<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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戦前、大阪府下に都市といえる街は3つしかなかった。
それは大阪市と堺市と岸和田市。
阪急沿線や近鉄沿線、京阪沿線の主要都市・豊中市や吹田市、東大阪市や枚方市は「都市」というカテゴリーにはまったく入らず、「町」「村」のひとつ。
池田市なんか落語の「池田の猪買い」に猪狩りの描写がでてくるような田舎だった。

と、教えてくれたのはある郷土史家の先生。
先生は南大阪が繁栄した時代を中心に研究している元高校の社会化教師。
南大阪のかつての繁栄と今後のありかたを滔々と語った。

で、私はというとこの話を聞いて、なるほどと思った。

大阪南部はかつて繊維業で栄得ていた。
なんといってもこのエリアからは今も存在する世界的な繊維会社が誕生したのだ。
南海電車は現在も営業を続けている日本最古の私鉄だが、ここがなぜ他の地域に先んじて営業を開始したのか、近代史を紐解けばよく分かるのであった。
なるほど南海沿線には帝塚山や羽衣など、芦屋に負けない豪邸エリアが今も残っているのは、道理なのだ。

それから半世紀。
歴史は流れた。

南海電車は関西私鉄で最も地味な存在になってしまった。
南大阪の繊維産業は中国や東南アジアの台頭で没落。
電車が結んでいるネットワークの大都市も大阪と和歌山では話にならない。
大阪はともかく、和歌山は農業主体の自治体だし、和歌山市の大手企業は住金と花王の工場ぐらいしか見当たらない。

今や関西の私鉄といえば、なんといっても阪急阪神。
もはや日本最大の私鉄グループだ。
大阪、京都、神戸の三大都市をネットワークで結んでいることはもちろんのこと、傘下には百貨店やスーパーマーケット、映画、歌劇にプロ野球よいうエンタテーメントを抱えている。
創業者の小林一三は関西を代表する起業家の一人に讃えられ、今も様々な催し物で、その名前を耳にすることができるのだ。

一方、南海電鉄。
往時の重量路線としての姿はどこへやら。
プロ野球球団は20年以上も前に売り渡し、直営の百貨店やスーパーマーケットは無いに等しい。
かつてはボロボロの電車が走っていた国鉄と比較して、「綺麗で乗り心地のいい私鉄」というイメージも今は逆転。
最新車両の走るJRと比較して、国鉄時代に比較して良かった車両が今も走っている、というのが現状だ。

向こう10年間で沿線の人口減で利用者が30万人減少する。

南海電鉄は経営の試練さえ迎えている。
なんとかしなければ大変なことになってしまう。
などと思っていたところに先週の日経記事。

大手私鉄が軒並み減収減益なのに、南海電鉄だけは二桁アップ。
いわずもがなの外国人観光客を中心としする観光客の利用者アップがこの数字をたたき出している。
南海電車は関西空港へのアクセス路線の1つなのだ・
関空を利用する客がそのまま南海電車にドドッと流れ、利用者減を反転させた、というのが構図らしい。
というところだが、

「じゃあ、南海がそれだけ伸びるんだったら京急や京成も伸びてるんでしょ」

と指摘されると、こっちの首都圏の空港アクセス私鉄はどちらも減益。

いったいぜんたい関西の南海電車の一人勝ちは何に支えられているのか。
関西の景気回復は本当か?
外国人観光客はまだまだ増えるのか?
USJのハリーポッター効果はいつまで続く?
このヘンを分析すると、関西だけではなく日本の景気の持続についての解答がひとつ見えてくるような気がするのだが、どうだろう。


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ともかくミラーレス一眼レフというカメラは様々な弱点を抱えていたのであった。

例えば、ピント合わせ。

ニコンのデジタル一眼レフだと「樹の枝の先で今まさに咲こうとしている花の蕾」を撮ろうとしてレンズを向けるとオートフォーカスは難なくその蕾にピントを合わせる。
ところがミラーレス一眼のカメラは、そのような空中に浮かんでいる「点」のようなものにピントを合わせるのは極めて不得意と見えて、背景にばかりピントを合わせ、なかなか取りたいものをハッキリとさせることができない。
「ウィンウィン、ウィンウィン」
カメラのオートフォーカスレンズは、そんな音をしきりに立てるのだが、結局は背景へのピント合わせで妥協しようとするのだ。
ソニーのミラーレスデジタル一眼の場合は、液晶画面にタッチすると、そこにピントを合わせる機能が組み込まれていた。
だが、なんど蕾を触ってもピントが合うことはなかった。
ピントは背景に合ってしまうのであった。

