<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地



近鉄特急に乗っていると、とっても気になる駅が出てくる。

「津駅」。

大阪鶴橋から名阪特急「ひのとり」に乗って名古屋へ向かうと「次の停車駅は『大和八木』」と出るか、列車によっては「次の停車駅は『津』」とアナウンスされる。
時間によって停車駅に「大和八木」が追加されるのだ。

このとき「津」とアナウンスされると、客室前方扉上のディスプレイには単に「つ」とひらがなで表示される。

「つ」

ディスプレイのど真ん中に単に「つ」とだけ表示されるので、なかなかな趣がある。
知らない人が見たら故障しているんではないかと思うかもしれない。
そんな状態だ。

全国の地名で最も短い名称の街「津」。
漢字で書くとそれなりに締まりがあるのだが、これをひらがなで書くと「つ」なので「締り」以前の感覚がある。
画数も1。
これ以上省略のしようがない。

最近の電車の表示は日本語とアルファベットだけではなく本漢字、簡体字、ハングルも表示されることがある。
この津も同様だが、これがハングルで表示されると「쓰」となり、なんとなくニコちゃんマークの親類ではないかと思ってしえるところもあり、ますます「ん〜〜〜〜〜」という感覚がついてくる。

津駅。
「つ」駅。

もしかすると難読地名よりインパクトは強いかもしれないと思える近鉄特急での移動なのだ。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




大阪市立天王寺動物園に行ったことのある人なら一度は歩いたことがあるだろう。
JR天王寺駅から天王寺公園を抜けて大阪市立美術館に出ると、眼下に動物園、その先に阪神高速道路松原線を挟んで通天閣や新世界の町並みが望まれる。
この市立美術館正面には広い石の階段があり動物園の入り口方向に通じている。
よく記念写真を写すところだ。
この階段の部分。
見晴らしのいい高台と下の平地部分との境目の「崖」がいわゆる「上町断層」。
大阪で最も注意を払う必要のある活断層だ。

阪神大震災以来、関西人も地震に敏感になっていて近場の活断層がどこにあるのか、大阪湾を津波が襲った時は何処まで逃げればいいのかなどを真剣に考えるようになった。
私の住むエリアは泉州地区のどちらかというと海に近いほうだ。
ここは古墳時代に天皇家や有力豪族の墳墓が数多く作られたことから安定した岩盤で海からすぐになだらかな斜面になっていて災害にも強い地形になっている。
とはいえ活断層は自宅から1kmほどのところにひとつあり、これが動くと少しやっかいなので警戒することも大切だ。

上町断層は大阪を南北に走る地域最大の断層。
北は難波宮跡や大阪城あたりから東横堀川の東側・いわゆる大阪のビジネス街船場地域の東に沿って南下し、大坂の陣で有名な真田山、先述の天王寺公園、高級住宅街の帝塚山、などを経て堺市まで至るやっかいな存在だ。
付近には大阪城や日本一の高層ビル・あべのアルカスなどがあり実際に地震が起こった時の事態が憂慮されている。

しかし、世の中知らないのか知っているのか。
この活断層の上に住宅があった。

一昨日、大阪西成区の崖っぷちにある住宅が突如崩落。
大きなニュースになっている。
たまたま家のきしむ音に驚いて住人は避難していたから怪我人はでなかった。
しかし住めなくなった家が何軒かできてしまった。
場所をテレビで見ていて「もしかしたら」と思いグーグル・アースで検索してみたところ、間違いなくここの「崖」は天王寺公園と動物園の間にある崖の繋がり。
いわゆる上町断層で、普通こういう場所に家を建てることはない。
あの市立美術館前の階段から南に2kmも離れていない場所だった。

もしかすると知らずに建てたか、売った会社は知っていても黙っていたか。
そして、その活断層のゆるい斜面に下で老人ホームを建設していた会社も、それを知らなかったのか。
断層の横で大きな振動を立てて工事をしたら、もしかすると、と思わなかったのか。
こんなことぐらい今なら中学生でもわかるかもしれない地学の項目だ。

なんでも無い場所が実はとんでもない場所であることはもしかすると少なくない事実なのかもしれない。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




犬の墓参りをするために斎場へ向かう狭い府道を走っていたら不意に黒い車に抜かれた。
そのすばしっこさはまさしく「おじゃま虫」なのであった。

「危ないやないかい!」

この斎場を通り山側にある国道へ向かう道は狭いにも関わらず交通量が少なくない。
制限速度は40km/hなのだが、そんなにゆっくり走る車はいないし、私とて法律厳守してってのはあまり好みではないが、その倍速以上で走るのもどうかと思ってる。
おじゃま虫の様な車は周辺住民はもちろんのこと、たまに自転車でここを走る私のようなサイクリストには至極危険で迷惑な存在だ。

