<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地



ここのところ寒日が続いているとどうしてもラーメンを食べたくなる。
とりわけランチの時には手軽で早く、ボリュームもあるラーメンが選択肢として上がってくる。
ところが最近気になるのが「ラーメンは比較的高価だ」ということだ。
そして「ラーメンの価格は冬型の気圧配置」つまり西高東低だということも。

大阪でラーメンを食べようと思ったら、少なくとも700円は必要だ。
700円というの結構高価だ。
大阪〜奈良間の電車賃分。
牛丼2杯分。
ヴェローチェのブレンドコーヒー3.5杯分。
結構ボリュームのある価格だ。
それも700円のラーメンの場合はチャーシュメンやワンタンメン、担々麺といった特別仕様ではなく標準的なラーメンでしかない。
もちろんライスや餃子はついておらず、替え玉サービスもない。
したがってある程度胃袋を納得させるためには900円程度の出費を覚悟する必要がある。
財布の状態が節約モードの時には昼間っからラーメンに1000円近くも出費するのは躊躇われるので、結局他のメニューを選ぶことになる。
どういうものを選ぶのかというと定食屋の鯖塩定食や鶏南蛮定食を選ぶことになるのだ。
しかも大阪の場合、個人経営の定食屋がリーズナブルなことが多くてワンコインで焼肉定食まで提供するお店があるのだ。
ワンコインと言っても1964年の東京オリンピックで発行された1000円ではない。
500円だ。

これが東京になるとラーメンは比較的安い。
安い上に美味い店も大阪より多いような気がする。
ちなみに不味い店も多いことは間違いない。
とりわけつけ麺で美味しい店はない。
で、私のよく行く新橋駅近辺のラーメン屋の場合、ワンコインで食べられる店がある。
それにワンコインでなくとも700円も出せば替え玉が2回まで無料サービスの店もあるのだ。
安いからといって手抜きはない。
味は濃厚、麺はしっかり。
替え玉も遠慮なくできるので、お腹へのボリューム感も満足させてくれるのだ。
但しつけ麺は麺の味比率が高く、しかも魚介スープだったりすると、
「魚介やったらうどんか蕎麦にせんかい!」
という気持ちにもなり納得できないことがある。
ま、話は戻るが東京の場合つけ麺以外を選択肢として「ラーメンを食べる!」と決意したら他のメニューに心変わりすることは少ない。

ということで、ラーメンの価格。
その適正相場を考えると地域性、店舗数、利用者数など条件が異なり、何が原因で総じて高値推移が続き、しかもなぜ西高東低なのか。
ラーメンは明らかに東京発祥のメニューだからなのか。

原因を調べるとマーケティングとして結構面白いかもしれない。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




電車に乗って座席に座っている人を見ると大半がスマホの画面を見つめている。
音楽を聴いているのかテレビを見ているのかゲームをしているのか。
そのコンテンツの内容はわからないが、ほとんど全員が一心不乱にスマホの画面を見つめる光景は時として異様だ。

これに対して読書をしている人は1割もいるだろうか。
新聞を読んでいる人はもっと少ない。
新聞はネットで。
読書はスマホではきついところもあるので、まだまだ紙の媒体が残っているのだろう。書店や出版社もビジネスが大変やりにくいのは間違いない。

スマホが行き渡り活字を追わず、画面ばかり観ているようになると若者を中心に「活字離れ」が加速していく。
その影響は学力の低下だけはなく、例えばイマジネーションの喚起能力にも問題が生じる。
その結果、ネットでは収集できない書籍からの情報を得るチャンスを逸して学業レベルやビジネスの質にも影響が出て来る。
いくらイノベーションを叫んでもネットで出ている程度の情報しか入手できないということは内容がが薄っぺらくなってしまい、情報の信憑性も怪しく奥行きの浅いアイデアになること、これ間違いない。
これではいけないのだ。

大阪の近畿大学は学生の活字慣れを促すために収蔵書の3割がマンガの図書館を整備するのだという。
マンガから書籍に触れてもらおうという思惑なのだ。
ちなみに近畿大学は決してFランクの大学ではない。
関西では中堅どころの私立大学であり、関東の日本大学と並ぶマンモス大学であり、多数の著名人を輩出し、近年は近大マグロでグルメな人たちを感嘆させ、ビジネス分野では大阪大学を上回る企業との連携研究件数で関西だけではなく日本中からの注目を集めている。
もちろん相撲、野球などのスポーツは学業以上に一流だ。
その近畿大学をして漫画本をスタート地点として学生の活字慣れを促すのだという。

