつくことも少なくない。
サイクリングは色んな効果があって実にユニークなのだ。

ところで、自転車は道路交通法により車道の路側帯を走ることになっている。
確かにスポーツバイクを漕ぐようになって巡航速度が平均30km/hとなると歩道を走るのは危険だ。
時々お年寄り(本心ではジジイ、ババア)が運転する50ccのバイクがトロトロ走っているのが邪魔で追い抜いたりすることもある。
従ってスポーツバイクは車道を走るのが正解なんだろうな、と妙に関心したりすることもあるのだ。

ところが、最近登場した電動バイクは非常に危険な乗り物という印象をうけてうけている。
というのも、高校生のヤンキーには電動バイクに乗っているものが少なくなく、それらが歩道を爆走しているのを目にすることが非常に多くなってきた。
電動バイクは原付きに該当する乗り物なので歩道を走るのは法令違反なのだが、そんなことは彼らには関係ない。
歩道をスイスイ。
逆走でもスイスイ。
年寄りがいても、子供がいてもお構いなし。

原チャリより質が悪いのはエンジン音がしないことで、仮にも暴走族ならエンジン音を轟かせながらやっていくるのでこっちとしても注意を払うことができる。
ところ電動自転車は音をさせずに忍び寄ってくるので突然遭遇するとびっくりしたりするのだ。
電動自転車はパワーの関係なのかスポーツサイクルほどスピードが出ないものが多いが、それはそれでお年寄りの50ccバイクと同じで走る障害になることも少なくない。

電気自転車の暴走族。
非常に陰鬱な存在だ。



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そういばブログを長いこと書いていないなと思って、先程ログイン。
前回の記事の日付を見たら、なんと5月31日。

驚いたことに1ヶ月間何も書かなかったのだ。

こういうことは初めての出来事なのであった。
というのも今日書かなかったら6月はブログのエントリーが無かったということになり、このブログを書き始めてから初めての経験になるところだったのだ。

今月、つまり6月は様々なことがあった。
3月末で終了したプロジェクトの後処理で4月は終了。
5月は次の従来から携わっているお客さんの開発案件で時間が流れ、今月は新たに始まった映像制作関連の仕事で奈良通いでバタバタなのであった。
で、あれよあれよと言う間に時間が経過。

FBはチャックしたり写真投稿したりしていたものの、ブログのことはすっかり忘れてしまっていたということなのだ。

ということで、梅雨の終盤。
雨も多いのでブログにとりかかることにすっか、というのが7月明日に迎えた現状なのであった。


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昨年春。
かかりつけの病院で血液検査をしたところ、ある数値が良くないことがわかった。
いや、良くないことはずっと前からわかっていたのだが、悪い数値から下がらなくなっていたのだ。
以前は悪くなっても暫くすると良くなっていたのだ。

かかりつけの病院は病床数70床ほどの中規模病院で、外来患者も多く、地域に貢献している病院だ。
なんといっても院長が私の小中学校の同級生なのだ。
子供の頃に一緒に遊んだ仲なのである。
だから安心感がある。
ただし安心感と信頼感は別物であることは注意が必要だ。

主治医は院長ではない。
院長は外科医だ。
外科医が血液検査をするということはあまり聞かないので、当然、私の主治医は内科の先生なのであった。
この先生が血液検査の経過を見てひとこと。

「すぐに精密検査が必要です。これから〇〇病院へ行けますか?」

と言った。
これは私が暇に見えたから「時間がありそうなので病院紹介するね。」という意味ではない。
それだけ急を要するというシチュエーションなのだ。
〇〇病院はこの友人の病院からほど近い場所にあり、大阪南部でも信頼性の高い国立系の病院だ。
バス停にもこの病院の名前がついているぐらい地域では有名な大病院なのだ。
私の父も50代の終わりに心臓カテーテルの手術を受けたことがある。
その病院に早急にアポをとって紹介状持参で診てもらいなさい、というからにはただ事ではないのだろう。
カミさんにその旨メールを打ったところ、すぐに返事が戻ってきた。
その文面を見る限り6年前に肺がんの疑いで入院したときと同等のインパクトでかなりのショックを受けていたのだ。
「保険金が入るかも^^」
などと言うことはまったく書かれていなかった。
最近よく些細な喧嘩をすることがあるが夫婦関係はまだ円満みたいで安心した。

