<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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チェーン形式のビジネスホテルに宿泊すると全国どこでもほぼ同じサービスを受けることができる。
何度も宿泊しているうちにそのホテルの雰囲気に慣れてきて、どの都市へ行っても落ち着いて滞在することができるようになってくるのだ。
但し、その土地の雰囲気を楽しめないという欠点はあるけれども。

さて、出張の多い私はいつの頃から東横インを利用するようになった。
その理由は会員になると宿泊回数に応じて無料で宿泊できる特典があったことや、初めて利用した東京都内の東横インの部屋の大きさが価格の割に広かったことが気に入ったからでもあった。
東京では1泊8000円を出しても「ドアを開けるといきなりベッド」というようなビジネスホテルが少なくない。
そこへいくと7000円と少しの東横インは広さについてはグッドだと感じたのだ。
一頃世間を騒がせた身障者用の客室については一般の客室より広く作られている。とりわけバスタブがゆったりしているので私は大いに気に入っているくらいだ。

東京都内や大阪市内のように一地域に同じホテルが点在している場合、どのホテルに泊まるのかはその土地の立地条件やその時々の仕事の内容に応じて選ぶことになる。
東京都内では私はこれまで東横インに限って言えば新宿歌舞伎町、大井町、門前仲町永代橋、浅草千束、浅草駒形、浅草橋交差点、人形町を利用した。
それぞれが特徴ある土地柄で、それぞれの持ち味を感じることができた。

例えば新宿歌舞伎町。
ここは規模が大きく客室も多いようだが、いかにせん立地条件が歌舞伎町。
周辺は深夜まで喧しいし、「その業種の人」は入れない筈のホテルでもケバイ化粧に全身真っ白けのハデハデ衣装に身を包んだ「それらしい」女性がうろついていたりして落ち着かない。
もしかするとホテル内に宿泊客として滞在し、ホテル内での商売に精を出しているのかも分からない。
もともとホテルでは静かに過ごしたい私とって、ここには一度宿泊しただけで十分で、以後敬遠してしまう地域的特色が存在した。
大井町は東京ビッグサイトで仕事があるときにはりんかい線1本で移動できる便利さがあった。
ところが大井町という場所は詰まらないところで、周りには粋な飲み屋も、気になるお店もまったくない。
超ローカルなターミナル、という東京にいながら地方都市っぽい退屈な印象しかしない場所だった。

門前仲町は下町ならではの雰囲気が漂い、私の好きなところのひとつ。
なんとなく落ち着く雰囲気が周囲にはあるけれども、それは駅前の話。
一方ホテル周辺はビジネス街。
ちょっとばかし詰まらない。

下町ということならば浅草の右に出る地域はほかにない。
大阪人の私は東京では浅草近辺がいちばんお気に入りのエリアだ」。
ともかく浅草は落ち着いて滞在できる雰囲気があり、面白い。時に粋でもある。しかし気取らない。
私のお気に入りのホテルは浅草千束で、ここはつくばエクスプレスが開通するまでほぼ陸の孤島だった。
東京メトロ下谷駅や都営地下鉄浅草駅からは15分以上歩かなければならない場所なのだ。ところがここはまさに浅草。
浅草寺まで歩いて10分ほどだし、もちろん浅草の繁華街も歩いてすぐ。
落語、もつ鍋、鰻に寿司。なんでも楽しめる。
5分も歩けば夜8時まで開館している台東区立図書館はあるしJAZZが楽しめる小さなライブハウスも目の前にあったりして退屈しない。
スパーマーケットも近くにある。
マイナス面を言えば吉原に近いことで、「千束に泊まってます」なんていうと遊び人と間違えられる心配がなくはないところなのだ。
間違っても女性には「千束に泊まってます」なんて言えないホテルだ。

チェーン形式のビジネスホテル。
使い方、滞在の仕方で楽しくもなり、つまらなくもなる。


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ある旅でミャンマーのヤンゴンに滞在したとき、安さだけを追求して1泊8ドルの安宿に宿泊した。
その時はできるだけ安く旅行をしようと考え、移動は乗り合いバスで、宿泊は外国人の宿泊できる超安宿で。但しドミトリーは不可。
という条件を旅行社に投げてみた。
するといつもの旅行社が探してきたのがくだんの安宿だった。

このホテル。
ともかく繁華街のど真ん中に位置していて便利なのは良かったが、ともかく喧しい。
ヤンゴンは停電が頻繁に発生し、その都度エアコンのスイッチが切れる。
扇風機を回すこともできないので、暑いから窓を開ける。
窓を開けると夜中でも外の喧騒が飛び込んできて喧しいことこの上ない。
で、暫くすると電気が復旧し、窓を閉めてエアコンのスイッチを入れる。
そして落ち着いた頃再び停電が発生するのだ。

私の部屋はホテルの4階に位置していたがエレベータは当然ないので階段で上り下りしなければならない。
部屋で一息ついて、何かのみたいと思っても、わざわざ階段を下りて飲み物を買い、そしてまた暑い中汗をかきながら階段を上がってこなければならない。
しかも部屋に入ってもエアコンが動いているという保証もなく、スイッチを入れたら停電中だったというような事態になっている。

スタッフは愛想よく親切でも有り、ホテルの清潔度も高かった。
しかし騒々しくて安眠することができず昼間外を散策しているよりも、夜、ベッドで寝ている方が疲れるという飛んでもないことになってしまったのだ。

ミャンマーというある意味日本と比べると随分と特殊な条件下での滞在なのだったが、価格が安けりゃ良いホテルという論理はここにめでたく崩壊したのであった。

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良いホテルの条件とはいったい何だろう?

安いホテル。
駅に近いホテル。
部屋が広いホテル。
などなど、人によって様々だろう。

バックパッカーの場合は安宿を好む習性があり、バックパッカーではないが私も旅を始めた当初は安宿が大好きだった。
というのも、2度目の東南アジア旅行で訪れたタイのバンコクでは1泊30ドルほどのホテルが日本の中級ホテルに匹敵する設備を有していることを知ったからだ。
「もっと安くてもいけるのでは(=まともな宿泊ができるかも)」
とさらに安いホテルを探し出すことに躍起になった。
ちなみに初めての東南アジア旅行はシンガポールでそこそこのホテルに泊まったため1泊100USドルほどかかった。

バンコクでバックパッカーが集まるカオサンのような場所は好きではないので別の場所で探してみるとニューロードと呼ばれる地域で、1泊1800円程度の宿を見つけることができた。
さっそくインターネットで予約して宿泊してみた。
部屋はさすがに狭く、窓の外はすぐに隣の建物の壁、といった具合だったが、室内は清潔で冷蔵庫もあり、なんといってもスタッフが気さくで親切で、レストランの料理や飲み物も安かった。

そんなこんなで暫くそのホテルを定宿としていたが、ある年突然経営者が代わったといううことでスタッフも無愛想になった。
宿泊料金は変わらなかったのだが、スタッフの給料は安くなったのかも分からない。
そんなこんなで不愉快だから別のホテルに定宿を移すことにした。
それが今の定宿となっているサービスアパートだが、良いホテルの条件がなにも料金の安さではないと気付いたのはこの時ではなかった。

つづく

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今回の旅の目的地がベトナムになったのはそれなりに理由があってのことだった。
ハネムーンになる旅行だから、ということで私はいつもとは違った特別な旅を計画。
目的地にアメリカのニューヨークを希望した。
ブロードウェイミュージカルやジャズを楽しみ、大阪でも東京でもないNYのスタバでお茶をして、地下鉄に乗って数多くのギャラリーなどを見て回ろうと思っていたのだ。
普段、東南アジアばかりを旅している私にしては大胆な計画で、これも休みを多めにとっても文句を付けられにくいハネムーンという特別な旅行だからだ、と考えてのことだった。
かなり張り切った旅で未来の嫁さんも即座に賛成してくれていた。

ところが、この目的地ニューヨークがベトナムに変わるのに時間はさしてかからなかった。

私の嫁さんになった女性には十歳になる娘が一人いた。
ホニョ(もちろん仮名)という名前でノホホ~ンとした大変性格がおおらかで良い娘だった。
幸いなことに早い時期からホニョが私に懐いてくれたことで、私も人生における最大の決意、つまり結婚することを決めるに至ったのだ。
このホニョ。
大変おとなしく、勉強の出来も悪くなく、時にものすごくお喋りで陽気な性格をしているのだが、いかにせん現代の日本娘。
かなりおっとりしている。
それもあまりにスローし過ぎているために、どうも「シッカリしていない」という印象がぬぐえないことが多い。
ポジティブな性格は大いに大切にしてあげるべきだが、大人になってもノホホ~ンでは困る。
親としてこちらは心配するばかりだが、なんとかそのノホホ~ンとした性格を矯正するための良い方法はないものかと検討した結果、次のようなアイデアが浮かんだ。

東南アジアに行けば経済的な事情で十歳にもなれば街に出て働いて家計を助けなけばならない子供たちが沢山いる。
いや、十歳どころか日本で言えば幼稚園年長組ぐらいの頃から兄弟姉妹の面倒を見ている子供たちも少なくない。
私の父母や祖父母の代ではそんな光景は日本でも珍しくなく、六十年代生まれの私でも家業を手伝う小学生の友達は少なくなかった。
私も夏休みなどは父の会社の倉庫の手伝いなどをしたものだ。

ところが今の日本は恵まれすぎているのか狂っているのか、子供が現実の社会に触れる機会が著しく少ない。
そこで、私はホニョを東南アジアの国に連れていき、自分と同じ世代の子供が堂々と家事を手伝い、街で働いている姿を見せカルチャーショックを受けさせてやろうと考えたのだ。
このアイデアに未来の嫁さんも即座に同意してくれた。
彼女も自分の娘に同じ思いをもっていたのだ。

早速、どこへ行くかの吟味が始まった。
まず私は、ここ数年の間、何度も訪れて大のお気に入りになっているミャンマーへ行くことを考えた。
ここであれば孤児院を併設しているお寺も知っているし、地方や少数民族の子弟を預かり教育に努めているお寺も知っている。
とりわけ後者のお寺は私自身寄進もしたことがあり、80歳を超えるご住職は立派な方で説法を受けるのも大変勉強になると思ったのだ。

ところが嫁さんが「ミャンマーは怖い」と言うのだ。
なんでも数年前に日本人ジャーナリストが殺害されたような自由の無い、軍事独裁の国家は危険が一杯で子連れの旅などしたくないと言う。
これには私は困ってしまった。
テレビやラジオ、新聞が伝えるミャンマーの姿は真実とはほど遠く、まして一昨年のデモ騒ぎで殺害された日本人ジャーナリストがいかに迷惑な御仁であったかなど、まったく伝えていないのだ。
自信を持ってミャンマーの都市部は安全だと断言できるのであったが、さすがにアジア旅行の経験のない嫁と娘を伴ってのミャンマーはかなりタフなものになるに違いない。
私はミャンマーを訪れることをとりあえず断念した。

次に私は「タイはどう?」と訊いた。
なんといっても微笑みの国、タイ。
在留邦人は10万人以上。
バンコクはここ数年で驚くほどインフラが良くなり移動にも困らない。
現地の食事に飽きたらマクドナルド、ミスド、8番ラーメン、すし屋、居酒屋など日本でもお馴染の味にも困らない。
ホアヒンのようなリゾートに行くとリラックスできること太鼓判である。

ところがタイも否定されてしまったのだ。
なぜなら昨年末からバンコクを中心に再三繰り返されている元首相タクシン派と反タクシン派の政争による空港閉鎖などが危惧されてしまったのだ。
日本国内は不況でリストラの嵐が吹き荒れているのに、もし空港閉鎖で何日も足止めを受けたりしたら帰国しも仕事がなくなっているかも知れない、というのが心配の理由だった。

で、残されたのがベトナム。

最近のベトナムは中国の影響もあり経済が急速に発展していて日本でもポジティブな話題が多い。
女性誌では盛んにエステやリゾートが話題になっているようだ。
私も5年前にサイゴンだけを訪れていて、ちょっとは雰囲気を知っている。
もちろん、社会の構造は他の東南アジア諸国とも似通っている。
それに食事が日本人の舌にマッチしている。
娘のためにもなりそうだ。

そんなこんなでハネムーン旅行の行き先は無難なベトナムに決まったのであった。

つづく

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久しぶりにベトナムを旅してきた。
前回訪れてから5年間の、かの国の激変ぶりに驚いてきたのだ。

この間、私の方も激変しており、ベトナムも私もええとこ勝負なのであった。
ベトナムは急速な経済発展で前回2004年に訪れたときに感じた活気を何倍にも増幅したような、それはもう、めちゃくちゃなエネルギーで、度肝を抜かれた。
こっちはこっちで前回のチョンガーの一人旅から、嫁さんと娘を連れた家族旅行に変貌。
ブログでは暫しお話していなかったが、なんとつい最近、私は子持ちの女性を嫁さんをもらってしまっていたのであった。
尤も旅のスタイルは従来のバックパッカーを少しばかり豪華にした勝手気ままな個人旅行に変わりはない。
でも、単独の旅行から家族旅行に変わった変化は小さくなかった。

それにしてもベトナムに満ちあふれているエネルギーはなんなのだろう。

輝き。
飛躍。
希望。

私たち日本と同様に千年以上も歴史のあるこの国が、まるで生まれたての若者の国のように活気に満ちているのだ。
人々のまなざしは希望に燃え、ニートがどうしたの、格差社会がどうのこうの、と、どこかの労働組合みたいにヘタレな人々が増え続けている我が日本とは大違いなのだ。
かといって、すべてがすべてエネルギッシュな人々で占められているかというと、そうでもないのもまた事実。
しかし、成熟し、心身共に老齢化している日本よりは遥に力がみなぎっているように感じられた。

それは街の景色に端的に現われている。

まず、バイクの数が半端ではない。
前回の2004年の時もそのバイクの数に驚いたのだったが、今回はそれどころではない。
バイクだけでサイゴンの街の大通りは渋滞が頻繁に発生しているのだ。
もともとバイクの洪水はこの国の名物のはずだが、それにしても少なくとも前回の1.5倍はあったと思う。

そして、もろ中古車が消えていた。
前回は路線バスの多くがハングル文字そのままの韓国の中古バスだったが、今度はそんなバスは1台も見かけず綺麗に塗装された普通のバスが走っていた。
そしてミャンマーなら今でも見かける小型のオート三輪もすっかり姿を消し、そのかわりに日本車を巧みにコピーした韓国の小型トラックや、本物の日本車(多分タイかベトナムでの現地生産品)が走り回っていたのだ。

高層ビルが建ち並び、バブル期の日本のようにビル建設のクレーンが林立している。
5年前はとんと見かけなかったコンビニまで現われていた。

ということで、独身から娘を持つお父さんになってしまった私はベトナムの姿を家族と共に体験し、そして少しばかりだが、そのエネルギーを受け取ってくることができた。
私の旅は新たなステージへと踏み出したのだ。

ということで、まもなく久々に旅行記を連載しようと思っている。
題して「サンゴンへ来た妻と娘」。
と、いうのは冗談。
近藤紘一の名著に失礼になるのでパロディにするのは避けるとして、「ベトナム大冒険」という感じで「ミャンマー大冒険」シリーズの自著のパクリ題名なんかで書いていきたいと考えているのだ。

なお、子持ちといっても嫁さんはシシャモではない。

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数カ月前にテレビ大阪「ガイアの夜明け」でTDLでの人事評価の模様が放送されて感心したことがあった。
互いに「笑顔はどう」とか「接客態度は」とか、といったテーマーパークの従業員として必要な態度を評価する方法紹介されていたのだ。
私にはこれがなかなか洒落ているように見えた。
どういう方法かというと、キャストと呼ばれるスタッフが来園者としてパーク内を回り、他のキャストを採点していくという方法だった。

「なるほど。合理的でやる気が出る方法やな。さすが天下のTDL」

とその時は思った。

しかし、よくよく考えてみると、「お互いを刺激する方法」である他者観察方法は「いつ誰に、どのように見られ、どのように評価されているのかわからない」という監視制度に他ならず、あな恐ろしや、と感じるようになってしまった。

「案外、内情は陰険なのかもわからんな」

と、つぶやいてしまったのだ。

そういう意味で松本圭祐作「ミッキーマウスの憂鬱」は私が抱いていた東京ディズニーランドのバックステージのイメージをまったく裏切らない物語だった。
もちろんフィクションではある。
でも物語も作り話にしては結構リアルに感じさせるところがあった。
至るところに関係者でないと知り得ないのではないかというエッセンスが鏤められていたのだ。

この誰もが覗いてみたいディズニーランドの裏側を舞台にして実はもっと大切なものがこの小説では描かれていた。
それは最近の若者の職業に対する取り組み意識みたいなもので、実はその部分が最も面白かったりするのだ。

主人公の後藤君はどう見てもニートで、これまで職業を転々としてきたことを窺わせる。
そのニートな後藤君が仕事に対する甘い認識しか持っていなかった当初から、次第に骨のある若者へと成長していくところが、かなり魅力的なのだ。

とはいえディズニーランドの裏側を、なんだかどこかの秘密組織のように描いているところは、ホンモノのディズニープロダクションやオリエンタルランド、三井不動産からクレームは付かなかったのか、知りたくなるところだ。
もちろん、これはエンタテーメントのフィクション。
これもまたディズニー神話のスピンオフと思えば、怒る方がおかしいというものだろう。

お手軽娯楽小説。
肩の凝らない一冊だった。

~「ミッキーマウスの憂鬱」松本圭祐著 新潮文庫~

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