かくいう私も中校生頃までは読書はあまり好きではなかった。
1970年代なのでスマホもパソコンもなかったから、何かを読むとなれば書籍の時代だったわけだが、単に読書するのが面倒で漫画本以外にはとっつきにくい感覚があった。
転機が訪れたのは井上ひさしのコント集を読んでからであった。
当時、井上ひさしが「てんぷくトリオ」向けに執筆したコント集の文庫本があり、これを読んで私の読書遍歴はスタートしたのだ。
マンガではなかったがコントなのであった。

何事も小難しいことを並べて「あれをしよう」「これをしよう」と言われると大抵の人は「そんなことしたくない」「できるかい!」となる。
マンガでの活字慣れ。
時代が時代だけに大学生にもこういう仕組が「読書のきっかけ」として必要なのだと思うと色々考えさせられることが増えてくるのも時代の流れだろうか。


コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )




同じ場所に長く住み続けていると、そこから離れることがなかなか難しくなる。
とりわけ人生の長さに近ければ近いほど、その場所は特別になるのだ。

映画「ニューヨーク 眺めのいい部屋売ります」は一組の老夫婦が若い頃に買ったアパートメントを手放そうとした数週間の物語だ。
夫婦役が変わっている。
夫・モーガン・フリーマン。
妻・ダイアン・キートン。
黒人男性と白人女性の夫婦。
こういう組合せはいないはずがないが、どこか特別なものを感じさせるものがあった。
実際物語の中で幾つかの二人の若い頃の挿入エピソードがあるが、それは白人と黒人の結婚の難しさを謳ったものでもあった。

その周囲の反対を押し切って二人が新居に購入したのが舞台になった「眺めのいい部屋」。
部屋の外には小さなバルコニーがあり、そこからはブルックリン・ブリッジの姿が少しばかり望まれる。
とっても素敵なニューヨークらしいアパートメントなのだ。
二人はここに半世紀住み続けてきたのだが、5階、エレベータなしという環境では、そのうち階段を上がることも困難になるのではないかという老いの不安が二人にその部屋を売り出させる動機となっていたのだ。

この映画を観ていて、これはかなりキツイ物語だなと感じた。
住み慣れた自宅を手放すということは、ただ単にモノとしての家を手放すことではない。
年老いた人たちにとって、そういう住処は自分たちの人生を刻んできたキャンバスのようなものだ。
壁の色。
柱の傷。
窓枠。
そして窓からの眺め。
その一つ一つに人には伝えきることの出来ない思い出があり、思い入れがある。
売ることを考えたキッカケになった5階までの長い階段でさえ半世紀に渡って毎日昇り降りした生活の一部なのだ。

物語が進んでいくに従ってアパート売却の行方が気になってくる。
自分だったらどうだろう?
あの人に売るのか?
それとも。
というようなことを考えながらどんどん引き込まれていく。
そして結論は....。
いかにもアメリカ映画らしい終わり方に少しばかり拍子抜けすることもなくはないが、ニュークを舞台にした映画の雰囲気はウディ・アレンの映画のようで心地良かった。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




相撲は国技である。
私はもしかすると野球のほうが国技ではないかと思う時も無くはないのだが、神代の時代から神様への奉納や祭、イベントなどで再三繰り返されてきた興業物である相撲はやはり日本の国技なのだ。
とはいいながら、ここ19年間もの長きに渡り日本人横綱が一人も排出されることはなかったのは驚きだ。
横綱はほとんどがモンゴル人なのであった。
つまり外国人の相撲取りなのあった。

外国人の相撲取りというと私のような1960年代生まれの者にとってはやはり高見山が思い出される。
ハワイ州出身。
毛深く、愛嬌のある姿。
強いようで強くなく、弱いようで強かった大関で、ハワイ人らしく歌もうまく踊りもうまかった。
「おー!マルハチ♪」
というような、エンタテナーな相撲取りなのであった。
高見山が歌や踊りよりという特技はともかく、多くの相撲ファンに人気があった理由は、やはり控えめな印象が強かったからかもしれない。
日本人は自己主張の強い人は、どちらかというと敬遠したくなるというところがある。

