<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地



メル・ブルックスが監督したコメディ「ヤング・フランケンシュタイン」の予告編を見た私は、そのモノクロのおどろおどろさにビビってしまい、映画館に本編を見に行くことが無かった。
当時は気の弱い小学生だったのだ。
その臆病な決断がやがて間違いであったことがわかったのはテレビの洋画劇場でこの作品を見た時なのだった。

脚本は良く出来ているし、見せ場は多いし、ジーン・ハックマンがノンクレジットでカメオ出演しているし、何よりも日本語吹き替えが秀逸であった。
主演のフランケンシュタイン博士をジーン・ワイルダー。
その声を広川太一郎。
助演のせむし男にマーティ・フェルドマン。
その声は熊倉一雄。
この二人の掛け合いの面白いこと。
最初から最後まで目が釘付けにされたのは言うまでもない。

やがて私はジーン・ワイルダーのファンとなり、彼の作品を数多く鑑賞することになった。

アーサー・ヒラー監督でコリン・ヒギンズ脚本の「大陸横断超特急」。
この作品も吹き替えは広川太一郎。
相棒はマーティ・フェルドマンではなくリチャード・プライヤーだったが、脚本が秀逸で目茶苦茶面白かった。
次にジーン・ワイルダー自身が監督・主演した「シャーロック・ホームズの弟の冒険」。
これはヤング・フランケンシュタインの面々が出演していたのだが、吹き替えも広川太一郎と熊倉一雄。
英国ビクトリア女王の吹き替えを淀川長治。
絶妙なのであった。
学生時代も終わりの頃に鑑賞した「ウーマン・イン・レッド」は傑作中の傑作でストーリーは良く出来ているし、当時ワイルダーのカミさんだったギルダ・ラドナーが面白く、何度も劇場へ足を運んだ映画だった。
もちろん映画からヒットしたスティービー・ワンダーの名曲も忘れがたい。

意外なところでワイルダーの姿を目撃したのはウォーレン・ベイティーとフェイ・ダナウェイが主演したニューシネマの金字塔「俺達に明日はない」のチョイ役であった。
この映画は大阪西梅田にあった大毎名画座という二番館で鑑賞したのだったが、まさかジーン・ワイルダーやジーン・ハックマンがでているとは思わず、彼らの姿を見てビックリした。
ビックリというのは正しくない。
感動したのであった。

そのジーン・ワイルダーが29日に亡くなった。
享年83才。
晩年はアルツハイマー病になって映画やテレビからは遠ざかっていたようだ。
これででまた一人、大好きな俳優さんが逝ってしまった。
寂しいばかりなのだ。

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寄る年波のせいなのか。
最近、歌の歌詞が聞き取りにくいことが多い。
何を言っているのかさっぱりわからないのだ。

明日の閉会式で終了するオリンピック。
NHKのオリンピック中継のテーマソングだという安室奈美恵の「HERO」という歌も最後までさっぱり聞き取ることができなかった。
「ひ〜〜〜〜〜〜ろ〜〜〜〜〜〜」
と言っているところは「HERO」なんだろうな、と、なんとなくわかるのだが、それ以外の歌詞の聞き取りが出来ない。
番組やネットでは「いい曲だ」というようなコメントで溢れているのだが、そんなにいい曲なのか。
好みの問題もあるのだろうが、聞き取れない曲なのでいいとも思えない。

同じ題名の曲であれば、私の世代では甲斐バンドの「HERO」か、嘉門達夫の「HERO」だ。
この2曲であれば歌詞も知っているし、聞取りは問題ないと思う。
尤も甲斐バンドの「HERO」はCMソングだったことを無視するとしてオリンピックのテーマとして使えないことはないが、嘉門達夫の「HERO」は、
「ウルトラマ〜ンは全部で8兄弟、しまいにゃ母や叔父までででてきた♪」というような歌詞なのでオリンピック向きではない。
従って新曲が必要なのであったのだろう。

この聞き取れないのはカミさんも同様で、
「なんて歌ってんやろ?」
と言っていたので、少々私よりも若い年代層でも聞き取りが難しいらしい。

そうこう思っていたら高校生の娘を塾に迎えに行って帰る途中、ラジオから流れてきた昔のフォークソング「風のささやかなこの人生」を聴いていた娘が一言、
「歌詞の聞き取れる歌って、ええなぁ~」
と呟いた。

