<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地





文化庁が熊本市を行政指導したのは先週のこと。
なんでも、
「熊本城をイベント会場ばかりに使うのなら、文化財の助成金はカットします」
というもの。
熊本市がお城を使ってイベント企画ばかり打つものだから、史跡なのか展示会場なのかわからなくなっているのだという。
加藤清正公もビックリというか、感心するというか、九州熊本県はただ者ではない、地方都市なのであった。
もっとも、領民の生活に重点を置いた行政手腕を発揮し、肥後の人々に今もって絶大な支持のある清政公のこと。
領民の子孫である熊本県民が関西も関東もビックリするように変革にいそしんでいる姿を、きっと満足して天空より見つめているに違いない。

この熊本の活気力のシンボルがゆるキャラ「くまモン」。
その経済効果は彦根のひこニャンを遥かに凌駕し、もしかすると千葉浦安に住んでいるネズミのキャラクターに匹敵するかも知れない人気者となっているのだ。
我が家では、すでにくまモン人気が中学生の娘をして「きゃりーぱみゅぱみゅ」を凌駕しており、おっつけ熊本旅行に連れて行かなければならないという、リスクが生じそうで出費が空恐ろしいものがある。

そのくまモンの誕生から今日に到るまでのプロモーション秘話を収めているのが幻冬舎新書「くまモンの秘密 地方公務員集団がおこしたサプライズ」。
実際に、くまモンを使った熊本県の関西でのプロモーション活動をどのように展開し、どのように話題作りをし、成功に導いていったのか、というサクセスストーリーが記されており、キャラクタービジネスだけではなく、物事のプロモーションを含めたデザイイングの重要なヒントになることが満載の一冊なのであった。

それにしても昔は神戸のことを「株式会社神戸市」などと言ったが、やっぱり神戸は大都市として地の利があり、地方とは一概に言い難いものがあった。
その大都市神戸が商売上手なのは、他の自治体があまりにも下手くそすぎたからでもあり、特別なものは、今思い起こせばあまりない。
そこへいくと、今回の普通ではないくまモン人気により熊本の活性化は、神戸のそれと比べ物にならないインパクトがある。
そう、サプライズというよりも、インパクトなのだ。

くまモンは「かわいい」という存在だけではなく、「オモロイ」という存在にまで高まっており、他のゆるキャラと一線を画している。
「オモロイ」と関西人を唸らせるその魅力はキャラクターのデザインだけではなく、動き、身体で見せる「生きた」キャラクター化しているのだ。
その手本はやはり浦安のネズミさんなのであった。

最もユニークなのは、この仕掛を仕掛けて運営しているのが地方公務員の人たちであることだ。

実際、地方自治体のマーケティングなんてものは、かなりいい加減なのものだ。
例えば、観光客数のカウントでちゃんとした統計資料を持っているのは、信じられないかも知れないが京都府だけである。
自治体によっては目分量でカウントしているところもあり、「観光立国」の名が廃る前に、すでに京都以外が腐っているといっても過言ではない。
首都東京はビジネス客と観光客の区別ができず、事実上の第二都市大阪は出たり入ったりしている人をダブル、トリプルカウントしている始末なのであった。
そこへ大阪府は橋下府政ならびに市政が起こり、今大規模に変化を遂げているところで、全国の注目を集めているところだ。
東京は相変わらずオリンピック誘致で浮かれ気分だが、何が悲しくってオリンピックを再び東京でやろうという、その企画力の無さに都政の実力が現れている。

大阪府はトップダウンでの改革だが、熊本が面白いのは地元出身のコンサルタントを起用した活動であるということ。
コンサルタントは映画「おくりびと」で脚本を書いた小山薫堂であり、そのやりかは東京や大阪よりも洗練されていように感じられ、熊本の活力が感じられる。

