<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地



南海難波駅を下車すると正面には映画興行発祥の地「南街劇場」。
下りた駅は老舗百貨店高島屋の本店。
そして御堂筋を望んで斜め前には奇抜な建物「新歌舞伎座」。

大阪ミナミの玄関口の景色だった。

南街劇場は数年前に取り壊され、今は東京の百貨店丸井とシネコンのTOHOシネマズが入っている。
高島屋は大型改装増築工事中で、難波シティのロケット広場も無くなった。
そして今月で、「新歌舞伎座」が閉場する。

ま、時代の流れといってしまえばそれまでだが、大阪のシンボルがまたひとつ姿を消すわけで寂しくないといえばウソになる。

この新歌舞伎座、私にとってはほとんど縁のないところだった。
学生時代にアルバイトニュースに大道具係のアルバイト募集が掲載されたので応募したら、
「あんた芸大生やけど身体、大きいからな」
というわけの分からない理由で不採用になった。

普段は演歌系や高級大衆演芸系の芸人さんのワンマンショーが主体のこの劇場。
10代、20代の私にはまったく興味を惹く劇場ではなかった。
だいたい1970年代後半の男子高校生が杉良太郎や舟木一夫、中条きよしなんかのワンマンショーを見に行くことは考えられない。
毎度劇場前に長蛇の列を作っている中高年の主にオバハンの行列を眺めては、
「何がおもろいねん」
と考えること頻りなのであった。

劇場前で弁当の配布をしているのも印象的なのであった。
これは文楽や歌舞伎といった日本の伝統演劇の観劇スタイルを踏襲したものに違いないのだろうが、こっちはバリバリの戦後生まれだったので、
「なんで弁当食いながら芝居を観るの?」
という疑問の方が強かったのだ。

とはいえ、やはり大阪のランドマーク「新歌舞伎座」。
オバハンの行列や、どろどろした演歌の公演、昔テレビに出ていた芸人さん達のビッグなショーに目が引かれないことはなかった。
その新歌舞伎座が6月一杯で幕を閉じる。
つまりあと二日。
劇場は全てがリニューアルされて上本町に引越をする。

なんといっても新歌舞伎座裏にはオカマのバーも少なくないというから、オバハンの行列に苦情が出たとは思えない。
単なる時代の流れなのだろうが、ここがパチンコ屋になることだけはやめて欲しいと思うのであった。

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大学を卒業し、社会人になったばかりの頃。
つまり1980年代の半ばのこと、建築設備関係の会社で働いていた私は毎朝現場で実施される朝礼の後に必ず現場近所の喫茶店に行くのが日課になっていた。
つまり朝の早くからサボっていたわけだが、これは私の責任ではない。
いつも行動を共にしていた私の上司の習慣に私が巻き込まれていただけで、それが感染してしまったのは私の責任ではある。
加えて私は朝のコーヒータイム以外に、午後のコーヒータイムを楽しむようになり毎日一日に二回は喫茶店に足を運ぶようになった。
午前午後、都合1時間は「休憩」という名のサボリをしていたというわけだ。

この頃の喫茶店は新聞や雑誌を置いてあり、テーブルにつくとウエートレスやおばちゃん、おっちゃんなどの店員が注文を取りに来てくれるような場所であった。
コーヒー一杯は郊外なら250円、大阪市内や神戸市内なら270円から300円、京都なら300円から350円というところだった。

このオーソドックスな喫茶店がいつの間にやら姿を消してしまった。
それに代わって登場したのがセルフサービス式の「カフェ」。
喫茶店とは呼ばずに「カフェ」と呼ばれる店が街に溢れるようになった。

ドトール、スタバ、タリーズ、サンマルク、カフェデクレア、プロント、エクセルシオールなどなど。

厳選されたコーヒーを自分スタイルでおしゃれに、そしてリーズナブルに提供するのがこれらのお店の共通点でだが、雑誌や新聞を置いている店は少ないし、春夏の高校野球を観ることのできる場所は、まずない。

このカフェビジネス。
市場規模2兆円とも言われるこの恐るべきビッグ市場なのだそうだが、これをレポートしたのが高井尚之著「日本カフェ興亡記」。
東京、大阪、名古屋のカフェ文化、そしてドトールとスタバを代表として、そのビジネススタイルを経済的、文化的な視野からとらえている目から鱗的情報に溢れているノンフィクションだ。

実際、この本を読むまでプロントがサントリーとUCCがほぼ折半で出資しているカフェチェーンであることなど知らなかったし、コーヒー一杯のびっくりするような原価も知ることはなかった。
さらに、この市場の一割がドトールとスタバで占有されていることも知らなかったし、私にとっては新しいはずのこのカフェ市場が、今、マクドナルドやモス、ミスドなどの進出により急速に変化を始めていることにも気がつかなかった。
つまりカフェとファーストフードの垣根が無くなってきているというのだ。

本書を読むと、コーヒーを楽しむ感覚も、別の意味で深みを増す。
なかなか面白い、あっという間に読み終えた一冊なのであった。

~「日本カフェ興亡記」高井尚之著 日本経済新聞刊~

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ベトナムのサイゴン(ホーチミン市)を訪れたい。
そんな思いを私に抱かせたのは近藤紘一の「サイゴンから来た妻と娘」(文春文庫)を読んだからだった。
一度ベトナム南部の空気を直に体験したい。

私が小学生だった頃。
世界中の注目を集めていた戦争が合った。
アメリカ社会に深刻な問題をもたらしたベトナム戦争。
その戦跡を訪れてみたい、と私は思ったのだった。

なぜなら、私は小学生ながら見聞きし、後に新聞やテレビ、時に映画で再三にわたって伝えられていたベトナム戦争への印象が、近藤紘一の著作から受けた印象とあまりに異なっていたからだった。
新聞テレビで伝えられるただ残虐な戦争という報道。
近藤が著作の中で伝える、生活感溢れる人々と戦争。
なぜ、こうも違うのか。

訪れて、「なぜ」の理由がなんとなくわかった。
日本の新聞やテレビのほとんど全てが風聞でベトナムを伝えていた。
それに対して近藤紘一は現地で、その場の空気で呼吸しながらベトナム戦争とその国の人々を著していたからだった。
この違いは天と地の違いほどあった。

先月で休刊したオピニオン雑誌の雄、「諸君!」の冒頭のコラム「紳士と淑女」は同誌における最大の魅力だった。
この冒頭のコラムを読むことにより読者は日頃世間に渦巻き胸に支えているモヤモヤや理不尽感を吹き飛ばすことができたのだ。
その「紳士と淑女」の著者は長年匿名になっていたが、最終号で徳岡孝夫であることが明かされた。

元毎日新聞記者の徳岡孝夫。
私はアルビントフラーの「第三の波」でのみ少しだけ接していたようだったが、その名はまったく知らなかった。
知らないうちに「紳士と淑女」の一本筋の通った文章に魅了されていたというわけだ。

この徳岡孝夫氏もまた、数少ないベトナム従軍日本人記者なのであった。

その著書「民主主義を疑え!」は、現在巷に溢れている「ある種の正論」が、まったくもってナンセンスきわまりないものであることを論破している。
例えば、NHKは民主主義のまったく存在しない中国の「人民大会議」を「日本の国会にあたるものです」と平気で報道し、某新聞で韓国の従軍慰安婦問題の日本側証人として紹介された元兵士が「これがその時書いた記録です」と見せたメモが現代仮名遣いであったこと、そしてテト功戦を前線で取材し、「解放」を叫ぶ北ベトナム軍の攻撃から列を為して着の身着のまま逃げ出していたのは解放されるはずの乏しい人々だった「現実」を日本に伝えるとべ平連と称しベトナム戦争を平和な日本の茶の間から一方的に批判してきた小田某、などなど。

本書は現代日本のねじ曲がった現実のひとつとつとして、次の日本を建設する世代の人々に「だまされるな」と呼びかけている、と私には思える。
ともかくその筆致は「紳士と淑女」と同様に明快であり、痛快でもある。
胸のスカッとするコラム集だ。

~「民主主義を疑え!」徳岡孝夫著 新潮社~

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海は広いな大きいな

エレベータで地下へ。
そして海の中のトンネルをくぐります。

巨大な江戸時代の廻船の復元船がドシンと座っています。

床にはドームの光と影が........


