数年前、ミャンマーの北部カチン州を訪れた。
国内線のプロペラ機でヤンゴンからへーホー、マンダレーを経由して約3時間。
ミッチーナ空港への着陸態勢に入った機内からの眺めは、他の地方とは一種異なったものがあった。
どういうわけかミャンマーならどこでも見られる金色に輝くパゴダが少ないのだ。
その代わり、十字架の墓標があちこちに散見された。
カチン州の州都ミッチーナは異教の街なのであった。
誰でも知っている通りミャンマーは仏教国で国民の9割は仏教徒と言われている。
これは同じ仏教国のお隣タイ王国よりも多い比率だ。
その仏教国であるはずのミャンマーでもカチン州はキリスト教。
その昔、仏教を信仰していない少数民族を感化するために英国が持ち込んだ植民地化政策の名残なのだ。
「今も宣教師の人たちは『キリスト教に改宗したらヨーロッパへ連れて行ってあげる』と言ってカチン族の人たちをキリスト教にしていっているんです。」
とガイドのTさんは言った。
ミャンマー人のTさんは熱心な仏教徒で、宣教師にいいイメージを持っていない。
空港からタクシーに乗ってミッチーナの街に入ると、やはりそこはミャンマー。
黄金色のパゴタがあちらこちらに見られるが、キリスト教の教会も多い。
中国からの輸入品で賑わう市場の周辺にはパゴダとキリスト教の教会とイスラム教のモスクが通りを挟んで隣接しているところがあり、この地域の複雑さを窺い知ることができた。
ともかく、ややこしいのだ。
こんなところだから争い事は当然起こっていた。
「起こっていた」というように、すでにカチン州での武力衝突は過去のものになっていた。
中央政府である軍事政権とカチン州民族政府は10年ほど前、お互いに話し合いをして妥協点を見出し解決し、平和な状態を作り出していた。
軍事政権もカチン族の自治を認めているようで、それを象徴するような博物館もちゃんとある。
民族の象徴であるトーテンポールのようなオブジェも飾られていた。
ということで、話は現在報道されているミャンマー。
なんでもミャンマー国境からは中央政府と少数民族の衝突で1万人以上がタイに避難。タイ側の国境の街メーソートにもロケット弾が飛んできて負傷者が出ている様子だ。
その負傷者の中に日本のマスコミ関係者も含まれていたものだから、ちょこっとばかし大騒ぎしている。
やれ軍事政権はカレン族を弾圧しだしているとか、ワ族が反旗を翻しただとか、叫んでいるのだ。
まるでカレン州の少数民族やワ族が一方的に弱者の正義で、中央政府である軍事政権が一方的に悪者という定形の図式に落とし込もうとしている。
カレン州の少数民族やワ族が麻薬栽培の重要な役目を担っているということには知ってか知らずかまったく触れようともしないのが、いかがわしい。
報道によると「国境警備隊に入って欲しい」と中央政府が少数民族集団に話した結果、戦闘に発展したという。
私なんかは、こういうケースを聞くと少数民族の方がおかしいんじゃないかと思うだが、マスコミは違うようだ。
国境警備隊に入ること、つまり政府に帰順することは麻薬やその他イリーガルな金儲けができなくなることも意味するのかも知れず、少数民族武装集団はそういう利益を享受することができなくなるので銃を取って戦っているのかもわからない。
しかも軍事政権が言う「国境警備隊に入って欲しい」という姿勢はカチン州の武装勢力と妥協して今の平和をもたらしている方法と同じ。
「もういい加減、喧嘩はやめようや」
という姿勢だと思う。
タイミング的に少数民族武装勢力が発起したタイミングが秀逸で、非難轟々の総選挙の時期に戦闘を始めて難民がでたら、さも、「軍事政権の仕業。人権無視」として報道してもらえるという魂胆なのだろう。
ということで、カレン州にも将来カチン州のように平和が訪れることを期待したい、と希望するのであった、が麻薬が絡んでいる限り、ちと難しいと言わねばなるまい。
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