JR山手線に新駅が誕生する。
昨日プレス発表された品川と田町駅間に建設される山手線と京浜東北線の新駅は建築家の隈研吾が担当することになった。
担当すると言っても本人が図面を引いたり業者に直接指示をするのではないだろう。
隈研吾建築事務所のスタッフが隈研吾の指示によってCADと業者の担当者を操作することは間違いない。
隈研吾といえば今超売れっ子の建築家だ。
私もこの人の著書を読んで大いに感銘を受けたこともあり、その力量には大いに感服し尊敬するものがある。
今も東京オリンピックのための新国立競技場、大阪難波駅前の新歌舞伎座後の複合ビルなどの設計を担当されている。
いわば国家プロジェクトを請け負える建築家なのだ。
とはいえ一昨日発表された新駅の設計が隈研吾であることをネット版の新聞で読んだところ、
「ひとりの建築家がどれだけの物件を同時に対応できるのだろう?」
と、正直なところ考えてしまったのだ。
私は学生時代、大阪芸術大学で映像を専攻していた。
先生方にはテレビや映画関係者が多く、とりわけ依田義賢先生や宮川一夫先生、森田富士郎先生、川上清先生は我々学生から見ると雲の上の人たちだったが、私達のつまらない質問にも丁寧に答えてくださるだけではなく、映像に対する飽くことなき情熱を私たちに伝えてくれるそのエネルギーが素晴らしいものであった、ということに気がついたのは卒業してからであったが。
ともかく映画屋、テレビ屋の世界の人が多く、そういう雰囲気が持ち込まれている環境であった。
そこで思い出したのはテレビ屋さんはともかくとして映画屋さんのトップ、とりわけ監督業に近い人は複数の作品を同時進行で製作することは殆ど無いということだ。
映画は建築業と同じく様々な業種によるコラボレーションビジネスだ。
このことに気づいたのは卒業後にサブコンの仕事についたときだ。
クリエイティブな仕事をするはずが建築設備業に就職し、竹中工務店や鹿島建設の建設現場で、なぜか技術者として働いたわけだが、この時に建築の監督と職人さんたちの関係が映画の世界そっくりだったことにびっくりしたのだった。
建築現場という言葉のイメージからは「危ない」「汚い」「キツイ」などのいわゆる3Kの言葉が思い出されるかもしれないが、私の働いたのは例えばホテルニューオータニ大阪だとか近鉄百貨店阿倍野本店だとか、チバガイギーといった建築の中でも非常に技術とデザイン力の要るところで職人さんたちのレベルは高く、親方さんたちは他社の私にでも親切に基礎を教えてくれる人が少なくなかった。
監督の中には2つの現場を掛け持ちする人もたまにはいたが、それはひとつの現場が終わりかけか、小さいかのどちらかの場合であった。
そこで考えるに建築家、いわゆる設計をする立場の人はどうなのか、ということだ。
隈研吾氏のように国家プロジェクト的案件をいくつも同時進行するのには、それなりのスタッフという人的資産があるわけだろうが、クライアントとしては、
「隈さん、お願いいたします」
という感覚で発注しているはず。
果たして人気建築家の仕事処理能力はどのように判断すればよいのか。
山手線新駅のニュースを見て、つらつらと思った次第なのであった。
| Trackback ( 0 )
|