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大阪のベイエリア南港にある「大阪市立なにわの海の時空館」へ行ってきた。

結論から述べると、実に大阪らしい「おもろい」博物館なのであった。
どのように「おもろい」かというと、まるで「大阪喜劇の中」を見学しているような「おもろさ」を持っている博物館であった。

そのネタは、博物館に数人の「江戸時代の格好」をした説明員(学芸員なのか、アルバイトなのか、役者の卵なのか、本当の役者なのかはわからなかった、が)がまるで漫才のように展示ブース各所に突然現れ、

「この水門はですな、堂島の.......ですねん」
「ほー、堂島にこんなもんがなんでありますねん」

と言う具合に解説を始めてくれるのだ。

ただ単に江戸時代のコスプレをして生で解説するだけであれば、どこにでもありそうなテーマパーク式博物館、ということで完結してしまうのだが、そこは大阪。
そう簡単に終わらない。

「で、ここで荷物を降ろして蔵屋敷に運ぶんですわ」
と普通に説明をしているところに、見ているこどもなんかも大阪のガキなので、ただ黙って見ていることはなく、

「おっちゃん、髭のおっちゃん。(あごのホクロを指差して)それ、鼻クソなん?」

と突然突っ込むと、

説明員A「鼻くそちゃうって。ホ、ク、ロ」
子供  「絶対鼻クソや。鼻くそジジイ」
説明員B「堂島と関係ないこと言われてますな。」
説明員A「まともな質問できんのですか。」
子供  「まともって、なに?」

てなことに発展していくのだ。
しかも、そんなアホなやりとりも、ちゃんと勉強になっていくようで、最後は説明員とガキどもの会話のキャッチボールの果てにちゃんと堂島の蔵屋敷の話は完結し、見ているこっちも「芸州広島藩の蔵屋敷」を手本に江戸時代の物の流れを学習できているのだ。

この博物館。
もともとは1997年に試験航海をした江戸時代の復元船をメイン展示として江戸時代の海運を中心に世界の海の歴史を語っている全国でも珍しい博物館のようだ。
考えてみれば江戸時代、大阪は経済の中心地であるとともに海運業の中心でもあったわけだ。

さらにここは建物が変わってる。
ガラス張りのドーム型をいしていて海に浮かんでいるのだ。
エントランスは陸部にあり、地下に下りてから海底トンネルを歩いてくぐり、博物館に入る構造になっている。
実にモダンで美しい。

近くには大阪市立の野鳥園などもあり、大阪港トンネルをくぐると一駅で天保山に行けるなかなか良いロケーション。

海遊館。
サントリーミュージアム。
インテックス大阪。
アジア太平洋トレードセンター。
などなど。

家族連れが十分以上に楽しめる場所なのであった。

でも、大阪らしい江戸時代漫才をリアルに楽しめるのはここだけだ。

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気がつくと、走っている電車はほぼ全列車が冷房機が付いた車両になった。

今から30年ほど前は冷房車が半分ぐらいしかなく、高校からの下向の時、今度来る電車が冷房車かそうでないかは結構重要な問題なのであった。
今やバンコクやヤンゴンやシンガポールと暑い国ばかりを旅行している私ではあるが、高校生の一番元気な年代の頃は暑さにめっぽう弱く、夏場の暑い盛りは冷房車に乗れることはある意味、砂漠でオアシスを見つけたのと同じような意味を持っていたのだった。

大学を卒業する頃、上京したら東京の地下鉄に冷房車がほとんどないので意味のない優越感に浸ったこともあった。
大阪市営の地下鉄はかなり早い時期にかなりの車両が冷房化されていたのであった。

地下鉄の冷房はバンコクやシンガポールのそれも同じだが強烈に冷やしている。
これは乗車時間が短く、その間に「涼しい~~~」と感じさせなければならないから、冷房温度の設定を低くしているのだろう。
しかしこの寒いほど冷やしている列車で私は「これは困った」と思ったことはない。
バンコクのスカイトレインなんぞは冷え性の人は凍死するのではないかと思えるぐらい冷房が効いているが、私はあの超ひんやした感覚と、プラスチックの「ちめた~い」椅子がクソ熱い国では何よりなのだ。

ところで、今日、南海電車に乗っていると冷房が入っているのだがまったく冷えていないことに気がついた。

その時私は連結の扉の横に立っていてつり革につかまっていた。
いつものように読書をしながらじっとしていたのだが、汗がジワーとしみ出てくるぐらい、暑いのだ。

「冷房スイッチ切っとんな」

と思って天井のクーラーに耳をそばだてると「うぃいいいいいいん」という音が鳴っている。

汗は次第に大粒になって滴り落ちはじめ私の足下を濡らしていった。
こんな思いをしたことはない。
「南海電車は何をやっとんじゃ」
と日頃の不満をぶちまけたくなったが、そんなこと公衆の面前でできるわけもなく、ひたすら耐えたのであった。

よくよく見ると私の乗っていた車両は、どうやら昭和40年代に作られた車両らしいのだ。
これって、ボロ電車ということではないのか。

冷房が効かないのは、ボロだからか、それとも南海電車だからか。
じっくりと考察する必要があるように感じられる、通勤電車なのであった。


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明日は我が身。

自動車生産数がついに世界一になったトヨタ自動車はGMの破産申請を深刻な表情で受け止めている、というようなニュースが流れるたびに、ではどうしてトヨタは生き残れていてGMは破産申請をしなければならないような状況に陥ったのか。
興味は尽きない。

ただ産業愛国心著しく、
「JAPAN as NUMBER ONE!」
と叫んでいる人は極めておめでたいと言わなければならないだろう。

トヨタ自動車はあれだけ巨大な企業でありながら閉鎖性が強く、企業の内部情報の漏洩歯止めに関しては他社を寄せ付けない凄みがあるのだという。
その凄みある情報統制のため、実は昨年の今ごろからトヨタはグループ企業、下請け孫請けを含め以下のような通達を出していたのだという。

「自動車が売れなくなってくる時期が間近に迫っており、設備投資や額の大きな新規購入は徹底して控えるように」

というものだ。

この「売れなくなる時期」をどのように推測したのか、経済にあまり明るくない私は良くわからないが、この考え方は的中し、今世界は(とりわけ名古屋は)未曾有の不況に陥っている。
トヨタも予想通り巨額の赤字を出している。

PHP研究所刊「GMの言い分」は、GeneralMotorsが破産申請し、国営化される数カ月前までを追っかけた「旬な」ノンフィクションだ。

正直、GMが品質面や開発力において「トヨタはもはや脅威ではない」というレベルまで到達していたらしい事実にはビックリした。
世界を制覇した「カンバン方式」を生み出したトヨタは、20世紀から21世紀にかけて日本の、いや世界の製造業の基本を作り出した創造主でもある。
1980年代以降、日本車の品質は他国のそれを凌駕しており、「故障しない自動車」として脅威の目で見られていた。
その鼻高々な高品質の日本車を横目に見ながら、アメリカン車は絶滅の危機に瀕していく。
しかし、実際は日本のメーカーではなかなか取り組めない、様々な技術を開発し、トヨタに学んだクオリティコントロールで世界市場へ再度羽ばたこうとしていた。
まさに、その離陸を開始したその時に、リーマンショックの直撃をくらってあえない最期を迎えた、というのが今回の真相のようだ。

本書ではGMとトヨタとの比較が随所に描かれており、日本人読者としても興味深い内容に仕上がっている。
なかでも開発技術面やアメリカ国内でのマーケティング力でトヨタを蹴散らかす寸前であったことが、筆者がアメリカ人であることを考慮に入れても面白く描かれており、ビジネス書としてスリリングだ。

とりわけトヨタの病的ともいえるぐらいに日本の以外に開発部門を出さないという今のやり方と、世界中に開発拠点を持ち、それぞれの地域性に合わせた開発能力を持つGMのやり方が、どう戦っていくのか考えさせるところが面白い。
そして、それは間違いなくこれからのチャンピオンを決定させる大きな要素であるという印象を与えてくれたのだった。

自動車業界のみならず、各国の製造業への考え方や技術者、労働者、セールス、経営者の考え方を知ることのできるのが本書の最も面白い部分なのであった。

~「GMの言い分」ウィリアム・J・ホルスタイン 著、 グリーン裕美訳 PHP研究所~

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呪縛が、取れた。

日本でスター・トレック放送が始まってから今年でちょうど40年。
関西テレビの深夜番組として放送されていた「宇宙大作戦」を初めて見てからも30年以上が経過した。
その間、星の数ほどの映画やアニメ、テレビシリーズが製作されたが、どれもこれもオリジナルシリーズを踏襲したものばかりだった。
踏襲したものばかりと言っても、優秀なものもありそれはそれで結構なのだが、駄作もあるので差し引きゼロといったところか。

このスター・トレックにはトレッキーと呼ばれるコアなファンが取り憑いているので、なかなか本筋を変えることができないというのが現実だった。

このため大胆なアレンジがなかなか取れなかった。

例えば007シリーズのように主役の俳優を変えるということはできなかったし、いくつかの物語のように過去に作られた作品を現代向けにアレンジして作ることもできなかった。

