<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地




「地球温暖化の深刻さに大人は何も考えていない。こんなこと許してはならないのじゃ!」
と眉間にシワを寄せ、醜い顔を歪めながら魔法使いの呪文にかかったか、新興宗教に毒されたかというような雰囲気を漂わせながに叫ぶ少女。
しかも最も問題の大きい中国は非難せずに必死に取り組みをしている旧西側諸国に難癖をつけ続ける。
そんな性格のグレた少女がいる。

尤も最近は彼女も少女というには少々歳を食ってきた。
それでもまだ「ダメものはダメなのよ!」と往年のおたかさんにも負けない表情を、斜めに変形させながら呪文を繰り返しているところや、世の中はコロナで深刻な状況なのにたまにはマスメディアに取り上げられているところを見ると支持者はまだいるのであろう。

不思議な世界がそこにある。

こういう「一見正義だけど、実は...」というような世界の迷惑は至るところに存在する。
しかも迷惑を通り越し悲劇になっているものも少なくなく、それらが話題として取り上げられることはなかなかない。

ポール・A・オフィット著「禍の科学 正義が愚行に変わる時」はまさにそういう「これいいやん」が実は「え〜!なんで〜」という世界的規模で影響を及ぼした事例から7つを紹介した実に興味深く面白い一冊であった。

特に印象に残ったものから挙げていくと例えば、
「マーガリンはバターに比べて健康にいい」と思っていたら実はマーガリンに含まれる脂肪酸が重い心臓病を引き起こす原因物質であることが明らかになったという何年か前に話題になった事例がある。
バターは動物性だけどマーガリンは植物性だから健康にいいんだ、という一方的な思い込みの結果、各種お菓子の加工や朝のトーストまでマーガリンが安価であることから多用されるようになった。
ところが体に悪いと思っていたバターに含まれるコレストロールや脂肪分は人間の体の中でちゃんと分解できるて無害なのだが、マーガリンに含まれる脂肪酸は分解でずに蓄積され心臓疾患の原因になってしまうという。
実際にアメリカの研究機関が調査したらマーガリンに含まれる脂肪酸はどれくらいの量なら危険なのか特定することができず、少量であっても「危ない物質」にされてしまっているという。

我が家ではバターは価格が高いのでどうしてもマーガリンを買っている。
それもできるだけ安いものを求めるために雪印にするのかラーマにするのか、いつも喧々諤々なのである。
そんなマーガリンを焼いたバケットにたっぷりと塗ってハムとレタスを乗っけて食べるのが好きなのだが、これが体に悪いという。
尤も、日本人の場合「マーガリンは危ない」と言いながら毎日食べている欧米人に比べると10分の1も食べていないといい、しかもマーガリンメーカーのWEBサイトでチェックをすると日本のメーカーは悪質脂肪酸をできるだけ少なくする技術に邁進しているようで問題にするレベルではないのだという。
ということで脂肪酸問題は気にせずにマーガリンをいただいているのだが、できればバターにしたほうがいいというのが科学の真実なのだ。

で、さらに驚いたのはDDT。
戦後、米軍のDDT洗浄を受けた父や母の話を聞くと、
「シラミがおるからとDDTを掛けられたら、真っ白になったんよ。今はDDTは危険な薬やから使ったらアカンことになって見んようになったんや」
と話していたが、実は、「DDTは人畜無害の効果抜群で低価格の優秀な殺虫剤であった」ということがわかっており「DDTを禁止させたために死なずに済んだ数百万人をマラリアに罹患させて殺してしまった」という衝撃的なことが書かれているのだ。

DDTを悪者扱いしたのは「沈黙の春」という一冊の著書。
科学を十分に理解していないが文才のあった作家によって書かれた環境に関するベストセラーが世間に「DDTは超有害」というイメージをばらまいたのだという。
DDTが制限されることになったとき、専門筋はそれに大反対。
発展途上国でも効果的に殺虫対策ができる。しかも害を及ぼしているという事例がない薬品でもある。もし禁止したら大変なことになる。
と警告したが世の中の「空気」がそれを許さなかった。
結果的に「DDTは危ない」となんの根拠もないことが定説になってマラリア撲滅に高価な殺虫剤を購入しなければならなくなり、結果対策が中断して多くが罹患して死ぬことになったという。

詳細を知りたい方は是非読んでいただきたいが、こういうさまざまな禍はエビデンス無しに突っ走ってしまうところに恐ろしさがあると気付かされた。

考えて見れば今現在進行中の新型コロナウィルスに対するワクチンや女性の子宮頸がんワクチンに関してもデマや噂がまかり通って必要なのに接種しない、接種できない状態を生み出している。
今、読むべき一冊でもある。



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秋篠宮家の眞子さまのご結婚が決まったことが発表された。
本来であれば国家的な祝い事であるはずが、国民のほとんどから総スカン。
色んな意味でお気の毒なことである。

大きな争点となっているのは「あんな輩と結婚させてもいいのか」というものだ。
日本国民の総本家とも言うべき皇室の重要性と尊さを鑑みるに、今回のご結婚は決して歓迎されるものではなく、本来であればご本人が自分の立場と周囲のことを熟慮し、断念するべきことではないか、というのが大方の意見でもある。

ある新聞のコラムでは往年の名作映画「ローマの休日」を例に出し、市井に飛び出し恋をした王女様も自国のことの重要性を考え、その恋を美しいカタチで諦めた。そういうことができないのか、あの御仁は。
というようなことが書かれていた。

いずれにせよ、宮家も大変だなとつくづく考えてみた。

ところがよくよく考えてみると日本の皇室の歴史はもうすぐ2700年になる。
この記録はギネスブック認定でもあり、世界のどこを探しても3000年近くも1つのダイナシティが国家を治めている国は他にない。
ある意味、人類の歴史の奇跡。
歴史が生み出した天然記念物といえよう。

そこでふと思ったのだが、最初の数百年の歴史はどこまで真実なのかわからないが、少なくとも大化の改新以降の歴史記録はかなり正確だ。
しかも日本の誇る歴史の長いものは皇室に加えてもうひとつ存在する。
それは何かというと文学だ。
日本文学も古事記、日本書紀を文学に含めるかどうかは別として平安京に都が遷された頃にはすでに立派に確立されていて、皇室、貴族などを中心に大勢に広まり娯楽として楽しまれていたのだ。

で、その文学の主たるテーマとはなんぞや、というと、やはり「恋愛」が多くを占める。

今も学校で習い、あるいは趣味で読み、或いはテレビや映画になる古典の多くは「誰それに夜這いに行った」とか「誰それと誰それが恋に落ちたが、誰それが邪魔をした」というような内容が多い。
しかもその「誰それ」は皇室につながる主人公であることが少なくないのが特徴だ。
つまり今も昔も皇室は高貴な人々から一般庶民まで話題の対象でありつづけているということができる。

平安京に都ができて1200年。
都が江戸に臨時遷都して150年。(遷都の義をまだ執り行っておりません。明治帝から5代続いて行幸に出たまま。日本史始まって以来の長期旅行中という見解があります=硬派な京都人説)

それを考えると、今回のような例は山程あって、別に気にしないもの。
米国の圧力で戦後宮家が解体されたために、皇室が希少なものになってしまっている。
そのため高貴なスキャンダルになってしまったんだろう。

皇子が10人以上もいて、お公家さんも大勢いた昔なら、あんまり問題にならなかったに違いない。
今回なんか単なるバカ娘(=不敬ですが)のワガママスキャンダルで終わっていたのではないかと思われる。

芸能ニュースレベルに堕落した眞子さまご結婚ニュースに接してそう思う今日このごろなのである。


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出来損ないの夜盗、じゃない野盗、でもない、夜燈じゃもっとない、そんな立憲、社民、共産、令和新の凸凹野党4党が結束!
与党自民党に対抗するという。

まったくに持ってご苦労さん。
早く荷物をまとめて辞表を出して、それぞれの国に帰っていただきたいと思っている人は日本国内にきっと1億人以上いることだろう。
連中の中には日本人じゃないかも知れない女性も混じっているので、あながち冗談ではない「国に帰って」の気持ちがある。

なんでも政権をとったら桜にモリカケにスキャンダルもどきの追求は言うに及ばず、消費税の減額、国民一人当たり10万円の給付金、さらには「東日本大震災の時に与党だった経験を活かして」コロナ対策もばっちりやる。
とのことだそうだ。

政策はないんかい!
と思わず突っ込んでみたものの、テレビの向こう側に声は届かず。
現地にいるはずの質問担当の記者諸君に突っ込む者がいないのか。
会見の「?」に「??」となっている視聴者もきっと数千万人いたに違いない。

とりわけ最後の「東日本大震災の経験を活かした危機対策」というのは性質の悪い冗談なのか。
きっと日本を自滅させてコロナのパンデミックなんかなかったことにすることによる対策だろう。
ちょうど、
「宿題やってないから学校に火付けたる」
という少々頭がおかしくなったダメダメ中学生と同じ発想だ。

この危ない4野党の結束と提携しているのが〇〇連合という組織だという。

なんじゃいそれ?
あら手の暴走族か?

とインターネットで調べてみたら、この種の人々や団体に特徴のあるサインを発見!
なるほど、凸凹野党と共闘を組むわけだ。
ある種の暴走族ということもできそうだ。
で、その特徴というと何なのか。

「責任者名、代表者名が載っていない」

ということ。
ま、暴走族にはリーダーがいる。
この団体にはそれさえいないらしい。

こういう団体は言うだけ言って、ごねるだけごねるのだが、その発言に対して責任を取る人が存在しないという特徴がある。
リーダー不在。
「だって、民主主義だから責任はみんなで取るもんね」
という思考なのだろう。
小学校の運動会の徒競走で手をつないでゴールさせたのも、この種の人達だったのでさもありなん。
とにもかくにも、こういう団体が何かあったときに責任をとった例がない。

「みんなで責任を取る」
は、

「だれも責任をとらない」

と同意義なのは東日本大震災のときの与党と同じ。

責任者と思しきオッサンは東京電力を呼び出して怒鳴るだけ。
何か対策を考える時は「会議をしてみんなで決める」ので何も決まらない。

ちょうどその時、大阪府知事は南海難波駅前で、
「話し合い、話し合い、なんでも話し合いだから何も進まない。あんなのあっていいんですか!」
とマイクを持って叫んでいた。
知事が市長選挙に立候補するという前代未聞の選挙期間中だったのだ。
当時、この知事は反対派から「独裁者!」と言われるときもあっただけに、その演説には説得力があった。
きちんと仕事をすると「独裁者」と言われる文化があるようだ。
彼らが言う独裁者とそのイチミのおかげで大阪府だけではなく関西が広域に生き返ったのは日本全国の知るところだ。

ところがその能力を当時の与党は持ち合わせていたなかったのだ。

この怒鳴るだけの責任者を中心にした何も決まらない状況下で福島県、宮城県、岩手県を中心とする東日本の地方自治体はよくやったのであった。

その「何も決められない」実務力「??」のWEBサイトに責任者名もない〇〇連合。
まだ日本赤軍や連合赤軍の方がわかりやすかったかもしれない。
リーダーが誰で、どんな悪いことを企んでいるのか小学生の私にもよくわかったからだ。

〇〇つければ民主的だと思ってんのか。
まったく日本の市民も舐められたもんだ。


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むかしから気になっていた歴史上の人物。
伊能忠敬。
定年が見えてきだしたら多くのビジネスマンがその生き様を羨ましく且つたくましく思う人。
隠居後に本格的に測量を学び、習得した科学的知識と類まれなるマネジメント力をもって公儀公認をとりつけて日本全国を実測して地図に仕上げるという偉業を成し遂げた。

伊能忠敬は定年後の人生を考えるシンボル的な存在ということができるのではないか。
と、私はずっとそういう印象を持ち続け、現在に至っている。

その伊能忠敬が神戸へやってきていた。
もちろん200年前には実際にやってきて測量をしていたわけだが、今回その伊能忠敬がまとめた地図の写しの数々と測量につかった各種測定器具や関連備品が神戸市立博物館にやってきていたのだった。

そもそもこの展覧会が開催されるのを私はちっとも知らなかった。
神戸市立博物館は暫く閉館して全館リニューアル工事をしていた。
そのためイベント案内サイトでもめったにチェックされることがなく、日頃は兵庫県立美術館や京都市京セラ美術館などに気をとられているので、チェックを怠っていたのであった。

で「なんか面白いのやってないかな〜」とたまたま直接「神戸市立博物館」と検索すると、なんと伊能忠敬展が開催されているではないか。
私は即、見に行きたいと思った。
だが、即決することがなかなかできなかった。
というのも仕事がそこそこ忙しいことと、
「ドラえもん展を見に行きたい」
というカミさんの要望をなんとか払拭しなければならず、なかなか言い出せなかったのだ。

勝手に神戸へ行くと文句を言われるので、それもまた困る。

ドラえもん展は京都市京セラ美術館で開催されており、大阪に住む私にとっては神戸市立博物館とは反対方向。
同日に一緒に行ってしまうということはできなくはないが、面倒くさい。
しかもドラえもん展は入場料が大人2000円もする。
二人で行ったら4000円。
さらに図録を買ったらそれだけで2750円。
合計6750円必要で、京都までの交通費と昼飯代を含めると軽く15000円コースになってしまう。

「図録はやめてコロコロコミックじゃだめ?」

と訊いたら「バカにしてんのぉ〜?」と怒られるに違いない。

実はドラえもん展を開催している京セラ美術館には2ヶ月ほど前に行ったことがある。
それはフランソワ・ポンポン展を見るために行ったのだが、その時すでにドラえもん展が開催されており、私は、
「これ、見たい?」
と訊いたところ。
「今日はいい」
との答えだった。

この「今日はいい」のニュアンスが微妙なので注意を要する。
「今日はいいけど今度ね」
なのか、
「今日はいい、つまり今回はもう見なくていい」
という回答なのか熟慮する必要があるのだ。
で、結局その時はポンポン展を見ただけで大阪へ戻ってきたのだったが、その数週間後、たまたま聞いていたFMラジオでドラえもん展が紹介され、見たくなったというわけなのだ。

それにカミさんが伊能忠敬に興味を示すかどうか微妙だと思った。
地図を作った江戸時代の理系趣味の地味なオッサンの偉業を称える展覧会。
どう考えても色気がない。
どちらかというとアートというよりも理科や地理の世界であって、ナビのついている自動車を運転していても道に迷う可能性のあるカミさんに興味があるかどうか疑わしい分野でもあった。

でも、そうはうかうかしていられない。
開催終了日が近づいていたのだ。

「あのぉ〜〜〜、実は伊能忠敬展が神戸の博物館でやっていて」

と恐る恐る切り出したところ、

「行きたーい!」

と即決なのであった。
カミさんも伊能忠敬には興味があるという意外な展開で、二人して神戸市立博物館へ行くことになった。

それにしても緻密な地図であった。
こういうものを江戸時代に測定して製作した人というのは信じがたい忍耐力があったのであろう。
まさか想像でここまで緻密に描けるわけがない。
私は展示されている伊能図の数々をみてひしひしとそう感じたのであった。

伊能忠敬の地図は残念ながらオリジナルのほとんどが失われているという。
原因は維新後すぐに伊能図を保管していた政府の書庫が火災で焼けてしまったこと。
残った地図も関東大震災の時に消失してしまい残っていないというのだ。

ところが伊能忠敬は御公儀の支援のもと測量したのはもちろんのこと各地域の殿様の援助も受けており、その返礼や殿様自らの依頼もあり数多くの写しやその藩専用の地図などが各地に残されているという。
これが今回神戸で一堂に会したということで見応え充分の内容なのであった。

国宝の測量隊の幟。
国宝の伊能忠敬日記。
国宝の何々と、国宝づくしなのであった。

もし今回の神戸市立博物館の展覧会を逃したら千葉の伊能忠敬記念館を訪れればよいわいな、と当初考えていたものの、これだけの各地に点在する資料を見ることは難しかったに違いない。

伊能忠敬の地図に魅了され、日本を旅する素晴らしい展覧会なのであった。

なお、本展覧会はすでに終了しているので神戸に行っても見れません。
京都のドラえもん展はまだやってるけど。


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自営をはじめてから仕事場が自宅と実家になった関係でテレビやラジオを好きな時に見たり聴いたりすることができるようになった。
だからNHKの朝ドラも見ることができるようになったし、お昼のニュースも最初から最後までゆっくり見ることができうようになった。

とりわけ今年の夏ほどテレビやラジオの視聴スタイルが大きく変わったと実感することはなかった。
なんといっても仕事に支障が出ないようにしてさえいれば、好きなときにいくらでもオリンピックやパラリンピックの試合を視聴することができたわけで、誰にも文句をつけられないその爽快感は会社員をやめてリスクをとった自分としては、立派なご褒美のような感じがして素敵でだった。

ということで、なんだかんだと言われ続けた「TOKYO 2020」が終了した。

始まる前は「コロナがどうの」「感染者がどうの」「外国から選手が来られるわけない」がどうのこうのと、言われていて私も「もうオリンピック無理でしょ」とここにも書いたものの、菅総理の討ち死に覚悟の決断で強行開催!
結果的に非常に感動的で世界中を元気づけ、勇気づける恰好のイベントとなり世界中から絶賛をあびることになった。
で本当に菅総理が討ち死にするとは思わなかったが、全体を通してず〜〜〜〜〜〜〜と日本選手の活躍がめざましくオリンピックもパラリンピックも50個以上のメダルを獲得。
もう目が放せない毎日になったのであった。
なんといってもバスケットボールやフェンシグを始めとする「これまで日本には決勝なんて縁がない」と思われていた種目で金銀に輝いたのだから興奮しないほうがおかしいといえよう。

残念なのは東京大会と言いながらコロナのために東京をはじめ各街なかで歓声を上げることも、直接試合を見ることも、酒を飲みながらビックビジョンで観戦することもできなかったわけで、マラソン競技などは暑いからという理由だけで東京とは全く関係のない札幌で実施するなど、もうひんじゃかめっちゃか。
結果的に札幌でも蒸し暑く、むしろ沖縄の那覇で開催したほうがよっぽど涼しかったんではないかという真夏の大冒険なのであった。

で、オリンピックもパラリンピックも、ついでに夏の甲子園大会も終ると何が寂しいかというと昼間にスポーツ中継がない。
これほど寂しくなるとは今までちっとも予想していなかった事態なのだ。

この夏の間はテレビやラジオのスイッチを入れると必ずオリンピックかパラリンピックの放送があり、その放送がない時でも夏の甲子園の中継があったわけで結果の見えない国際的でスリリングなガチンコ勝負は胸おどり感動的だった。
我がカミさんなどは、どの試合を見ても涙しており、涙腺が決壊してしまっているのでは、病院に、眼科に連れていったほうがいいのではないか、という状態になっていた。
さらに某国と某国が出てきたりすると、必ず相手の国を、たとえそれが知らない国であっても応援したりなんかして大いに盛り上がったのだった。

ところが、昨日の月曜日。
昼間にテレビをつけると、しょ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜もないワイドショーが放送されていた。
内容が実につまらない。
政局のニュースを中心に元NHK記者の某のアホさ加減や自分に首相をやらせろ「なんといっても東日本大震災の時の対応という経験がものをいう」と当時与党だった某党の党首の「こいつ、正気か?」とズッコケルような発言などが放送されていて、実に悲しくなってしまったのだ。

デイタイムにスポーツ中継のないメディアなんて。
クリープを入れない珈琲どころか、コーヒー豆を入れない珈琲みたいでつまらない。
味のない白湯としかいいようがない。


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菅首相が来月の自民党総裁選挙に出馬しない。

これを聞いた私は、もしかすると二階幹事長と刺し違えたのか。
と思った。
たぶん、そう考えた人もすくなくないだろう。

コロナの対応を誤った、とか、オリンピックを強行した、とか、それが原因で支持率が急落した、とかマスメディアは叫んでいるが、他に一体誰がなにをできるのか。
野党のスカタンはやはりスカタンなコメントしか出すことができない。
東日本大震災であれだけ多くの「人災」を出した民主党出身の方々は「私達に任せてもらえば問題ない」と笑えないステートメントを発表。
あんたらに任せたら医療崩壊どころか日本が崩壊すると、嗤われている。

今回の菅首相の発言は「コロナ対応に集中するため」というのが表向きで、実はここ数日のガタガタを見ていると自民党の既得権益を振りかざす体質をぶち壊すため老獪幹事長と老人同士刺し違えたのではないか。

大阪維新の松井大阪市長が「後にこの政権はよくやってくれたと言われる日が来ます」とコメントしたのが、なんとなくわかる気がする。

東北人らしい菅義偉の一刀なのかもしれない。



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