<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地



突然大学時代の友人から、
「なんばグランド花月のチケットが入ったんですけど一緒に行きませんか?」
とのメッセージが入った。

なんばグランド花月というと大阪のお笑いのメッカ。
よしもと興行の本拠地だ。

ここでは先週、「舶来寄席」というスペシャル興行が開催中で夜の部は海外からのマジシャンやサーカスなどの芸人さんが6組登場して吉本新喜劇のメンバーらと大いに盛り上がるという企画を公演中なのであった。

実は花月に行ったのは20年以上ぶりで、前回はグランド花月はまだできておらず、古いなんば花月の劇場でサブロー・シローの漫才を見て以来なのであった。

で、驚くことにその友人に舶来寄席に誘われたあくる日に、得意先の部長から、

「花月行きません。実はチケットが余っていて」

とのオファーを貰ったのだ。
数十年ぶりのなんば花月がなんと2日連続となり驚くやら感激するやら。
部長からのお誘いは夜の部の舶来寄席ではなく、昼の部の漫才+よしもと新喜劇なのであった。

落語はよく聞きに行くが生の漫才は久しぶりであった。
出演者は、

キングコング
銀シャリ
月亭方正
まるむし商店
ザ・ぼんち
大助花子
オール巨人阪神

なのであった。

久しくテレビも見ていないので最初の二組、キングコング、銀シャリは全く知らない若手漫才師だった。
全く知らないので、まったく面白くないかといえば反対で、二組ともに実に面白く、伝統的なしゃべくり漫才だった。
しかもいっとき島田紳助あたりから始まった他人を中傷して笑いを取るというスタンスは微塵もなく、滑稽さでしっかりと笑いを取る不快感の無いしゃべくりで大いに満足した。
とりわけ銀シャリの二人はネタも洗練されていて今後に期待ができるのではないかと思って、帰宅後に娘に話すと、
「銀シャリはめちゃ面白いんや」
と変な自慢をされてしまった。
もしかすると娘は漫才ファンなのかもしれない。

月亭方正も落語家になってから芸が洗練されてきていて、過去のダウンタウンの番組で見せていた痛々しさはなく、米朝一門の名前に恥じない落語になりつつあり見ているこっちも満足。
まるむし商店のしりとり芸、ザ・ぼんちの狂気とも言えるわけのわかならなさ、大助花子の夫婦漫才に魅了されたのだった。

でも、圧巻はなんといってもオール巨人阪神の二人だった。

もともと巨人阪神の漫才は若いときから名人芸で同じネタを何度見ても笑える漫才なのだが、久々に見た生の芸は名人を超えて私は話芸のアートだと思った。
客の笑いの間のとり方。
雰囲気を敏感に感じ取って即座に応答する掛け合い。
客席と一体になって構成される笑いの空間はもはや他者を寄せ付けない楽しい凄みを感じさせるものがあった。

「もう、アートですね」

と言ったのは私を誘ってくれた部長なのであった。

ゴルフで交流すのもいい。
飲んで意気投合するのもビジネスだ。
でもお笑いで、しかもオール阪神・巨人の漫才アートで楽しさと笑いを共有することはビジネスの最高の交流方法なんじゃないかと強烈に感じたなんばグランド花月の漫才三昧なのであった。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




先週発生した大阪北部地震は将来発生するである首都圏での大型地震への重要なサンプルになったことは間違いない。
発生日時が最悪であったことも注目点だ。

週初めの月曜日。
朝の午前8時の2分前。

私は自宅の2階から降りようとしていたときで、1階からカミさんが、
「気をつけて〜!」
と叫ぶのが聞こえるとともに大きく家が揺れだした。
続けて緊急地震速報のアラートがスマホから轟き出した。

我が家の場合、緊急地震速報よりもカミさんのほうが早かった、というわけだ。

「おお、強い!」

久々の強い揺れにビビりはしたものの、東南海地震ではないと即座に判断。
これは直下型なのですぐに収まると思った。

私は以前、某大手建築会社の実験施設で阪神大震災と東日本大震災の地震波による加振実験に同席したことがある。
このとき見た揺れ方が、直下型の阪神大震災が瞬間インパクト型で1分もしないうちに収まってしまうものなのに対し、海洋地震型の東日本大震災は徐々に揺れが大きくなり長時間続くユサユサ型なのであった。
今きた地震は瞬間インパクト型で間違いなく直下型なのであった。