で、〇〇病院へ行くと血液採取が待っていて、CTではなくMRI検査を受けさせられた。
30分以上も「ウィーンウィーン、ガタガタガタ、ウィーン」という喧しいMRI検査を受けさせられたものの結果を知るのは1週間後だという。
MRIの結果はすぐに確認できるのかもしれないが、血液検査は分析に回さねばならないので即結果、というわけにはいかないのだ。

ということで私以上に心配しているカミさんを連れて1週間後訪れると、〇〇病院の担当の先生は悪い部位について懇切丁寧に説明してくれた上に、次の一言を付け加えたのであった。

「お酒、我慢しないといけません。飲んでも一週間にビール1杯程度で。」

いわゆる「ドクターストップ」というやつなのであった。
この一言で私のお酒人生は大きく変わることになった。
というか終焉(今のところ)を迎えることになったのであった。
この一言をカミさんと一緒に聞いたことがお酒終焉の最大の原因であることは間違いない。

この日から、酒を飲まなくなった。
「週一でビール一杯程度なら」
という主治医の一言よりも厳しい体制が取られたのだ。

保管してあった缶ビールと日本酒は料理酒になった。
得意先や知人には「酒飲めないんです」というとどのような噂になるのか心配だったので、とりあえず伏せた。
お中元でもらったビールも当然、料理に使われた。
プレミアムモルツやエビスをいただいたのだが、この少々高級ビールが実は料理の味を著しく高めることはポジティブな副作用として知ることができたのは良かった。
しかし、断酒して最初の3ヶ月のつらいこと。

いい料理が出てくると当然飲みたくなる。
そこを我慢してノンアルで行くので、周りのみんなは「????」となる。
私も飲みたいのだが、そこはぐっと我慢をして「明日、検査なんです」というような嘘をついてかわすことにしたが、周りが楽しそうに飲んでるのは情けないとうかむかつくというか。
そんなこんなで飲み会への出席も断るようになってしまったのであった。

そんなこんなで1年が経過。
半年前の検査では相変わらず数値は芳しくなかったのだが、先月実施した検査で、なんと主治医の先生が、

「数値、まだ高いですけど標準内になりましたね」

と自分のことのように笑顔で診断。
私もカミさんも思わず笑顔。
もう、通常値には戻ることは難しいと言われていただけに驚きでもあった。

「で、お酒は週1ぐらいですか?」
と訊かれたので、
「全然飲んでません」
と答えた。
「そりゃすごい。なかなかできないんですよ。患者さんは。」
「はあ」
「数値がもとに戻ってきたので」
「飲んでもいい?」
「いや、断酒、続けてください。もう飲むのは終わりですね」

断酒の効能。
健康にはいいが、精神的にはかなり厳しいものがあるのも正直なところなのだ。


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自宅のトイレの引き戸が開きにくくなった。
取っ手を引くと重くて「ズズズズズズズ〜」っという音がしていたのだ。
この音は昨年夏ごろより鳴り始め、徐々に悪化をたどってこの夏ぐらいからは、「ギスギスギス、ギス」というように音も変わってきたのだった。

「これは戸車かレールの問題だろう」

と思っていたが口には出さなかった。
もし出したりすると、

「修理して〜」

と家人に言われて面倒くさいDIY作業をしなければならなくなる。
DIYはお父さんの作業なのだ。
したがって、

「掃除したら治るんちゃうん」

とレールに溜まったゴミを原因としていたのだった。
これはある程度的を射ていた。

というのも、昨年暮れに掃除をしたところ、少し動きも音も改善したからだ。
引き戸式の扉はこまめにレールを清掃する必要がある。
しないと動きが悪くなる。
世の中にはこの部分に蝋を塗る人もいるけれども、そこまでする必要は無いと思っている。

で、清掃で直したつもりに自分もなっていたものの、やはり根本的に戸車がいかれていたようで、先月ついに扉がレールから脱線するというトラブルがあり、戸車交換作業をすることになった。
電車の脱線も危険だが、戸車が脱線すると床が傷つき、下手をすると倒れてくることも考えられる。
脱線はいずれにせよ危険だ。

扉を慎重に外して横に倒し、戸車をチェック。
ホコリが随分と溜まっていた。
掃除機と針金で真っ黒になっているホコリを清掃して左右2つの戸車を扉本体から取り外してチェックしたところ、片方の戸車の車輪は難なくコロコロと回るのだが、もう片方が回らない。
何かが噛んでいるようでホコリをとっても動かない。
もしかするとホコリが塊になって車輪と車輪枠の間にはまり込み、動かなくなっているのかもしれない、と思ってゼムクリップを分解した細い針金の先で狭い隙間を突っついてみた。
確かにホコリは入っていたものの、その奥には目視できない金属製の何かがあって分解しない限り確認することも排除することもできないことが明らかになった。
戸車というのは車輪を台車にカシメて固定していることが多く、壊さない限り分解することはできない。
車輪が動かないことを確認するために戸車そのものを破壊しなければならないのであれば、これは修理できないと同意義であり、私はこの時点で、

