<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地



電車や店舗でマスクなしで過ごしえいる人が多いことに驚き、憤りを感じることが少なくなくなった。
マスクを入手するのが難しいとはいえ、多くの人が繰り返し同じマスクを洗濯して使用したり手作りマスクを使ったりしているのにマスクもせずにお喋りに興じている人たちを見つけると「出ていけ!」と言いたくなる瞬間があるのが正直なところだ。

私が利用している最寄りの鉄道路線はJR阪和線。
JR阪和線は昨年のダイヤ編成で特急を除く車両がすべて223系または225系電車に統一された。
ステンレス製で高性能インバータを搭載。
最高時速は130m/h。
走行音は静かで早い。
首都圏を走る国電のお下がり。ボロボロの木造電車が走っていた頃とは大違いである。
新型車両に統一されてロングシートの座席の電車が一掃されてしまった。
つまり窓に背中を向けて座る山手線や大阪環状線のような電車のシートではなく特急車両のようなクロスシートになったのだ。
このため乗客は向い合せで座ることが少なくない。

この時、座った正面の乗客がマスクを付けていないと、正直言ってかなり気持ち悪い。
マスクを付けずにスマホでゲームやLINEのチャットに興じ行っている人たちが多いが隣同士座ってお喋りしている人たちも少なくない。
一昨日も仕事の打ち合わせで大阪市内へ出ようと電車に乗ったら向かい側にマスクを付けていない大学生ぐらいの男が座りスマホでゲーム。
しかも時々鼻をすする。
気色悪いので足で蹴り出したい衝動に駆られたが、そんなことをしたら私のほうが犯罪になってしまう。
たまたま次の駅で別の座席が空いたのでそちらに移って、この男から離れることができたのだった。

この人達は今の状況をどうかんがえているのだろうか。

今、日本以外の先進国はコロナウィルスで数万人の患者を出し、数千人の死者を出している。
日本は辛うじてそのような状態に陥ることが防がれている唯一の国だ。
この一つバランスを崩すと倒れてしまいそうな危機的な状況を押し留め、改善に持っていくには防疫しかない。
その最も基本的な手段がマスク。
マスクでウィルスの侵入を防ぐことはできないが、自身の飛沫を周囲に飛ばすことを防ぐことはできる。
いわばマスクは他人への配慮なのだ。
マスクを指定ない人たちは故意になのかアホなのか、その概念にかけている。

今、病院や一部の公共施設では入館時に体温チェックや消毒が実施されている。
電車とて同じこと。

マスクしていない人たちの公共交通利用は拒否する必要があるんじゃないか。
臨時に法律でも定める必要があるんじゃないか。

そう思われてならない状況になったきた。


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新型コロナウィルスは観光産業を崩壊へ導いているのだろうか。

先日2週間ほどの間隔を開けて京都の清水・産寧坂、嵐山と訪れてきてそこそこ旅行客を目にして微かな安心感を受けたのだが、先週、奈良公園を訪れてみると夕方だったこともあり動くものと言えば鹿ぐらいしか見当たらず、商店街の奈良町も開店休業の状態なのであった。
奈良は京都と比べると平常時でも地味ではある。
外国人観光客が増え始めたのも京都に遅れることつい数年前の話で昨年は鹿に悪戯をする中国人や韓国人観光客のマナーの悪さが話題になっていたくらいなのだった。

興福寺のあたりといえば春先の今頃は観光客がぞろぞろ来ているはずだが県庁前から五重塔を抜けて猿沢の池に出るまで、出会った人は数人なのであった。
鹿でさえ歩いておらず芝生に座り込みむしゃむしゃと反芻を繰り返していた。

私はどちらかという京都よりも奈良の方が圧倒的に好みなので、静かな奈良は大いに結構だがここまでくると寂しさを通り越して災害と言えるだろう。
事実、災害なのだ。

奈良が都であった天平時代。
首都奈良を中心に日本全土を恐るべしパンデミックが襲った。
そのパンデミックとは天然痘なのであった。
亡くなった人は当時の日本の人口の三分の一と言われていて100万人を越える。
パンデミックの収束には数年の時間を要し、国は想像を絶するダメージを受けた。
科学知識のない時代。
この恐るべし伝染病に対決するための有効な手段はなかった。

