<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地



東アジアのヤクザ。
中国の艦船がひっきりなしに我が国の尖閣諸島のEEZ内の侵入して領土・領海を脅かしているが、先月頃から状況が悪化。
ヤクザ仲間のロシアの艦船が一緒になって同領域を犯しつつある。

「オタクのシマはワシンとこのシマと同じやがな」

と言ったかどうか(なぜヤクザの口調となると関西弁になるのか大阪人のわたしにも不明だ)はわからないが、何を企んでいるのか危惧されている。

私は尖閣諸島をリトマス試験紙代わりにしようと企んでいるのではないかと思っている。
無人島の尖閣諸島を武力で制圧した場合、日本と米国がどう出るのか。
日本も米国も武力装備では中露に負けない十分な体制をとっていると思うが、法律や世論に左右される危険性が大きい。
とりわけ世論は最大の不安材料だ。

「無人島が制圧させたぐらいいいじゃないか。自衛隊員の生命を賭して守るほどのものじゃない」

と、福島瑞穂、泉健太、山本太郎、朝日新聞あたりがいいそうだ。
この人達の意見はあくまでも選挙結果や発行部数の激減からみると少数意見だが、誰かが死んだら、その影響力は小さくない。

もし中露が尖閣諸島を侵略して日米が口頭でしか抗議を示さなければ、次はあまり日をおかずに確実に台湾侵攻を開始する。
そして南西諸島、沖縄とすすんで来るのは目に見えている。

現実を見据えた議論が必要。
お花畑ではどうにもならない。
ウクライナの情勢を見る限り尖閣諸島をリトマス試験紙にして、台湾、そして沖縄県が再び地上戦の舞台になるのはそう遠い日ではないのかもしれない。


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大阪南港・ATCギャラリーで開催中の「テオ・ヤンセン展」を訪れてきた。

テオ・ヤンセン。
この人の作品をずーっと前から観てみたいと思っていた。
最初は三重県立美術館で展覧会が開催されているのを発見。
作品の写真を見て、ゾゾゾっと興味を誘われた。
「なんなんだ、これは?」
という感覚だ。
これは見に行かなければ、と思ったがその時はなかなか時間が作れずに訪れることができなかった。
で、昨年どこだったかは忘れてしまったけれども、大阪から行くのにそんなに遠くないところで展覧会が開催予定。
ところが今度は時間が作れそうだったけどコロナの緊急事態宣言で展覧会が中止になってしまった。

「たぶん、そのうちどこかでするだろ」

と考えていたら、地元大阪で開催されることを知った。
それも開催1週間前に知人のFBのコメントで知ったのであった。
一人で行くとカミさんに叱られるので慌ててe+で前売りペアチケットを購入。
いざ鑑賞に備えたのであった。

このテオ・ヤンセン。
その作品の何が面白そうかというと、無機物なパーツで構成して組み立てられたオブジェがあたかも生きているかのような有機性を感じさせるところだ。
こんなふうに書くと、何がなんやらわからないのだが、要はプラスチックのパイプと布、ビニルチューブ、ペットボトル、ビニルテープ等などで組み立てられた「風で動くロボット」なのだ。
その仕組は学研の玩具メカモと酷似しているが、大きな違いはより生物を感じさせることと、電源や内燃機関などの人工的なエネルギーは一切使わず、風の力だけに頼るSDGsな動くロボットというポイントだ。

このテオ・ヤンセンという人はもともとは物理学を専攻した科学者出身の画家というユニークなベースを持ったオランダのアーティストで、物理学の知識を生かして今回展示されている「ストランドビースト」と呼ばれるロボットを生み出した。
風を受けると帆を広げて動力として数多くの足が動き出し、歩く。
向きも変える。
オランダの浜辺を動く場所としているが、海に近づくと水を感知して立ち止まり、逆方向へ歩く。
このビースト自身が物を考え、判断し、動いているように見えるわけだ。

展覧会ではこのストランドビーストに触れることもでき、中には自分で押して動く時の感触を体験できるものもあった。
写真撮影は自由だし、仕組みも詳しく解説されていた。
私が小学生なら「今年の夏休みの工作はこれで決まり!」というような楽しい展示内容であった。

こういうものを観るとつくづく思うのだが、なぜ日本人は文系と理系と分けたがるのだろうか。
ストランドビーストは理系と文系の知識があって初めて生み出されたものであり、そういうものは世の中には溢れている。
アートを生み出すためには、時に構造設計も必要だし、電気の知識も要るだろう、モノの仕組みをよく知ることも必要だ。
写真なんかは本来、化学の知識も必要としている。
教育姿勢が文系、理系で分ける限り、新たな面白いものは生まれ難いんじゃないか。

そういうことをひしひしと感じる展覧会なのであった。



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還暦男のトム・クルーズが走り回る映画「トップガン マーベリック」。
まだまだ絶賛大ヒット上映中なのだ。

この映画。
公開当日に近くの劇場のIMAXで観てきた。
そこで目に飛び込んできた光景は、信じられないものなのであった。
なんと、ほぼ満席になっていたのだ。
ここ数年、私は主にこの劇場で映画を観ているのだが、いつもはガラガラ。
貸し切り状態のことも少なくない。

「この劇場大丈夫かな〜」

と閉館してしまわないかずーっと心配していたのだ。
それが特別料金を払わないと観ることのできないIMAXでほぼ満席。
私もチケットを買い求めたときは前寄りの席か端っこの方しか空いておらず果たしてIMAXの特別料金を出してまで観て良い映画かどうか、大いにためらったのであった。

「観ようよ」

というのはカミさんなのであった。
始末屋の私が料金をためらっていることを微妙に感じて、
「見に来たのに何してんねん」
という暗黙の圧力を掛けてきたのだった。

思えば、IMAX登場以前の巨大スクリーンといえばシネラマ方式の梅田OS劇場であった。
この劇場で初めて観た映画は「未知との遭遇」で前から8列目での鑑賞だった。
シネラマ方式のスクリーンサイズは横30mx高 9m。
そんなでっかいスクリーンの前から8列目がどのような状況になっているのか。
だいたい想像ができよう。
まず、視界の中はすべて映像になる。
スピーカーが近いので立体音響が耳をつんざく。
というようなことになる。
で、なぜ9列目より後ろの席にしなかったかというと、8列目までが普通の料金で、それより後ろは特別料金が必要だった。
OS劇場にはA席、S席、SS席と席が3種類あってS席とSS席はオプション価格が必要になる。
そしてたとえA席であっても学割が存在しない劇場でもあった。
このようにOS劇場は普通の映画館ではない威厳のある料金体系なのであった。
しかも当時は珍しい全席入れ替え制でもあった。

そんなこんなでIMAXはシネラマの系譜を引き継ぐだけに前の席というのは、辛いものがあると思ったのであった。
でも仕事が終わってからせっかく無理してやってきたのに、という圧力を無視するわけにはいかない。

ということで端っこはいやなのでIMAXの前から10列目に座ることに決めたのであった。

悪い席ではなかったが、映画の予告編が始まってすぐにカミさんが、
「ボリューム落として欲しいなあ」
と無理な注文をつけてきた。
「テレビ見てるんとちゃうぞ」
「だからIMAXの前の方は大変なんや」
と思ったが言わなかった。
言ったらカミさんに叱られると思った人は、残念賞。
言っても聞こえないくらいの大音量だったのだ。

結果的に、この席で見てよかった映画だった。
今どき特撮がほとんどない空中撮影。
たぶん撮影機材がデジタルになったので可能になったのだと思うが急加速や急停止。急旋回に宙返り。とアナログのフィルムをカタカタ回して撮影するフィルムカメラだったら動きで生じるGによってモーター駆動部が正確に動作しないのではないか。
時代は流れたのだ、と感心した。

さらに時代は流れたのに、と感心したのは主演のトム・クルーズの大活躍ぶりだ。
体を張って自ら操縦、走り、飛び越え、ジャンプする。
とても還暦のオッサンとは思えないエネルギーで大いに尊敬できる融資なのであった。
こんな還暦の猛烈野郎が主演なので前作で知名度を得たメグ・ライアンを出さなかったのは正解だと思う。

ともかくクライマックの作戦遂行シーンはどう見ても「スターウォーズ エピソード4 新たなる希望」のパクリで、見ているうちに、トム・クルーズの乗っている戦闘機の後ろにタイファイターが出てくるのではないかという雰囲気に満ち満ちていたのだ。



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身体のあちこちに見えない不具合が生じてくると、正直あまり気持ちのいいものではない。
年齢的にも思わぬ病を得たためにあちらへ旅立つ同世代の者もいなくはない世代でもある。

お酒ストップをもらう随分前から体重計はタニタ製を使っていた。
この体重計。
体脂肪や内臓脂肪の量をカウントできるというスグレモノなのだ。
それでもいろんな機能はついていても体重ぐらいしか見ないのであまり気にしなかったのだが、検査で思わぬ結果を見てしまってからは気にするようになってきた。

サイクリングを日常的な健康ツールとしだした頃から体重が下がってきたことはドクターストップの項でお話したとおり。
100kg台が80kg台まで下がるのにはそれなりの時間を要したが、明らかに健康的な体重の減り方なので致し方あるまい。
その体重が減るにつれて体脂肪率も下がり始め、肥満の警告レベルだったのが、今では標準に収まっている。
筋肉量は肥満していたときから多かった。
「相撲取りの体格」
と自分自身で揶揄していたぐらいなのだったが、体脂肪率が下がって筋肉量も微増しているので、体格的にはムキムキになっていてもおかしくない。
ところがサイクリングで健康状態を作り出している関係からか足はムキムキだが、腹のあたりはプニョプニョのまま。
腹筋、背筋は鍛える必要がまだまだある。
BMI値も改善し、基礎代謝量も健全。
結果的に肉体年齢は実年齢よりも一回り以上若いという結果がでて、なかなかニンマリすることもなくはない。

ところが、ただ一つだけなかなか下がらない数値がある。
内臓脂肪量。
これが難しい。

毎年受ける人間ドックで明らかになっていたのだが、内臓を脂肪が取り巻くいわゆる「脂肪肝」の状態が現出しており、これは改善の余地があると病院からも指摘されていた。
脂肪肝は今回のドクターストップの要因ではない。
で、この肝臓だとか、なんだとかに付着した脂肪分を燃焼させなければならないのだが、これが凄くやっかいなのだ。
体重が下がろうが、筋力が増えようがなかなか内臓脂肪は減らない。

長年かけて蓄積されてきたような負の貯蓄(=国の財政赤字みたいなもん)なので容易に精算することができない。

「脂っこいものを食べては駄目」
と言われ、
「酒も駄目」
「塩分も控えめに」

となると、食事は何を楽しみにすればいいのやら。
いっとき、
「明太子は塩分が多いから駄目」
「ラーメン、とんかつは脂がおおいからだめ」
「焼き肉行ったら脂っこい上にビールを飲みたくなるから、これも駄目」
とカミさん言われたのでムカッ腹が立ってきて、
「じゃあ何も食べずに飢えて死のう。そのほうが人生豊かだ」
と言ったら喧嘩になった。

しかし結局は量の加減なのであって明太子1つとっても一度に2つも3つも食べると身体に悪いが、3分の1づつ食えば問題ない。
ラーメンも大盛りで唐揚げセットはやめて、醤油ラーメンでつゆを残せば問題ない。
そもそも全体の量を少なくすればいいわけで、となって、とりあえず納得した。

それでも体脂肪の数値は下がらず、
「がんこやの」
と思った。
やがて自転車で月に300kmほど走り始めた頃にやっと0.5メモリ減った。

「おお!」
と感激したのは言うまでもない。
それでも内臓脂肪過多の状態にあることは変わりがない。

「朝のランニング。それも朝食前にランニングするのが内臓脂肪燃焼にいい」
とある雑誌記事で読んだ。
ランニングはあまり好きではないので起きて朝ごはん前に10kmから20kmほど自転車で走ってみた。
すると、なんと腹が減ってたまらんことになってしまったのだが、内臓脂肪がさらに減った。
ところが直後に出張ででかけた都内で「とんかつ」を食べたら、すぐに元に戻ってしまった。

ともあれ暑い季節の今こそ、朝食前のサイクリングに勤しんでみたいと思っているところなのだ。



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「えー、お酒飲まないでくださいね。」
「ちょっとだったら良いでしょう」
「駄目です」
「先生に紹介していただいて精密検査してもらった〇〇病院(大病院)の先生は『週に1度、ビールなら1缶、お酒なら半合ぐらいなら、いいかな』って言ってましたけど」
「その先生はその先生。私は駄目です。」

ということで、ドクターストップお酒ちゃんになってしまった私の晩酌ライフ。
若い頃からの嗜みが、この歳になって数値に現れるという悲劇に見舞われているのだ。
尤も完全にストップするわけにはいかないので、仕事や知人との会食では少しだけ頂戴することにしている。
少しだけになっていることを相手に感づかれないように飲むのが心遣いになっているのだ。

実はここ2年ほど健康診断をするとある数値が標準値を越えていた。
少し気にかかっていたが、健康診断では何らかの異常値が出るものとたかを括っていた。
たぶん少しすると平常値に戻るものだ、とも思っていた。
過去に何回か、その数値は高くなったことがあったが、しばらくすると落ち着いていたからだ。

ところが今回は平常値にならなかった。
「おかしいですね」
と主治医の先生は言った。
「1週間かかりますが、別の血液検査をしましょう」
と、わざわざ外部に出す検査をした。
その検査の結果は、不幸にも良くなかった。

原因は飲酒と脂っこい食べ物ということだがコロナで外飲みは激減。
家でもあまり飲まくなっていた。
体重は会社員を自己退職した時点で117kgもあった。
それが今では80kg前半になっており、夏が終わるころには70kg代にならないかと期待しているところだ。
これは病気で体重が減っているのではなく、食べる量が減って毎月サイクリングで200km以上走ることによる健康的な減量だ。
どうみても病気で痩せているとは思えない外見でもある。

ところが健康になっているはずの体は、長年の無理が祟って相当イカれていたというのが実情だったようだ。

「こりゃもうあかんで」
と訴えていたのだろう。

第二の血液検査でも悪い結果が出たので大きな病院の専門医に検査してもらうほうが良いということになり、3日間ほど入院して検査をしてもらった。
その結果、悪いのは数値だけで関連臓器は至って元気であることがわかった。
まずはメデタシでホッとした。

ところが、専門医の先生も、その結果をお手紙で見たかりつけの先生も、
「酒はいけない。塩分のとりすぎと脂っこいものに注意」
と私に宣告したのであった。
しかも専門医の先生は、
「研究対象を募っているんですが、対象になっていただけますか?」
と言ってきた。
科学のためならと思って承諾したらクオカードをくれたので「ラッキー!」と思ったが、ラッキーなのはクオカードであって、結果的に飲酒禁止というアンラッキーがついてきたのだった。

大学に入学した18歳の時から酒をたしなみ始めて何十年。
二日酔い、三日酔いするようなことも無くはなかったものの、それも若い頃で40代になった頃からは無理な酒はしなくなった。
それでも宴会や交流会ではついつい飲みすぎて、後で反省することもなくはなかった。
でも、それって一般の会社員なら普通ではないか、とも思っていたのだ。

とは言うものの、付き合い酒を断るわけにもいかない。
仕事での会食で相手に気を使わせるのは、決して良いことでもない。
ということで、かかりつけの先生に止められ普段は断酒。
冒頭に述べたように記念日と仕事関係の会食はビール1杯かワイン、日本酒をグラスいっぱいまで。

今のところちゃんと守れていて、今年になって飲んだ回数たったの3回。

家に貯蔵されていたビールはカレーの味付けに使われ処理済み。
今冷蔵庫にはビールの代わりに炭酸水が入っている。
いつまで続けられるのか。
案外、辛抱強い自分自身に驚いてもいるところだ。



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今年のように突然季節を飛び越え暑くなると身体が慣れていないため熱中症を発症したり、バテたり、冷たいものを飲みすぎて腹を下したりしてしまう。

私の住む大阪の夏は南国から来た人が「大阪は暑すぎる」と汗をたらたら流しながら褒めてくれるほど過酷でもある。
子供の頃は熱射病を体験するまでは暑さなどへっちゃらで屋外で遊びまくっていたものだが、あの時以降、暑さに弱くなってしまった。

しかし、子供の頃に農作業で鍛えたという親よりも少しは暑さに強かったと思えるのは小学校5年生の夏休みに奈良ドリームランドに連れて行ってもらった時、親は「暑い、暑い、休もう〜」とばかり言っていたのに、私は元気ハツラツで色々なアトラクションに夢中になっていたことがあった。
帰宅して天気予報で、
「今日の奈良の最高気温は38℃でした」
というのを聞いて、38℃は大した事あれへんなと思ったものだ。

ただ年齢とともに暑さには忍耐が必要になるようで、社会人になってからは夏の営業周り、現場立会は苦痛になるようになった。

30代後半。
その暑さに耐性ができるようになった。
何が起こったかというと、GWは働いて、その直後に休みを取得して東南アジアを旅行するようになってから、暑さをさほど厳しいと感じなくなった。

5月から6月のタイのバンコクはすこぶる暑い。
この街は一年を通してず〜〜〜〜〜〜〜〜っと暑いのだが、とりわけ4月から7月頃が一番蒸し暑い。
この街をバックパック旅行で訪れて日中ぶらぶらするだけで暑さに耐性ができてくるのだ。
私がしょっちゅう訪れていた頃は地下鉄はまだなく、開通したばかりのスカイトレインも路線が短い。
畢竟、観光地の見学や市場への買い物にはトゥクトゥクか徒歩、ということになる。
このうち徒歩がかなり厳しい。
夜、飲みに行くためにホテルからシーロムやスクンビット通りの盛り場に出るだけで暑くてしかたない。
しかしせっかく旅行に来ているのだからと外出してレストランや屋台で飲食する。
それでも慣れてくるとあまりに暑いのでホテルの近所のコンビニでビールなりおやつなりを買い求め、屋台で買ったガイヤーンなどを主食にホテルの自室でテレビを見ながら夕食を取るということも少なくなくなってしまった。
これでは単なる出張と同じではないか、と思ったりしたが暑いので出歩くのが面倒になることもあった。

ところがこの暑さ。
日本が本格的に夏を迎える前に東南アジアの酷暑をたとえ4日間でも体験すると暑さに免疫がでるのだろうか。
帰ってきてから暑さだがなんともなくなってしまうのだった。

暑さは慣れ。

コロナで海外旅行はまだまざ難しいけれども、本格的に夏を迎える前に暑いところへ出かけるのは健康のために良いのは間違いない。


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ここんところ暑いことも相まって洋菓子よりも和菓子を食べることが多くなった。
和菓子、と言っても茶道に出てくるような美しいお茶菓子などを買うとケーキ以上に高く付くので、だいたいは「おはぎ」「わらび餅」「草餅」「団子」の類をスーパーマーケットで買っている。
洋菓子と一緒で和菓子屋で買うと高いのでスーパーで安いのを買うのだ。

先日とあるスーパーでおはぎを買おうと思って物色していると、これには2種類の製品があることがわかった。
作っているメーカーも違う。
両者とも2個入り1パックで価格が一方は198円。もう一方は298円なのであった。
何が違うかとチェックをすると、ああ!びっくり。

安い方にはこう書かれていたのだ。
「原材料:つぶあん(中国製造)」
信じられない!
つぶあんを中国で製造しているとは。
中国といっても広島とか岡山ではない。
チャイナの中国で作っているのだ。

「誰がこんなもん買うかい!」
と高い方を買うのもなんなので、その日はおはぎを食べるのを諦めることにしたのだった。

で、おはぎのあんこが中国産なら他のもどうなの。
と疑ってかかって他の製品をチェックすると、「あんこ」には「こしあん」であろうが「つぶあん」であろうが中国産と韓国産が少なくないことが判明したのだった。
まず比較的安い「桜餅」「おはぎ」「鮎」「草餅」などは産地を疑ってかかる必要がある。
パッケージに「十勝あずき100%」というものは、とりあえず信頼するとして、なんで食品製造に疑わしいところ満載の中国、韓国で日本の心「あんこ」を作らないとならないのだ。

さらに「米国産」とか「オーストラリア産」なる小豆の産地の国々産の「あんこ」は今のところ皆無でもある。
恐らく西洋人は「あんこ」が苦手なのも理由になるだろう。
うちの義弟はフランス人だが、あんこ系は食べないという。

心を捨てるな。日本人なら「あんこ」は国産で。
餃子の例に漏れないように中国なんかで作ると反日職人が「あんこ」に「○んこ」を入れる可能性もあるのだから。


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1972年の夏。
公園で元気に遊んでいた私はその夜、突然の発熱に襲われ意識混沌とした。
驚いた両親が病院へ連れて行くと、かかりつけ医いわく、
「熱射病ですよ。」
と言ったとか。
今でいう熱中症だ。

何しろ小学校低学年の時で細かいことはすっかり忘れているが、病院で打たれた紫色の薬とフラフラで寝込んでいた感覚と、治りかけた頃にM君が遊びに来て、外へ出ていって叱られたことを覚えている。

ここんところ「熱中症で救急車で運ばれました」とか「亡くなりました」なんてニュースがひっきりなしに流れている。
学校の体育の授業で倒れる。
運動会で倒れる。
クラブ活動中に倒れる。
家で脱水症状で倒れていた。
なんて、大変だ。
高齢者のそれはわからないでもないが、若い人たちが熱中症で病院に運ばれるのがあまりにも多い気がするのは気のせいなのか。

私はもしかするとスマホ、ビデオゲーム、SNS漬けの生活が熱中症で倒れますと大きく関係しているのではないかと思われてならない。
というのも、日常的に涼しい室内で体を動かさずに指先だけを何時間も動かす生活をしていると季節の変化に付いていくのが難しくなるんじゃないだろうか。
だから30℃以上の暑い日に急に屋外活動なんかすると体がなれていないものだからバタっと倒れて救急車のお世話になる。

日頃からスマホなんか持ち合わせず、せっせと屋外で何かと精を出していると少々の暑さは大丈夫なんじゃないかと思えるのだ。

それが証拠に甲子園球児で試合の途中で熱中症で倒れた選手を未だ見たことがない。

熱中症とスマホは強い関連があるに違いない。

なお、小学生のときに熱中症で寝込んだ私は単なる遊び過ぎだと思います。
帽子かぶってなかったし。


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右手の緑豊かな丘は一昨年閉園したみさき公園に隣接するゴルフ場と元公園の一部。
ここに海辺を走る道路があることを今回までちっとも知らなかった。
たまたま深日港から自転車が走りやすい道として海沿いを走っていると、他のサイクリストが走るのに出会ってここがどうやら大阪方面に通じている海辺の裏道であることを知ったのだった。

それにしても穏やかだ。
自転車を止めて防波堤で食事をしている人もいる。
路面はところどころアスファルトが朽ちていてガタガタだけれど、走り感覚は悪くない。
レースをするような人には悪い路面かもしれないが、ノホホンサイクリングで100kmを目指す私のような者には路面も大切だが、この海の風景がすべてを良いものに変えてくれる。

道路はしばらく人家のない海と緑だけのところを走っていたが、やがて淡輪地区に入った。
海辺の町並みが広がる。
ここには大阪屈指のヨットハーバー「淡輪ヨットハーバー」がある。
私にもここにボートを係留している知人がいる。
静かで、それでいてなんとなく晴れやかで、そんでもって現実世界と少しく離れているヨットハーバー。
昨年、単独太平洋横断にチャレンジした元読売テレビのキャスター辛坊治郎も拠点にしているヨットハーバーでもある。

幹線道路に向かって淡輪の海辺からは上り坂。
南海本線の踏切を渡りヨットハーバーからの道路と合流すると、旧国道26号線との交差点にでる。
このだらだらとした上り坂でも順調な走りだった。
休憩でにじみ出そうになった疲労感は引っ込んでいた。

旧国道26号線のこのあたりは緩やかなアップダウンが繰り返される。
丘の高いところでは海が見える。
そしてやがて箱作地区に入る。
ここには地元では有名なピチピチビーチがあり、多分加太同様に賑わっているだろう。
このあたりはたまに自転車で来ているエリアで、いよいよ見慣れた光景が始まった。
鳥取ノ荘駅手前で旧国道26号線から紀州街道に入る。
自転車で走るには自動車がやたらと多い幹線道路よりも江戸時代から続く狭いが古い町並みも楽しめる街道沿いを走るほうが安全だし、快適だし、景色もいいのだ。
ときどき家々に挟まれた狭い路地の向こうに海が見えるのも素敵だ。

大阪最南端の造り酒屋 浪花酒造のある尾崎駅前を通過して橋を渡り、樽井駅前に至ったときから右足の親指の付け根が痛くなってきた。
私は自転車にはスニーカーで乗っているのだが、このときに履いていたアディダスのスニーカーが若干窮屈だった。
今回の長距離ライドではこのところだけが若干不安だった。
このスニーカーはネットで選んでお店で買って、倉庫から自宅に送ってもらった、というプロセスだけを見るとめんどくさそうな買い方をした商品で、履かずに選ぶと、足に合いにくいものを買ってしまうという代表選手みたいな靴なのであった。
だから歩くと痛いかもしれないので自転車で使うようにしているが、やはり痛くなってしまった。
ここまで何ら問題なく来ていたので終点の我が家まで持つだろうか。
そう思ったその矢先に足が少しむくんできたのだろうか、痛くなってきた。

樽井駅前のロータリーで止まって靴を脱ぎ、紐を緩める。
痛さはマシになったものの、やはりズ〜〜〜ンとなんとなく痛い。
自宅まであと20km前後。
痛さもそこそこに無理をしない程度で少しスピードを落として走ることにした。
この樽井駅の海側にはりんくうイオンモールがある。
駅からは少し離れていて、どちらかというと自動車で行くところだ。
さらにモールから臨海道路を挟んでさらに浜側には"せんなんロングパーク"という米国西海岸を彷彿とさせる府営のビーチ公園がある。
ここにあるスターバックスが私の最もお気に入りのスタバだ。
このブログでも紹介したことがあるけれども全国で唯一、水着のままでビーチから入れるスターバックスで、店からは大阪の海が見渡せる。
沖縄にもない海直結のスターバックスが何故か大阪にある。
そのことが面白い、ということもあるが関空はもちろん、遠く明石海峡大橋まで見渡せる眺めが絶景なのもいい。

でも、今回はそこには寄らず一路北へ。
自宅に向かって紀州街道を進んでいった。

それから約1時間。
無事帰宅したら走行距離が100km。
初めての100kmライドは無事完了で、驚いたことに少し体力も残っていた。
冬場に折りたたみ自転車で紀ノ川沿いを46kmちょいを走った時よりも疲れていなかったのだ。
痛くなった足もぼちぼち(=関西弁で気にしない程度の意)。
iPhoneのサイクルコンピューターアプリによると平均速度は20km/hちょっとなので、まずまず優秀やの、と自分で満足した。

クロスバイクで、しかも入門レベルの安価なクロスバイクで100kmは走ることができる。
安価なといってもルイガノのバイクなのでアマゾンで売っているなんちゃってではないのでそこそこ丈夫だし、走りも悪くない。
課題としては重いこと。
でも重量は上り坂と向かい風、加速のときに不利になること以外は案外、マイナスにならないことも100km程度の走りでは、わかったのだ。

ただし、ルートの計画は大切だ。
今回は大阪側からなだらかな坂を登って和泉葛城山越えをして急な和歌山側の坂を降り、海をまわって、というルートをとった。
これが逆だったら多分、大阪へ向かって登る急な坂をちゃんと登れたかどうか正直自信はないのだった。

ともかくGWを午前の一時。
春の陽気を快走した100kmなのであった。

おしまい


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