「馬鹿者!」

とつぶやいていたのであった。

結局、新しい戸車ユニットを買い求めることにして、壊れた戸車の側面に刻印されている品番をインターネットで叩いてみた。
アマゾン、モノタロウ、ミスミ、楽天の4社があれば、いずれかが扱っているだろうと思ったのだ。
ところが、いずれのサイトも扱っていない。
扱っていないのは、作っていたメーカーがすでに倒産して存在せず、したがって小売店が在庫を持っていない限り入手できないことがわかったのだ。

「なんと!」

戸車どころか引き戸そのものを作り直さなければならないのでは、という疑問が沸き起こった。
戸車一つで扉交換とは大げさすぎるではないか。

そもそも我が家は大手ハウスメーカーS社の建物なので、部品ぐらいは系列のメンテナンス会社でなんとかなるんじゃないか、と一瞬考えた。
半年に一回送ってくるユーザー会誌兼カタログなんかに掲載されているのかもわからない。
でもでも、なのであった。

2年前に台風で傷ついた外壁の小さな傷と、換気扇出口の汚れについて、サポートの営業マンに相談したところ、一気に外壁全部の塗替えに発展したことがあり、うかつに相談すると余計なお金がかかりそうに思ったのだ。
戸車修理が引き戸製作になり、引き戸製作が引き戸枠も併せて製作で、さらに発展するとその周辺の壁面と床、壁の改修にと巨大化することも考えられないこともない。
まさか戸車ひとつで建て替えになるとは考えられないが、相手は凄腕営業マンだけに注意が必要だ。

尤も2年前の外壁の塗り替えは正解であった。
保証期間の延長には必要であったし、足場を組んだおかげで屋根瓦の一部が欠損していることもわかった。
放っておくと雨漏りの原因になったとも考えられなくはない。

「これ、割れているのを見たのは初めてです」

と敏腕営業マンのMさんも言っていた。
住宅メーカーは屋根の素材についてもしっかりと開発検証しているので、こんなケースはほとんど見たことがないという。
多分台風で何かが飛んできてぶつかったのだろうが、もしかするとロミュランの宇宙船からのフェーザー攻撃にあったのかもわからず、依然として原因は謎なのであった。
スタートレック・オリジナルシリーズの1シーンで、
「宇宙で最も硬い物質である電磁スクリーンがご覧のように。(バキッと手で割る)粉々です」
というスポックのセリフのシーンを思い出していたのだ。

ともかくそういうこともあり、建て替えを回避するためにも戸車は自分でなんとかしたいと思った。

S社の住宅部品ぐらいホームセンターで売られていないだろうか。
と、私は近所の、といっても自宅から8kmほど先にある超大型ホームセンターを訪れたのだった。
するとやっぱり「Sハウス、Sハイム、Dハウス対応品」などと書かれているユニット型の戸車を発見した。
倒産したメーカーの製品はないものの、その代用になる製品が作られていたのだ。

早速私はそれを買い求めようと陳列から外して価格を見て愕然とした。
なんと1セット1400円弱。
絶句の一言なのであった。
戸車ごときで、信じられない高額だ。
1400円といえば吉野家の牛丼を3杯は食べられる金額である。
はま寿司なら14皿は食べられる高価な価格だ。
いくら円安と物価高とはいえ、この価格は戸車業界の異端児といえよう。
そもそも戸車なんか一個100円から300円ぐらいで、いくら高くても500円ぐらいと思っていた。
ところが回転寿司14皿分となると、もしかするとプラチナでできているのではないかと疑ったぐらいだ。

そもそも今回は動く方の戸車も一緒に交換しようと決意してホームセンターにやってきていた。
なんといっても新築約20年弱。
一度も戸車なんぞ交換したことがない。
したがって両方とも新品にして気持ちよくしようと思っていたのだが、両方のために2つ購入すると2800円もするではないか。
2800円といえばピーチエアのバーゲンチケットで関空から新千歳まで飛んで行ける金額だ。(片道)

そんなこともあって、1個だけ買い求め家に帰って交換したのだ。
結果、引き戸はスムーズに動くようになった。
早く交換すべきなのであった。
早く交換しなかったためにレールに少しばかり傷がつくことになったが、これは交換せずにいるつもりだ。
このレールはハウスメーカーに発注する必要があり建て替えに発展する可能性がある。

ともあれ倒産メーカーの戸車探しは結構大変な作業なのであった。


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ツイッター買収で話題のイーロン・マスク。
そのうちお取り潰しの憂き目に遭うんじゃないかと思っている人は少なくないかもしれない。

というのも前例が日本にあるからだ。

大阪メトロ御堂筋線の淀屋橋駅。
ここ淀屋橋駅の駅名に由来は江戸初期の豪商淀屋。
大阪人だけでなく、少し歴史を聞きかじっている人には周知のことだ。
固有名詞がつけられた地名が大阪は比較的多いが、このように街を代表するような地名になってる人名由来の橋はここが一番大きいかもしれない。

この淀屋は現存していない。
大阪の豪商は今も住友、藤田、鴻池などの財閥系は今も名前こそ変われど活躍中。
でも、淀屋は跡形もない。
どうして無いかと言うと先述のように、驕り高ぶりすぎて潰されたからだ。

この淀屋は18世紀のはじめ日本一の豪商でその資産は現在の価値で200兆円とも言われている。
それだけに屋敷は贅を凝らし、あの時代に全面ガラス板を敷いた水槽があり魚の展示飼育などを行っていたということが文献に残っている。
同じ時代にすでに住友や鴻池も豪商として存在しており、身近なところでは大丸百貨店も心斎橋で呉服商の営業を始めている頃だ。
何をどう振る舞ったのか不明だが、全財産没収という信じられない行政処分でその歴史にピリオドが打たれた。
世間の羨望の的であり、経済力の頂点という存在であってもお上には勝てない。
たとえは悪いが共産世界に暴力団が存在しない理由に似ている。

で、イーロン・マスク。
資産的にはビル・ゲイツやジョブス以上に成功した御仁ではあるものの20世紀の変革のヒーローである二人ほどの魅力がちっともなく、その傲慢で押しの強い、独裁者的感覚には強烈な不快感すら感じてしまう。
これはいったいなんなのか。

近い将来、イーロン・マスクの終焉が淀屋に重なるんじゃないかとニュース報道などを見て感じている次第だ。


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長年使ってきたiMac。
2016年から使っているのでまる6年間使用しているということになる。
会社を辞めて自営をするようになってからは趣味のパソコンという地位から業務用という地位に変わったこともあり、そのiMacはトラブルを恐れてOSのアップデートをせずに使い続けてきたのだ。

アップデートすると発生する主なトラブルは業務に使っているソフトウェアが使えなくなること。
これはとても危険だ。
とりわけ2016年あたりからOSが徐々に32ビットから64ビットに変わりつつあったため、私の愛用している32ビット用ソフトウェアは64ビット環境では使えない。
なのでOSをアップデートすることができなかった。

とはいえ、6年経過。
使っていたソフトも他に同様の機能を持つより優れたソフトウェアの登場もあり出番が少なくなってきた。
必要なのは古いデータを閲覧したり加工するときぐらいで、使用することは月に一度歩かないかの状態になっていた。
さらによく使うようになってきたソフトウェアは買取からサブスクが主流になり、OS環境も64ビットの最新でない動かない、あるいは動きにくいという困ることが出てくるようになった。

そこで先週、いくつかのソフトとの見切りをつけ、OSのアップデートを試みた。
そしたらなんと、最も恐れていたことが発生したのだ。
それは古いソフトウェアが使えなくなったということではない。
使えなくなるのは承知の上でアップデートしたので、その程度ではショックを受けることはない。
で恐れていたトラブルと何かというと、それはシステムの入っているSSDがぶっ飛んだことであった。

最新OSをインストールしたところ、再起動するのに3時間も4時間もかかっているので、
「これはおかしい」
と思った。
で、再起動するのを待ってiMacの画面を観察していると、リンゴマークからアップロードの経過を示すバーグラフになってしばらく進むと、そこでエラーが発生して勝手に再起動。
そしてリンゴマークがついたら、という繰り返しに陥っていたのだった。

大変なことになったと思った。
泡を食ってお出かけ時に使っているMacBook airで対策を検索。
セーフティモードの使用、ディスクユーティリティでの対策など色々試してみたが、結局ダメなのであった。