もしかすると最近の歌は最近の若者にも聞き取れないんじゃないかと思ったりしたのであった。


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先日何気なく実家でNHKテレビを見ていると、
「伝七捕物帳」
の予告編が流れた。
伝七捕物帳.....?
なんじゃそれ?今どき。

むかしむかし。
高校から帰ると夕方はテレビの再放送タイムだった。
帰宅後開口一番、
「おなかへった、なにかない?」
と私。
「今作ってるから、腹減った腹減ったって言えへんの!男やろ!」
と言うおふくろが家事をしながら見ていたのが伝七捕物帳。

主演は中村梅之助なのであった。
「遠山の金さんやん」
と私が言うと、本当に伝七捕物帳には中村梅之助が一人二役で金さんを演じていたのであった。
なんとも不思議なドラマなのだったが、当時の私は時代劇にはさほど興味はなくこのドラマの場合は「お決まりのエンディング」だけが楽しみなのであった。

そして時間は流れた。

35年の歳月が経過して民放からNHKへ。
NHKで時代劇「伝七捕物帳」を見る時代がやってきたのだ。
しかも新作。
新作とはいえ、放送開始から時間が経過していたことと自宅ではテレビ放送を見る環境が無いのでユーチューブで「伝七捕物帳」を鑑賞することになった。
これがかなり良かったのだ。

主演は中村梅雀。
声が梅之助とまったく同じ。
画面を見ずに音だけ聞いていると梅之助版の新作ではないかと勘違いするほどよく似ている。
遠山の金さんは新さんなのであった。
つまり徳田新之助こと暴れん坊松平健が演じていたのであった。
松平健は朝日放送の番組で遠山金四郎を演じたことがあるそうで、これまたマニアにはたまらないものがある。
伝七の女房がこれまた良い。
田中美佐子。
私はファンというほどではないが田中美佐子はお気に入りの女優さんである。
若いころからあの笑顔には私をホッとさせるところがあるのだ。

ストーリーといい雰囲気といい、梅雀の父中村梅之助版に勝るとも劣らない出来の時代劇だった。
横で一緒に見ていたカミさんも食い入るようにパソコン画面を見つめつつ、最後は涙。
まるで吉右衛門版鬼平犯科帳の感動物を見ているような雰囲気に包まれたのであった。

ただひとつ。
文句を付けたいところがある。
というのがエンディングの歌。
ももいろクローバーが歌うアイドル歌謡が時代劇のそれとマッチせず、強烈な違和感を感じた。
現代少女アイドルグループによくある下手さ加減といい、時代劇とは思えない調べの音楽といい、なぜこのグループでこの歌なのか大いに疑問になった。
「なんなん、これ?」
と鼻をすすりながら泣いていたカミさんも歌が始まると怪訝な顔をして疑問符いっぱい。
最後のところが昔の伝七捕物帳と大きく違ったところなのであった。

とは言え、製作を見ると今回のシリーズはNHKの単独製作ではなく、かつて民放で放送していたユニオン映画も加わっていた。
なるほど、昔の雰囲気を持ちながら梅雀を起用することで昔のファンと新しいファンの両方を魅了する。
脇もベテラン俳優陣でしっかり固めて、その出来栄えは大河ドラマ以上といったところか。

今年で中村吉右衛門版鬼平犯科帳が製作を終了する。
これは本格時代劇が無くなってしまう危機だなと思っていたら、意外な新シリーズの登場で今後の展開が楽しみになってくる時代劇ドラマなのであった。

ということで、ここで〆ねば。
よよよい、よよよい、よよよいな、めでてーな。

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日頃信じている科学知識なんてものは、あまり正確ではないことが少なくない。
勝手な思い込み。
テレビのSFドラマの見過ぎ。
単なる勘違い。
など様々だ。

時々こどもに、
「ねえ、○○って何?」
などと訊ねられると大人としてのプライドが作動して知りもしないのにいい加減なことを答えてしまいそうになることがある。
事実、私も娘が小学生の時はある程度想像で答えることも少なくなかったのだが、それが中学生になり、今のように高校生になるとそういうインチキは通用しないので分からないことははっきりと分からない、と答えることにしている。
尤も、高校生の学ぶ化学や物理というものは非常に難しく、学生時代が遥か彼方の自分の歴史の一部になってしまっている現在、その質問に対する答えを絞り出すことは困難だ。

とは言え、科学の世界には未だに答えの導き出されていない様々な謎があるのは確かだし、「もしも....だったら、どうなるの?」という仮定を立てることは無数にあるわけで、それらの答えもなかなか難しいものになること、これ間違いない。

ランドール・マンロー著「ホアット・イフ?:野球のボールを拘束で投げたらどうなるのか?」(早川書房刊 吉田三知世訳)は、数多くの「もし○○が△△したらどうなるのか?」という科学の質問に対して科学ライター兼マンガ家の著者が真面目に応える科学読本だ。
もともとインターネットで「What If?」というサイトを開設し、そこに寄せられる様々な疑問に対して回答していったものを抜粋し、集めたのが本書だという。
例えば表題になっているように野球のボールを光速で投げたらどうなるのか?という質問がある。
そもそも野球のボールを光速で投げることは現在の技術では不可能。
でも、「もし」もできたとしたらどうなるのか、というのは科学好きで想像好きな人には興味ある質問だ。
本書では光速で投げられたボールは空気を圧縮して、その空気は逃げ場を失いプラズマ化し、巨大なエネルギーとして野球場だけではなく周辺の広大なエリアを火の玉に変えてしまうようなことが書かれていた。

実際にそうなるのかどうかは不明である。
あくまでも著者が持つ物理に関する知識を総動員した結果の答えである。
本書にも、
「この本に書かれている答えが必ずしも正しいとは思わないでください」
というようなことが書かれていた、

この光速に限らず、光よりもずっと遅い宇宙船の大気圏突入速度でも空気によるプラズマ化は発生している。
宇宙船が大気圏に突入すると空気に衝突する部分が高温になり一時的に宇宙船全体をその熱で包み込む。
私はてっきりそれは宇宙船と空気が高速で触れ合うことによる摩擦熱によるもの、と勝手に思っていたのだ。
でも本当は宇宙船が秒速5kmという猛烈な速度で大気圏に突入するため、宇宙船の空気にぶつかる先端部に対して、空気が逃げることができず、圧縮されプレズマ化することにより高温になるという。
本書を読むまで、摩擦熱だとばかり信じていた私は、この少々笑いも伴う科学読本を読んで初めて知ることになったのだった。

その他、地球の半径が毎日1mmづつ大きくなったらどうなる?とか、太陽が突然消灯しまったらどうなる?などという仮定の元に、そのメリットとデメリットが記されていて大いに笑えるやら感心するやらでかなり楽しめた。

あえて欠点を上げると、質問に対して十分に答えずマンガでごまかしているところが少なくなかったのが少々気に要らないのだが、それはそれ。
こういう科学本もありかなと思える科学エンタテイメントなのであった。

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六本木の東京ミッドタウンにある21_21 DESIGN SIGHTで開催中の「土木展」を訪れてきた。
土木工事をアートする、とは一体どんなものなのか。
行く前からかなり好奇心が刺激されるものがあったのだが、若干予測はしていたものの「体験型夏休み子ども向けアート展」の様相を呈していたのであった。

そもそも河川工事や橋梁工事、下水道や上水道、ビルの基礎工事、地下街の構築など、ちょっと考えるとアートと結びつけるのはかなり困難に見えるジャンルがテーマだ。
建築現場のそれも重機を駆使して穴を掘ったり、地下に潜ったり、水をせき止めたりする工事は、どう考えても「熱い男たちのシゴトバ」のイメージがつきまとう。
ガガガガガ、っと音とたたて岩盤を削るさく岩機。
どっか〜ん!と爆発するダイナマイト。
汗を流し、泥に塗れ、時として命を危険に晒しながら、且つ高度な技術で人々のより過ごしやすい都市を構築していく仕事。
そういうイメージが「土木」にはある。

それをあのDESIGN SIGHTでアートするというのだから、必見なのであった。

多くは体験型と立体模型や巨大なスクリーンによる映像で構成されていた。
入ったところには大きなスケッチが掲示されていた。
東京のまちづくりの計画図なのであった。
渋谷、東京、新宿、そしてなぜか六甲山から見た大阪湾。
どれもこれも私の仕事とは直接結びつかないものの、なかなか興味深いものなのであった。
中の展示室では大きな三面スクリーンに土木工事の様子を捉えたノンフィクションのフィルムから編集によるアブストラクト的な作品が上映されていて、これはこれでかなりの迫力を感じた。
そして土木技術や作品そのものよりも、その作品を投影しているプロジェクターのコンパクトさに驚いた。
こんなシステムでIMAXみたいな映像を映し出せるのか、と思ったら私自身自宅の壁と障子と襖に向かって同じような映像を投影したいという衝動に駆られたのであった。
ま、家族の顰蹙を買う可能性があるので無理なのだが、そういう家の中の工事もなんとなく土木工事を連想させ、なかなか面白かった。

メインの展示室には渋谷駅の立体模型がドドドと置かれており、アップダウンの起伏のある丘の中に建設されている私鉄、地下鉄、JR各線のフォームの立体の複雑さが、なんとなくアートになっていることに気がついた。
子供の頃にアリの巣を金魚鉢の薄っぺらいバージョンで観察したときの有機的な面白さと共通するものがそこにはあった。
まるでアリのように人間は自分たちの都市を掘り下げているのだ。

以前、東京現代美術館でパラモデルとうアーティストグループが大阪市営地下鉄の各駅の立体図を繋ぎあわせてインスタレーションを構成しているのを見たことがあるのだが、それの立体版のように感じられたのであった。

その他には砂場にレーザーで映し出している等高線を砂を触ることで描き変えることのできるアートや、東京の地図を大写しにしたプロジェクションなどが展示されていた。

ひとつひとつが大きな作品で、昨年の同じ場所で開催されたフランク・ゲーリー展や目黒区立美術館で開催された建築模型の美術展と比べると感動は小さかった。
子供と来て、一つ一つの作品に一緒に触れると初めて価値を持つような展示会なのであった。


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サットン・フォスター。
日本ではあまり知られていない女優だが、トニー賞ミュージカル主演女優賞を2回も受賞しているブロードウェイのトップスターだ。
「モダン・ミリー」
「ドロシー・シャパローン」
「シュレック・ザ・ミュージカル」
「エニシング・ゴーズ」
などなど。
人気舞台で主演あるいは準主演の役柄を演じている。
今一番の私のお気に入り女優さんだ。

そのサットン・フォスターが先週、日本で初めてのライブを行った。
私はその記念すべき8月1日に開催された第1日目、大阪西梅田にあるサンケイホール・ブリーゼで彼女の歌を生で聴いてきた。
ブロードウェイのトップスターが大阪でライブというだけで、感動であった。
「オオサカ スキヤネン!」
の冒頭1曲めを歌い終わった後の彼女の挨拶。
たどたどしい日本語の、しかも大阪弁の挨拶はリップサービスとはわかっていなながらも、ネイティブ大阪人の私としては大感激なのであった。

そもそも今回のライブほど待ち遠しいイベントは久しぶりであった。
最近はライブそのものもあまり行けなくなってしまっていた。
仕事が忙しすぎるのだ。
芸術的な鑑賞活動としては土日の休日と出張中の時間つぶしの美術館巡りが関の山だった。
それが時間を割いて、万一アポイントがあっても仮病を使うことも考えてわざわざ聴きに行ったのは、私自身がサットン・フォスターのファンだったということだけではない。
テレビや映画の出演はあるものの、日本での放送や上映が無いものがほとんどのサットン・フォスター。
彼女の演技を、あるいは歌を体験できるのはインターネットの動画サイトかCD、トニー賞の中継ぐらいしかない。

若しくは、ニューヨークまで行くか。

でもニューヨークへ行くのはなかなか難しい。
最も難しいのは時間を取るのが難しい。
今時、ニューヨークまでの航空券は格安のものを買うと大阪〜沖縄のプレミアムクラス正規航空運賃とたいしてかわらない。
しかし時間は沖縄へ行くのと同じように2時間というわけにはいかない。
往復は飛行機に乗っているだけで20時間以上かかり、演劇1つ鑑賞するにしろ少なくとも5日間〜7日間は必要だ。
そんな休みは、今の私にはなかなか取ることは難しい。

そんななか、なんと向こうから来てくれるというのだ。
しかも東京だけではなく、大阪に。
従ってサットン・フォスター日本初公演の情報をインターネットで発見したときの感動は、生まれて初めて生のアイドルのコンサートに言った時の衝撃を遥かに上回っていた。
ちなみに初めて行ったコンサートのアイドルは山口百恵であった。
百恵ちゃんどころではなかったのだ。

ブロードウェイのミュージカルを生で鑑賞したのはこれまでたった2回あるだけ。
それもニューヨークではなく大阪のフェスティバルホール。
鑑賞したのは「42nd Street」と「Hair Spray」なのであった。
いずれも米国からの来日公演で劇団なんとかのバッチもんではない。
私はブロードウェイ・ミュージカルは英語で演じられるもので日本語で演じるものではないという強い信念がある。
日本語で演じるミュージカルは英語で演じる歌舞伎みたいなもので私は好きになることができないのだ。
そこでブロードウェイミュージカルの来日を期待しているのだが、大阪での公演は非常に少ない。
ほとんどが東京のみの公演で、まず見逃してしまう。
昨年は国際フォーラムで「Avenue Q」の公演があり、是非とも行きたいと思いチケット購入まで手を伸ばしそうになったが、しょっちゅう東京へ行っているくせに公演のある夜となると接待やら会議やらで時間がとれず、ついに見逃してしまったのであった。
悲しいかな、公演中の何日間は私は東京で滞在していたのだった。

しかしブロードウェイミュージカルの来日公演には少々課題もある。
ブロードウェイ・ミュージカルの来日公演があったとしても、実はトニー賞を受賞した演目であったとしてもその主演のトップスターが一緒にやってくることはまず無い。
日本公演のために選ばれブロードウェイの一流俳優やダンサーたちの公演であることに変わりはないのだが、ニューヨークと同じスタッフ&キャストでやってくることはほとんどない。
「Hair Spray」を見に行っても日本でならハーヴェイ・ファイアスタインには会えないのだ。

ところが今回はミュージカルではなくライブ・コンサートではあるものの、やって来るのはあのサットン・フォスターなのであった。
しかも大阪に。
ミュージカル好きであれば、これは行かない方がおかしい。

8月1日、月曜日。
期待を膨らませブリーゼのエスカレータを上がった。
ブロードウェイのトップスターの歌声がどういうものであるのか。
でも、お客さんは来ているのか。
いつもは米朝一門会なんかで満員になるブリーゼが日本では知られていないサットン・フォスターで客席が埋まるのか。
事実、私の周りではサットン・フォスターを知っている人は一人もいない。
「次の月曜日、サットン・フォスターのコンサートへ行くんですよ」
「......誰、それ?」
という案配なのだ。
だから心配と期待でどきどきしながら会場にたどり着いたのだ。

ロビーは地味にポスターもない。
しかしチケット引き換え窓口には列ができており、しかもしっかりとオシャレにめかし込んでいる女性の観客もいるではないか。
知る人ぞ知るその知名度に大阪での公演は難しいという不安を払拭するような雰囲気が漂っていた。
客席はほとんど満席。
舞台の上には中央ちょっと左側にグランドピアノ。
その左側にギターやバンジョーが並べられ、右側にはベースが置かれていた。
トリオの演奏で歌う。
これは彼女のCDの構成と同じだ。
ピアノを演奏するマーク・ラフターもCDと同じなのであった。
やがて演奏者が現れチューニングを始める。
開演予定時間と同時に演奏が開始され右手から長身のサットン・フォスターが現れた。
長い髪をなびかせ、マイクの前に立って笑顔で歌い始めたその歌声を聞いた瞬間、会場はその艷やかで伸びのある、そしてアメリカらしい歌声にすっかりと魅了されたのであった。
そしてそれは決して期待を裏切らないばかりか、これまでに体験したこともないような素晴らしい82分間に始まりだった。