J.J.エイブラムスが監督した新作「スター・トレック」は従来の形に束縛されない、それでいて本質を失っていない非常に優れたSFアクション映画に仕上げられていたのであった。
その手法はきっと「スパイ大作戦」を「M:I:3」に作り替えたその手法と同じなのだろう。

キャラクター名と基本的な姿はそのままに、若い俳優達がそれぞれのキャラクターを演じていて、新鮮で「宇宙大作戦」を知らない観客でも楽しむことができる内容になっていたのであった。

カークを演じたクリス・パインはやんちゃそうなのが魅力。
スポックを演じたザッカリー・クイントはニモイのそれを踏襲しつつも生き生きとしたところが印象的。
チェコフのアントン・イェルチンのロシア訛りの英語は笑えるし、ウーラのゾーイ・サルダナは現代的なセクシー女優なのであった。
中でも私はカール・アーバン演じる船医のマッコイに強い親しみを感じたが、それはなぜかと説明するとかなり長くなるので割愛するが、ともかく、まるで、お祭りのような楽しさがあった。

ところで、今回のスター・トレックを見ていて「新・明日に向って撃て」という映画を思い出した。
これは1979年に公開された「明日に向って撃て」の続編だった。
続編といっても「続き」の話ではなくブッチとサンダンスの若き日を描いた映画だった。
映画そのものは少しく話題にはなったが評価はあまり高くなかった。
しかし、ポール・ニューマンが演じたブッチをトム・ベレンジャーが演じ、ロバート・レッドフォードが演じたサンダンスをウィリアム・カットが演じたが、それぞれがやがて映画「プラトーン」やテレビシリーズ「アメリカンヒーロー」で人気者になったことを考えると、若き日のカークやスポックを描いた今回の映画に出演した俳優達も、やがてトップスターの仲間入りをすのだろうと、つらつら考えたのであった。

~「スター・トレック」(2009年作)パラマウント映画~

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関空発豪行きエアバス、出火で緊急着陸…けが人なし(読売新聞) - goo ニュース

大阪からシドニーへ向っていた空飛ぶ乗り合いバス「ジェットスター」のA330-200で小火が発生。
場所はなんとコクピット。
慌てたクルーはグァム島に緊急着陸した。
乗客はグァム島でアメリカ合衆国に入国し、豪州からの迎えの便を待つのだという。

これって、
「オーストラリアに行く筈だったのに、グァム島にも寄れてラッキー」
と思うか、
「冗談じゃない、死ぬかも知れないところだっんだぞ」
と怒りを発するか、乗客の性格の分かれるところだ。

私なら、時間に余裕のある場合は前者だろうし、時間に余裕がなければ、
「すいません。飛行機にトラブルがあって暫く帰れません。」
と会社に電話して、ゆ~~~~~くりとリゾートを楽しむことだろう。

それにしてもA330-200。
この機種なんか問題があるのかも知れない。

先週、大西洋上で行方不明になったエールフランスの旅客機もA330-200。
破片が発見されているので落っこちたことは間違いないが、その原因は未だ不明。
もしかすると、今回と同じくコクピットで火災でも発生して消火できずに墜落したのかもわからない。

今回はグァムのような着陸することのでき飛行場があったから良かったものの、これがエールフランスの事故のように大西洋の真ん中であったり、ハワイ便のように太平洋の真ん中だったらどうなったか分からない。

「電気系統に異常」
エールフランスのA330は最後にそう連絡してきて消息を絶った。
火災で電気系統がイカレタのか。
なんにしても不気味だ。

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モスのモーニングを食べた。
「ボロニアソーセージエッグロール」
はっきり言って、美味い。

朝出勤が早かったり、朝から客先やいつもと違う遠方の拠点へ出勤すると、朝どうしても現地のカフェで休憩してから仕事にかかりたくなる。
そこで、良く立ち寄るのがモーニングセットを扱っている喫茶店。
続いてマクドナルドだ。

先日、朝早く阪急電車の河原町駅を下車するとお腹が「ぐ~~~」と鳴った。

「マクドでもいこけ」
と心の中で呟き高島屋横の階段を上がってマクドナルドへ向う途中、モスバーガーを発見。

「モーニングメニュー」と書かれたイーゼルが置かれていて、その中のボロニアソーセージエッグロールというサンドイッチが美味そうに見えたのだ。
価格は390円で、マクドの朝マックと同じくらいだ。

で、一度チャレンジしなければと食べてみたら美味かったというわけなのだ。

今度はモスを最初に探すようになるかも知れない。
と、思ったのであった。

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