オートフォーカスのカメラでピントをあわせるのが辛い場合、私はレンズのメモリを見ながら目測でレンズの焦点距離を合わせるようにしていた。
ところがミラーレス一眼はそんなことも不可能にしていた。
最新のレンズには距離のメモリがなかったのだ。
おまけにマニュアルのピント合わせなどほとんどできない構造になっていて、ズームまで電動なのであった。

マニュアルこそプロの証みたいにおもっているわたしのような人間には、かなり違和感を覚えさせる仕組みだった。

そんなこんなで一番困ったのは祭りの撮影で、速攻で構図を決め、フォーカスを併せて何枚も連写しなければならない祭りの写真ではミラーレス一眼はほとんど使い物にならなかった。
画質がいいにも関わらず、コンデジに近いため仕方がない、と私には諦めることができなかった。

なんといっても、ソニーのαシリーズは私の愛機。ミノルタのαシリーズの後継者。
ミノルタのカメラを使っていて困ったことなどなかったので、当然ソニーのカメラで困るようなことがあって困るのであった。

そうだ、ファンダーのついているミラーレス一眼なら大丈夫かも。

ということで、一年間、あれやこれやと待っていたらα6000という機種が発売された。
ソニーのデジタル一眼としては中級にランクされるモデルなんだそうだが、フォーカス合わせに自信をもっていて、その速度世界最高速。
ホンマかいな、と梅田のカメラ量販店へ出かけて実機を手に取りチェックしてみた。

まずはファインダーを覗く。
なんか違和感がある。
ファインダーというのはビデオカメラを除いて光学式ファインダーしか見たことのなかった私にはテレビの画面のようなファインダーには若干違和感を感じた。
しかし、ソニーのカメラはミノルタの後継者であると同時に、ソニーが世界最高のビデオカメラのメーカーであることも思い出し、納得することにした。
で、ピント合わせ。
そこここにレンズを向けてシャッターを半押しにする。
すると驚いたことにミラーレスカメラにも関わらず、合わせたい部分にピタッと瞬時に合わせるではないか。

問題の蕾へのピント合わせのような、空間に浮かぶ小さな点についても、問題なくピタッとわせる。

レンズは昨年購入したファインダーのないミラーレスと同じものがついていたので、目測でのマニュアルピント合わせは不可能だが、これだけピッタリとピントが合うと実用面で問題はなさそうであった。

問題は価格なのであった。

セットで10万円近くする価格は、最近ピーピー鳴いている私の懐には少々厳しいものがあった。

で待つこと半年。
どんなカメラでも最近は半年経つと次のモデルへの布石なのか、価格が下がる。
ソニーのカメラとて同じなのであった。
ということで価格が7万円を切ったところで購入を決断。
半分を蓄積したANAのマイレージをポイントを使用し、残りの半分を営業成績良しとして決算時に会社から頂戴した報奨金を充てて、購入したのであった。
従って、こせこせ貯めている貯金やヘソクリにはまったく手をつけずに購入したのであった。

実際にα6000を使ってみると、かなり実用的であった。
サイズが小さく携帯に便利なのはミラーレスならでは。
ファインダーがビデオカメラのファインダーみたいなので、スイッチをONにしないと何も見えないのが少々辛いが、ピント合わせは速攻で、ほとんど問題はない。
早速、頼まれ撮影のだんじり出陣イベントに呼ばれてニコンのサブ機として使ってみたが、激走するだんじりをフォーカスはまったく外さず、追従するのには驚いた。
もしかするとニコンのデジタル一眼レフよりもファーカスは優れているのかもわからない、とさえ思ったのであった。

問題は多機能すぎることで、メニューを押すとマニュアルを読まない私には意味不明の言葉や機能がわんさか出てきて、
「さすが、ガラパゴス携帯のメーカー、ソニーのデジタルカメラ」
と訳の分からない納得をするのであった。
で、今後の問題はニコンのような至れり尽くせりのサポート態勢があるのかどうか、と、VAIOを切り捨てるような経営状態のソニーそのものが、会社として保つかどうかなのである。

次はマイルを貯めて、ソニーのレンズを買うか、ミノルタマウントとのアダプターを買おうと思った私なのであった。

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もうかなり以前になるけれども、FM大阪で放送されていたSaturday Watting Bar アバンティにゲスト出演していた篠山紀信が、
「世の中の写真マニアには『カメラの好きなやつ』と『写真を写すことがすきなやつ』の2種類がいるんだよね。」
と言っていたことがあった。

私の卒業した大学は芸大で専攻は映像だったから、どちらかというとカメラが好きというよりも写すことのほうが大好きだった。
今も好きだ。
写した結果で「お~!」と言われることを期待しているので、どうしても凝るというのが写すことの楽しみだ。
しかし、「お~!」という写真を写すためには当時はそこそこちゃんとしたカメラを買わなければならず、結局ローンを組んでムービーカメラを購入し、夏休みのアルバイトで稼いだ金でミノルタの一眼レフを購入した。
学生の私にとっては結構な負担で、とりわけムービーカメラは8mmフィルムのカメラにも関わらず30万円もする代物で、今だったら絶対にカミさんが「買ってもいいよ」と言ってくれないプロ仕様のカメラなのであった。
富士フィルムのZC1000という機種で、30年経った今でも中古が十万円以上するカメラなのだ。

ミノルタの一眼レフは、当時付き合いしていたカメラ店にミノルタの技術者が通勤の帰りにやってくるような店だったので、自然と私はミノルタファンになってミノルタのX700という、当時、宮崎美子が木陰でビキニ姿になってピカピカ光って話題になったCMのカメラだった。
確かヨーロピアンカメラオブザイヤーという賞を受賞したにも関わらず、学生にもなんとか買えるカメラだったので買い求めたように記憶する。

だから写すのも好きだが、カメラも好きであることは当然だ。
でも、今に至るまで資金の関係でカメラをコレクションするほどにはなっておらず、一年か二年に一度カメラを買うのがやっとで、それも消耗品扱いでコレクションではないのだ。

ミノルタのカメラはα9iという機種を購入したのを最後に、デジタル時代に突入し、ついにミノルタのデジタルカメラを買うことはなかった。
ミノルタのデジカメを買う前に、ミノルタがカメラを作るのをやめてしまったのだ。
正直かなりのショックなのであった。

「ミノルタカメラ、カメラ事業をソニーに売却」

あのニュースは今も思い出しても非常に悲しい。

で、アナログカメラ的思考であった私には家電のソニーが作るカメラなんぞ買う気にならず、ニコンに鞍替えし過ごしてきたのであった。
キャノンに鞍替えしなかったのは、大学時代の指導教官の先生がニコンファンだったからだ。
またそれに加えて、私はキャノン製品とどうも相性が合わないのでニコン党になった。
キャノンを買うと不思議に、購入した製品が13ヶ月で故障するということが連続したのだ。

そうこうしてニコンを使っているうちに、昨年、ついにソニーのデジタル一眼を買ってしまった。
芸大出なのに理系の仕事を、しかも企画系の仕事をしている私は職務上、出張が多い。だからはニコンのどでかい一眼レフを毎回毎回持ち歩くのに辟易としていて、雑誌の評価や現物を見て、ソニーのミラーレス一眼レフを購入したのであった。

αシリーズへの回帰なのであった。

さっそく使ってみると、なかなか素晴らしい映像が撮影できることがわかった。
他社のミラーレスの撮像素子がコンデジレベルなのに対して、ソニーはAPS-C。
一般的なデジタル一眼と全く同じ。
静止画だけではなく、動画はフルハイビジョンの60P。
もう文句なし。
それでいてサイズはコンデジ並なので、小さくて重宝。
私は自分の撮影した写真で提案書からカタログ、広告原稿まで、幅広く使用するのでショーもないカメラでは困るので「これはこれは」と非常に便利なのであった。