これに対してモンゴル人は困った存在であった。
まず、外国人だが外見が日本人にそっくりである。
これは仕方がない。
我々のようなアジア人の一部を人類学上はモンゴリアンと呼び、生まれた時にケツが青いという共通点もある。
従って普通に見ている分については外国人に見えず、日本人が相撲を取っているという錯覚に陥る。
最新のCGを用いなくても特殊効果が発揮されるというわけだ。
次に、モンゴルの国技も相撲であるという勘違いがある。
これはいわゆるモンゴル相撲と言われるもので、実際は相撲ではなくレスリングではないかと私は思っている。
だが世間一般では「モンゴル相撲」などと呼んでいるために「お、相撲の親戚か?」と一般人を騙すことができる。
で、最も深刻な問題は、モンゴル人は強欲であるということであった。

朝青龍は本性を早い段階で露呈して日本相撲界から追放された。
白鵬は朝青龍とは違うだろうと思っていたが、そんな一般的な日本人の期待を時間の経過とともに徐々に裏切り、今や立派なヒール横綱である。
彼らに共通するのは「金(カネ)」であって「相撲」はそれを得るための手段でしか無い。
横綱になる時に「相撲道に邁進し」などと言ったものがいたようだが、相撲を相撲道と呼ばなければならない「ごまかし」が存在するのが昨今の相撲なのであった。
もちろん相撲も他のプロスポーツと同様に興業物なので「金」が目的であることは間違いないのだが、日本人は「金欲」を露骨に見せることを良しとしない。
従って徐々にではあったが、今は露骨にモンゴル人相撲取りを応援する気にならない人も少なく無いはずだ。

兵庫県芦屋市生まれで栃木県育ちの稀勢の里が横綱に昇進した。
横綱の挨拶に四文字熟語を使わないところにわざとらしさを感じないが、年齢が年齢でもありこれからどれくらい活躍してくれるのか大いに気になるところだ。
平成最後の横綱は日本人で締めくくりたい。
そんな想いも交錯する大相撲のニュースであった。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




「日本は米国にどんどん自動車を送り込んでくるのに、日本市場にはアメリカ車を締め出す構造がある。これは見直しを求めなければいけない。」

と言ったのは1980年代の政治家先生ではない。
先週就任したばかりのトランプ大統領だ。
日本が自国で製造した自動車をわんさか米国に輸出してくるのに、アメ車は日本でちっとも売れない。
日本市場には何らかの構造上の欠陥や米国に対する差別思考がありアメ車を締め出しているに違いないという主張だ。
そのまま聞いているとまるでタイムマシンで過去にタイムスリップしてしまったような錯覚に陥る。
1980年代に問題となった自動車の貿易摩擦を彷彿させる発言だからだ。

そもそもアメ車の売上が日本で振るわないのは日本のユーザーの心を捉える製品を出していないから。
それに尽きる。
米国で売れているからと言って日本へもってきてそのまま売れるわけはなく、そのことについては米国メーカーも十分に経験済みだ。
代表的なのがGMのサターン。
日本車に対抗した独特のデザインとアメ車にしては良好な燃費で1980年代なかば米国内では大ヒット。
それをそのまま日本へ持ち込んだら売れると思ったジェネラルモータース社の目論見は見事にはずれた。
これは新宿本店のコンセプトをそのまま持ち込んだら成功間違いなしと判断してものの見事に大阪で失敗した三越伊勢丹とビジネスモデルと極めて似ている。
日本の消費者が求めるもの。
日本の消費者が持つブランド志向。
イメージ戦略。
どれもこれも成功体験が失敗を導いた決定的な事例なのだ。

かといって外車が売れないかと言えばそんなことはなくヨーロッパ車は街の至る所見かけることができる。
ドイツのメルセデス、BMWは高級車の定番で、排ガスデータ改ざんがあったフォルクスワーゲンも堅調だ。
日産のおかげかも知れないがルノーもよく見るし、フィアットやアウディも少なくない。
外車で見かけないのはアメ車と韓国車ぐらいだ。
韓国車は在日でもない限り誰も買わないがアメ車が売れないのは別の意味があるのだろう。
多分、自動車メーカーもよく知っているはずだ。

ところで、アメ車でも飛ぶように売れているブランドがある。
この点、トランプ大統領は知ってか知らずか言及しなかった。
アメ車ブランド「ハーレーダビットソン」は二輪車の王者だ。
日本国内市場に於いて大型排気量の自動二輪の登録はハーレーがトップ。
私の記憶に間違いが有るかもしれないが、同等排気量の二輪車ではホンダもヤマハも抑えての一位だ。

