<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地



週刊新潮に「JR三越伊勢丹の大阪店が苦戦」という小記事を見つけた。
私の地元大阪では「そんなん、わかっとるわ」という内容の経済記事だが、ついに全国的なニュースに発展しつつあるようだ。

大阪は現在、百貨店の超激戦地区になっている。
梅田地区、心斎橋地区、難波地区、阿倍野地区。
どこも老舗の百貨店と電鉄系百貨店が客集めに奔走しているところだ。

従ってどこもかしこもすごい競争にさらされているのだが、一人負け組なのがJR三越伊勢丹。
日本を代表する百貨店。

大阪駅前周辺は今、グランフロント大阪という関西の大手企業が結集してトライしているビジネス&アカデミー地区の開業をこの26日に控えて活気に満ちている。
三越伊勢丹はその大阪駅のターミナルの一部でも有り、そのグランフロントに直結していることもあるところに位置している。
店の前を通る人の数は西日本ではトップ。
首都圏でも大阪駅前を通過する人口よりも多いのは多分、新宿だけかもしれない、
それだけに三越・伊勢丹という百貨店業界のチャンピオンが苦戦しているというニュースは、全国的には「なぜなんだ?」という波紋を呼んでいるようだ。
その苦戦も、目標額の6割しか達成していないとなると、生半可な疑問ではなくなってくる。

このJR三越伊勢丹大阪店の苦戦と正反対なのが阪急百貨店梅田本店。
昨年末にリニューアルグランドオープンを果たした、電鉄系百貨店の日本最古参。
売りあげは好調で、目標の1.5倍。
同じグループになったコンセプトのちょっと違う阪神百貨店と相乗効果を出している。
大阪ではキタは阪急、ミナミは高島屋と大丸・そごうというのがショッピングの伝統で、それだけに阪急百貨店のブランドイメージは首都圏では想像できないだろうが、トップでもある。
残念ながら大阪から老舗のそごうが無くなってしまったのだが、それだけに残った大阪の百貨店は生き残りをかけた様々な工夫を凝らしている。

そう、「凝らしている」のが大きな特徴なのだ。

JR三越伊勢丹にはこの「凝らす」という工夫が大きく欠けているのだという。
日本最大の売上を誇る伊勢丹新宿店のノウハウを、そのまま大阪店に持ち込んだら成功するという見込みの甘さは、このブランド百貨店にはあったのだというのだ。
実は、その大きな「凝らす」の違いを昨日参加したとある勉強会で具体的に知ることになった。

その違いとはなにかというと、店内で展開するイベント数である。
三越伊勢丹は大阪に出店するにあたって伊勢丹の誇るPOSシステムを持ってして品揃えを豊富に、完璧にもっていったという。
品数豊富だと必ずお客さんはそのお店を訪れて買い物に勤しんでくれると考えたのだ。
なんといっても大阪を中心とする関西の買い物客は「関西人はケチンボ」という一般的な印象とは正反対で、平均購入額は首都圏を大きく上回る上顧客なのだ。
だから欲しい商品が見つかると、三越、伊勢丹のブランド価値も相俟って絶対に勝者になると踏んだらしい。

一方、阪急百貨店は伝統的な独自の方法でこの東京資本の巨人を迎え撃ったのだという。
それはイベントの連発。
その数、半端ではない。
勉強会で聞いて腰を抜かしそうになった。
阪急百貨店の年間イベント開催数は大中小合わせるとなんと6000回を超えるのだという。
6000千回。
毎日15以上のイベントが展開されている。
1つの百貨店でそれだけのイベントを開催しているとは想像できなかった。

考えてみると、阪急百貨店の梅田本店は大阪でも他の百貨店とは大きく異る雰囲気がある。
私もそれを体験したことがあった。
それは10年ほど前、クリスマス前。
プレゼントの下見に訪れた私は阪急百貨店しか出来ない芸当を目撃したのだ。

「本日はご来店ありがとうございます。只今より、宝塚音楽学校の皆さんによるクリスマスのパフォーマンスをお届けします」

なんだ、なんだ、と思っていると、未来の宝塚スターの女の子たちが揃いの衣装でベルを手に持ち歌を歌いながら売り場を行進。
爽やかな生パフォーマンスで売り場の中をすっかりタカラヅカで包み込んでしまったのだ。
これには度肝を抜かれてしまった。
どこの百貨店にタカラジェンヌが普通にやってきて歌うお店があるのだろうか。
阪急にしか出来ない芸当。
アイドルとは違うクオリティの高さに、百貨店ビジネスのイノベーターである阪急の底力を感じた一瞬であった。