サットン・フォスターを初めて知ったのはNHK-BSで放送された2006年トニー賞に受賞式だった。
授賞式の中で「ドロシー・シャパローン」の冒頭の1シーンが演じられ、そのドロシー本人を演じていたのがサットン・フォスターなのであった。
歌は美味いし、ダンスも凄い。
テレビを観ていてすっかり魅了されてしまったのだった。
以後、トニー賞やインターネットでいくつもの作品の歌やダンスを鑑賞することになった。

今回はどんな歌を歌ってくれるのか。
期待は膨らむばかりであったが、曲目は彼女のミュージカルナンバーやCDに収録されている曲目。
そして今製作中の新しいアルバムからの曲目で構成され、どれもこれも素晴らしい歌声と演奏なのであった。
一曲目の題名は失念してしまったが、二曲目は私の大好きな「Not for the life of me/NYC/Astonishing」だった。
静かなピアノのイントロでニューヨークを歌うその曲はブロードウェイからやってきたスターらしい選曲であった。
大阪の梅田に現出したNYC、ニューヨーク・シティなのであった。
「オーディションに落ちちゃったレ・ミゼラブル。背が高いからダメだって。でも歌っていい?」
というようなMCでレ・ミゼラブルから一曲が歌われたり。
「昨日、お好み焼き、ねぎ焼き食べたよ!」
と大阪の味を楽しんでいることを話してくれたり。
彼女の出身地であるジョージアの歌であるレイ・チャールズの「我が心のジョージア」のジャズバージョンも素晴らしく「新しいCDに入るのかな」などと期待したりした。
途中インターミッションはなく、いよいよクライマックスということころで最後に彼女が歌い出したのはミュージカル「エニシング・ゴーズ」からタイトル曲の「エニシング・ゴーズ」だった。
まさかこの曲が聞けるとは思っていなかった。
私はメチャクチャ嬉しくなったが、他の観客も同様だったようで曲が終わるとスタンディングオーベーション状態になったのであった。

ライブの時間が少しく短かったのがなんとなく不満ではあったものの、観客はこの本物のパフォーマンスに大満足。
私も仕事のことも何もかも忘れていることに気づき、十分以上に楽しめた時間だと大満足なのであった。

サットン・フォスターが真夏の大阪をニューヨーク・ブロードウェイに変えたひとときなのであった。

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生まれて初めて乗った飛行機の機種は忘れてしまったが、その飛行機から乗り継いだ飛行機の機種は今も覚えている。
B747-SP。
寸胴ででっぶり。
当時世界最大の旅客機だったB747のイメージとは大きく異るショートボディ。

「え〜、こんな格好悪いんの乗るの〜」

との印象は40年近く経った今も記憶に鮮明に残っている。

あれから幾度と無くB747のお世話になった。
大阪〜東京間はもちろんのこと大阪〜沖縄、成田〜シカゴ、バンコク〜シンガポールとジャンボジェットの旅を堪能した。
とりわけ沖縄への出張では一度だけ2階席に座ったことがある。
今でこそA380という総2階建ての旅客機があるけれども長い間、2階席のあるヒコーキはB747だけの特権だった。
もちろんヒコーキなので2階席に乗ったからといって近鉄特急の2階席に乗るのとは異なり景色は変わらない。
高度が3メートルほど高くなるだけ。
変わらないけれども何か特別な感じがしてワクワクしたものだった。

JAL、ANA。
2つの日本のフラッグキャリアからB747が姿を消して数年が経過した。
大型機ならB777が主役である。

先週、新聞の記事でB747の受注が減ってボーイング社はB747の製造終了の検討に入ったのだという。
1969年の初就航から半世紀。
貨物機として設計され、売り先予定の米軍が別の機種を採用したため旅客機に転用。
これが大ヒットになるとともに、一人あたりの運賃を劇的に下げることができた。
今の大衆世界旅行を可能にしたのがB747なのであった。

世界の空からジャンボが消える。
時代の象徴がまたひとつ終焉を迎えようとしている。

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