ともかく、実は熊本県にはクマは生息していないということで、くまモン誕生には反対する人もいたという。
細かなところに物言いを付ける「なんでも反対派」はどこにでもいるようで、計画のプロモーションには負の要素の交わし方ヒントも含まれていて、これは今現在必読の新書ということができるのではないか、と思った。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




アベノミクスの勘違いの話を聞いてほどない頃、大阪駅で、これまた勘違いを目撃することになった。

大阪駅がリニューアルして2年ほどが経過。
今日はその北側にグランフロント大阪というビジネス、アカデミー、ショッピングが渾然一体になった施設がオープンする。
中でもナレッジ・キャピタルは大阪の大手企業数社が合同して設立した知のイノベーション施設。
大阪大学をはじめ海外からも一流の大学や研究機関が入っているし、大手企業だけではなく、中小、個人と関西から革命を起こそうという心意気のある機関や人々が集う場所だ。
首都圏でもない試みなので、注目度はかなり高い。

で、その事件はこのナレッジとは関係ない場所と話題で起こった。

その時私は、神戸の須磨区へ向かうため姫路行きの新快速電車に乗ったところだった。
その北隣のホームには京都方面に向かう電車が入ってきたのだが、近くにいたオッサンが一言、

「トンガ、ってどこや?」

トンガ。
南太平洋に浮かぶリゾートアイランド、だったような気がするのだが。
子供の頃はトンガと聞けば、なんとなく冒険漫画に出てくる舞台だったような気がするのが、何がトンガなのか。
で、その人が見ている視線の方をみてみると、そこには新快速電車が停車していて、行き先表示に「敦賀」とある。
福井県敦賀。

京阪神を走るJRの新快速は圧倒的な速さで私鉄を鎮圧。
例えば大阪から京都は阪急、京阪では45~50分かかるのに対し、JR新快速は30分。
大阪~神戸三ノ宮は阪急、阪神では30~40分かかるのに対し、JR新快速は25分。
正直、JRの中でも特急よりも早かったりするすぐれものだ。
そのため結構長距離を走る。
西は播州赤穂から東は米原、敦賀まで。
3年ほど前は西は岡山まで走ったことがあったらしいが、利用者が少なかったので打ち切ったのだという。

ここで問題のなが敦賀。
ドアのものとに立つオッサンは「敦賀」を「トンガ」と読んでいたのだ。
確かに莫高窟で有名な中国の「敦煌」は「とんこう」と読む。
だから「敦賀」も「とんが」なのか。

なるほど、と思いながらも福井県の知名度を上げる広報は原発頼みではダメなんちゃう、と少なからず感じたあゝ勘違いなのであった。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )






「アベノミクスって、ボク、阿倍野の新しいショッピングモールのことかと思ってたんですよ」

大阪には繁華街がいくつかあって代表的なのが「ミナミ」と「キタ」。
「ミナミ」は難波心斎橋エリアで、こちらは南海電車のなんば駅を中心とした江戸時代から続く繁華街。
道頓堀や宗右衛門町といった江戸時代の娯楽エイリアや戦後発展したアメリカ村もこのエリアだ。
「キタ」は梅田エリアで、こちらは阪急阪神の梅田駅とJR大阪駅を中心とした、どちらかというと明治後開けた繁華街。
北新地、茶屋町、今週末にオープンするグランフロントなんかがこのエリアだ。

東京には遠く及ばないが、第二の中心都市である大阪には他にもいくつかの大繁華街がある。
「京橋」「江坂」「上本町」
と点々としているが、キタ、ミナミに次ぐ大きな繁華街が「天王寺」。
JR線天王寺駅と近鉄線あべの橋駅が中心になったエリアで、広く数えると通天閣のある新世界もこのエリアに含まれる。

この天王寺。
別名阿倍野。
国道25号線を挟んで北側に天王寺駅があって、南側にあべの橋駅があり、当然住所も天王寺駅が天王寺区、あべの橋駅が阿倍野区になる。
このあたり、個々数年ミナミを追い越しそうなくらい発展を遂げる繁華街に成長している。

もともと梅田が阪急村といわれるくらい阪急関連のショッピング施設が集まっていたのだが、阿倍野は近鉄村と言っていいぐらい近鉄関連の施設が集まっていた。
そこへ一昨年、東急グループのキューズモールがオープンし激戦化。
キューズモールの中に何故か渋谷109が入っており、
「なんで天王寺が渋谷やねん」
という関西人の疑問に応えることもなく、コテコテした109にティーンエイジを中心に多くの買い物客が集まっている。
そこへビルとしては日本一の高さを誇る阿倍野ハルカスが完成に近づき、ますます注目度が集まっている。

そんなところに流行語「アベノミクス」が広まってきたわけだから、政治経済にあまり関心がないと、冒頭のセリフがホントに出てくるのも無理は無い。

アベノミクス。

でも、冗談を本気でやってしまう大阪なので、アベノミクスってモールができても不思議ではないところが、リアリティ溢れるあゝ勘違いなのだ。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




夜遅くまで飲んでいて、
「さあ、家に帰って寝るとすっか」
と時計を見たら終電が終わっていた。
というのが、これまでの話。

新聞報道によると政府が東京都に都営地下鉄と都営バスを24時間運行するように申し入れたという。
つまり地下鉄やバスで通勤できる範囲の人たちは、いつでも移動でいるということを意味し、深夜まで飲んでいても問題がないということも意味しているのだ。
それよりもなによりも、国際都市東京というところで時間の制限なくビジネスができるということは地球の裏側ともリアルタイムに動いているビジネスパーソンにとっては大きな朗報になるに違いない。

もちろん、私は大阪人なので関係ないのだが、というか出張で東京滞在時は便利なのだが、是非とも近々民営化される大阪市営地下鉄も終夜運転していただきたいと思うのであった。

ところで、地下鉄の終夜運転は可能なのか。
これって物理的に大きな疑問でもある。
政府が「走ってよ」といっても簡単に変えることができない相談でもあるはずだ。

というのも「保線作業はいつやるの?」という問題がつきまとう。

鉄道の運行には保線、つまりメンテナンスが必要で鉄道会社はダイヤの合間を縫って線路の交換、電気設備の補修、プログラムの入れ替えなど安全運行に努めている。
このダイヤの合間の一番大きなところが深夜の部分で、だいたい大きな工事は深夜の1時から5時ぐらいまでに行うのが通例だ。

「ニューヨークの地下鉄は複々線区間が多いから24時間運行が可能なんです。」

かつて24時間運行を求められた都営だったか市営だったか忘れたが鉄道関係の人が新聞記者に答えていたのを思い出した。
従って地下鉄の24時間運行は現実的にはスポット的になり、現状では難しいところだが、東京と大阪に限って言えば、複数の路線が走るエリアでは順番に深夜の運行運休を決めて運営すると、なんとかできるんじゃないかとおも思う。
これをカバーするのがバスで、バスの深夜運行はタイのバンコクなんかでは当たり前のようにされており、バスの本領発揮はこういうところに活かすべきなのだ。

大阪市営バスも生き残りを図りたいのであれば、深夜運行のアイデアを考えるべきと私は思っている。
ただタクシー会社の反発を食らいそうなので注意が必要だ。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




「もう地震は400年間起こりません。だから、大丈夫です。」

阪神淡路大震災後、駆け出し数年生の営業マンだった私は震災支援関連の仕事で関西の某地方自治体の役所を訪れた。
まだ神戸には瓦礫が残っていて行方不明になっている人も少なくない頃。
大阪駅に「姫路」「網干」行きの電車が走るようになって感無量な気持ちになってから程無い頃の話で、防災に関する備蓄設備について説明する私に放った役所の担当者のセリフが冒頭の言葉だ。
あれだけ大きな地震が起こったのだから、もう400年は起こらない。だから役所では予算をつけません、というお役人らしい考えだ。

あれから18年。
震災ほどの大きさではなかったが、大きな地震が発生した。
2013年4月13日土曜日午前5:33分。
間違っても西暦2405年4月13日ではない。
ガタガタガタと家全体が踊るような大きな揺れ。
TVチューナに接続しているハードディスクが倒れて、本棚の本が飛び出しそうになった。
あの担当者が今も同じ役所で働いてたら、襟首ひっ捕まえて玄関先に放り出したいところだ。

それにしても昨日朝の地震は大きな地震だった。

「6時になったら起きよう」

と思って布団の中でゴロゴロしていたら突然揺れだし、だんだん揺れが大きくなったので、

「おお、ついに来たか。東南海地震!」

一瞬にして目が覚め2階へ駆け上がり、早朝起きてブログを書いているカミさんと、まだベットで鼻提灯をだしているはずの娘の元に走ったのであった。
部屋に入るとMacの前からカミさんの姿が消えていて、よく見ると隣の娘の部屋で娘に覆いかぶさるようにして震えていた。
我が家は2階建てなので天井が落ちることもないし、阪神大震災の経験で狭い娘の部屋には倒れるような家具は一切置いていないので覆いかぶさる理由がよくわからないが、母の娘の命を護るという気持ちに熱いものを感じたのであった。
そのカミさんの下で娘が言った一言が強烈な印象として残っている。

「ハラ減った」

カミさんの両親は健康で定年後の今もパートや社会活動で現役だが、阪神淡路大震災の時は芦屋(高級住宅地ではない阪神沿線の)に住んでいて、あの1.17の震災を直撃型で経験しているので昨日の朝はかなりビビったらしい。

気象庁によると地震のエネルギーはM6。
阪神のM7、東日本のM9と比べると比べもにならないくらい小さなエネルギーだが、これが中国なんかで発生していたら今頃大惨事担っているに違いない。
今日の朝刊によると、被害は建物1200棟におよび重軽傷者数百人というから、やはり小さな地震ではなかった。
死者はなく、交通網への被害もなかったので、さすが日本に生まれてよかったと思った。
航空管制官が慌てて「北朝鮮がミサイル発射」との情報を発信してしまい、北九州発羽田行きのスターフライヤーの出発が遅れたというニュースはご愛嬌としても、やはり政府は保守系でしっかりやってもらわなければ、というのを今回痛切に感じた。

阪神大震災の時は村山富市の社会党政権。
東日本大震災の時は菅直人の民主党政権。
どちらも自然災害よりも人災を多く出した政府なのであった。

今回は安倍晋三の自民党政権。
テレビの報道を見る限り、あっという間に危機対策室を置いて、あっという間に自衛隊を出動させ、あっという間に関連役所が動き始めたのであった。
東日本の時に首相が安倍晋三や橋下徹だったらどうなっちたかなんて想像するしかないが、やはり被害は少しでも小さくなっていたに違いないと思うのであった。

でも、なんといっても一番大きな教訓は阪神淡路大震災の経験が生きたことだ。
今回の震源は阪神淡路大震災の時の南隣。
被害のエリアもよく似ている。
阪神淡路の経験で震度7でも壊れないよう住宅や建物に補強が入っていたのはもちろんのこと、地震発生でも慌てず騒がず、どういう行動を取ればいいのかを関西人の多くは覚えていたことがあげられる。
「震災を思い出して動けなくなった」
という東北から避難してきている人たちや、子供の頃に建物の下敷きになった神戸の人もいたけれど、やはり経験を活かして近所との連携や、我が家のように家具の配置を考えていたと言う人が多かったようだ。

「400年は地震は来ません。」

トンデモ発言をした彼は今頃どの面を晒しているのだろうか。

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )






久々に福島へ出かけた。
福島県を訪れたの一昨年の今頃以降2年ぶり。
晴れわたる空。
澄み切った空気。
美味い会津地方の郷土料理。

これで空港周辺の気流がよくて、着陸が安定していたらいうこと無いのだが、どういうわけか私が福島県を訪れるとき、福島空港に着陸しようとする飛行機はガタガタと揺れるのだ。
それもかなりの頻度でエアポケットに落っこちる感覚を経験しながら着陸するので、いつもドキドキする。
さらに伊丹空港から利用する飛行機は、昔JALが飛んでいた頃はB767なんかで運行されていたのだが、現在のANAは、外注先のIBEXという小さなエアラインの、それはそれはトラブルが多いことで定評のある「ボンバルディア製」の小さなジェット機で運行されており、気がきではない。

それでも新幹線で大阪から福島まで移動すると5時間はかかったしまうところを、飛行機だとたった70分で到着してしまうし、新幹線より若干だが安価なのでどうしてもボンバルディア機でも飛行機を利用してしまうのだ。

その福島にある福島空港に到着して、何故か今回初めてウルトラマンの銅像に気がついた。
今までなぜ気が付かなかったのか不思議だが、きっと、
1.会社の人が迎えに来ているのに気を取られて気づかなかった。
2.大体はお客さんが大学の教授と一緒に来るので気を使っていて気が付かなかった
のどちらかなのだろう。

今回は、単独でやってきたので気分は観光。
よーし、喜多方ラーメンでも食って帰るか、という気分で降り立ったのだ。
なお、普通にいることが大切と思い、あえて原発事故は無視することにした。

で、気がついたのがターミナル前に立つウルトラマン。
お台場ではガンダムが立っているのだが、ここ福島ではウルトラマンが立っていたのだ。
しかも、悲しいことに私の知らないウルトラマンが立っており、どうせ作るのならウルトラセブンにして欲しいと思ったのは言うまでもない。

「なんでウルトラマンなでしょうね」

大阪に帰るときは得意先の課長と一緒だったので、そんな質問を受けて初めて困惑した。
そんなことは知らなかったのだ。
なんで福島にウルトラマンなのか。

確かに、ウルトラマンだと東北地方の苦境を助けてくれそうな気がするのが、いかにせん怪獣退治は得意でも、震災復興のお手伝いをウルトラマンがどう成し遂げるのか、謎である。
ウルトラマンが地元の小学校にやってきた子どもたちを励ますのか。
そんなのだったら、単なるきぐるみショーの余興ではないか、とおも思った。
政府から予算をふんだくる、という政治的活動もウルトラマンには似合わない。
なんでウルトラマンなのか。

答えは簡単に判明したのであった。
2階ロビーの土産物売り場の前に置かれている怪獣のモニュメントの前に説明が掲示されており、
「ウルトラマンの生みの親、円谷英二はここ福島空港のある須賀川市で1901年誕生した」
というようなことが書かれていて、
「おお、円谷先生は福島県の生まれやったんか!」
と初めて合点がいったのであった。
福島県出身といえば西田敏行しか知らない私が大いに感動したのは言うまでもない。

福島県は特撮の神様の故郷なのであった。

なお、円谷英二が1901年生まれということは、円谷英二はルイ・アームストロングと同い年だったのだともことにも気付いて、全然関係ないながら、2つ同時に感動したのであった。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )






大阪のどまんな。
西区にある靭公園は江戸時代は堂島米市場、天満青物市場と並ぶ、国内の重要な乾物市場のあった場所で、今は春は桜、秋は紅葉の名所になっている。
緑少ない大阪の街で、ここはオアシス的雰囲気を持つ貴重な場所だ。

先日の週末。
この靭公園近くでランチを食べにカミさんとでかけると、この靭公園にリアルな銅像が立っているのを発見!

着色された実物大の銅像は、妙にリアルで、
「誰かおるんちゃうか」
と思える不思議さを持っている。
正直、着色された銅像なんて初めて見た。
さすがわが街大阪。
妙ちくりんなモニュメントが存在するものだ。



妙ちくりんというと、この靭公園は昭和のはじめは飛行場だったそうで、
「こんな街の真ん中に飛行場やなんて」
と初めて知った時はビックリしたものだ。

今では誰も知らない飛行場だった歴史。
高層ビルのなかった時代。
大阪の官庁街、中之島まで徒歩10分の靭公園は、実に様々な経歴を持つ面白い場所だ。

で、その面白い今の象徴が「着色リアル銅像」なのかもわかならい。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )






私の父の故郷は岡山県の総社市。
尤も、本人は「総社出身」とは絶対に言わない。なぜなら、つい最近市町村合併したばかりで、以前は山手村という名前の村なのであった。
この村には鉄道は通っておらず、大きな街総社や倉敷にバスでなければ鉄道を利用することはできなかった。

「めっちゃ不便や」

と都会生まれの都会育ちの私は子供の頃に不平を漏らしたものだ。
総社はともかく倉敷はもともと大きな街なので、そこまで行くと電車の本数も比較的多くて、ものの30分も待てば次の電車がやってくる、という環境がある。
それでも10分おきには電車がやってくる大阪に住む私は、30分という時間が途方もなく長く感じられ、地方都市のインフラは不便だ、と感じることひとしおであった。

この30分を遥かに上回るのが、総社へ乗り入れていたローカル線。
厳密には私の父の故郷に最も近い駅は東総社という駅なのであったが、ここが1時間に1本列車が走っていればいい方の駅で、あるときなど2時間ぐらい待たなければ列車がやって来ないという、超ローカルな駅なのであった。
列車も電車ではない。
ディーゼルが走っていた。
それも、ドアは自動ドアではなく、手で開け閉めしなければならない古い気動車が単線のレールの上をカタコトカタコトと走っていたのだった。

「あーん、タクシー乗ろ」

と母に泣きついても、そんな高価なものに乗るはずもなく、ボケーッと列車が来るのを待っていたのだった。

国鉄が未曽有の赤字を垂れ流し、民営化が噂され始めた頃、赤字ローカル線は廃止するいう光景が全国各地で見られて、それはそれは悲惨な状況なのであった。
うちの田舎のローカル線、国鉄吉備線もそんな路線だと私は確信し、そのうち消え去るであろうローカル線に多少とも愛情を抱くようになっていた。

あれから20年以上が経過。
列車は電車に出世はしていないものの、沿線人口の増加で廃止どころか列車の本数がかなり増えた。
父の故郷の最寄り駅はまだまだ少ないながらも、岡山駅発で途中まで来る列車は20分に1本の割合で運転されるようになった。
久しぶりに帰省ではなく仕事で岡山へ行くと、そんな時刻表が駅に掲示されていてビックリしたものだ。

この列車本数の増加は沿線人口の増加はもちろんのこと、国鉄が民営化されてJRになった効果も大きいに違いない。
親方日の丸的体質と決別した結果、利益を生みにくいローカル線も運行次第では沿線の重要な足になり、利用者も増加することがわかったのだろう。

先々月、そんなローカル線で驚くべきニュースが流れた。
広島で一旦廃止されたローカル線JR可部線の一部が電化復活することになったという。
周辺自治体と鉄道会社、市民の努力のなせる技で、大きく報道されていた。

そんな赤字ローカル線を舞台に若々しい人間模様を描き出した小説が真保祐一「ローカル線で行こう!」。
東北新幹線のカリスマ車内販売員だった女性が社長に抜擢され、廃止寸前の赤字ローカル線を盛り上げようとするのだが、そこに何か大きな陰謀が待ち受けていて。
という小説だった。

書店で帯を見てこの作者の本を初めて買い求めた。
ローカル線で行こう!が元気になれる小説のように思えたのだ。
前半は「少し調子よすぎるんじゃないか」という展開だったのだが、後半はミステリーへと発展。少々彫りが浅い部分があるけれども、なかなか面白いエンターテーメントになっていた。

小説を読み終わって、数日後、ラジオで南三陸鉄道の南リアス線の一部開通が報道されて、なんだか気分が明るくなった。
一昨年の震災で被災した赤字ローカル線をこのまま廃止してしまうという動きが国や鉄道会社にあるというニュースを聞く度に憂鬱な気分になったものだが、小説にせよ、リアルなニュースにしろ、前向きなトピックは人を元気づける。

そういえば、廃止されるかもしれない鉄道をどう復活させればよいのか。
地域的な動きはあるけれども、国全体で考えるようなシンポジウムが開催されたというニュースを聞いたことがない。

この際、そういうイベントでお客を呼ぶのもいいかもしれない、と思いながらページを閉じたのであった。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




三越伊勢丹が大阪では大苦戦をしていて駅を挟んだ反対側にある阪急百貨店は絶好調というニュースは、ビジネスには工夫が必要だということを改めて認識させる記事なのであった。

で、今日は4月1日。
新年度の始まりで、どこの会社でも1人や2人は新入社員が入ってくる。
うちの会社にも入ってくるようだが、正直関係ないのでどうでもいい。
多くの会社ではその新人君たちを本社のある東京や大阪に集めて研修を受けさせるという方法をとっている。
どうでもいい私の会社のような中小企業でも本社に集めて研修を行うのだ。

問題はその研修が終わってから。
職種に応じてそれぞれの部署のある拠点に配属させられるのだが、私は営業職希望の新人君は絶対に首都圏に配属してはいけないと思っている。
名古屋や福岡、広島なんかもいいかもしれないが、できれば関西が理想的だと思っているのだ。

で、なぜ関西なのか。

その回答が昨日のブログ、三越伊勢丹の苦戦と阪急梅田本店の絶好調の違いに答えがあるのだ。

色々な地区で営業職を経験した人には、即理解していただけることと思うのだが、首都圏の営業は実はラクすぎて修行にならない。
黙っていても注文が舞い込んでくるほど、忙しい。
こんな仕事したくない、と仕事を選ぶことのできる余裕が有るのが首都圏だ。
だから首都圏のフリーターの皆さんは勘違いして、
「この仕事はボク的には、やるべき内容じゃないので、辞めます」
と自分が生まれながらの天才かなんかと思い込んでいる発言をする人が多い。
こういう自称天才の皆さんはビンボーならまだいいが某大手タイヤメーカー一族の元首相のYHさんのような天才を自覚する人は、天災に発展する可能性もあるので注意が必要だ。

これに対して大阪を長とするその他大勢の地方は、注文を勝ち取るためにはかなりの修行や工夫が必要になる。
なんといても限られたパイを大勢で奪いあうので生存競争が厳しい。
それにスタッフ数も限られるので、しなければならない仕事も多岐にわたる。

例えばメーカーなら営業職であっても技術を覚えなければならない。
いざという時頼りになるのは自分だけ、なんてことも少なくないので修理、組立、問い合わせ、などなどすべて自分で処理しなければなたないスキルがいる。

これと比べて東京はというと、営業マンは営業活動だけに徹していればよろしく、技術面は技術スタッフが対応してくれる。
注文の入力も専属のアシスタントがやってくれる。
地方では自分で入力大変だ。
その結果何が起こるかというと、創意工夫することが無くなり、製品知識も地方の担当者よりも少なくなる。
その実、首都圏という重要エリアに勤務できるので出世は早く給料も良くなる。

「あ、努力しなくてもいいのかな」

なんて勘違いをするものまで出てくる。
結果、勘違いフリーターが増えることになるのだ。
その点、地方で鍛えられた営業マンは強い。
そんじょそこらの首都圏経験者では勝つことはかなわないのだ。

なお、地方で鍛えられた営業マンが首都圏に来ると都会の雑踏に飲まれる危険せいがあるので、地方でも大阪なら都会の雑踏と厳しい競争の両方が揃っており、理想的な地獄を体験できるので有意義といえるだろう。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )