ミャンマーのマンダレーからバガンまでエヤワディ川を船旅したときに途中の港で10トンの大型トラックが止まっているのを見つけた。
トラックの側面を見ると、
「おいしいお米、栃木米」
と書かれており、
「あれも日本の中古車か」
と、なんとなく感無量になってしまった。
「おお、こんなところにも日本のトラックが第二の人生を送っている」
しみじみ、そう思ったのだった。
ミャンマーでは走っている自動車のほとんどが日本の中古車。
ヤンゴン市内でも路線バスの多くは日本のもので、例えばちょっと大通りを見渡すだけで、元大阪市バス、元南海バス、元神奈川交通、元都バス、元銀バス、元東武バス、などが走っている。
行き先表示板には「新宿」と書かれた上にミャンマー語で行き先が記されているのも当然ながら、車内にも「つぎ止まります」の表示や「〇〇歯科」といった看板もそのままだ。
仏教遺跡で有名な街バガンを自転車で走っていると、先を行くバスの後ろに、
「パルケエスパーニャ、志摩スペイン村」
と広告が書かれており、
「わたしゃ一体どこにいるの?」
という感覚にとらわれることもあった。
バスがそうだから、トラックもそう。
日本で走っていたときの広告や文字は消さずに走っており、日本人がめったに訪れない街でも、「おいしいお米、栃木米」と書かれたトラックが、ミャンマー米を載せて走っているのだ。
そんなことを思い出しながら、先週、東北自動車道を栃木方面から福島県に向かって走った。
天気の良い日で陽気が爽やか。
大阪はもう梅雨間近のジメジメした雰囲気だったので東北地方の涼やかな風は気持よかった。
が、ご他聞に漏れず福島県内に入ると雰囲気はなんとなく一変。
高速道路を走っていると、何度も「ガタン」と段差があって車が揺れる。
阪神大震災後の中国道と同じだった。
郡山市を通って福島市に入るまで、数多くの自衛隊のジープやトラックと行き交った。
それぞれのヘッドには「災害救援」の垂れ幕が取り付けられ、これも16年前の中国道と同じだった。
違うのは原発事故で目には見えないものが空間を通り抜けているということだ。
ある放射線に詳しいお客さんの話によると、福島南部で放射線量は大阪の10倍。
郡山市でその10倍。
福島市に入るとさらにレベルが上がるという。
ホントかどうか分からないが、まるで夢のような状態が続いているわけで、言葉にならない緊張感が漂っていた。
走行中、ふと、車窓を見ると驚いた。
なんと沿道の田圃では田植えが始まっているのだ。
「おお、田植えが。福島県の農家の人達が今年も田植えをしている。」
福島県も米どころ。
この地方のコメも、他の東北地方のコメと同様極めて美味だ。
でも多くの農作物が出荷停止を受けている中で、先の見えない田植えをする農家の人達のことを考えると、思わず話す言葉がなくなってしまったのであった。
これも聞くところによると、米に限らず植物には放射性物質を土壌から浄化する効果を持っているそうで、今年のコメは万一食べられなくても、今年収穫することで土壌洗浄に繋がり、来年はちゃんと食べられるお米ができるとか。
ホントかどうか分からないが、今年収穫されるであろうコメのこともしっかり政府は苦慮すべきと、強く感じたのであった。
やはり、現地に行かなければ見えないこともあるようだ。
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