結局SSDを初期化してOSを再インストールした。
幸いなことに、昨年内蔵HDDの調子がおかしいので外付け起動にしていたことが幸いし、調子の悪い内蔵HDDから必要データをOS再インストールに移行。
なんとか使える状態まで復旧したのだった。

とはいえ1日半の時間が無駄になり、何らの業務をこなすことができず、大変困ったのは言うまでもない。
OSアップデート。
個人事業主には大きな冒険だ。


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自宅をオフィスにして仕事をしている私。
大阪空港でパートをしているカミさん。
駅までの送り迎えは当然私の役目ということになる。
カミさんは早番のときは始発で出勤すると午後夕方での電車で帰ってくる。
最も暑い時間帯だ。
私は車を繰り出し駅まで迎えに行くのだが、昨日ふと気がついたのが「歩きスマホ率」。
駅チカを歩行者に気をつけながら運転していると、どいつもこいつもスマホを見ながら歩いていることに気がついた。
なんだ、なんだ!
という感じだ。

歩道を歩いている者も、路側を歩いているものを、堂々と道のど真ん中を歩いている不貞な輩も、大多数がスマホを見ながら歩いている。

以前、スマホを一生懸命見ながら歩いているヤツの画面が見えたことがあった。
地図でも見ながら歩いているのかと思ったらゲームをしているのだ。
わけがわからない。
歩く時間はゲームの時間か。

正面から近づいてくるものへの配慮はまるでなし。

以前、オーストラリア人の友人が、
「うちの国じゃ車道を歩いていて車に轢かれても文句は言えんよ。なんだい、ここは」
と言っていたことがある。
歩きスマホをしているヤツと車でぶつかっても運転手は無罪ということにすると歩きスマホが無くなるんじゃないか。
そんなこんなを考えてしまった歩きスマホ率8割の光景なのであった。


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リモートワークが珍しくなくなった。
自宅でWEBを通じて仕事をする。
そんなライフスタイルが広がりつつある一方で、昔ながらの業務を続けている会社も少なくはない。

私が5年前まで勤務していた会社が人事異動をさせた。
相変わらずのトップダウンの思いつきで、
「君、東京な」
と行ったのは異動のたった1週間前。
こういう感覚はどこから発生するのか不明だが、社員にも家族があって地域の役割もある。
容易に自宅に戻れない遠方への異動は早めに告知するのがどこの会社でも当たり前。

結局、一族経営だとそういうことになってしまうのか、他人の社員は「モノ」扱いなのか。

それはともかく人事異動にかかる費用は少なくない。
「あなた東京、こちら大阪、そしてあなたは福岡ね」
ということであると引っ越しにかかる費用、現地の居住に要する費用、オフィスの費用、など半端ではない。
確かにその場所に行かないとなかなかできない仕事もあるかもしれないが、例えば出張で賄ったほうが安くつくケースも少なくない。

この事実はコロナ前から指摘する人が少なくなかったのだが、ビデオ会議システムを安価に使えば必要な業務の大半はこなすことができる業種は少なくない。
お客さんとの打ち合わせをWEBで済ませ、最終的に決済をもらう時にリアルに会う。
出向く側からすると膨大な資料を持ち運びする必要はないし、専門スタッフも使いやすくなる。
従ってお客さんの質問に対して即答できる可能性も上がる。

出張費用は少なくて済むし、仕事以外のライフタイムを有意義に使うことも可能だ。
仕事場はオフィスでもいいし、コワーキングスペース、自宅でもいい。

余ったエネルギーは別のことに利用することもできる。
家族と過ごす時間も増えるだろうし、趣味や学習、スポーツに熱を上げることも可能だ。

このようなライフスタイルを実現することの最大の障壁は会社と社員の信頼感のギャップだと私は考えている。
というのも自宅で仕事となると、
「アイツほんとに仕事してんのかよ」
というのが会社の目線になる。
営業成績が悪かったり、処理能力が低くなるとまっさきに疑われるのが「仕事していない」という勘ぐりだ。
最悪は、
「ライバル他社のために働いてるんじゃないか。ヤツは二重スパだ」
となるようなケースだ。

同族経営でトップダウンの性格が強い会社は特にそういう傾向がある。
社員を信頼できないのでしなくてもできるオフィス出勤を義務付ける。
社員も会社を信頼できなくなるので出社だけして仕事をしない。

安易な人事異動は「働き方イノベーション」の逆的性格を帯びているものだと思えてならない。
4月1日につらつらと考える日本の習慣なのである。


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