大阪市の橋本市長が職員の入れ墨について調査したところ、なんと110人も入れ墨ものがいたという。
これに千葉県の森田健作知事が反応、
「吉川く~ん!」
とは叫ばなかったのはもちろんだが、
「ファッションだといが、とんでもない。公職につくものに相応しくない。県としても指導する」
と宣言した。
入れ墨をしている者といえば日本人の場合は「犯罪者」を指したもので、公務員、つまりお役人様が入れ墨をしているなんて伝統的慣習からすると信じられないものがある。
「ファッションだからいいじゃない」
という考え方もあるだろう。
外国人やタレントの一部には入れ墨をして見せびらかしている奇特な人たちがいる。
10年ほど前にダンスの得意な女性アイドルが子供の名前を腕に刺青して話題になったが、正直、若者に与える影響が大きいだけに、「アホちゃうか」と思ったものだった。
また、はじめてタイを訪れた15年ほど前に、半日ガイドを務めてくれた女性ガイドさんが、少数民族の肉体労働者が入れ墨をしているのを指差して、
「あれが〇〇民族です。入れ墨をしているでしょう。だからあんな仕事しかないんです。」(本文は英語)
と多少の侮蔑を含めた口調で教えてくれたのが今でも印象に残っている。
その少数民族の男は日焼けした上半身に目立つ入れ墨を入れていた。
ザバッザバッとチャオプラヤ川の黄土色に濁った水を底からすくって浚渫のような、ゴミあさりなのかどうかわからないが、ガタロウのような作業をしていたのだ。
暑いのに汚い川の中でご苦労さん、と思った。
このように入れ墨というと他国でも少々侮蔑をもった習慣と捉えているところは少なくない。
また、江戸期の日本は島流しされた前科者の証拠として腕に刺青を入れられたことは多くの人が知っていることだし、中国では入れ墨は刑罰の一つで、犯罪を犯したも者の額に入れ墨を入れるものがあった。
悲しい歴史のアウシュビッツではユダヤ人の個々を識別するために収容者の腕に番号を入れ墨するようなシステムも存在し、こと入れ墨には「犯罪」「差別」の香りが漂っているのだ。
その刺青を公務員がやっている。
橋下市長は、
「そんな人は民間企業で働けばいいんです」
とおっしゃっているが、少なくともうちの会社と大学ではお断りである。
なお、「遠山の金さん」こと遠山景勝が桜吹雪の刺青をしていた、というのは創作である。
「てめえたち、この刺青が目に入らねえのか」
というような啖呵をお奉行様が切ることもないし、そもそもしょーもない市井の犯罪に御奉行直々にお白州へ登場することさえ江戸期ではなかったのだ。
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