ハーレーダビットソンは日本の市場にしっかりブランドを根付かせ、価値観を顧客と共有することに成功している。
大型排気量のバイクに乗りたい人はナチスのBMWよりもイージーライダーの自由なハーレーを選ぶ。

アメ車と日本人。
何も血管浮き立たせてぎゃあぎゃあ騒ぐ内容ではない。
イギリスの経済アナリストが「中国は19世紀型国家です」と言っていたが、アメリカのトランプ大統領は20世紀の人なのかも知れない。
21世紀の日本の周りは時代遅れな者たちばかりだ。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )






歴史に大きな転換点が訪れると新しい歴史や文化を肯定するために、それ以前の歴史を全否定しようという習慣が人間にはあるらしい。
例えば歴史教育の中の明治維新。
維新以前の江戸時代は封建時代で自由がなく、民衆は士農工商に差別化され婚姻の自由さえ無かった。
「へー、江戸時代は大変だったんだ。テレビの時代劇は嘘ばっかり」
という具合に1970年代の純真な中学生だった私は大人が教えることを鵜呑みにして江戸時代=暗黒時代と記憶していた。
ところが、テレビの時代劇に嘘っぱちが多いのは致し方がないとして、江戸時代が暗黒時代というのは全くのデタラメであった。それは年齢を重ねるごとにより明確になってきた。
江戸時代。
経済体制は資本主義だ。
この点、今とほとんど変わらない。しかも当時の諸外国と比較しても日本の経済システムはその先端を走っていた。株式、先物、為替制度に至っては、ほとんどすべて他の欧州の先進国と比べても先を行っていた。
身分制度もきついことはきついが歴史の授業で習ったほどガチガチではなかった。
例えば商人が武士になることも少なくなかった。
日本地図を作成した伊能忠敬、米国へ行って帰ってきた元漂流者のジョン万次郎、実家が商家の坂本龍馬。などなど。
意外に柔軟性に富んでいた。
さらに進んでいたのはマスメディア。
かわら版を代表とする当時のメディアは言論統制どこ吹く風。
公儀の監視を尻目に、あの手この手でスキャンダルや政治向きのことを伝えた。
しかも当時から世界的に最も低かった文盲率もあいまって一般平民の子供までかわら版が読めてしまう恐るべき日本なのであった。

そういう意味では第二次世界大戦も同じ。
自由もなければ食べ物も無い。
若い世代は無理やり戦争に駆り出され「国のために、天皇のために」と嘘を言わされ特攻隊に駆り出された。
こういう情報を聞かされた純粋無垢な中学生であればうっかり信じてしまわないとも限らない。
大変な嘘っぱちなのだ。
山本夏彦が「おーい、誰か戦前の東京を知らないか?」の中に書いていたが、例えば食糧事情が極めて悪くなったのは終戦のたったの半年前ぐらいからで、それまでは普通に外食や食べ物があったという。
この証言は偶然にも昭和2年生まれの私の伯父の証言と合致していて、
「戦争中でも堺ではアイスクリームも売っとったし、宿院の○○というお店も普通に営業しとったぞ。」
「へー」
ということで驚くこと仕切り。
学校で教わった暗黒時代は嘘っぱちであることがよくわかった。
ちなみに昭和6年生まれの父は予てから現代の歴史教育は「嘘っぱちだ」と主張していて、「わしも中学生の時は本気でお国のために少年飛行兵になろうとした」と主張していた。
得てして、これは当時の正常な若者の考え方であることを幾つかの書籍で知ることになった。
今回紹介のこの本もしかりだ。

「零戦、かく戦えり!搭乗員たちの証言集」(文春文庫)はまさしく、あの時代を生きた人たちの貴重でリアルな証言集だ。
もちろん現在にはびこる反戦主義と革新思想に染まった歴史教育を一掃してしまいそうなほど核心を捉えた感動の一冊であったことは言うまでもない。
あの時代を生きた当時の若者達はどのように考え、どのように自分の生涯を全うしようとしたのか。
今の時代を生きる私達からは容易に想像することはできない。
当時の生きることへの意味付けは、死と隣り合わせだったからこそ深く、そして力強いのだ。
今や戦争を知る世代は80才を越えた。
私の父でさえ86才だ。
戦争へパイロットとして出生した経験を持つ人は、さらにその上の年令である。
大ヒットした「永遠の零」にしろ、他の著作にしろ、戦後世代が戦争を経験した人から聞き書きして創作した世界である。
本書で語られる一遍一遍は実際にそこを生きた人たちの体験であり、非常に貴重だ。

急げ!本当のことを聴けるのは今しかない。
そういう想いを抱きながら過ぎ去りゆく時の流れに一種の焦りを感じる。
しかしあの人達がいたからこそ今の日本があるのだという感謝の気持ちで読むことのできる重いけれども感動の一冊なのであった。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




ロブ・ライナー監督「アメリカン・プレジデント」は予想に反して結構面白い映画だった。
もちろん「恋人たちの予感」を監督したロブ・ライナーらしい、シャレたアメリカンスタイルの政治ロマンス映画なのであった。
私自身は主役のマイケル・ダグラスとアネット・ベニングよりも脇役で出演してたマイケル・J・フォックスのほうが印象に残っている映画でもあった。

で、「アメリカン・プレジデント」で大統領演じるマイケル・ダグラスは妻に先立たれて一人娘を抱えたシングルファーザーという役回り。
そういう設定でもどこか紳士でいい人で指導力があって頼りになる人という、つまり「アメリカ合衆国大統領」にこういう人がいてくれればという、一つの理想形大統領を体現していたのだ。

翻って現実は。

リアルな大統領にドナルド・トランプが就任した。
マイケル・ダグラスとは正反対の半理想型を体現しているといっていい、リアルな大統領だ。
彼が何をして、何をもたらし、何を実現するのか。

場合によっては将来「アメリカン・プレジデント」を見た人たちは、
「所詮映画は作り話。現実の大統領にこんな紳士はいない」、
と達観するとも限らない。
大統領は金にめざとく下品でブ男で性的倒錯者で、総合するとバカである。

トランプ大統領の今後の活動が大統領像に与える影響は計り知れないといえるだろう。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




先日「中学生のころチキンラーメンを生でボリボリかじって食べた」ということを書いているうちに、そういえばもう一つ普通ではない食べ方を好んでいたものを思い出した。
それは丸美屋の「のりたま」。

子供の頃からふりかけが大好きでおとなになった今も食卓にあると必ず白ご飯にふりかけてしまう。
それも大量に。
ガサガサガサと。
当然のごとくカミさんからは、
「そんなにかけてどうするの!?」
と叱られ袋ごと没収されてしまうので、とてもやるせない気持ちになることがある。

好きなふりかけは「のりたま」「たらこ」そして「カツオ」なのだが、もしその順位を訊かれるとやはりダントツで「のりたま」に軍配があがる。

この「のりたま」。
炊きたての白飯の上にふりかけて食べるのが当然ルールで、十分にうまいのだが、実はそのまま食べても実に美味い。
手のひらにガサガサガサと少量とって仁丹みたいにホイッと口に放り込む。
次の瞬間得も言われぬ香りが口中を漂う。
至福のひとときだ。
この時にツブツブの色の割合で味わいも変わる。
黄色いツブツブが多いとき。
緑色のツブツブが多いとき。
刻み海苔の多いとき。
ごまの多いとき。
などなど。
この中でも私のお気に入りは「黄色いツブツブ」が多いときだ。
黄色いツブツブは卵らしく、これが口の中で溶け、そのほんのりとした甘さがたまらない。

しかしこれはチキンラーメンを生で食べるのに近いものがあり、あまり歓迎できない。
いかにも健康に悪そうだから。

また、「のりたま」はお茶漬けにしても美味しい。
私は酔払らった後にのりたま茶漬けを食べるのが大好きなのだ。
しかしたいていの居酒屋には「のりたま茶漬け」なんてメニューはなく、だいたい鮭茶漬けかたらこ茶漬けといった永谷園の回し者ちゃんかいというメニューしか置いていない。
だがそれが自宅ともなれば、そこは自由。
私は白ご飯に「のりたま」をたっぷりかけて、そこへ熱く濃いお茶をかける。
この時のお茶漬けのお供はよく漬かった白菜の漬物か、小倉塩昆布である。
塩昆布や漬物をチビッとかじって、ガサガサといただくお茶漬けはお茶に溶け出した「のりたま」の成分を相まって得も言えぬ美味しさになる。

他にも「のりたま」が合うのは「日清やきそばUFO」であり、「お好み焼き」である。
もしかすると「たこ焼き」にも合うかもしれないが、迂闊なことにまだ試したことがなかった。

ということで、真似される方はあくまで自己責任でお願い致します。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




近鉄電車で難波から奈良に向かうと奈良の一歩手前「西大寺」駅から新大宮駅まではなかなか素敵な風景が広がる。
見渡す限り広い野原。
その野原の中を幅2メートルほどの道路が格子状に通り、自転車が淡い陽光をキラキラ反射させながら走っている。
電車の線路は、そのど真ん中を突っ切っていく。
車窓の左手には復元された大極殿が。
右手には朱雀門が望まれる。
そう、ここは1200年前まで都だった場所。
平城宮跡なのだ。

この平城宮跡。
つい100年ほど前までは田んぼだったのだという。
誰もここが都の中心地、なんて思わなかった。
たとえ思っていたとしてもあまり考えなかったのかも知れない。
そのためだろうか大阪電気軌道という会社が線路を伏せつした頃に奈良と大阪上本町を結んだ。
今の近鉄奈良線だ。
そして100年後の今。
世界遺産となった平城京の景観を良くするためにその近鉄奈良線を地下に埋めようという計画が持ち上がっている。

なんて、無謀な....。
関西人の私は思わずそう呟いてしまったのだった。

奈良でも京都でも、実は大阪でも同じなのだが、この地域を土木工事掘ったりなんかすると大変なことになる。
何処を掘っても遺跡が出てくるのだ。
したがって当初見込みの工事費は大幅に上昇。
工事期間もズズズと長くなる。

この平城宮跡だった場所の端っこ。
国道24号線と大宮通りが交差する交差点の北東側にスーパーイトーヨーカドー奈良店のある場所が長屋王の邸宅のあった場所で、30年ほど前に多数の木簡が出土して世間を騒がせた。
ここで出てきた木簡などの資料は後日、京都国立博物館で展示されたが内容がビックリ。
誰それさんの勤務評定や、どこそこの国の某さんの納税記録など、実に生生しいことが記されていたのだ。
それを見た私は奈良時代が歴史の一コマではなく現代と同じリアルな世界に一気に変化したのを感じたのだった。

近鉄奈良線の地下化はまさにその邸宅前を掘削する。
何が出てくるか。
大いに楽しみだが、私が生きている間に完成するとは思えないプロジェクトではある。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )






新年早々スーパーマーケットへ行ったときのこと。
インスタントラーメンの山積みコーナーで「酉年記念チキンラーメン」というカップ麺が売られているのが目に飛び込んできた。
チキンラーメン。
もちろん日清の製品。
カップの大きさはBigサイズのカップヌードルとほぼ同じ。

「これは買いや!」

とばかりに3個を買い物かごに投げ入れた。
我が家は3人家族なのだ。

帰宅して早速食べようと蓋をめくると、カップに印刷されているのと同じ「ひよこ絵柄の蒲鉾」と鶏肉がたっぷり入っていた。
沸騰したお湯を注いで待つこと3分。
チキンラーメンの匂いが新春の我が家のリビングルームに広がったのであった。

私は子供の頃からチキンラーメンが好きで、中学生ぐらいのときにはおやつ代わりに袋を開けてお湯もかけずにそのままバリバリ食べたものだ。
「そんな食べ方したらアカン」
と当初は母に叱られたが、食い意地の張ったティーンエイジの男子にはそんなこと通じるわけはなく、相も変わらずバリバリ食べたのだ。
流石に大人になってからはそんな食べ方はしなくなったのだが、インスタントラーメンと言えば日清のチキンラーメンか出前一丁、エースコックのワンタンメンとサッポロ一番塩らーめんが定番の私なのだ。

そんな私に新年のときめきを与えてくれた酉年記念チキンラーメン。
一口食べてからふと考えた。

「このひよこ絵柄の蒲鉾はどうやって作っているのか....」

えべっさんや金太郎飴、ラーメンの鳴門なんかは作り方は分かりやすい。
同じ模様になるように巻いた素材を薄切りしているだけだ。
ところが「ひよこ絵柄の蒲鉾」をぱっと見る限り、そんな簡単な製法で作れるような単純な絵柄ではない。

新年に一つ、製法の謎を与えてくれた日清チキンラーメンなのであった。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )



« 前ページ