我が家の被害は皆無なのであったが、生活が大変になった。
交通網がマヒしてしまったのだ。
うちだけではない。
1千万人を超える人々が通勤通学に移動あるいは仕事を開始していてた時間帯での発生は、都市部でどのような混乱が発生するかの重要な経験となった。

鉄道は全て緊急停止。
満員電車の中で2時間以上も待たされた人もあったようだが、同時間に通学のために娘が乗っていた快速電車は通過駅で停車。
緊急停車した電車の先頭1両目が通過駅のプラットホームにかかっていて、そこから8両編成の列車に乗っていた乗客は順次下車して事なきを得たという。

「暫く駅で待機するように。地下鉄が最初に動くので、地下鉄の駅まではそこから1kmほどや」

とメールで娘に指示をしたりしたのだ。

発生時間が移動を中心とする時間帯であったため自宅にも会社にも学校にも徒歩ではたどり着けない人々を大量に出した。
多くの人が自宅を離れていたので自転車の移動もできない。
娘の友人は自宅に戻るのに10時間もかかったという。
当然、高速道路は全面通行止め。
一般道は渋滞で動かなくなる。
ただ阪神大震災のときは橋という橋がすべて段差ができてしまったり、ひっくり返ったり、倒壊したり、というところまではなかったので通行できないところまでなかったので全く動かかない渋滞ではなくてよかった。

私はこの日、認知症が進行している母の件でケアマネさんと打ち合わせすることになっていたのだが、移動手段がなくなってしまった。
でも、早くうちわせしたかったので、実家ちかくの病院まで片道20kmほどを自転車で行くことにしたのだった。

それにしても今回の地震は大都市部での災害に対して、どのような問題が発生するのかという貴重な事例となったわけだ。

ちなみに日本ではビジネスで最初の出店やイベントを開催するのは大阪というセオリーがある。
関西の消費者に受け入れられるかどうかが日本でのビジネス展開のリトマス紙になるというのだ。

H&Mやクリスピードーナッツは大阪が日本初出店。
フェラーリの大阪ショールーム。
撤退してしまったが総合スーパーのカルフール。

地震も大阪が首都圏に来るであろう大型直下地震のモデルケースになるという。
なんと因果な自然災害だと思ったのであった。

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )







先日、仕事で名古屋へ行ってきた。
とりわけ急いで行く必要もなかったので近鉄電車の急行で行ってみることにした。
コストパーフォーマンスを検討した結果、初の試みなのであった。

大阪から名古屋に行くための公共交通の手段は大きくわけて7ルート。
新幹線、JR在来線2ルート、近鉄特急、近鉄特急以外、バス2ルートが主な手段となる。

最も一般的なのが新幹線での移動で、移動時間はわずか55分。
ただし運賃は最も高価で片道6560円必要だ。
この6000円を越える金額は、閑散期の大阪から札幌までのLCC料金とだいたい同じ。
距離と時間の割合を考えると、かなり高価であることがわかる。

新幹線ではなくてJRの在来線で行ったらどうなるかと調べてみると、こちらは大きく2つのルートが有ることがわかった。
1つは大阪〜米原〜名古屋を通る「東海道線」ルート。
もう1つは天王寺〜亀山〜名古屋を通る「関西線」ルート。

所要時間は東海道線ルートが2時間32分。
関西線ルートが3時間36分。
東海道ルートが1時間も早い。
しかし運賃は関西線ルートが3020円と東海道線の3350円よりも1割安いのだ。

なぜ、同じJR線2ルートで時間が異なるのか調べてみた。
当然距離も違うだろうが、根本的に関西線のダイヤ編成には明らかな不合理があることがわかった。

東海道線は米原駅で一度乗り換えするだけ。
大阪から米原は在来線全国最高速という特急よりも早い新快速で移動。
米原では10分程度の待合で、名古屋方面行きの快速に乗り換えスムーズな移動だ。
しかも東海道線は全線電化の複線である。

これに対して関西線は京都府の加茂から亀岡まではディーゼルで単線。
しかも加茂駅と亀岡駅で2度乗り換えなければならないという不便さがある。
ダイヤを調べてみると加茂駅での乗り継ぎは大きく問題が無いことがわかった。
加茂駅出発の各駅停車は大和路快速と連携していて待ち時間はほとんどない。
意外なことに、加茂から亀山まで単線のディーゼルであるにも関わらず所要時間は結構短時間だ。

