<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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長崎県佐世保市の少女Aによる殺人事件は全国に衝撃を与えた。
私もビックリした。
なぜならその少女Aは、私の娘と同い年だったからだ。

自分の娘とイメージを照らし合わせても、その年頃の少女が友達を殺し、その首をのこぎりで切断するなど、思いもよらないからなのであった。
多分、同じ思いをしている人は大勢いるであろう。

実はこのニュースを見ていて奇妙に思う事がいくつかある。
それはこれだけの凶悪事件を起こしていながら少女の本名が公にならないからだ。
神戸の酒鬼薔薇聖斗事件でも少年の顔写真を週刊新潮が掲載して大問題になったことがあったが、あれはあれで正論ではなかったかと思う人も少なくなかったはずだ。
私もそのうちの1人。
少年法を盾に「子供だから」というのは万引きや窃盗程度の罪に対してであって、凶悪殺人。しかもバラバラ殺人には適合されないのではないのだろか。

にもかかわらず、名前は少女A。
往年のアイドル歌謡と同じ感覚なのか。
実際はネット上には本名が飛び交っており、イニシャルMTぐらい掲載してもよさそうなものだ。

もっとおかしいのは学校の責任にしているところだ。
こういう事件を子供が起こす原因は学校にあるのだろうか。
あるかも知れないが、その99%の原因は家庭にあることは間違いない。
子供の名前を報道しないのであれば、親の名前を公にすべきで、保護者としての当然の責任である。

にもかかわらず、学校が悪い。
テレビの前に出て顔を晒して謝るのは学校。

無条理である。

今回の事件を報道から読み解くと、親の存在が非常に大きなウエイトを締めていることが分かる。
地元の名士。
父親は通販大手の顧問弁護士。
テレビへの出演も多数。
母親は教育委員。
何を教育していたのか、不思議な人物だ。

今盛んに子供の精神鑑定を、と報道されているが、これも姑息な父親とそのスタッフ弁護士の世を蔑む行動なのか。

子供の教育はだれのもの。
親と家族にきまっている。
誰だってそう思うんだけど、マスコミや少女Aの親はそうではないらしい。

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ショッキングなニュースが駆け巡った。
理化学研究所の笹井教授が自死したのだ。
ひととき注目された小保方研究員をリーダーとするSTAP細胞問題の真の中心的人物であり、ES細胞のスペシャリストであり、次世代の日本科学界を背負うはずだった人なのであった。

但し、もしSTAP細胞がホンモノであれば。

科学者の世界というのはシビアだ。
それも超シビアでもし間違いがあると、世界中から吊し上げを食う世界でもある。
今の小保方理研ユニットリーダーがそういう立場であることは、殆どの人が知るところだ。

以前、裁判の傍聴が面白いという本を紹介したことがあるけれども、実は科学者が集って研究成果を発表する学会の発表も裁判と同じほど面白い。
なんといっても、発表に対してその意見にアゲンストする科学者たちが持論を展開し、傍から見ているとケンカとしか思えない低レベルな難癖の付き合いが繰り広げられるからだ。

私も同じような経験を某国立大学で経験したことがある。
私は研究者の一種だが、会社から派遣されている研究者なので、会社の考えを代弁せねばならないという「すまじきものは宮仕え」みたいな立場を持っている。
実はこの時、私の考えは会社の考えと真っ向から対立していた。
ところが私は会社のメンバーのため、会社の主張を研究会の発表で代弁するはめに陥ってしまったのだ。
それはそれは「アウェー」という感覚なのであった。
その某国立大学の先生や研究者の皆さんは私の考えと同じであり、私はできれば「そのとおりなんですけどね」と言いたいところだったのだが、会社員研究者なのでできない。
できないから言えないので、攻撃を一身に受けることになってしまったのだった。
その攻撃の陰湿さは、陰湿であった。
どのくらい陰湿かというと、韓国で試合するサッカーの日本代表チームが受ける超幼稚な侮蔑とさほど変わらない意味不明な圧力が存在するぐらい陰湿なのであった。

つまり学者の世界は陰湿な部分が少なくない。
正直、こんな表現をしていいかどうかわからないが、学者の世界は非常に女性的な世界なのだ。
新聞で日本の研究者についてのみ、「陰湿だ」のようなことを言っているが、世界中のインテリは陰湿なのである。

科学の世界で生きるには、それなりの根性と耐久力が必要であることは言うまでもない。
冒涜されても持論を信じて研究を続けるだけの「あっけらかん!」とした、のほほ~んさが必要なのだ。

実はあまり知られていないが東大や京大、阪大クラスの研究者や学生なると、自分の研究に挫折して、毎年おかしな行動を取る人が少なからず数人発生するのだ。
つまり優秀なだけに、研究課題の重圧や、限界に対して非常にセンシティブになり、自分で自分の息の根を止めたり、止めようとする。
まったくもってショッキングな事実なのだ。

笹井先生はSTAP細胞については少々胡散臭いところがあったかもしれないが、日本の科学界に必要な人材であったことは間違いなく、悲観して今回のことに至ったのは、非常に残念でならないのであった。

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消費期限の過ぎたものだけではなく、加工途中で床に落としたものや腐りかけのものを薬品で処理したものを平気で出荷していたことがわかったマクドナルドとファミリーマートの中国にある鶏肉原料供給会社。
上海福喜食品。
被害を受けた2社だけではなく、外食産業全体に与えた消費者の不信感は当分払拭することができない。
中国企業は罪な集団だ。

ところが入ってくる情報を見てみると罪なものは中国企業だけではなく、日本の外食企業にもあるのだと気付かされる。
法律では外食の材料の産地を表示しなくていいそうだが、そのルールを逆手にとって、なんでもかんでも安いものを輸入して国民に食べさせている外食産業の実態が浮かび上がってきたのだ。
中国リスクをあまりに安易に考えて経営しているその姿勢に、おめでたいとしか言いようの内状態になっている。

例えば、今週の週刊文春や週刊新潮を読んでいると「このチェーンなら大丈夫」と思えるところが殆ど無いことに驚きを禁じ得ない。
「餃子事件以来中国由来の食材を一切使用していません」
と宣言しているのはコーヒーチェーンのベローチェともう一社だけ。
あのスタバもサンドイッチのチキンは中国産。
マクドと反対のコンセプトと思っていたモスバーガーもチキンと玉ねぎやきんぴらの原料は中国産。
ケンタッキーも鶏肉こそ国産鶏だが、一部の原料は中国産だった。
正直、かなり裏切られた気持ちだ。

最近スーパーの生鮮食品を見てみると「中国産」は殆ど見かけず、冷凍食品の材料に一部見られるだけ。
でも、「原材料 中国産」の文字を見ただけで買う気が失せて手にとったパッケージを冷凍庫に戻すのは私だけではないだろう。
買う人がいないのでスーパーも中国産をほとんどおかず、国産を探してきて販売している。
スーパーをみる限り生鮮食料品の国内自給率は9割以上。
マスコミや農水省の発表がウソに思える自給率の高さだ。

そもそも「安けりゃいい」という考え方がバブル崩壊以降の日本には充満していて、安全よりも安さを求めるばかりに変な食材を買い込むことになった。
でも学習すると「安全」は「お金を出して買うもの」というのがよく分かる。
海外からの輸入食材は中国産だけではなく他国でも問題が発覚。
ベトナム産のシシャモに殺鼠剤が混入していたり、ずっと以前だがタイ産の米に煙草の吸殻やゴミが混じっていたなんてことも無くはなかった。
中国産じゃないから安心、なんてことが絶対ないという証拠かもしれない。

安心して食べるものは目の届く範囲の畑や牧場で育った農産品。
畢竟、割高になるのは仕方がないとして、それも倍も二倍もするものじゃあるまい。

水と安全はただと思っている日本人、という言葉があったが、食の安全も同じであることがよくわかった昨今のニュースなのであった。

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