年間イベント数6000回。

関西では品揃えが多くても、オモロイ百貨店には勝てないということを、多分、ブランド王者の伊勢丹と三越は大いに勉強しているところなのだろう。

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今日のネットニュースで「米国が中国から輸入するIT関連製品をすべて厳密に審査することにした」ということが報道されていた。
すぐさま「さもありなん」と納得してしまった。
審査の目的は、中国製のIT機器には何が仕込まれているかわからず、危なっかしくてそのまま使えるかい!というものだ。
産業スパイ。
軍事スパイ。
中国の印象はこういうものだけではなく、社会インフラを混乱に陥れるショッカーか死ね死ね団(古い)のような仕組みも製品の中に組み込まれているかも知れないという疑義がる。
中国製品は信用出来ないのだ。

IBMのパソコン部門が中国のLenovoに買収された時、すでにこの手の心配はされていたのだが、先月、国防総省が米国や日本に対するサイバーテロの発信元は中国自民解放軍であると特定したり、日本との軍事同盟を強化していく中で、態度を明確にしたと言えるだろう。
日本も少しは米国を見習うべきだ。

この中国という国と日本は国交を結んで40年を迎えるが、その間良かったことは殆ど無い。
何かあればすぐに暴動を起こし工場や事務所、商店を襲う。
インチクグッズを集めて反日博物館を作る。
その実、返すつもりのない借金を日本から繰り返し、空港、鉄道、高速道路を整備。
お礼の一言もない。
食べ物を買ってみたら毒入り餃子にダンボール入り肉まん、人毛入りの醤油などなど。
留学生を受け入れれば、スパイか盗人か人殺しか判別がつかないくらい犯罪を犯す。
もはや「何なのこの人たち?」という感覚だ。

いったいどんな国なんだ、とつくづく思いながら様々な本を読んできた。
その結果わかったことは、「人類の想像力を超えた未知なるエイリアン」としか呼べない、特異性が存在するということだけだ。
それだけ中国を除くすべての国から見た常識が通用しない。
そんな特別なエリアと人たちなのだ。
まさしく、「おどろき」そのものということができるだろう。

この驚きを期待して買い求め、読んだ新書が「おどろきの中国」(講談社現代新書)。
で、感想はどうかと問われると、「おどろきの中国」に驚いたのだ。
この本の著者、橋爪大三郎、大澤真幸、宮台真司の3人の見識はいったいなんなのだろう。
中国を称賛し、米国と付き合うな、とも受け取れる発言の数々。
文化大革命や大躍進で毛沢東が自国民数千万人を殺したことも、経済発展のために必要だったとうそぶく。
まさ先の第二次世界大戦での日本と中国の戦争を「侵略」と一方的に切り捨てる語り口は、実に1960年代から70年代にかけて活躍した極左翼の人たちの言動そのものなのであった。
正直、読んでいて不快感でいっぱいになる内容で、よくもこんなチンケ本を講談社が出版したものだ、とびっくりすると同時に情けなくなってしまったのは言うまでもない。
ついでながら、この3人が東京大学出身というのも、情けなくなる経歴なのであった。

はっきり言う。
本書は物見遊山で中国旅行をしてきて中国ファンになったお調子者的学者が、中国人を妻に持つ団塊オヤジと反日を語っているトンデモ本の一種である。

読みたい人は本屋で立ち読みして買わなくていい。
ついでながら公共の図書館は税金でこんな本を揃えなくてもよろしい。

という一冊なのであった。

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中国海軍が南沙諸島近海でベトム漁船に向かって発砲した。

「そんなこと知らない。ベトナムのねつ造だ」

と中国軍は主張している、というニュースが報道されている。
これって自衛隊の護衛官に誘導ミサイルのレーザーを照射した事件と全く同じ構図なのだ。

「日本と米国のねつ造だ」

こういうことが繰り返されると実に恐ろしいことに発展しかねず、警戒が必要だ、
なんといっても中国は選挙をしたこともない、「ルールはいつも共産党」という国柄。

国際的通り魔というか暴力団というか。
私は中国を暴力団に例えればわかりやすいと、かねてから考えていたが、暴力団でもやったことにかんしては責任をとる。
もはやキ印の趣もないではない、中国には要注意。
気違いに刃物、中国には金と武力、なのだ。

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プロレスと落語会。
この異業種の意外な共通点を先日プロレス観戦をしていて発見した。
その共通点とは、

「ある一定の狭さのほうが、おもしろい」

ということだ。

ここのところ連続してプロレス観戦をする機会が訪れている。
先月は大阪府立体育館で曙対大仁田厚の電撃デスマッチを観戦した。
もともとこんな珍味に属するプロレスリングはあまり興味がわかなかったのだが、人からの誘いもあって断ることが出来ず、足を向けたのであった。

ご存じのように大阪府立体育館は大相撲や人気アーティストのライブなどが開かれる「広い」場所である。
この広い大阪府立体育館でプロレス興行をしようというのは、かなりの有機が必要だが、さすがに曙と大仁田厚というビッグネーム。
会場はなんとか70%埋まるというボチボチの出来なのであった。
このビッグネームの対戦は大仁田厚のボロボロの勝利でそれはそれで素晴らしかったのだが、いかにせん会場が広すぎてなんだか物足りなさがある雰囲気の試合なのであった。

それに引き換え、先週末に観戦したアパッチプロレスは大阪市東住吉区にある倉庫を改造したようなボクシングジムで開催されたのであった。
それはそれは適当な大きさで、私の座席は安物の席なのであったが、大阪府立体育館ではリングサイド相当の場所。
リングがすぐそこに有り、臨場感たっぷりで、レスラーの汗が飛んできそうなところなのであった。
事実、悪役レスラーが口からペットボトルの水を吹き出したしぶきが、少し前の座席にかかるような場所で、
「めっちゃ汚い~」
と悲鳴を上げそうになるのは序の口で、
「お下がりください、お下がりください!、選手から離れてください!」
というアナウンスがこだまする中、レスラーが場外乱闘で、私の足下に折り畳み椅子を蹴飛ばしてくるような場所なのであった。

「プロレスなんて、はっ、つまらん」

という御仁は気の毒な人である。
このようなショーかスポーツか判別はしにくいものの、身体を鍛えていなければできない芸当(例えば;ブレンバスター)は近くで見ていると、迫力があり魅了されるものがある。

変わって落語会。
落語会もプロレスと同じように、できれば倉庫ぐらいの大きさの所で聞くほうが臨場感が有りおもしろい。

人間国宝の米朝さんが若かった頃、私はちょくちょく大阪サンケイホールの独演会や一門会にでかけたのだが、サンケイホールは落語を聞くには大きすぎ、一番後方の座席があたってしまった時は、遥か方で演じる米朝さんや枝雀さん、ざこばさんの顔や所作がよく見えず、悔しい想いをしたものだ。
ところが。これが例えばワッハ上方レッスンルームや、鶴橋の雀のお宿、天王寺の一心寺シアターなんかでの落語会へ行くと臨場感も有り、噺家さんの所作や表情もよく見え、楽しめる。
なんといってもマイク無しに話が聞けるのがいい。
ワッハ上方レッスンルームで三代目の噺を聞いたことがあるのだが、
「さすが、春団治や!」
と、普段テレビでしょーもないと思っていた桂春団治の落語がとっても面白く、実は面白い話は危なくて放送できないこともよくわかって楽しんだのであった。

ということで、プロレスと落語。
どちらも臨場感が重要なエンタテーメントであると強烈に感じたプロレス観戦なのであった。

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「世界で一番人命を救っている軍隊」
3.11の災害救援活動以来、そんなキャッチをつけて呼ばれる陸海空の自衛隊。
昨年の尖閣諸島防衛からは俄然、その存在価値を世界に示している。
文春の名物カメラマン宮嶋茂樹のレポートを読むまでもなく、頼もしい限りだ。
実は私は、今でこそ最先端の科学技術を支える ーと勝手に自称しているー サイエンスリサーチファシリティ関係の仕事をしているのだが、その前は同じ会社の別の事業部で営業マンをやっていて、お客さんの中には自衛隊も入っていたのであった。

お役所とのお付き合いは自衛隊も含めて、国、地方自治体と様々なのであったが、自衛隊は他のお役所とは大きく異なるところがあった。
それは何かというと、担当官と打ち合わせをしていて滅茶苦茶なことを言われたり、偉ぶったりされたことがなかったのだ。
つねに控えめで、かといってあやふやではなく希望や指示は的確に示してくれる。
たまたまかも知れないが、嫌な気にさせられたことがなかったのだ。
商品を納品するときには、時として隊員のみなさんが訓練と称してお手伝いしてくださり、フォークリフトよりも手早く荷降ろしを済ませてしまうところを目撃したりすると、
「さすが兵隊さんだ」
と旧軍を憧れの対象として育った昭和一桁生まれの両親を持つ私なんぞは、なんの抵抗感もなく自衛隊ファンになってしまう。
両親も、当然本人も戦後生まれの私のカミさんなんかが聞くと、「アホかいな」と一蹴してしまうところだが、ともかく自衛隊は役所の中でも、しっかりしているところだという印象がある。

あらゆることに否定的で上から目線の居丈高でタメ口で「東大じゃ、こんなんじゃないだよな」と自分の学歴を傘に着せた、先日、某大学にある私の仕事場のひとつに現れた文部官僚のオッサンは、いちどでいいから陸上自衛隊の下級兵の訓練でも受へるべきだと思ったのはいうまでもない。

さて、自衛隊といえば各基地の食堂も、なかなか美味しい。
といっても私は那覇基地と舞鶴と、ついでながら米軍の嘉手納基地しか知らないのだが、自衛隊の酒舗はなかなかなコンセプトのところが多い。
食べ物だけではなく、様々な物販をしている。
那覇基地の酒舗など、地方空港の土産売り場よりも充実していると言えるかもしれない。
なかでも私は「海人Tシャツ」ならぬ「空人Tシャツ」が欲しいのだが、ちょうど私が那覇基地の酒舗に立ち寄った時はSサイズしか無く、日常3Lを愛用している私は断念せねばならなかった。
以来、異動で自衛隊は仕事の対象から外れてしまい那覇基地を訪問することがなく、悔しい想いをしている。
土産物屋には他にも、戦車のチョロQだとか、他の基地のノベルティなどが販売されていたのだが、最もポピュラーな土産物といえばやはり海軍さんのカレーのレトルトパックであろう。

陸海空の自衛隊の中でも海上自衛隊は特別で、いろんな書籍によると海上自衛隊は帝国海軍がそのまま名称変更してこんにちに至っている伝統のオーシャンネイビーなのだという。
戦後解体された陸軍と違い、海軍は引揚者運送という任務を行なっていたので無くならずに済んだとうわけだ。
そういうこともあり、海上自衛隊には旧海軍の伝統が今も生きていて、その1つが毎週金曜日に供されるカレーライス。
艦隊勤務は洋の東西を問わず月月火水木金金なので、曜日感覚を喪失してしまうおそれがあるため金曜日にカレーがだされるのだという。
舞鶴や横須賀のカレーが有名だが、海上自衛隊はどこでもカレーをやっているので、例えばすべての護衛艦で違ったカレーを作っており、美味しい艦、美味しくない艦があるそうである。
司令などは美味しいカレーを求めて艦を監査しに渡り歩く権利のある羨ましい職業だともいう。

ともかく平時はのんきでよろしい。

先日、大阪難波のOCATでウロウロしていると1階のGreen Cafeというお店で、航空自衛隊のカレーなるものを発見した。
カレーライスは海上自衛隊だけではなく、空の人々のものでもあることを初めて知ったのであった。
那覇基地ではちっとも気づかなかったのであった。

ということで、カレーを食べられる間は中国との諍いもほどほどに。
陸海空の自衛隊が、カレー開発にしのぎを削る平和が続くことを記念する街の1コマであった。

なお、護衛艦別のカレーは海上自衛隊のWEBページに掲載されている。
レシピに従って日本の海の守りを固める人たちと一体感を持つのも中国に対する強力な防御になることは間違いない。
http://www.mod.go.jp/msdf/formal/family/recipe/archive/currey.html

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京阪電車、京都三条駅を下車して鴨川を渡り、池田屋跡の石碑を見ながら河原町通を渡る。
ここは京都一の繁華街。
河原町。
横断歩道をわたって三条通のアーケードを暫く歩くと、アーケードの屋根はなくなるが、通りの左右にはおしゃれなレストランやブティック、雑貨屋などが並ぶエリアにでる。
建物は京風の町家から、レンガ造りの洋館まで様々。
この辺りは、嫁さんと散歩を楽しむにもなかなか結構な所で、普段は泥臭い南大阪エリアに居を構える大阪人としても、180度違った心落ち着く雰囲気だ。
大阪にもなく、神戸にもない。
そういう空気のある、そう、ちょっとした気品とイケズさがあいまった街。
それが古都京都なのだ。

三条通を烏丸通に向かってさらに歩くと、右手に立派なレンガ作りの洋館が現れてくる。
京都三条高倉通上ル。

ここに京都府立文化博物館がある。



この博物館にはちょっとした思い出というか縁がある。
というのは、この博物館が建設されていた25年ほど前、私は建築設備の会社で働いていてこの文化博物館の建築現場に2週間ほど設備調整の応援に来ていたことがあるのだ。
ちょっとだけでも、自分がその建設に関わった建物ということで、他の建物とは少し違う思いがある。
しかも、転職してから、この博物館の収蔵庫の一部を取引先が下手な設計をして工事に失敗しそうになっているところを設計アレンジし、部下に受注させて顰蹙をかった、という経験もある博物館でもある。

この何かと思い出深い京都文化博物館で今、「日本画こころの京都」が開催されている。
といっても24日までなので、行きたい人は急ぐように。

ご存知の通り、京都は日本の文化の中心で、絵画、音曲、料理、その他様々な日本の芸術の発祥地である。
明治維新まで首都だったから、あたりまえだが現代の東京とは比べ物にならないほどの風格を備えていることも明らかで、これは歴史に裏打ちされたものであることは間違いない。
とりわけ「和」というコンセプトでは他の全てを圧倒していて、京都へ行くと日本人であることの喜びを感じる人も少なくない。
多分、日本庭園を眺めながらお抹茶をいただき、かわいい和菓子などをつまみ食いすると、もっと幸せになるのかしれない。
さらにそれが祇園のお茶屋で、美味しい懐石をいただきながら、
「おひとつどうです?」
と綺麗な舞妓さんにお酌をしていただいたらりしながら芸者さんの三味線と踊りを眺めたりしたらもっと幸せに違いない。
しかも、それが会社の経費で無尽蔵に利用できるという条件であればなおさらである。

以上、アホな余談。

そんな京都であるだけに、絵画のテーマとしても1000年以上の歴史がある。
今回は京都府が京都で活躍する画家たちに今の風景を描いてもらった現代版の「京都風景100選」が完成したことを記念して完済されている展覧会だ。
だから「こころの京都」展なのだ。

私は京都を描くなら日本画でなければならないと思っている。
また、日本画で描かれた京都は言い知れぬ雅を感じさせるものがある。
京都は日本そのものなのだ。
今回の展覧会では今活躍する画家が絵筆を奮って京都を表現しているので、作品一つ一つには物語があり、力がこもっている。
それだけに見ていて飽きることがない。
京都といっても丹後地方まで含まれているので、果たして丹後エリアが京かどうかは大いに疑問だけど今の行政区としては京都府なので、含んでもいいという考えなのだろう。
天橋立。
舞鶴。
久美浜。
というところも風光明媚でなかなかよろしいなだが、京都といえば、やはり市内。
東山や鴨川べり、上賀茂、嵐山、といったところが、やっぱり京都なのだ。

現代の作家の作品もいいけれど、この展覧会の見どころは、やはり著名な画家が描いた京都だろう。
円山応挙。
上村松園。
富岡鉄斎。
横山大観。
など並み居る巨匠の作品の数々。
私の大好きな池田遙邨の作品もある。
今回とりわけ気に入ったのは、京の風景がではなく、人物画。
それも上村松園の美人画で、その筆使いというか、滑らかさというか、女性の健康そうな表情というか、もう周囲がヘンに思うのではないか、というくらい見つめてしまったのであった。

ということで、なかなか見ることの出来ない「京」を題材にした傑作日本画の数々。
絵だけどホントの美人に出会える、なかなか無いチャンス。
あと僅か。
見たい人は、京都文博へ急げ!
と思う京都のひとときなのであった。

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沢木耕太郎の最新刊「キャパの十字架」は、歴史ミステリーの謎解きノンフィクションとしてスリリングで楽しい一冊だった。

私は沢木耕太郎のノンフィクションの大ファンで、新刊が発行されるのがいつも楽しみだ。
とりわけ紀行ものは「深夜特急」以来、自分の旅と重ね合わせることも部分的に可能なので大いに気に入っていて、新刊が紀行ものだと内容も何も関係なく、すぐに書店に足を運び買い求めることにしている。
「国道1号線を北上せよ」
は、そういった作品の中でもお気に入りで、読んでいるだけでベトナム旅行の雰囲気が蘇ってきてなんとも言えない心持ちになり、読み終えても数カ月後に再度読んでしまうくらい魅了されるのだ。
3年ほど前に発行された「深夜特急ノート」は、「深夜特急」を下地にしているだけに書店で発見した時は「おお~!」と思わず声に出してしまい、書店で本を選んでいる周囲のお客さんに変な目で見られるという、めったにない恥ずかしい想いをしたのであった。

もちろん他のノンフィクションもお気に入り。
アリスの谷村新司がチャンピオンを作詞作曲するときに、そのインスピレーションにしたというボクサーカシアス内藤を取材した「一瞬の夏」。
この作品は作者の若いころの作品だが、その文章のしっかりした内容と、ボクサーという職業の哀愁というものを感じ、今もたまに読み返していしまう1冊になっている。
他には「人の砂漠」のような短篇集もお気に入りだが、小説についてはまだ一冊も読んでおらず、そのうちトライせねばなるまいと思っているところだ。

なぜ沢木耕太郎の小説を読まないのか。
それはただ単に上質をのノンフィクションを書く作家が上質の小説を書いてもおかしくないが、もしかするとつまらないかも知れず、失望することが怖いので、一方的に読むのをためらっていることと、内容が暗そうなので、未だに手にとることができずにいるのだ。
この小説の他に、なかなか手に取れなかったのが翻訳物。

沢木耕太郎という作家がちゃんとした翻訳をしてくれているのかどうか。
プロの翻訳家が翻訳していない作品については、ずーと昔に手塚治虫訳「スーパーマン」というのがあって、まったくおもしろくなく、
「漫画の神様なのにどうしたの?」
といういやーな印象を植え付けられてしまった経験があるので、どうしても読むきっかけが掴めなかったのだ。

ところが「スーパーマン」と違って沢木耕太郎の翻訳した作品の主人公はロバート・キャパなのであった。
これは大きい。
私は学生時代、ドキュメンタリー映像を専攻の1つにしていたこともあり、当然のことながらキャパは重要なカメラマンなのだ。
もちろんキャパだけではないが、近代的なジャーナリズムに於いて、ロバート・キャパほど初めてスター性を秘めたキャメラマンとして登場した人物は他に見当たらにように思える。
フォトジャーナリズムについて詳しくない人でもキャパの名声を知っている人は少なくない。
従って、沢木耕太郎訳の、
「キャパ その青春」
「キャパ その死」
の二冊を選ぶのにそんなに時間はかからなかった。
そして当然のことながら、沢木耕太郎の分かりやすく、引き込まれるような文章で、すっかりロバート・キャパの人生を魅了されてしまったのであった。

その沢木耕太郎がキャパの最初の代表作「崩れ落ちる兵士」に関する「謎」に挑んだ作品「キャパの十字架」(文藝春秋社)が発行され、わくわくどきどきもので読み始めたのだ。

スペイン内戦をショットした代表的な写真である「崩れ落ちる兵士」には、かつてから色々な噂があった。
もしかすると「作り物」、つまり「やらせ」ではないかと。
フォトジャーナリズムに嘘があることは、例えば朝日新聞の沖縄サンゴ「KY」事件でも明らかなように、こんにちでも度々取り上げられる。
ましてや1930年代の、無名の若者カメラマンが撮影した映像が、本当かどうか。
疑ってかかる必要があるというものなのであった。

今回の作品の面白いところは、紀行的要素と事件的要素、そしてノンフィクションとしての正当な流れが同時に楽しめ、あっという間に読み進んでいかせるところだと思う。
いくつかの証拠や写真のプリントなどを分析していく過程は、ミステリーの謎解きだが、作り話のミステリーと違うところは、ホントにルポになっているところだ。
つまり現実感がある。

結局、写真の真贋はともかく、それ以上の予測される発見は、読者の興味を惹き、そしてキャパという「男の生涯」を冷静に見つめることで、人の生きざまとは何かを考えさせられることになる。
沢木耕太郎だから書くことの出来た面白いノンフィクションなのであった。

なお、88ページの写真のキャプションの間違えは、次の版から修正されるのであれば、第一版はコレクションとして買いであろうが、これは余談。

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地球の歩きた《ミャンマー編》でミャンマーの食事について「脂っこくて日本人には合いにくくお腹を壊す人も少なくない」というような意味合いのことが書かれている。

自慢ではないが、私はミャンマー滞在でお腹を壊したことは一度もなく、健康なまま帰ってくる。
一度だけ同行していたミャンマー人の通訳兼ガイドさんがハラを壊してしまった例はあるものの、私は腹をこわすどころか、ミャンマーの素朴でのんびりしたストレスレスの世界ですっかり健康になって日本へ戻ってくることがほとんどなのだ。
強いていうならば、タイのバンコクまで戻ってからビールの飲み過ぎで腹を壊してしまったことはあるものの、ミャンマーに限らず、東南アジアで腹を壊して一大事に至ったことはまったくない。

健康貫徹な私の旅行自慢でもある。

で、その私が日本の中華料理屋の脂っこいラー定で腹を壊した。
しかも、病院へ行くなり、診察した先生は、
「レントゲン撮ろか」
と宣言し、
「点滴もせなあかんな」
という、大変な事態に陥ってしまったのだ。
ミャンマーの脂っこいミャンマーカレーで腹を壊さず、日本の中華屋で腹をこわすとは。
もしかすると中華料理だけに中国の陰謀ではないか、と少しばかり考えた。
中国共産党かその悪の手先の人民解放軍のスパイが日本人を抹殺するために中華料理に調味料をたっぷり、食塩をたっぷり、ソースをたっぷり、ラードをたっぷり入れてジワジワと殺戮しようと思ったのだ。

しかし、いくらなんでも私のような一介のサラリーマンをラードで粘り殺しても詰まらない。
そんなことでは尖閣諸島を日本から奪うことはできないのだ。
そんなこんな、中国の陰謀説を考えていたら、お医者の先生が、

「腸炎やな」

の一言で片付けてしまったのだ。

ともかく、この日。私は出張で東京に向かうべく関西空港まで足を運んだのだが、このままでは飛行機の中で倒れると思い出張をとどまってまでの病院行きなのであった。
もし、そのまま飛行機に乗ったりしていたら機内で大変な事態に陥り、

「お客様の中に、お医者様はいませんか~!」

とANAの客室乗務員のお姉さんが機内を叫んで歩きまわることに発展していたのかもしれないのだ。
そうなればタダでは済まない。
ニュースになるかもしれない。

「中国の陰謀による中華料理テロ発生!」

羽田空港には東京メジャーなメディアや海外の特派員が押し寄せることであろう。
もしかするとその場で私は中国の秘密諜報員に殺害されていたかもわからない。

出張を思いとどまってよかった。

ということで、暫く胃と腸と日本のために中華料理は控えるに限ると思う私なのであった。

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寄る年波かどうかは分からないが、学生の頃はワンサカがっついていた餃子の王将のランチが食べられなくなってしまった。
量を食べられないばかりではなく、食べると胃が重くなり、
「二度と中華は食べないぞ」
という決意をさせるくらい、体調が優れなくなってしまうのだ。
だからといって、二度と食べないかというと、暫く経つとまた食べたくなり王将に足を向けて、
「ラーメンライス、餃子1人前ね」
とか言って頼むことになる。

そもそも王将との出会いは今から35年ほど前の、高校生の時であった。
当時、泉北高速鉄道の某駅前に王将の店が新規オープンし、
「時間内に餃子10人前食べたらタダ」
みたいなキャンペーンをやっていて男子生徒はチャレンジするものが少なくなく、すごく話題になっていたのだ。
とりわけ野球部や陸上部などに所属する運動会系の強者は次々にチャンレンジ、大方は敗退して、
「ちくしょー!」
なんて翌日教室で叫んでいたりしたのであった。

社会人になっても王将へ足を向けることは少なくなかった。
はじめに働いた会社では2年目から高卒の新人君の教育係をおうせつかって、大阪市内や近郊の工事現場に連れて回ったのであった。
この高卒君は山口県の周防郡から出てきた素朴な男子で、最初の週の土曜日に、
「おう、王将へでも行こか」
と誘ってやり、スペシャルランチをごちそうするとすっかり王将のファンになったのであった。
「山口に王将はないんか?」
と聴いたところ、
「うちの島には王将はありませんです」
と答えたのであった。
王将の中華は、彼にとって初めての本格的中華なのであった。

王将の店から離れるように鳴ったのは30代を過ぎた頃から。
どうも脂っこい中華を食べるのが苦痛になり始めたのだ。
中華の代わりに寿司やうどんを好むようになった。
子供の頃、父親が『ハンバーグなんか食えるか」と言っていたのがよく分かるようになってしまったのであった。

その私が今日の昼食に迂闊にも王将ランチを食べてしまったのだ。
どうしてもチャーハンが食べたくて、かつ、コスト削減をしたくて、京都市内の某王将に入ったのだ。
食べているうちはまだ良かった。
食べ終わってからが、口の中はベタベタするし、胃は持たれるし、なんといっても大阪への帰りの阪急電車で寝てしまったのですっかり体調を崩してしまったのだ。

ということで、今次のアポイントまでに口直しのためスタバで◯◯フラペチーノを食べているのだが、今度は、
「まだ外は寒いのに」
という視線を少しばかり感じて、またまた胃がきゅるるるーんとなるのであった。


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人間は二十歳でやっと大人として認められる。
空港ももしかするとオトナになるのに20年近くかかるのかも知れない、というのが関西空港。

今年で開港19年目を迎える関西空港だが、この空港、誕生以来のキャッチコピーが「日本最初の24時間空港」。
空港が24時間?
当たり前でしょう。
というのが国際的な感覚だが、日本の空港は軍用空港を除けば、関西空港が開港するまで24時間運営している空港は無かった。
先進国なのに信じられない、といったところだ。
例えば、私のホームタウン大阪の旧国際空港である大阪空港は午後9時から翌朝午前6時まで飛行機の離発着はできない。
東京の海外への玄関口・成田空港は午後11時から翌朝6時まで飛行機の離発着ができない。
周辺住民への配慮なのだが、その経済損失の大きさは計り知れない、

今でこそ、24時間運用空港は関空だけではなく、羽田空港、那覇空港、新千歳空港、北九州空港とたくさん登場してきた。
しかし、一昨年に羽田に国際線ターミナルが完成するまでは実際に夜中まで離発着している空港は貨物便はさておき関空発の中東やタイへ向けた便以外は北九州空港のスターフライヤー便ぐらいなのであった。

これがいかに異様なことか。
例えばバンコクのスワンナプーム国際空港やシンガポールのチャンギ空港などは夜中でもひっきりなしに離発着。
空港ロビーは利用客でごったがえしてバーゲンセールのショッピングモール状態。
ワンサカ人が集まって、わいわいがやがやしているのだ。
これに対して、例えば日本の玄関口ともいえる羽田空港も午後8時を過ぎると、タイの田舎空港と対して変わらない閑散とした状態なのである。

大阪の現在の玄関口・関西空港もそんな空港だった。
24時間空港といっても夜は静かなもの。
深夜1時過ぎ出発のタイ国際航空のバンコク行きに乗ろうとすると、出発を待つのがかなり辛かった。
ロビーの売店はすべて閉店。
出発ロビーはタイ航空機の搭乗を待つ乗客以外はししらしーんとして、肝心の乗客も夜中なので疲れきってだらーんとしている。
なにか食べたくても自動販売機か、室内露天商みたいな特設のパン屋さんぐらいしか店はなく、
「ビールでも食らって待つことにしよか」
というようなことは不可能なのであった。

このような日本の24時間空港の閑散さに、どうやら風穴が空いたらしい。
というのは先週末の新聞記事。
ついに新関西空港会社は関空と大阪市内を結ぶ深夜バスの運行を始めるのだという。
尤も深夜といっても30分おきに走り始めるというのではなく、関空出発の最終バスが午前1時過ぎ。梅田発の関空行きの始発が午前3時過ぎになるということだけ。
しかし、これだけでもかなりの進歩で、24時間空港として一歩前へ進んだということは間違いない。

で、どうしてこうなったかというと、原因はいま話題のLCCピーチエア効果なのだ。

ピーチエアは成田空港を拠点としている他のLCCをぶっちぎりでリード。
その秘密は日経の記事によると24時間運用可能な関空を拠点としていること。
少々ダイヤが遅れても「門限」がないので「運休」もない。
従って最終便が午前0時を過ぎてから到着することも少なくない。
インターネットサイト"Flight rader24”なんかをチェックすると、午前様なのに関空に向かって飛んでいるピーチエアの飛行機を見かけたりしてビックリすることがある。
このように、他の国の空港と同じように最近は関空で夜を明かす人が増えてしまったので、その対策としてバスの運行を開始するというのだ。
それと、ピーチエアは初発が早い。
午前6時過ぎには運行を開始するので、朝早い便を利用するためには午前5時過ぎには空港に着かなければならない。
従って梅田のホテルを午前3時過ぎに出発するバスが登場するわけで、これでやっと海外並みの空港運用になるのだ。

借金お荷物だった関西空港も大阪府知事が変わってからか、ただ単にタイミングも良かったのか劇的に優良空港に変化している。
昨年は大阪空港と統合して巨大化し、ついには仙台空港の運営やミャンマーのミンガラドン国際空港まで傘下に収めるかもしれないという。

19年目の関西空港。
世界水準になるには、時間がかかるのが日本なのかもわからない。

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