このパンデミックが収束が見えてきた時、時の聖武天皇は仏教を尊び釈迦の教えに国民救済を祈られた。
そして日本史上初となる国民のための仏教寺院東大寺が勅令により建立された。
奈良の大仏様は伝染病に疲弊した国民を立ち直らせ安寧を祈るために作られたのだった。

などどということを少しも考えずにただ「人、少ない。お店気の毒」と思いながら大阪への家路についたのであった。






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大阪南部地方秋祭りのだんじり祭り。
岸和田市のそれが全国的に有名だが、この地区ごとに一日中駆け回るだんじり。
一緒に走り回るとだいたい1日に25kmは走ることになる。
ハーフマラソンと同じ。
私のように日頃何もしないでいきなり参加すると祭り終了後2週間は筋肉痛や関節痛に悩まされることになる。
GAFAの一角を担うアマゾンドットコムの配送センターでピッキングの仕事を一日すると、これと同じぐらいの距離を歩くのだという。

コロナウィルス騒動で品薄通常商品を便乗値上げした出店者の首切りをしたのがつい3日ほどまえ。
アマゾンが正義を振りかざしたように見えることは実は世間からの非難を浴びないように動いた、ただそれだけのことかもしれない。
と、思ってしまうのはつい最近読み終えた横田増生著「潜入ルポ アマゾン帝国」(小学館)を読んだばかりだったからかもしれない。

横田増生はユニクロや宅配便の会社にバイトとして潜入して内部からみたその業界の姿を描き出す行動派ジャーナリスト。
そもそもは日本に進出してその存在感が高まってきた頃のアマゾンの市川センターに潜入取材したものが最初に読んだこの人の作品だった。

「ふ〜〜ん。アマゾンってこうなってんのか。やっぱりバイト待遇は人の扱いとは違うんやな」
と感じたものだった。
以来10余年。
久しぶりに潜入して取材されたアマゾンの小田原センターは人的管理手法が格段にバージョンアップされていた。

そのポイントは徹底した効率追求。
人をひととも思わない扱いぶりだ。

時間あたりのピッキング数の徹底管理。
できなければ切ってしまうアルバイト管理。
仕事中に作業者が倒れてもシステム通りに通報するということのほうが、即救急を呼ぶよりも優先される組織体制。
死人が出てもおかまいなし。

まったくもって生身の人間が作業するにはかなり厳しい環境のようだ。

さらにマーケットプレイスへの出店業者の生死も握った自社優位の管理。
タックスヘイブンのみならず、税金を払わないためには手段を選ばない秘密主義。

今回の著書で前回と大きく違うのは海外のアマゾンに対して同様の取材を試みている加害のジャーナリストへの取材が含まれていることだ。
世界中どこでも同じサービスを提供できるその組織力には恐れ入るものがあるが、やっていることは夢も希望もない効率一本主義。

アマゾンは非常に便利で私も書籍の購入、日用品の購入、衣類の購入と月に何度か利用する。
しかし本書を読むと、
「書籍はtsutayaか紀伊国屋、ジュンク堂で買おうかな」
「電気製品はちょっと高くても近所の量販店」
という気持ちになってしまう。
プライム会員になっていることに罪悪感さえ感じてしまう瞬間がある。

グーグル、アップル、フェイスブックにアマゾン。
一番夢がないのはアマゾンであることは間違いなさそうだ。





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アメリカの全国紙USA Todayに、新型コロナウィルス騒動に便乗して商品を不当に値上げして販売している3900あまりのアカウントをアマゾンが削除したという記事が載っていた。
アマゾンは自社の利益を確保するためなら手段を選ばない企業として最近はあまり評判が良くない。
税金逃れ。
低賃金でのバイトこき使い。
社内のカースト制度。
などなど。
でもこれが法的に「?」というマーケットプレイス出店者に対しては容赦なく斬首する。
この姿勢はなかなかポジティブにすごいと言えるのではないだろうか。

在庫していたマスクをオークションに掛けてボロ儲けしていた議員さんには是非とも見習っていただきたい行動に違いない。



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昨年秋、とあるアートイベントに作家として参加した。
この時にプロジェクターやら関連機器やら作品の部品だの、いろ小物を頻繁に買い物をしなくてはならなくなった。
この買物に最も便利だったのがアマゾンドットコム。
品物が探しやすかったからだ。
小口の注文回数が多いで運賃が馬鹿にならない。このため私は不覚にもアマゾンプライム会員に登録してしまった。
会費を払ったほうが送料などを勘案すると得だっただからだが、会費のような固定経費が大嫌いな私はアートイベントが終わったらそそくさと退会するつもりで入会したのだった。
ところがアートイベントが終了しても私はアマゾンプライム会員を退会できずにいた。
その理由は、
「プライムビデオの中に面白い作品を見つけてしまったため」
だった。

私はアマゾンプライムの罠にハマってしまっていた。
そしてその面白い作品とは「日本ボロ宿紀行」。

もともとはブログで発信されていた日本各地にあるボロ宿レポートがベースになったドラマだった。
ジャンルは間違いなくコメディなのだが、それも「泣き笑い劇場」と言えるようなドラマだったのがたまらない。
第1話から魅了され、大切に大切に全12話を見ることになった。

「ボロ宿」というのはどういうものか。
古くメンテナンスも十分ではなく「もしかすると廃墟」と見えなくもないくらい古い宿のことだ。
私は旅が好きで日本国内・海外問わずいろいろな宿に宿泊してきた。
しかしボロ宿に宿泊したという経験は記憶する限り、ない。
錆びた手すり。
朽ちた外観。
きしむ床に階段。
色の変わったタイル張りの風呂場。
あまり美味しそうと思えない食事などなど。
子供の頃に両親と宿泊した和歌山の宿がそんなところだったような気がしないでもないが、はっきり記憶にないし泊まりたくもない。
このドラマを見て今回こういうものを好んで追求している人たちがいることを始めて知って驚いたぐらいだった。
きっとこういうところに宿泊するのは訳ありな人なんだろうな、と思う程度だった。

そしてこのドラマでもワケアリの主人公たちが宿泊するのがボロ宿であった。

物語は昔クリーンヒットを飛ばした今は誰も知らない中年の歌手と亡くなった父の芸能事務所を引き継いた若いマネージャー兼事務所社長の二人がCDを売るために各地をめぐるという設定だ。
もちろんボロ宿はその彼らの宿泊先。
ボロ宿を軸に二人の掛け合いが実に面白く、時に涙する感動がある。
この過去の小さな栄光にすがり今は商業施設や宴会場で歌う中年歌手に高橋和也。
亡くなった父を引き継ぎたった一人の所属芸人になった歌手を伴い一緒に各地を回るマネージャーが深川麻衣。

正直私は知らない二人だったが第一回を見てその演技力、滲み出す魅力的な個性、そして人情あふれるストーリーに魅了されてしまった。

「誰なんやろな、この二人」

私はあまりテレビを見ることが無いので最近の俳優やタレントを見ても誰だかわからないことが多い。
マネージャー役の女の子はそこそこかわいいししっかりした魅力がある。
歌手の方は濃い個性だが、どこか親しみやすく一回見ると忘れられないイメージがある。

「あれ、これ高橋和也やん。男闘呼組の」

と言ったのはカミさんなのであった。
歌手を演じる高橋和也は30年ほどまえにジャニーズの人気グループ男闘呼組のメンバーであったという。
男闘呼組は丁度カミさんのような1970年代前半生まれの世代がよく知っているアイドルなのであった。
で、女優の方はと調べてみると乃木坂46の元メンバー。
それもつい最近卒業したばかりの現役に近いアイドルなのであった。

なるほど。
元アイドル二人が共演する人情味溢れた1話30分のコメディはアマゾンプライムを退会させないテレビを見るのとはまた違った引力を発散している恐るべしドラマなのであった。


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国内の新コロナウィルスの罹患者数が1000人を突破した。
日本以外のほとんどの国が移動を制限し外出禁止令を出している。
そんな中、インフルエンザの今現在の罹患者数を調べてみると、日本国内約11万人。(とある公的統計)
桁が違う。
これは一体何を意味しているのだろうか。


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「韓国の航空会社は潰れますね。国内線がほとんどないから」

と言ったのは取引先の課長さん。
全世界で広がる新型コロナウィルス対策の国境閉鎖に伴い国際線を中心に運行する小さな国のエアラインは瀕死の重傷を負っていることは間違いない。
韓国のように国内線が必要ない場合は最悪だ。
飛んでいく行き先がない。
これは韓国だけではなくヨーロッパのエアラインにもいえることだ。
さらにシンガポール航空のように国際線しかないエアラインは最悪である。
わたしゃどうすりゃいいのよ、という状態だろう。

そこへいくと日本のエアラインは国内線が安泰である。
最近はLCCが登場して市場を明け渡しつつあるが、ほとんどの都市間はやはり大手2社で分担しており、LCCもこの2社どちらかの傘下にある。
特徴は運賃が高いこと。
例えば大阪〜札幌の普通運賃は大阪〜パリ、大阪〜ロサンゼルスの格安航空券よりも高い。
その高い航空券がそのまま販売されることは少ないだろうが、特割チケットでも大阪〜札幌は大阪〜バンコクよりも割高である。
しかも日本は陸の面積は少ないかもしれないが領海を含めると立派な大国。
例えば札幌〜宮古島線は3時間以上かかる。
非常に広いテリトリーを持っているのだ。

このように本州四国九州北海道沖縄の5つの島とその他無数の有人島というエアラインが無いと少々困るという地理上の都合と、国による運賃許認可制がこういう非常時に会社経営に役立つ仕組みになっている。
そのためか、
「日本は立憲君主制ではなく社会主義社会である」
なんて言われる所以なのかもわかない。
日本のエアラインは国内線のおかげで少しは安泰だろう。

それはそうとて現状、世界の空はどうなっているのかと航空機位置情報サイトFlight Rader24を見てみると、太平洋、大西洋を飛んでいる飛行機の少ないこと。
クリックすると飛んでいるのは貨物便が多く、旅客便ももしかすると客は空状態で貨物をたっぷり積み込んで飛んでいるのかも。
そこで一句。

「エアライン、飛んでいるのは貨物便」
お粗末。





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年老いたハリソン・フォードはかなり魅力的だ。
映画「野生の呼び声」の予告編を見たとき素直にそう思った。
犬を連れてカヌーで激流を下るハリソン・フォードの姿は老人となった今もインディ・ジョーンズやハン・ソロと同じ野性味を感じさせる。
そんな雰囲気を十二分にたたえていたのだった。

まさかこの映画が公開されるとき、世界中がこんなことになっているとは予想もしなかった。
新型コロナウィルス。
寄席や劇場、テーマパークは営業を休止。
ウィルスの感染を恐れての行政指導に基づくものだが、その中でも映画館だけはなぜか営業を続けている。
これはどういうことかわからないが映画という媒体は劇場で観客が静かに観ることのできる娯楽だからかもしれない。
ワーワー騒ぐことがないのだ。

そんななか、近くのシネコンに娘と出かけて見てきたのがその「野性の呼び声」。

観客はまばらだった。
というよりも一桁であった。
私と娘。
年配の夫婦。
そして若いカップル。
計6人。
それが広い劇場の座席にトライアングルな配置で腰をかけていた。
私と娘は最後列中央。
年配の夫婦は左前方。
若いカップルは右手中央。
そんなに神経質にならんでもいいのでは、という配置なのであった。

でも実際に映画が始まるといつもどおり。
ドラマの世界へ引き込まれていった。

「野性の呼び声」はジャック・ロンドン原作の著名な小説を原作としており、実際のところ多くの人がストーリーを知っている。
私はあまり知らなかった。
知らなかったがストーリー途中から結末がだんだんと読めてきて、
「きっとこういうふうに終わってしまうのかな」
と思っていたら、そういうふうに終わってしまった。
なんとなく先が読めるストーリーなのであったが、それでも結構楽しめたのはハリソン・フォードの渋さとCGと感じさせないくらい極めてリアルな動物の描写だった。

コロナウィルス騒ぎがなければもっと多くの客が入っていたのではないかと思える作品なのであった。



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先日の京都・清水あたりの散策に引き続き先週末は嵐山へ行ってきた。
理由はまたまた、
「インバウンドが途切れている京都を見たかった」
から。

中国人や韓国人の旅行客の姿が消えて、
「京都へ行くなら今がチャンス」
と思っているのはネットを見る限り私たちだけではなかったようだ。
多くの人々が「京都奈良へ行くなら今しかない」と断言している。
私も今がその機会とばかり静かな嵐山や嵯峨野の竹林を散策しようとカミさんと二人で十年ちょっとぶりにこの京都の著名な観光地を訪れてきたのだ。
そして少しでも地元観光地に貢献したいと思い訪れたのは言うまでもない。

で、「空いている」という予想はある意味大外れなのであった。

静かな嵐山。
風にそよぐ竹林。
その竹林の隙間からキラキラと降り注ぐ淡い春の光。

そんな嵐山を想像して出かけたのだが、嵐電嵐山駅を中心に想像を超える多くの観光客で賑わう嵐山がそこにあったので大いに驚いた。
但しほとんどが日本人観光客。
外国人観光客も少なくないが韓国語や中国語を耳にすることは全くなかった。
さらにスーツケースをゴロゴロ転がして移動する集団が皆無なのは正直快適でもあった。

それでも観光客はピーク時に比べて格段に少なく団体客を相手にしている店舗ではディスカウントが行われていた。

「これ、コーヒー付きで1000円税込みです。どうですか?」

と言われて駐車場で受け取ったチラシには京湯豆腐の和食セット。
普段は1500円税別で提供されているものが1000円税込み。
しかもいつものなら追加300円のコーヒーが付いての値段であった。
2000円相当が半額ということもあり、丁度昼時でもあったので腹がへっており早速食べることにした。
案内されて入ったレストランはまさに団体客向け。
ここ数年内にリニューアルしたばかりと思われる真新しいレストランの中は数百席の座席を備えているが客はまばら。
私たちが入った時は話している英語のアクセントからアメリカ人と思しき8名ほどのグループ客と年配のカップルがいた。

窓からは桂川が見下ろせ、渡月橋もバッチリ。
こんなロケーションでお客さんが満席にならない今はきっとかなり厳しい状況なのだろう、と思った。

出てきた湯豆腐のセットは京豆腐がまるまる1丁が小鍋に入っていてテーブルに内蔵されたIHプレートでぐつぐつ温めてポン酢でいただくという本格的なものだった。
「美味い!」
とカミさんも私も大満足であった。
気がつくと私達のように価格につられて入ってきたと思しき人達でテーブルは6割から7割の入りになっていたのだった。
しばらくすると一組の東南アジア系と思われる一家が入ってきた。
中韓はいなくても他のアジアからの観光客はいるらしい。
と思っていたら、その家族の子供が、

「なんか修学旅行で行くレストランみたいやん」
「そうやな」

とみんな日本語で、しかも関西弁で話していたのであった。
外国人には違いないだろうが日本に長年住んでいるとしか思えない外国人一家なのであった。

観月橋はインバウンドで外国人が溢れていた頃は個人で写真が撮りにくいぐらい混雑していたというが、今回は混雑はしていてもカミさんとのツーショットなどは取りづらくない混雑さ。橋の交通量もほどほどで渋滞はなかったのであった。
暇そうで気の毒なのは人力車の人たち。
待てどなかなか財布の紐の硬い地元日本人観光客が多いため、開店休業の雰囲気が漂っていた。

売店やカフェ、レストランなどはそこそこの混み具合で土曜日ということもあるのか行列のできているお店もあった。
とりわけ嵐電嵐山駅からJR嵯峨野線の踏切までのメインストリートにあるカフェは満席のところが少なくなく来客の少なさに困惑という感じでもないのが印象的なのであった。

とはいえ嵐山。
本来ならもっと多くの人々が観光に訪れるところなのだろう。
コロナウィルスの騒動はいつ収まるやら。
一つ言えることは、今の京都はやはり本来の静かな観光にバッチリの雰囲気を持っていることは間違いない。






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東証もニューヨークも世界中で株価が暴落している。
売って売って売りまくれという状況なのだろう。
投資に使うようなお金を持っていない私なんかにはとんと関係ないことのように思うのだが、そうではないのだろう。

株で儲ける。

これってギャンブルなのだろか。
それとも事業の将来性に対する社会発展に対すると貢献とそれに伴う報酬なのだろうか。

今回のような世界的な危機において株価が暴落するのはきっと株の目的がギャンブルだからだろう、と私はついつい考えてしまう。
実態のよくわからないものに投資をして、見かけの価値を上げ、そこから得られる売却益を主体として銭儲けをする。
したがって事業の内容よりも事業のイメージや感覚が重要で、その感覚も社会に役立つとか国や地域の生活を向上させるというものではなく「金の匂い」がそういうものなんだろう。

個人投資家は簡単には株を売り買いしない。
個人の資産であり、それは例えば親や祖父母から譲り受けたものかもしれず、子供の将来のための預貯金の一種かもしれない。
そういう投資金は簡単には売らず、事業体を信じて待つことをする。
ところが売り買いだけで設ける機関投資家という名の企業や団体はそうはいかず、
「しまった!はずした!」
ということになるのだろう。

相場師のモラル。
いくつかの会社の今後の資産が大いに気になったりするのだが。

ねえ孫さん。


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