案の定、その先には農作業へ向かうと思しき軽トラックが走っているのでスピードは減。
反対車線からも車が来ているので今度は抜かすわけにはいかない。
あっという間に私も追いついた。

「なんじゃい、こいつは」

と黒いつつ「おじゃま虫」の後ろを見てみると、そこにはピカッと輝くPorscheのエンブレムが。
まさしく、府道の道を走り抜けてく真っ黒なポルシェ♪といったところなのであった。
しかし真っ赤なポルシェなら往年の山口百恵の歌を連想するものの黒のポルシェだと本心は「お〜じゃまじゃまじゃま〜♪」と言うのが本心ではある。
とはいえポルシェは高級車ではある。
安易に私には買えない高級スポーツ車だ。
しかし瞬発力が良かろうがスピードが出ようが価格が高かろうが、たいしたことはない。
ポルシェなんぞいくらがんばったところで私の愛車マツダ・デミオスカイアクティブには燃費では勝ち目はないのだ。

などと考えつつ、ふと思ったのがでこのスポーツタイプの車。
いわゆるスポーツカー。

なんで「スポーツカー」というのだろうか。

別段この自動車を運転すると有酸素運動ができて健康にも良い、というのではない。
実はペダルが付いていてそれを漕ぐと走るとう、映画「ダウンタン物語」のギャングカーかアニメ「チキチキマシン猛レース」のギャングセブンの「野郎ども、走れ!」といって自動車の下から足を出して走るものでもあるまい。
走るのは内燃機関の力であり、人が操作するのはハンドルとギアとペダルだけである。
近い将来はそれすら無くなりそうだ。

自動車の形状が流線型で空気抵抗が少ない、ということもできるかも知れないが、日本の公道ではスピードは出せても時速120kmまで。
流線型にする必要はない。
だいたい新幹線もあの形状をしているのは時速300km以上で走り狭いトンネルとくぐったり複線で相対速度時速600km以上ですれ違うからであって自動車の時速120kmなんて、東海道線の新快速よりも遅い。

「ポルシェなんだから時速200km/hは出まっせ」

と言われるかも知れないが、例えば新東名を時速200km/hで走ると、即逮捕。免許取り消し、場合によってはムショ送り、となるので現実的ではない。

ポルシェ以外にも様々な「スポーツカー」と呼ばれるものがあるが、「荷物は運べない」「二人しか乗れないものがある」「燃費は悪い」など負の要素を散りばめた条件がスポーツカーなのか。

例えば身長165cm、体重110km、26歳、逆上がりのできない男、が運転していたとしてもスポーツカーなのか。

謎なのであった。









コメント ( 3 ) | Trackback ( 0 )




可愛がっていた愛犬が亡くなって一年が経過した。
そんなこと、私はすっかり忘れていた。
しかしカミさんがしっかりと覚えていたのだった。

「ロビンの命日忘れていた!お参りに行ったらなあかん」

とカミさんが夕食の時に思い出して叫んだのであった。

ちなみに、この犬の名前のロビン。
偶然にも大学時代の友人の旦那と同じ名前なのであった。

友人の旦那はイギリス人で名前をロビンといった。
話す時の日本語は関西弁という往年のイーデスハンソンみたいな変わった奴なのであったが、仕事はちゃんとした大手米国情報機器メーカーの社員ということだった。
その昔、彼に、
「イギリス人の英語はイントネーションがおかしい」
と言ったことがあった。
映画やテレビで慣れ親しんだ米語と比べての話だったが、それを聞いたロビンはにわかに怒り、
「ちがうよ〜、イギリス人の英語はおかしくないよ!アメリカ人の英語がおかしいんや」
と変な関西弁で返されたことがある。
彼は英語だけではなく日本語もおかしかった。

でこのマルチーズとなんかの混血だったロビンを一年前の6月に荼毘に付したには市営の斎場だった。
この斎場の敷地の隅に動物慰霊塔があり、ロビンの遺骨はそこにあることから一周忌のお参りをしてあげようということになった。

