<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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「サラダが食べたい」
と嫁さんが言ったから、なぜか居酒屋サラダ三昧。

ということで、「サラダだけを食べたい」」という嫁さんの希望を叶えるために夫婦で出かけたのは近所の居酒屋。
私の住んでいるエリアには「サラダ専門レストラン」や「ベジタリアンレストラン」なんて洒落たものは存在しないので、複数種類のサラダを堪能するには「居酒屋」へ行くのが最も手っ取り早いと思ったのだ。

それにしても、サラダ。
健康に良い、と一言に言うのだけれども、サラダ油をメインでできたドレッシングをドバドバドバとかけるあれはホントに健康なんだろうか。
私には疑問だ。
「ビール飲んでいいからね」
と居酒屋へ行きながら「なんでビールを飲むための許可が要るのか」と思ったが、よくよく考えてみると、サラダよりもビール単体で楽しんだほうが健康にいいのではないかと思えるほど、サラダには色々なものがかかっているのだ。
ビールは御存知の通り麦芽とホップを原料にしており、ドレッシングのような有害な脂分のような不健康なものは含まれていない。
アルコールが不健康だという人がいるかもしれないが、適度な量のアルコールは血管を広げ血行を良くして健康にいい。
度が過ぎた量のアルコールはこの際、気にしないことにしたい。

それしても「サラダを食べる」ということで、居酒屋というのはなかなかのグッドチョイスなのであった。
というのも、居酒屋のサラダは種類が豊富。
しかも酒飲み相手のサラダなので健康など二の次で味のバラエティに富んでいる。

山椒じゃこのサラダ。
豆腐サラダ。
大根サラダ。
ツナサラダ。
海鮮サラダ。
エビサラダ。
帆立サラダ。
などなど選ぶのに困るぐらいだ。

しかも量がそこそこあり、サラダを5種類も頼むと「なんや、この人ら」という店員の変なものを見つめる視線はともかく、ビールとともに腹がいっぱいになる。

サラダで腹がいっぱいになったのは初めてアメリカへ行った時にホテルで食べたサラダだったが、あっちはたった1杯のサラダで満腹になったのに、こっちは5人分も食べなければ満腹感を味わえないという、食料貧富の差を改めて感じたのであった。

尤も、私はサラダでは満足できずに焼き鳥を数皿オーダーしたのだったが、かなり変わった居酒屋飲みであったことに変わりはない。

なお、サラダを中心にした食事だったので、わずか1時間後には空腹を感じるというあまりよろしくない事態に陥った。
不足分はカップヌードルで補ったので、やはりサラダ健康説は疑ってかかるべきだ、と思うのであった。




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イオングループが展開する大型ショッピングモール。
各地の郊外に出店しては、その土地の小売店を根こそぎ踏み倒している。
周辺道路は混雑し、駅前商店街は寂れる一方。
イオンが出店となれば地域の商店はちょっとやそっとでは対抗することが出来ないのだ。

たとえば関西空港対岸のりんくうエリアにあるイオンは週刊誌の記事にも取り上げられたことのある地元商店破壊モール。
ショッピングモールそのものは連日盛況で土日ともなれば駐車する場所もないくらい混雑する。
出店そのものは地元の自治体の支援もあって、ある種の人たちは歓迎していたという。
ところが開店と同時に地元商店で買い物していた人たちがドドドドとモールに流れて客足はぱったりと途絶えた。
地域振興のショッピングモールだったはずが、東京資本の大手企業に根こそぎ刈り取られた格好になってしまい、社会問題に発展しようとしている。
週刊誌が伝えていた内容なので、どこまでホントかわからないが、それだけ大きなショッピングモールが誕生するということは、地域の既存のショッピングサイトに及ぼす影響が多いのだ。

「東京スカイツリーがオープンしてから地元の商店街は客足が落ちた」
というニュースが今日の夕方流れていた。
スカイツリー目当てでやって来る客を目当てにしていたのが、見事に外れたという恰好になっている。

「ソラマチから流れてくる客が少ない」
と地元の商店主はおっしゃるそうだが、それは見通しが甘いとしか言いようが無い。
ソラマチも立派な巨大ショッピングモール。
そこから何の変哲もない押上や業平橋の商店街に足を向ける人は少なかろう。

だいたい「業平橋」駅を「スカイツリー駅」と名前を変えさせた時点で、
「江戸っ子はどないしてん?」
と大阪人の私が心配になるくらい安易だったので、その心配は少ない客足の流れで証明されたようなもの。

ともかく、何らかの措置を講じないと期待が恨みに発展することもなくはない。
「ソラマチ」対策は現代の街づくりの共通問題を抱えているのだ。


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久しぶりにチン電に乗った。

大阪と堺を走る阪堺電気軌道は大阪で唯一走る路面電車。
北は天王寺駅と恵美須町駅を起点として、南は浜寺公園駅まで走っている。
料金は200円均一。
堺市内は堺市からの助成金が出ていて、そのため200円均一の料金をキープしているのだ。
助成金が出るまでは、大阪市と堺市の境を流れている大和川を渡ると260円になったのだが、均一料金にすることで利用者が増えたかどうか。

私は堺市で生まれ育ったので阪堺電車は馴染みがある。
しかし住んでいたところが全然違う地域だったので滅多にこの電車に乗ることはなく、これまでに乗った回数は10回あるかどうか。
それでも千利休の屋敷跡も近い宿院を通ると、大通りをカタコト走る電車の姿が目に飛び込んできてホノボノとした気持ちになるのだ。



阪堺電車は地元ではチン電と呼ばれているらしいのだが、私はチン電と呼んだことがなく、いつも阪堺電車。
南海電車の親戚程度に思っているのだ。

たまたま母がチン電の走るところからさほど離れていない市立病院に入院し、自動車が無い時に見舞いに行く時に乗ったのが今回のチン電利用の理由なのだ。
病院から南海電車の駅まで歩くのが面倒なので、バスかチン電の利用を考えた。
バスはしょっちゅう乗っているのでチン電にしようと即決し、南海電車の浜寺公園駅まで宿院から乗車。
子どものようにワクワクしながら停留所で待っていた。

停留所で待っている時は私以外に乗客は一人しかおらず、寂しいなと感じていたのだが、いざ電車がやってきて乗り込んでみると結構混雑していた。
危うく座る場所が無いところなのであった。

路面電車は自動車と電車の中間のような存在だが、いざ乗ってみるとやはり電車。
バスよりは快適だし、視線が高いので景色もなかなか良い。
阪堺電車は1両貸切で宴会なんかもできると聞いているので、いずれ天王寺~浜寺公園駅で宴会をしてみたいと思ったのであった。



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関西に住んでいる私はこの夏は節電に努力を払わなければならない。
まず、使っていない部屋の照明のスイッチは切ること。
これは節電の鉄則である。
噂によると、昨年の関東での節電騒ぎでは東京大学が使わない部屋や廊下の照明をスイッチ・オフするだけで一昨年から30%ダウンの省エネを達成したのだという。
これを家庭でも実現できないということはない。
尤も、東京大学のように国費という「他人のお金か感覚」で使える費用は個人宅には存在しないので、30%カットはとても無理。
料金にして数百円カットできるのが関の山であろう。

節電はすでに始まっていて、電車の昼間の室内灯はシャットされ、冷房温度設定アップのお知らせも始まっている。

ここで登場するのが、太陽エネルギー。
自宅の屋根に設置された太陽電池パネルで発電した電気を買い取ってくれる、という制度も始まるようだが、これを先頭立って旗振りしているのがソフトバンク社の孫正義。
ついこの間まで韓国籍だった人で、日本国籍取得後も韓国有利に働くことに変更はない、あちらの人には都合の良い人だ。
太陽電池パネルを妙な形で普及させると、儲かるのは中国や韓国企業で日本企業は儲からない。
補助金や買取は外国企業に益するだけで、日本には何の効果もないということを文春だったか、新潮だったかが伝えていた。
電気の買取制度で先行したドイツはすでにその失敗を認めているということも、日本人は知らなかった。

そんなこんなで太陽エネルギーは「素晴らしい」けれど「胡散臭い」のも併せ持つ、未来のエネルギーだ。

「太陽熱エネルギー革命」(日経プレミアシリーズ)は、太陽電池パネルではなく、太陽熱発電のお話。
発行されたのが昨年の3月1日で、ちょうど震災直前であっただけに、どこかピントのずれたような内容でなくはないが、今の話題として、書店で思わず買い求めてしまったのだ。
何か仕事の役に立てば、と思ったこともあったのもある。
しかし、買って読んでみて、すぐに後悔することになった。
内容が悪いのではない。
中途半端なのが悪いという意味ではない。
書いている人は自身でも断っているが専門的な技術者ではない。
だから表現の中で「○○と言われている」とか「○○との噂がある」というような、極めてファジーで私の大嫌いな表現が多いのだが、それも後悔した理由ではない。
私も先の東大の節電の件は他の人に聞いたネタ。
偉そうなことは言えない。
但し、知人の東大で講師をしている人に聞いたので、ちょっと信ぴょう性はあると思っている。

気に入らない点は「太陽エネルギー政策を中国や韓国と連携して行え」という点だ。
日本には太陽熱発電をするのに適した気候や広大な場所がないので、それはゴビ砂漠でやれ、という。
その感覚は、日本には美味しい餃子を作る土壌がないので「毒入り餃子を食べようね」というのと同じような感覚を覚える。
お金ほしさにハイブリッド車の技術を中国へ持ち込んだ世界トップの日本の自動車メーカーと同じ感覚なのだ。

また著者はエネルギー政策に政治イデオロギーを持ち込むのは理想的ではないようなことをおっしゃっている。
お釈迦様やイエスキリストのよな感覚になれというのか、不思議な思想だ。
しかし、エネルギー政策ほど政治色の濃いものはな。
この非常に重要な課題を、倫理感覚の全く異なる人たちと共有するのはどだい無理な話。

人が池で溺れていても「その人お金持ってますか」と訊いてくるようなレスキュー組織を持っていたり、プラスチックで作った豚耳を食材で販売する会社があったり、胎児の炭焼きをカプセルに入れて海外向けに薬で売ったりするようなB級SF映画に出てきそうな宇宙人のような方々と共有することなどできるはずはないのだ。
そんなアブナイ人たちと一緒に生きるのであれば、原始時代の生活に戻った方がよっぽど人生豊かに思うのである。

ということで、太陽エネルギー、とりわけ太陽熱発電を推奨する面白い新書だが、その根本的考え方に胡散臭さが漂う日経にあるまじき一冊だと感じたのであった。

なお、あとがきで著者の方は「この本をエンタテーメントとして楽しんでいただければ云々」とあったものの、半分以上真面目に書かれたものをエンタテーメントとして楽しむことはできなかった。



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「科学で解明できないものはありません」
というと、必ずどこかから、紋付袴で髭面で手に虫眼鏡を持った八卦見のようなオッサンが現れ、
「そんなことはない!科学では伺い知ることができない深遠なものが、この世界には存在する。みよ、この運命を」
なんてことを言い出しかねない雰囲気になることがある。
現にSF好きの集まりなんかに参加したら(学生時代の話)、
「人の魂は科学では解明できません」
と青白い顔をしたひょろっとした女性が登場したりすることがあるので、この手の話題には注意を要する。

幽霊。
亡霊。
幽体離脱。
金縛り。
超能力。
UFOに宇宙人。
謎の生物。
怪人怪獣。
などなど。

この手のことを話題にすると想像力が広がって、とても楽しいのだが、これらの話題を真剣に討議すると、それすなわちアブナイ集団になることは、これ請け合いなのだ。

「あの人、実は第1級霊媒師の資格を持ってるんですよ」

と大学生時代の時に誰かが冗談を話したら、それを本気にする人が登場し、霊媒師を国家資格と勘違いしたという笑えるようで笑えない話も私の周囲には存在する。
それだけ、この手の「超常現象」はミステリアスであり、魅力的なのかも分からない。

リチャード・ワイズマン著「超常現象の科学」(文藝春秋社)は、なぜ超常現象のような不思議な体験をなぜ人は見たり感じたりすることがあるのか、ということを科学的に解説したサイエンスドキュメント。

幽霊話は好きだけど、ホントはそんなものは信じない。
それは人の錯覚だよ、と日頃から思っている私のようなへそ曲がりにはピッタリの一冊なのだ。
本書では超常現象はマジック、錯覚、心理的な副産物でしかなく、科学的に合理的にいって「疑ってかかる、一種の詐欺」というようなものとして説明されている。
たとえば心霊写真。
世界初の心霊写真はカメラの使い方やメカニズムを十分に理解できていない科学者が、カメラの蛇腹に孔が開いていることを知らずに撮影したエラー写真であったという。
昔のカメラにはレンズの部分に蛇腹がついていたのだ。
しかも、今のようにハイテクで簡素だが緻密に設計製造されたパーツではなく、アナログチックな化学変化に頼る写真。
どのような要素が映り込むのかはちょっとした光のあたり具合や、カメラそのもののコンディションに大きく影響された時代だった。

で、翌々考えてみると、デジタル写真になってからこのかた、心霊写真があまり言われ無くなってしまった。
私が娘のような丁度中学生だった頃は心霊写真花ざかりで、漫画雑誌なんかには時々「心霊写真特集」なんてコーナーがあって、

「おおおお~、これってホンマの幽霊ちゃうか~」

とか言い合って遊んでいたものなのであった。

今は心霊写真を人に見せたりすると、
「お、Photoshop、上手に使うね」
と言われるのがオチである。

ということで、この一冊。
占い師のトークテクニックや超能力者のマジックネタなどを真面目に学べるので、実に面白いオススメの科学本なのであった。

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mixiのみ売りが報道されたのは、たしかFacebookの上々ニュースが飛び交っていた先週末。

「IT世界の栄枯盛衰は激しいものだ」

と思っていたら、その上場したばかりのFacebookが苦戦をしている。
Facebookの株がいきなり下落。
著しく不利益を被ったという株主たちがFacebookを訴えたのだ。

そもそもSNSなんてのは、どうやって儲けているのか。
少なからず頭から離れない疑問だった。
基本的にFacebookもmixiも閲覧や利用に関しては無料。
いくらコメントを掲示板に書き込もうが、いくらメールを打とうが無料だ。
その何でもかんでも無料が多いSNSが、広告費だけを稼ぐ企業であったら上場しても魅力があるとは思えない。

FaebookはそういうSNSのトップ企業だが、要は他のSNSと同じで利益が生み出される構造が弱く。投資先の対象としては魅力が思ったほどではなかったという、市場のつめた~い本音が現れたということなのだ。

「いいね」だけではどうにもならない。
ということだ。

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日曜日の朝。
妻の祭り関係のイベント取材に付き合わされた私は、マイカーを運転して目的地の山中へ向かった。
途中、ガソリンが減っていたのでコスモ石油のセルフスタンドに立ち寄って給油をしていると、ふと、後部のタイヤの空気がやたら減っていることに気がついた。

「もしかして..........」

コンプレッサーのところへ車を移動させ、タイヤに空気を入れようとしたら、スタンドの人が一言、

「お客さん。ここ、そこですけど、ボルト刺さってますよ」

タイヤには十字穴がくっきりと見てたネジの頭が「ポコッ」と顔を出していたのだ。

「とりあえず、すぐには減らないと思いますけど。早朝ですいませんね、修理するスタッフがおれへんのですわ」

タイヤはパンクしていたのであった。
恐る恐る、取材現場まで走らせて家に戻ってきたら、空気が若干減っているくらいで大きな問題にはなっていない。
でも、新しいタイヤに交換する必要があり、

「えらい出費や」

と近所のオートバックスに向かったのであった。

ところで、私は自動車のメーカーには多少のこだわりを持っているが、タイヤまで「ここのメーカー」というほどの拘りはない。
そこでオートバックスでは価格優先に選択することに決めていた。
但し、日本メーカーのもの、というのが条件だ。

「お客さん、このタイヤ、お安くなってますよ」

と店の人が推奨してくれたのはブリジストンのタイヤなのであった。
立派な日本メーカー。
A380やB747のタイヤを生産している世界でたった2つのメーカーのうちの一つ。
アメリカではファイヤーストーンタイヤといって、メジャーでもある。
クオリティは日本クオリティ。
申し分ない。

でも、私は店員さんに冷たくこう述べたのであった。

「ブリジストン、嫌いなんです。しかも大嫌い」
「あ、そうですか....」

私はブリジストンが大嫌いなのであった。
なぜなら、ブリジストンはあの鳩山由紀夫の母親の出身家で、その金でバカ息子二人を重要な国政の仕事をさせているのだと考えただけで、私のお金のたとえ1銭でも、ブリジストンに入ることは御免被りたいと思っているのだった。

実のところ、金持ちボンボンのオツムテンテンの政治家には、このような大企業の御曹司ないしは関係者が少なくなく、できればそういう日本をめちゃくちゃにしている「あかんたれ」どもに自分の金が流れていくことだけは敬遠したいというのが私の人情なのだ。

従って、スーパーマーケットではイオングリープでの買い物も好みではなく、できれば関西にいる時は買い物はイズミヤで、東京にいる時はライフで、ということにしている。
あの岡田克也にお金が回ることを少しでも食い止めたいと思う願望の結果なのである。

「そんなこと言うてたらナンボでもアカンとこありますよ」

と指摘されそうだが、民主党絡みだけではなく、例えば麻生セメントで作ったコンクリート住宅には住みたくない、というような自民党がらみのものもあり、こういう企業と政治家、とりわけ木偶の坊政治家との関係は政治資金規正法の情報公開よりも、より透明に公開していただきたいと思うところなのである。

ということで、タイヤは結局住友ダンロップの物を購入。
交換その他と一緒に〆て45000円の突然の出費に涙したのであった。

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最近の映画といえば、CG、3D、立体音響というのが主体となってしまい、肝心の映画そのものがとっても詰まらないものになっているような気がしてならなかった。

「普通の映画を見たい」

そういう映画ファンとしての基礎的欲求を満たしたくて仕方なかったのだ。
ということで、「これは普通の映画」と値踏みして出かけたのはトム・ハンクスとジュリア・ロバーツが主演している「幸せの教室」。
高卒であることを理由にリストラされてしまった男と、生活に限界を見ている大学講師とを中心にした人間模様を描いているライトなドラマだ。

そもそも、この種の映画は見る前からだいたいストーリーが分かっているようなものだが、実際に鑑賞してみると予想通りのストーリー展開で期待を裏切らなかった。
まるでラブストーリー系水戸黄門のような映画なのであった。
しかしながら、期待を裏切らなかっただけに、映画のクチコミサイトに書かれていた5つ星満点でこの映画が3星採点だったことがよくわかった。
同時になぜトム・ハンクスの相手役がメグ・ライアンではなく、ジュリア・ロバーツだったのか。
メグ・ライアンならもうちょっと高い点数が付いたことだろうに、とも思うのであった。

世間の採点は辛口だが、私としてもこの映画3星採点が似合いだと思う。
というのも、映画そのものは不快感なものでは無く、軽い気分で見るのみピッタリの映画なのだ。
失業者を主人公に置いた映画だが、失業している人が見ても不快に思うことが無いと思う。
が、物語に捻りが足りないことや、厳しさがいまいち無いことを考えわせると、繰り返し見たい映画ではない。
繰り返し見たからといって何か新しいものを発見できるような映画とは思えないのだ。

この映画で最も印象にのこったは、実はトム・ハンクスでもジュリア・ロバーツでもなかった。
ストーリーでさえなかった。
経済学の教授役で登場するジョージ・タケイが最も印象に残るキャラクターなのであった。

「私と一緒に、笑いましょう。さあ、は。は、は、あはははははは」

という少々変人だが、アメリカ人の見る日本人独特の厳しさが変におかしく、強烈である。

「中国系の俳優さんやろけど、面白かった」

と、何も知らない私の嫁さんも満足気。

「ジョージ・タケイは日系二世や。日本語も堪能やで」

というとビックリ。
さらにスタートレックの人気俳優であったことも知らなかったようだ。
もし知っていたとしても、テレビの吹き替えは富山敬だったので、あのタケイの独特の低音の声音はなかなか想像できるものではなかっただろう。

ということで、料金の価値はある映画なのであった。

なお、以前から私は何故ジュリア・ロバーツが美人女優に分類されているのか理解できないでいる。
これは悪口ではない。
率直な私の感想だ。
実は私はこの人を見るたびに、どうしても往年の漫才師・海原大浜(背の高い方)を思い出してしまい、美人と認めることがなかなかできないのだ。
これは、お笑いファンの性なのであろうか。

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大阪市の橋本市長が職員の入れ墨について調査したところ、なんと110人も入れ墨ものがいたという。
これに千葉県の森田健作知事が反応、
「吉川く~ん!」
とは叫ばなかったのはもちろんだが、
「ファッションだといが、とんでもない。公職につくものに相応しくない。県としても指導する」
と宣言した。

入れ墨をしている者といえば日本人の場合は「犯罪者」を指したもので、公務員、つまりお役人様が入れ墨をしているなんて伝統的慣習からすると信じられないものがある。

「ファッションだからいいじゃない」

という考え方もあるだろう。
外国人やタレントの一部には入れ墨をして見せびらかしている奇特な人たちがいる。
10年ほど前にダンスの得意な女性アイドルが子供の名前を腕に刺青して話題になったが、正直、若者に与える影響が大きいだけに、「アホちゃうか」と思ったものだった。
また、はじめてタイを訪れた15年ほど前に、半日ガイドを務めてくれた女性ガイドさんが、少数民族の肉体労働者が入れ墨をしているのを指差して、

「あれが〇〇民族です。入れ墨をしているでしょう。だからあんな仕事しかないんです。」(本文は英語)

と多少の侮蔑を含めた口調で教えてくれたのが今でも印象に残っている。
その少数民族の男は日焼けした上半身に目立つ入れ墨を入れていた。
ザバッザバッとチャオプラヤ川の黄土色に濁った水を底からすくって浚渫のような、ゴミあさりなのかどうかわからないが、ガタロウのような作業をしていたのだ。
暑いのに汚い川の中でご苦労さん、と思った。
このように入れ墨というと他国でも少々侮蔑をもった習慣と捉えているところは少なくない。
また、江戸期の日本は島流しされた前科者の証拠として腕に刺青を入れられたことは多くの人が知っていることだし、中国では入れ墨は刑罰の一つで、犯罪を犯したも者の額に入れ墨を入れるものがあった。

悲しい歴史のアウシュビッツではユダヤ人の個々を識別するために収容者の腕に番号を入れ墨するようなシステムも存在し、こと入れ墨には「犯罪」「差別」の香りが漂っているのだ。

その刺青を公務員がやっている。

橋下市長は、
「そんな人は民間企業で働けばいいんです」
とおっしゃっているが、少なくともうちの会社と大学ではお断りである。

なお、「遠山の金さん」こと遠山景勝が桜吹雪の刺青をしていた、というのは創作である。
「てめえたち、この刺青が目に入らねえのか」
というような啖呵をお奉行様が切ることもないし、そもそもしょーもない市井の犯罪に御奉行直々にお白州へ登場することさえ江戸期ではなかったのだ。

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関西人といえば独創性が優れていることで知られている。

銀座、スーパーマーケットに自動改札機、カラオケ、動く歩道、電鉄型百貨店に遊園地。
始まりは関西が多い。

ところで、東京スカイツリーのオープンに便乗してか、なぜか大阪歴史博物館が「塔」についての展示をする、というポスターを電車の中で発見!
ポスターには関東大震災で倒壊した浅草の名所12階やパリのエッフェル塔が描き出され、もちろん通天閣もついていた。
でも、

プライドは無いのか!
大阪。

大阪では今、日本一高層のビルディングが建設中だが、あまり話題になっていない。
近鉄百貨店阿倍野本店がその高層ビル。
完成すると高さ300メートルで日本一になる。
工事も順調に進んでいるようで、今、240メートルの高さになっている。

しかし、このビル。
大阪人でも知らない人がいるくらいで、やはり関西人の目も東京に向かっているのか、ついに大阪市立の博物館まで東京を見つめた「ザ・タワー」なる展示会。

独創性が赤信号だ。

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