第二次世界大戦前に開通していたフル規格の地下鉄は今で言うところの東京メトロ銀座線の浅草〜渋谷と大阪メトロ御堂筋線の梅田〜天王寺だけだった。
東京メトロは開業時から私鉄で大阪メトロは当時というか、つい最近まで公営鉄道だった。
双方第三軌条方式といってパンタグラフがなく線路の横に敷かれた3本目のレールから給電をうけるという方式の電車なのだが、これはこのブログの本題には関係はない。
何を言いたいのかと言うと私は長い間、この両地下鉄は戦時中はどうなっていたのか、ということが気になっていたのだった。
例えば原爆が落ちた広島の鉄道は壊滅的な被害を受けていたと思っていた。
ところが柳田国男のノンフィクション「空白の天気図」を読んだところ原爆投下の当日の午後2時に広島駅発西条駅行きの列車が出発していたことを知ることになった。
当時は自動列車制御装置もないし、蒸気機関車がまだまだ主流の位置を占めていたので電気が通じていなくても列車を動かすことができたのだろう。
それにしても原子爆弾を生き残った国鉄マンの意地を感じ大いに感動と驚きを感じたのであった。
また広島電鉄も爆心地は流石に設備が大破してしまい使えなくなってしまったが被害の比較的少なかった地域の一部はすぐに運転を再開したという。
原爆が落ちても電気が通じているところがあったのだ。
東京も同じ。
東京大空襲で甚大な被害を受けた省線は「敵に侮られてはいけない、そのためには平常を尽くすことと」と被害の少なかったところは山手線など意地でも電車を動かしたという。
このようなことを聞いていたので「なら、地下鉄はどうだったのよ」と長年疑問に思っていたのであった。
地下鉄は字のごとく地下を走っているし空襲の被害を受けにくい。
でも、戦前走っていた地下鉄東西2路線だけ。
どちらも戦時中どうしていたかはあまり耳にしたことがない。
もしかすると軍用施設に転用されていたのかも知れないなどと思ったりもしていた。
というのも例えば現在の都営浅草線の新橋から日本橋にかけては「戦時中に官公庁を結ぶための連絡路として秘密裏に建設された地下通路を拡張して利用している」などということを聞いたことがあったからだ。
地下鉄は地下通路という大坂城秘密の抜け穴みたいな機能が備わっているので多分そんなんじゃないかしら、と思っていたのだ。
ところが事実は大きく違っていた。
その答えを最近知って大いに驚いたのであった。
その答えの一つが取り上げられていたのが坂夏樹著「命の救援電車 大阪大空襲の奇跡」(さくら舎刊)なのであった。
本書によると東京の地下鉄銀座線は戦中空襲があるときは運転禁止令がでていたという。
事実東京大空襲で爆弾が銀座駅に命中して大破した。
だからきっと米軍の攻撃中は止まっていたのだろう。
これに対して、大阪の地下鉄はそんな命令は出ていなかったというのだ。
出していなかった上に、初の空襲のあった昭和20年3月14日の深夜はいつもはやっている終電後の通電オフもせず、電気が通じていて電車が走る状態だったという。
しかも置かれていた心斎橋駅近くの変電設備は鉄筋コンクリートの頑丈な造りの上、当時世界でも最先端の設備を導入。
米軍の攻撃ぐらいで潰れるような代物ではなかったらしい。
さらに御堂筋線は銀座線と異なり大川(旧淀川)の下をくぐっている。
当時大川は水運としての機能が未だ残っていたので堰き止めてトンネルを作るということができなかったので技術を駆使して川の下を深く掘削してトンネルを建設。
このため御堂筋線は地下深く走ることになり300トン爆弾にも耐えられる構造なのだという。
この御堂筋線の建設をしたのは関一(せき はじめ)という市長で、その構想力は橋下徹元市長をも凌駕するすぐれたものであった。
幅数メールだった御堂筋を数十メートルに拡張。
その下に地下鉄を建設。
その地下鉄も将来を見越して10両編成の電車が停車できるような大きな駅として建設。
開業当時はホームが長いのに電車は1両で営業。
乗客はホームのどこに電車が停まるのかわからず走り回ったという吉本新喜劇みたいな逸話が残っている。
さすが大阪の地下鉄である。
この「無駄遣い」と思われた長いホームは現在10両編成の電車が運用されており、建設時ほぼそのままで使われている。
このことを考えると関市長の判断はいかに先見の明があったかと現在の多くの政治家諸兄に見習って欲しいものがある。
で、このことが空襲下の大阪市民を救うことになった。
空襲は午後11時50分頃から午前3時半頃まで繰り返され地上は火の海と化していたが地下では煌々と明かりが灯り広いホームには大勢の避難民が。
心斎橋駅ではホームだけではなく改札口とつながっている大丸心斎橋本店の地下にも1000人を越える市民が避難していた。
そこへ電車がやってきて多くの被災者の命を救ったというのだ。
この都市伝説のような話はNHKの朝ドラ「ごちそうさん(ご指摘により「まんぷく」から修正)」で取り上げられたことがあったようだが、信じられる話かどうか疑わしかった。
ドラマの作り話だと思われたのだ。
ところが毎日新聞がそれを調査すると、出てくる出てくる。
多くの証言が集められ、実際に御堂筋線の電車が動き、心斎橋駅や本町駅で被災者を拾って梅田や天王寺方面に逃したというではないか。
本書はその証言集になっていて読み始めると、あまりの意外さと驚きで読むことを止められなくなってしまったのだった。
この歴史秘話はどうして実現したのか。
本書を読んでのお楽しみだが、読むと大阪メトロの印象がかなり変わることは間違いない。
御堂筋線は凄い歴史を秘めていたのだ。