ところが、祭の日。
私はここ毎年、だんじり祭の撮影をある町の人から頼まれてパシパシ撮っているのだが、ミラーレスカメラには重大な問題があることが祭の時に判明したのであった。

ファインダーのないミラーレスでは、動きの早い被写体にはついていけない。さらに被写体が狙えない。

ということなのであった。
しかも、秋空のもと太陽の光が燦々と降り注ぐ場所でも、ファインダーのないミラーレスカメラは周囲の光で液晶が微かにしか見えず、それこそ役立たずになることもわかったのであった。

結局ニコンのカメラを担いて撮影したのだったが、その時ほど、プロのニコン、セミプロまでのソニー、の現実を感じたことはなかった。

つづく

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エボラ出血熱が最初にみつかったのは1970年代。
だから1980年代から世界中に蔓延したエイズよりも以前に発見されている歴史の古い感染症だ。
なぜエイズのように今日まで世界中に蔓延しなかったかというと、感染した人は数日以内にほぼ必ず死亡するので、移動して他の地域に広げることができなかったからだという。

それほど恐ろしいエボラ出血熱が西アフリカを中心に世界中に広まろうとしている。

雑誌や新聞は私達読者の不安を煽って部数を延ばすことに抜け目はないが、実際のところ日本までやってくるのだろうか。
先週の羽田空港での日系カナダ人が「エボラの疑いあり」で緊張が走ったのは多くの知る所。
検査の結果は陰性だったので、事なきを得たわけだが、もし陽性だったら今週末の連休のニュースは「エボラウィルス日本上陸!」で大騒ぎになっていただろう。

エボラ出血熱の恐ろしさはその感染力と発病してから死亡に至るまでの短時間にある。
わずか数個のウィルスにふれるだけで感染し、一度発症すると3日程度で死に至る。
死に方は残酷で、内蔵や眼球、鼻や喉なのどの粘膜から出血し、発熱、嘔吐、下血などを繰り返し半数以上の人が亡くなるという。
実に恐ろしい病気だ。

先進国ではあまり重要な病気ではなかったことから治療方法は見つかっておらず、効能のある薬も未だテスト研究中でもある。

未知の感染症であるだけに、実に気味悪ことこの上ない。
だから患者だけではなく、その患者の看護に従事する医療関係者も非常に危険な環境で戦わなければならないのだ。
カナダ政府は先週からエボラ出血熱蔓延地域の国民に対してのビザ発給を一時停止。
米国はエボラ患者の治療にあたった医療関係者を最低3週間の外出禁止令を発令した。
しごく尤もなことだと思った。
訳の分からない伝染病は隔離するというのが最も安全な管理方法である。

余談ながら月へ行ったアポロの宇宙飛行士たちもある一定期間隔離されていたことは有名な話だ。
なぜなら月には何がいるのかわからなかったからだが、いまだから笑えるだけで宇宙という神秘の世界では人類の英知などたかが知れているので防御のための有効な方法だったに違いない。

このアメリカの方法にアメリカ国内で異議が出た。
医療従事者を自宅待機させるのは人権に反するのではないか、という毎度おなじみにの人権音頭だ。

問題になっている人は女性看護師で、
「検査で陰性結果が出たから外出してもいいじゃない」
と行政に半期を翻しボーイフレンドと買い物に出かけてしまったという。
警察は何か不測の事態があってはいけないと彼女をチェイス。
しかし裁判所も自宅軟禁は人権に反すると彼女の自由を認めてしまった。

考えてみると彼女の医療従事者としての倫理はどうなっているのだろう。
エボラを未知の病と考えた場合、自分を経由して他人に感染したらとはプロとして考えなかったのだろうか。
ナイチンゲールの精神はないのだろうか。
裁判所も彼女の人権を言う前に、その他大勢の周辺住民の生命は無視していいのだろうか。

アメリカはただ一人の人権が蹂躙されても行けない国である。
と、いう人もいるが、果たして建前だけで国が成り立つのか、当のアメリカ人が一番良く知ってると思う。
沢山の疑問が交錯するプロの看護師の行動なのであった。


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