問題は亀山駅での名古屋行きへの乗り継ぎであった。
なんとここでは加茂からの列車が到着するわずか数分前に名古屋へ向けて発車するダイヤ編成になっていたのだ。
しかもローカル線のために次の列車は1時間後。
畢竟、亀山駅で55分程度待つことになる。
この待合時間が大きなロス原因なのであった。
それにしてもたった数分ぐらい待てんのかい。

かねてからJR西日本とJR東海は仲が良くないと聞いていた。
その仲の悪さを証明する、嫌がらせダイヤなのかもわからないと思った。

で、もともとポピュラーな移動が近鉄の名阪特急アーバンライナーによる移動だ。
こちらは約2時間で料金は4260円。
全席指定で乗り心地も悪くない。
これまでも何度か利用したことがあり大変便利な交通手段だ。
とりわけ少し辺鄙な新大阪起点の新幹線と違って大阪難波起点の近鉄特急は大阪市内に必要な移動時間30分程度が必要の無い分かなり有効だ。

そして調査の結果、最も安価だったのが近鉄の急行で移動すること。
特急料金が不要な分安くなり、片道なんと2360円。
これは大阪〜名古屋間最安である。
しかも乗り換えは伊勢中川駅での1回だけ。
ただし所要時間は3時間15分と少々忍耐が必要だ。

残りはバスなのだが、これはコストは安いが所要時間は近鉄の急行と同じく3時間少し。
バスなので道路事情で前後する可能性がある。
とりわけ事故渋滞などに巻き込まれると3時間では到着しないことになってしまう。
仕事で使用するにはある程度冒険になる。

ということから、今回は最安で乗り換え1回の近鉄の急行で移動することに決めたのであった。

それにしても今回調べてみてわかったのだが、JR東海道線は意外にも近鉄特急並で早いこと。
もしかすると天王寺起点で移動開始すると関西線と同じ運賃かも知れず、さらに興味が沸く。

次回はJR東海道線で移動してみたいと思う大阪〜名古屋間なのであった。



コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )




昨日の朝、大阪北部で発生した地震でわかったことメモ

1:家具の突っ張り棒は役にたたない
2:直下型地震は揺れてから地震速報の警報音が鳴る(直下型はあまり役にたたない)
3:電話はスマホでネット接続
4:JR線は止まったら、その日のうちの運転再開は無い(災害が起きたらJRは早々に見限ろう)
5:百貨店は休みになる
6:コンビニは食品・飲料水が売り切れる
7:エレベータは閉じ込めが発生する
8:エスカレータも停止して階段になる
9:高層ビルは高さに関係なく歩いて上り下り(ちょっとした登山の体力必要)
10:やはり自衛隊の動きは迅速だ

以下、正直言って怒りです。

11:ブロック塀は凶器だ
12:阪神大震災でも最初の犠牲者の報道は「ブロック塀に挟まれた新聞配達員」だったのに、どうやら行政も教育委員会も覚えていないのかアホなのか無視されていて他人事だった
13:阪神大震災の野島断層の東側(今回の震源付近)が動かずに残っていることは既知の事実なのに倒れやすいブロック塀を学校施設に設置していた(しかも違法、さらに固定が不十分)
14;未だに日教組が強いと噂のあるところは何かと問題があるようだ(高槻市)
15:阪神大震災が起こったあと、北摂エリアのとある地方自治体に地震対策設備を売り込みに行ったら、
「あと400年は巨大地震は起こりませんわ。ハハハ」と嗤われた。400年ぶりの阪神大震災で、あと400年は安全だと言ったこの職員は市中引き回しの上、打首獄門にしたいぐらいだ(公務員は昔なら武士なので切腹、ということもあるが切腹は名誉なのでさせる価値はない)。で、そんなことはできないので懲戒解雇して欲しい。
16:東日本大震災の負の経験を思い出して災害対策を考えると「日頃選挙法違反ギリギリの選挙区でのお菓子配りに余念がなく、口を開けば政策皆無のモリカケばかり」な革新政党候補を選挙で選んではいけない。(高槻選挙区選出の衆院議員は辻元清美)

なんか、やりきれない。
とりわけブロック塀は。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )






カーレースの最高峰の一つ、ル・マンの戦いが繰り広げられている。
首位と二位はなんとトヨタ。
このままゴールまでの登りつめれば、久々の日本メーカーの快挙ということになる。

そう、あのマツダ以来の。

1991年。
日本メーカーとして始めてルマンを制覇したのはマツダだった。
三枚駆動部仕様の特別製ロータリエンジンを搭載したマツダ車は他のレースカーを圧倒。
初の総合優勝を遂げた。
まさしく、日本の自動車がコンシューマーだけではなくレースの世界でも頂点に立った瞬間だった。

でも、すぐに状況が変わった。

マツダが優勝した途端、ル・マンのルールが変更。

「出場していいのはレシプロエンジンの自動車だけ。」

マツダは出られなくなった。
はっきり言って日本人排除の嫌がらせなのであった。

ロータリーエンジンの原理はドイツ人が考案したものだが、それを実現できるメーカーは昔も今も世界にはマツダしか無い。
その高性能のエンジンに度肝を抜かれて、

「次回からはロータリー、参加できないから」

とルールを変更したところなど、恥ずかしくないのか。
まったくもって陰険としか言いようがない。

ということで、欧州のみなさん。
今回トヨタがかっても意地悪しないでね。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




JR阪和線の関空快速に乗っていて液晶画面に流れる家電メーカーらしき広告に見ていると、初めて見る会社の広告が流れた。

「AQUAは日本生まれのブランドです」と。

なんじゃい、AQUAって。
トヨタのパクリか?

本来ブランド名が出るときはその背後にいる親元の企業もしっかりと伝えられることが一般的だ。でもあえてその親元を隠してブランド構築することもある。
例えばトヨタのレクサス。
親元をあえて隠して高級さを引き出す戦略で誕生したブランドだ。
一方GUやオールドネービーはユニクロやGAPといった親元より安価で展開するためのブランドだ。親元を隠すにはそれなりに理由がある。

でも、家電でそれは最近は珍しい。

1970年代のオーディオブームのとき。
各家電メーカーは高級音響をイメージしたブランドをそれぞれ繰り出してイメージ戦略を展開した。
まさか洗濯機とステレオアンプを同じイメージ売ることは考えられなかったのだろう。

だから各メーカーは名称に凝った。
松下電器産業はテクニクスかパナソニック。
東芝はオーレックス。
三菱はダイヤトーン。
オーディオ専業メーカーはもともとイメージがつながっているのでソニーやパイオニア、ビクター、オンキョー、ヤマハ、サンスイ、アイワなどはそのままだったが、トリオはケンウッドに社名変更。その後アカイは三菱と一緒になってA&Dになったように記憶する。

ブランド名が物申した時代だった。

で気になる「AQUA」はどかかいな、と調べてみた。
するとなんと「ハイアール」の日本法人が日本に合わせて変更した社名だった。

中国の巨人ハイアールは三洋電機の白物部門を買収したりして日本展開を開始したが、やはり中国&安物意識が消費者にある。
そのイメージは決してポジティブではないわけで、もしかすると販売が伸び悩んでいたのかもしれない。
そこで生まれた作戦が「元の社名をださないブランド展開」。

韓国のサムスンの「ギャラクシー」はその代表だ。
これは韓国と聞いただけで「もうええわ」というアレルギーができてしまった日本人に「サムスン」を意識させずにスマホを買わせるためブランドだけで展開している最大の例だ。
だからAQUAも同じ。
中華文化圏特有の戦略なのか。

オーディオブームのブランド戦略とは随分異なるが、この先どうなることやら。
日本で生まれた中国のブランド「AQUA」。

なお、どこの製品かという以前に日本人は正直じゃないと受け入れないことをお忘れなく。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




今朝の朝刊によると、北朝鮮の金正恩が「日本の首相と会う用意がある」との発言に対して安倍晋三首相はこういったそうだ。

「次は私の番。私は騙されない」

と。

「私も」

ではなくて、

「私は」

ということは、つい最近誰か金正恩に騙された人でもいるんでしょうか。

助詞の使い方は、意味ありげ。

「ねえ、そう思わないかい?ドナルド」

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )







iPhoneとMacでお馴染みのアップル社の創業者の二人のスティーブ。
一人は故スティーブ・ジョブス。
もうひとりはスティーブ・ウォズニアック。

「アップルを創った怪物」

はそのスティーブ・ウォズニアックの自伝だ。

そもそもアップルといえばいつもスティーブ・ジョブスばかりが前面に出てくるが実はアップルの技術的な面はウォズニアックが全てを生み出したといっても過言ではない、ということを聞いていた。
本書ではアップルコンピュータが生まれた過程を技術製造面から実際に設計して組み立てた本人が語っていて非常に面白い。
近代ITの歴史書としてはなかなか興味深いものがあった。

実際にアップル社の最初の製品「アップル1」は他に例を見ない電子オタクのウォズニアックが一人で設計して一人で部品を集めてきて一人で組み立てたものであった。
それを類まれなる営業力を発揮するジョブスが地元のパソコンショップに売り込んだところから同社はスタートする。
最初の受注額は5万ドル。

当時は珍しい完成キット製品だったアップル1を地元シリコンバレーの小売店が「買うよ」と言ってのはいかにも牧歌的だ。
カリフォルニアの長閑な雰囲気がただよっており漫画スヌーピーとチャーリーブラウンみたいな世界だ。

アップル1の1台の価格、666.66ドルはジョブスが「目立つから」という理由で設定。
彼は「666」が持っている宗教的意味は知らなかったという。
部品調達の金など無いので、保証人を一人頼んで支払いながら部品を小出しに売ってもらい、組み立て作業員は本人たちはもちろん友人家族総動員というのものであった。
アップル1にはあのジョブス自身が組み立て製品が存在するのだ。
さすがオークションで6000万円の値段がつく理由がわかるような気がする。
だてに木製手作り躯体に下手な字で「Apple Computer」と書かれているだけではないわけだ。

そう、あのアップルは1人の超オタクと、1人の超強引な性格の学生もどきが作り上げた会社だったのだ。

それにしても面白いエピソードが満載だった。

例えばアップル1が出たときはアップル社は会社ですらなく、二人の創業者は片やヒューレット・パッカードの社員であり、もう片方は学生でTVゲームアタリ社のアルバイトだったのだ。
さらにさらに面白いのは、アップル1に目を付けたコンピューターメーカーがアップル1の技術と二人を買い取るというオファーを持ってきた時に、
「製品と二人の契約代金として数十万ドルを用意してください」
と思いっきりふっかけたので笑われてせっかくのチャンスが終わってしまったのだった。
ふっかけたのはもちろんジョブス。
それを横で聞いていて思いっきりずっこけるウォズニアックの姿はまるっきりコメディとしか言いようがない。
二人は自分たちのコンセプトをそれぞれの勤務先とアルバイト先に持ち込むが、どちらも実現できないという。
「なんでやねん」
という感じだ。

歴史にもしもはないにしろ、もしもそのコンピューターメーカーが二人に数十万ドルを出していたら、もしもアタリやヒューレット・パッカードが二人のアイデアを受け入れていたら。
今のアップル社は存在せず、コンピューター業界どころか、コンピューター文化はおろか人々の生活スタイルの多くが今とは違ったものになっていただろう。
歴史は面白い!

この話を聞いていてふと日本にもほぼ似たような話があったことを思い出した。
ソニーの創業者である井深大と盛田昭夫の物語だ。

井深大は早稲田大学を卒業後、東芝の入社試験を受けるが不採用。
PCLに入社したがPCLが映画のフィルムの現像を請け負うことがメインの仕事で、
「あんな作り話の仕事なんか」
と嫌気が差し辞めてしまったという。
もしも井深大が東芝に入社していたら今のソニーはなかったわけで、実用量産のトランジスターやダイオード、CCD素子は一体誰が作ったのという歴史の面白さがある。

一方、盛田昭夫は名古屋の造り酒屋の長男でやりて。
軍で知り合った二人は井深大が技術面を、盛田昭夫が営業面を受け持って戦後すぐに百貨店の一部を借りて東京通信工業を立ち上げた。
今のソニー。
で何を売っていたのかというと、ご飯の炊けないインチキ炊飯器なんかを堂々と販売して戦後の危機を切り抜けやがて電子デバイスとエンタテーメントの世界トップ企業になっていく。

実に似たような話なのだ。

スティーブ・ジョブズがアップルに復活したとき、
「私はアップルをソニーのような会社にする」
と言ったのは、あながち両者の歴史を知らなかったわけでもなさそうだ。

ともかくマニアというかオタクの辿った歴史は文句なしに面白い。

読んで元気が出て良かった一冊なのであった。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




アメリカのトランプ大統領。
北朝鮮の金書記長。
互いの共通点は?

「恥知らず!」

先進国首脳会議から帰国早々、
「批准なんてしなくていいって部下には指示した。だってあれは前の大統領が決めたことだもん」
と言ったのはトランプ大統領。

2国間首脳会議を前にして、
「ホテルに払うお金はないよ。でも最高級のスイートルームに泊まりたい。誰か出してよ」
と言ったのは金書記長。

これらはサタデー・ナイト・ライブのコントではない。

「恥」の概念がないのか、私達のそれとは大きく異なっているのか、理解しがたいものがある。

だいたい「鬼ヶ島状態の北朝鮮」を「自由の代表アメリカ」が体制維持を認めるんかいな。

まことにもって世界にはいろいろな文化があるもんだ。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )







私は子供の頃から何かが壊れると自分で修理をするように心がけている。
修理するほうが新しいものを買うよりも、ずっと安価だと信じているからだ。
しかし多くの場合、修理は容易ではない。
だいたいが途中で挫折するか、さらにひどい状態にさせてしまうか、違うものになってしまうかなのだ。

現実は難しい。

共通しているのは「部品が無駄になる」こと。
せっかく買い求めた部品が台無しになってしまい、なんのために高い費用をかけたのかわからなくなる。

最近の成功事例は10年ほど前に購入したP社製の電動ひげそり。
長い間使用してきたために電池が弱り、充電式にも関わらずAC電源を接続していないと動かないという事態になっていた。
これを修理に出すのか、それとも自分で電池を交換するのか大いに悩んだ。
結果、インターネットで動画た機種の電池交換手順が載っていたのでそれを参考に交換することにした。

ネットでは電池はアマゾンで買え、となっていたが近所の上新電機に確認したらアマゾンの1/3ほどの価格だったのでそこに注文することにした。
なにもかもネットが安いとは限らない好例であった。

届いた数百円の電池は普通はメンテナンス会社が使用して取り替えることになっているのだが、私はネットに乗っている手順に従い電動ひげそりを分解。
古くなった電池と新しい電池の交換に成功した。
復旧する時にいたうものようにケースを破損しそうになったがなんとか組み合わされ、無事に充電できることも確認した。
なんと新品と同じ元気さを取り戻し、もはや常にAC電源に接続する必要もなくなった。

この電動ひげそりに自信をつけて修理に挑んだのが「傘」なのであった。

傘と言えばとっても簡単な構造で、正直言って修理する価値があるのか不明なくらい安価なものである。
100円ショップで200円も出せば立派な折り畳み傘が購入される時代だ。

それでも少々高価な日傘やかみさんや娘が気に入った模様の傘は壊れたからと言って簡単に捨てるわけに行かず、折り曲がった骨のまま無理して使っていることもあるのだ。

先日、娘が折り曲がった骨の日傘を使って学校に行っているので、

「おい、そりゃ格好悪いやろ。お父さんが修理したるわ」
と言って買ってきたのが100円ショップで売られている修理キットなのであった。

修理キットには傘の先っぽのプラスチック部品や折れた骨をつなぐ金具数種類。
ぱっと見は何に使うかわからないちっこい金具などがセットされていて取説もついている。

「これはすごい」
とばかりに傘の修理にかかったのだが、これが意外に難しい。
傘の骨というのは簡単のようで頑丈に作られていて折れた部分を小さな金具でかしめたところで十分に接合できないことがわかった。
てこの原理で長い2本の骨に風などの力がかかり反り返ると全長4cmほどの金具など一瞬で折れ曲がるのであった。

「傘など簡単さ」

と言った手前、なんとしてでも修理を完了したいと思ったのだが、ペンチを使ってかしめたり折り曲げたりしたりするほど、どうしようもなくなり傘は単なる線細工と貸してしまったのであった。

「アートや」

と言ってごまかすには明らかに無理な造形になってしまっていたのであった。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )



« 前ページ