家族の一員として可愛がっていたロビン。
娘の成長を中学生から大学生まで見守ってくれたロビン。
番犬の役にはちっとも立たなかったロビン。
高速道路のSAのドッグランに連れて行くと他の犬から逃げることばかりしていたロビン。
公園の階段を上がることも降りることもできずに、階段の横の斜面を滑りながら上がったり降りたりしていたロビン。
ジャンボフェリーと南海フェリーに乗っけて四国旅行をしたらフェリーの中でビビリまくっていたロビン。
そんなロビンのためにカミさんが近くのドラッグストアで一輪の花を買い、私は自宅裏庭に咲いていた白詰草と三つ葉の花を摘んでそれをあけびの蔓で縛って小さな花束にして朝早く斎場へ向かった。

斎場へ行くとすでに一組のカップルが動物慰霊塔に手を合わせていた。
ロビンの一周忌を赤の他人がお参りに来ていくれていたわけはなく、別のお参りに違いないが、私達のような人は少なくないのだろう。

花束を花立に入れてカミさんは線香をカバンから取り出した。
チャッカマンで火をつけるのだが、これがいつもなかなかつかない。
風が邪魔をする。
火がつきにくい。
など色々と要因がある。
しかしこの時はどういうわけかすぐに火がついた。
しかも炎が上がっている。

「わ〜〜〜熱い熱い」
炎は小さいが線香を振っても消えない、叩いても消えない、風は少ししかないのでよく揺れている。
「きえへ〜ん」
とカミさんが喚く。
「そこの灰に付けたら」
灰に入れてもなかなか炎は収まらなかったが、やがて白い煙だけを出す普通の線香になったのであった。

「炎、ロビンのしっぽみたいやったな」
「そやな」
「来てくれたん喜んで飛びかかってきたんちゃうか」

有りえんことを話していたもののなんとなく、そんな感じがした。

ロビンはもともと亡くなった義父の犬なのであった。
義父が一人孫のうちの娘が中学校に上がったことを景気に「犬の散歩がしてみたい〜」と言っていた孫のために子犬から飼い始めた。
娘が高校に上がった年に義父は病のために他界してしまった。
義父の葬儀が終わった後、動物ホテルから連れ戻したロビンが義父の姿を求めてベッドの場所をあっちへこっちへと走り回ったのが寂しさを増幅させた。

その後、ロビンは特にカミさんに懐いた。
カミさんは義父のいろんな特徴を踏襲していて、とりわけ笑顔がよく似ている。ちなみに怒った時にわけのわからないのも似ている。
父と娘とはいいながら同じ臭いを感じたのかも知れない。

亡くなって一年。

生前よくしっぽを振って飛びかかってきたヘタレな犬は一年ぶりに訪れてきてくれたカミさんに嬉しくてしっぽを振って飛びかかってきたのかもしれない。
そんなことを思う、ロビンの一周忌なのであった。


コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )




兵庫県立歴史博物館へ行ってきた。

非常事態宣言下なので他府県への移動は大いに躊躇われたのだが、
ひとつ、兵庫県の状況も大阪府と似たようなもの
ひとつ、移動はマイカー。公共交通を利用しないので人との接触が極力少ない
ひとつ、会期終了が迫っており解除まで待っていると終わってしまう(会期最終日と非常事態宣言終了予定日が同じ)
ということでカミさんを伴って出かけてきたのだ。

兵庫県立歴史博物館は兵庫県といってもロケーションは神戸市ではない。
姫路市にある。
だから大阪府南部の我が家からは結構距離がある。
片道100kmはあると思う。
博物館は姫路市のシンボル姫路城のすぐ近くにあるのだ。
したがってその存在目的は世界遺産であり、かつ現存する天守閣では最大の姫路城を解説することにあるようだ。
常設の展示物は姫路城関連が主流を占めていたのだ。

私にとって姫路城といえば「暴れん坊将軍」の江戸城であり、「007は二度死ぬ」でのMi6に所属する忍者のトレーンングセンターなのだ。
が、私はまだ中に入ったことがない。
このこと、以前にも書いたことがあるように思う。
今回もまた非常事態宣言下ということもあり博物館だけ訪れたらさっさと帰阪することを誓っていたので、またまた訪問せずに終わってしまった。
しかし博物館では姫路城の構造や歴史などを見ることができて、それはそれで価値ありなのであった。
ちなみにフィクションの世界とは言いながらなぜ英国の諜報機関に忍者が所属していたのかはいまもって不明である。

今回この博物館を訪れた目的は「広告と近代のくらし」という展覧会を見るためであった。
戦前の広告の数々が出展されており、デザインやマーケティングを生業の一部とする私にとっては、勉強になると思われる展覧会だからだった。
それだけに「見なければ」という感覚が以前からあり、非常事態を圧して見てきたのだ。

出展品は幕末期の木彫り版画、いわゆる浮世絵と同じ技法で刷られた広告から明治、大正期の百貨店やお菓子メーカーの広告、昭和の前半のフリーペーパーなど。
いずれもアイデアを凝らした現在でも通じそうなデザイン資料の数々だった。

とりわけ百貨店の広告はその次代の流行を捉えていて面白いと同時に、各百貨店の個性の違いをうかがい知ることができて面白かった。
取り上げられている百貨店は三越大阪店、大丸心斎橋本店、阪急百貨店梅田本店などであった。
三越は今は大阪に存在しなくなってしまったが、戦前は北浜でブイブイ言わしていたことがよく分かる気品溢れた広告であった。
心斎橋の大丸もそうだが洒落たイラストレーションが巧みに使われていて、それなりの階級の人々を顧客として持っていることがよく分かる内容だった。

それと比較して阪急は写真を多用。
コンセプトは三越や大丸同様に高いところを目指しているものの、誰にでもわかりやすい現代的なその誌面構成は私鉄ターミナルの百貨店という前者二者との違いが現れていたのではないかと思ったりした。

そういえば一昨年88歳で亡くなった母が、
「昔は阪急百貨店は普段着で買い物に行ける百貨店やったんやで」
と話していたことを思い出した。
若いときに大阪市内に住んでいたときの経験だと思うが、そういうところが阪急の阪急たる特徴だったのであろう。

他にも森永や明治のチョコレートの広告、薬の広告、地元山陽電車などが並び非常に面白かった。
汐留のアドミュージアムでも同様の特集をやっているときもあるが、関西の博物館での開催だけに関西関連のものが多数あり、そのことも魅力的なのであった。

広告は単なるアートではなく、生きた文化と歴史を伴う素敵な芸術なのであった。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




CMが詰まらない。
なぜこんなに詰まらないCMばかり作られるんだろう。

これにはきっと作る側としての「安全策」が悪影響をして「冒険」ができない製作環境になっているのだと推測される。
とりわけ安全や医療などに関係する分野や、不正競争防止法とか独禁法に抵触する可能性のあるものについては神経質になって、よけいに冒険ができないのだろう。

「こんなCMできました」
「そんなの放送するのは危険すぎるでしょ」
「薬事法に抵触しない?」
「他者を貶める内容になってない?」
「セクハラって受け取られない」
「このタレント、不祥事大丈夫?」
なんて具合に。

広告代理店はスポンサーに気を使うあまり、極めて詰まらないCMを生み出しているに違いない。
その反動として、広告代理店や制作側は「安全優先」「気に入られ優先」になってしまい、結果、ごますりCMが出現する。
どういうものかというと、第三者が見ても詰まらないが、内輪で見たらウケるというもの。
ちょうど、お笑い番組で未熟な芸人を見ていてスタジオ内で笑い声が聞こえるが見ている方は「?」という現象ににている。

で、その代表が「スポンサーの社員が出演している」と思しきCMだ。

ある天気予報番組ではスポンサーの不動産業者の店舗が映り、「いらっしゃいませ」のポーズや「どうしまたか?」というようなポーズをとっている。
それがやたら白々しい。
しかも社員には厳つい容貌の男も少なくない、5人ほどの社員が一斉に「いらっしゃませ」をすると、不動産屋ではなく〇〇組の人たちではないかとさえ思えるのだ。

またある大手建築会社のCMでは社員と思しき数十人から百人を越える人たちが現場の作業着やスーツ姿で音楽に合わせて腕を振っている。

ただそれだけ。

作り手側はミュージカルかなにかをイメージしての画面作りなのだろうが、素人にタップダンスやレビューは無理なので音楽に合わせて腕をふるだけ。
見ているだけで疲れてくる。

こういうCMは他にも多数あり、広告といいながら内輪に向けたメッセージ感が一杯で、それら会社とは関係のない視聴者としては「こういう会社の社員にはなりたくない」というその会社の世界に対する違和感がにじみ出てきて正直チャンネルを変えたくさえなるのだ。
でも社員がテレビの画面に出ているので経営側としては「お前たちテレビに出られていいだろう」みたいな空気も漂っているうえに「これで社員の一体感が得られる」なんて自己満足に陥っているのではないかと思えてならない。
なぜなら見えいる方は完全に白けているから。

社内に向けてはいい顔できるのかも知れないが、社員が出てきてそれが何なのが、受け手側の感覚になるのになぜ気づかないのだろう。
これが今のメディアの一角のクオリティだと思うと.........な気分になってしまう。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )