<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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NHKの朝ドラ「らんまん」を見ていると、一人だけ酷い大根役者がいる。
その大根度は途方もなく雄大だ。
その雄大さは一言セリフを話すとドラマの雰囲気すべてをぶち壊す破壊力を持っている。
まるで絵に描いたようなその技量は大根役者のお手本というべきだろう。

なぜなら、セリフは棒読みで起伏なし。
所作はできておらず、着物も洋服もいっしょこた。
表情は数パターンを使いこなしているものの、数パターンなので往年の英国製SFスパーマリオネーションのサンダーバードの登場人物のような感じでさえある。
そういえば、レディ・ペネロープに似ていないこともない。
でもペネロープの声は黒柳徹子だっただけに演技力は抜群で、
「おじさま」
というその一言だけで、我々昭和な子供たちは、
「おお!英国のお金持ちはこういう話し方をするのか」
と、納得できたものだ。

主役級の配役で大根役者も無いもんだろう。
なんでキャスティングされたんだ?
と何も知らない私がつぶやいていたらカミさんが一言、
「可愛いからやろ」
だと。

古より「美人は3日見たら飽きる」と言われる。
しかし半年も棒読み状態を見続けると、それはある種拷問に等しい。

そういえば、最近セリフが減っているように思えるのは、そういう意見が放送局に寄せられているのかも知れない。


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今月から関西電力、九州電力、中部電力を除く電力会社の電気代が値上がり。
その結果、首都圏と関西での電気代の差が1.5倍に広がって物議をかもしている。
物議を醸している割に怒っている人が少ないのは、もしかしたら料金の支払いを銀行振込にしているので請求書を見るのを忘れているのかも知れない。

それとも東京電力や政府の根回しがあり、いつもはくだらないことで話題を盛り上げるワイドショーでトピックとして取り上げることを禁止しているのかもしれない。
生活にほとんど影響のないマイナンバーカードのエントリーミスでぎゃあぎゃあ騒ぐのに、生活に直接影響のあるトンデモ電気代に騒がないのはきっとそういう暗黙裡の言論統制が効いているからだろう。

その電気代。
どれほど違うかというと日経新聞によると、一般家庭での月間260キロワットの電気代が、首都圏は7890円に対し、関西圏は5236円。
東京ではこの夏うかつにエアコンをつけっぱなしにすることもできない高価格なのだ。

しかし、首都圏はまだいい。
最悪なのは沖縄県。
沖縄電力は同じ電力量で9265円だというので、これでは関西の2倍なのだ。
ファミレスみたいな名前の沖縄県知事は用もないのに中国行って売国行為をしている暇はないのだ。

この金額格差は原子力発電所の稼働の有無の違いでもある。

これは何を意味するのか。
つまり日本のエネルギー行政は原子力発電所の稼働があって初めて成り立つ仕組みになっていて、原発なしでは電気代は高くなるし、発電に化石燃料を使うということは汗水たらして稼いだ貿易益もボッタクリ価格で買わざるを得ず、電気代だけではなくガソリン代や灯油代、果てはそれらを燃料に生産する生鮮食料品まで値上げの影響が出てくるという、なんとも言えない、明確な負の影響が現れているのだ。

巷では電気自動車を持ち上げ、鉄道ではリニア新幹線を持ち上げて、静岡県知事を非難轟々としているのだ。
ところがこの電気自動車もリニア新幹線も電気を使うことこの上なく、原発を動かさない限りにっちもさっちもいかないインフラであることを、これもまた言論統制しているのか指摘してもネットの中だけでテレビや新聞で報道されたり議論されることはほとんどない。

九州に台湾の半導体メーカーだけではなく、日本のメーカーも半導体工場を建設しているのは何も中国が脅威ということだけではなく、九州電力のエリアであれば国際競争できる電気代で製造に多量の電力を必要とするセミコンの生産が可能だからだ。
これが首都圏だととてもじゃないが、採算はあわない。

この電気代は家庭だけではなく工場にも影響している。
首都圏の中小企業はこの電気代の高騰をもろに受け止め世界価格で部品や製品を製造しなければならないのだ。

ただ単に原発反対を唱えるのは簡単だが、そう簡単ではない社会というものが存在し、それを天災やテロから守りながら効果的に利用することも真剣に考えなければならない。

今、おとぎ話ではない現実が電力価格に現れているのだ。


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NHK朝ドラ「らんまん」に広末涼子がカットされずに登場した。
報道によると、
「謹慎後、最初の復帰作」
ということらしいが、これは復帰とか謹慎とかごちゃごちゃ言っているレベルではなくNHKが久々に放った創作者としての一安打ではないか、と私は勝手に思っているのだ。

そもそも犯罪でも起こしたのであれば大きな問題だが、芸能人の不倫なんか仕事の一部のようなものではないか。
私は広末涼子の熱烈なファンではないが、女優やタレントといった芸能人は一般人とは異なることは江戸の昔から日本では知られるところで、不倫、パトロン、同性愛、任侠との付き合いなど、普通だったんじゃないかと思っている。

例えば美空ひばり。
この人のパトロンの一人は某反社会組織の親分だった。
それが原因で晩年はNHKから干されていたのは50代以上の人であればみんな知っている。
それでもあの歌唱力、演技力、スター性がそういう付き合いも相まって磨かれていったことは間違いない。
それを多くの人は楽しんでいるのだから、それがどうしたんだというのが昭和の感覚なのであった。
今になって「素晴らしい人だった」とよくバラエティ番組などで取り上げられるが、あんたたち、あの頃美空ひばりをどう扱っていたの?と誰も訊かないその言論統制が反社会組織よりも私は恐ろしいと思っている。

数多くのヤクザ映画を制作した某映画会社もその筋との付き合いはトップであるほど深かかったと言われており、
「そういう世界との付き合いをさせないように育てよう」
と守られて育ったのは今も時代劇で活躍するスターにはいるくらいだ。

なので不倫でいちいちドラマのシーンをカットしていたら放送するものはなくなってしまうじゃないだろうか。

かつて池波正太郎は鬼平犯科帳の「五月雨」でレギュラーだった伊三次を死なせたときに、
「物語をあそこへ持っていくと、どうしても伊三次は死ななければならなかったのだ。もし、仮に生かすことになると不自然になり、物語は死ぬ」
という意味合いのことを言ったそうだが、「らんまん」のあのシーンで広末涼子扮する母が「不倫したから」カットされたら、「らんまん」が「つまらん」ものになったことは言うまでもない。

朝ドラへの広末シーンのカット回避。
NHK、なかなかやるの。

なお、先日とある官民交流会での高知県の人の一言。
「うちの(高知家の)長女が世間をお騒がせして申し訳ありませんでした。代わりましてお詫びします。」
で済ませてしまったのも南国土佐のねちっこさの無いところだと思い感心した。





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