<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地



奈良公園を東大寺南大門に向けて歩いていると外国人観光客が鹿の頭や首を素手でなでているのが目に止まった。

「お〜、汚いやないか」

と言ったのは鹿ではない。
私がそう思ったのだ。

奈良の鹿は可愛い。(年食った雄鹿を除く)
ディズニーアニメに出てくるバンビみたいなのも少なくないうえ、奈良の鹿は人馴れしていて人を恐れず横を通ってもびくともせず、逆になにか餌でもくれるんじゃないかと近寄ってくることもあるくらいだ。

こういう景色は日本でもここと広島の厳島神社ぐらい、というか世界的にも稀な光景なので、外国人にとってはここは「信じられない鹿の楽園」という風景に映るのであろう。

でもね。
鹿って自分の糞の上にでも平気で座るヒトたちですよ。
風呂に入ることもないし、恐ろしい感染症を抱えているわけでもないけど、正直ばばっちいのは間違いない。
したがって素手で鹿の頭をナデナデして、その手のままでソフトクリームなんぞを食っているヒトたちの感覚に「汚いやないか」と思うのは私だけではないと思う。

ちなみに奈良の人に聞いてみて、
「それは、汚い!」
とはっきりと言う。

奈良公園を歩くと鹿の糞に注意しないといけないのはもちろんのこと、何も考えずに鹿と戯れる外国人との握手にも注意が必要だ。


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夏真っ盛り。
関西はもともと夏は蒸し暑くて冬は凍えるように寒い。
過ごしやすい季節は年に数度しかない。(トロント出身の元英会話講師のG氏曰く)
今年の夏も奈良、京都は最高気温が38℃超えで、
「こんなところ観光するヤツラの顔がみたい」
と思って京都に出かけたのは今から25年ほど前のこと。
河原町から嵐山までうろちょろしたが観光客の温度に関わる痛点が故障しているのか、暑さなど関係なくどこもかしこも混雑していたのが印象に残っている。

さらに突き詰めれば、
「こんなところに都を作った古人の感覚がよくわからん」
ということにもなる。
奈良、大阪、京都が首都圏という歴史が1400年以上続いた。
半径50kmぐらいをウロチョロしてたのが都の場所だったわけだが、その間、
「ちょっとでも涼しいところに都を移しましょ」
とは誰も思わなかったのか。
そもそも東京ができるまでエアコンの無い時代でもあったのだ。

今日なんぞ、京都も奈良も38℃。
海沿いにある大阪でも36℃。
もし奈良時代や平安時代に熱中症警戒アラートがあったら、どのように対応していたのだろうか。
大河ドラマ「光る君へ」なんぞ、季節感の描写もあまりないので、そのあたり触れられたくない項目の一つなのかもしれない。

で、夏休みの38℃というと思い出すのが小学校5年生の時に母に連れて行ってもらった奈良ドリームランド。
ここは今は存在しない遊園地だ。
奈良市の北側の平城山の上にあって、入口から正面に向かって路面電車の走る大通りがあり、正面にはアルプスに似た山があり、その山の稜線をジェットコースターが走っていた。
近くには潜水艦の航行する池もあったり、公園を周回するような鉄道も走っていたのだった。
で、そこまで書くと伊藤沙莉でなくとも「はて?」と思う人も多いかもしれない。
それって浦安にあるあれでしょ、という具合に。
そう、奈良ドリームランドはディズニーランドのバッチモンなのであった。

バッチモンとは言えTDLは存在せず、こんなところでも人気はそこそこあり、当時(1970年代)宝塚ファミリーランド、エキスポランドと並んでメジャーな大型アミューズメント施設の一つだった。
なので奈良ドリームランドへ行くことは重要で、奈良観光が鹿にせんべいを食わせるだけの時代ではなかったのだことも意味するのだ。

このとき、私は友達も一人伴っていた。
母はそれを連れて行くことを快く許可してくれたと記憶しているのだが、それが誰であったのか今思い出すことができない。
近くの府営住宅に住んでいたSくんかもしれないが、小学校5年生の時にSくんは交通事故に遭遇して長期入院をしていたし、同じ団地に住んでいたIくんかもしれないが、Iくんとはまだ知り合っていなかったような気がする。
ふたりとも現在では付き合いが途切れてしまっており確認する術がない。
幼稚園から現在もなお付き合いのなるMの恐れもあるが、当時も今も遠慮というものをあまり知らないMなので一緒に行っていたら、その行動や言動を強烈に覚えているはずなのでこいつでもない。
誰といったのかはともかくとして、それだけ友人と行って楽しかったという記憶があるのだ。

でもその時の引率の母は「暑い暑い」と言ってて、その暑さに降参という感じだった。
子どもの私は暑いけど、そんなに暑いとはその時は感じなかった。
当時母は40代なので高齢で熱中症の餌食になった、という年齢ではない。
なのに、暑がっていた。
一方私は暑かったもののへばるほどのものでもなく友達とあれこれアトラクションを楽しんでいたのだった。

で、その夜、テレビを見ていた母が一言、
「今日、奈良は38℃やったんやて」

以後、奈良ドリームランドと夏の暑さと38℃という数字がセットで思い出として記憶されるのことになった。
38℃は特別な暑さなんだ、と。
今、その特別な暑さは普通になりつつあるようだ。


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週に2回ほど奈良で仕事をしている関係でJR大和路線の大和路快速に乗ることが多くなった。
この大和路快速。
いつの間にか国際観光列車と化していたのだ。

大阪から奈良へ向かうのは一般的に近鉄電車が利用されることが多い。
私も昔はそうだった。
私が小学生だった頃。
大和路線は大阪中心部と奈良市中心部を結んでいるにも関わらず電化されていなかった。
なので走る列車はディーゼルで走る気動車だった。
SLも時々見かけた。
なので、油の匂いの香る、加速性能がノロ〜イ、冷房もついていない。
トンネルの中は石炭の香りがする。
そんな路線なのであった。

さらに奈良県内の交通網はほとんど近鉄に独占されている。
しかも昔から全線電化されレール幅も標準規格でスピードが早い。
距離も生駒山を直線で貫き最短距離。
だから観光客だけでなく通勤客も奈良への移動は近鉄電車と思っているというのがこれまでの常識なのであった。

ところが外国人観光客はそうではないようだ。
もしかすると外国人向けのJR周遊パスが影響しているのかもしれないが、かなりの割合で外国人は大阪〜奈良の移動にJR線を利用していると思われる。
しかも大和路線も電化されて半世紀。
今や近鉄、JRの大阪〜奈良の所要時間はほとんど変わらない。
走っている電車の本数も若干近鉄のほうが多いかもしれないがJRもそれなりに多くの電車が走っている。
しかもJRの場合、大阪や新大阪まで直通の快速も少なくなく、主要ターミナルを結ぶという意味では大阪難波起点の近鉄とは一味違う。
だから外国人が多いのか。

この外国人観光客は多くが英語圏外の欧州系外国人で、家族連れが多いのも特徴だ。
耳をそばだてていても何を言っているのかさっぱりわからない。

「奈良って素敵だったね」
と言っているのか
「鹿が可愛かったね」
と言っているのか
「奈良漬はクセがあるけど美味しいね」
と言っているのかさっぱりわからない。
だから満足しているのかどうか知らないが、外国人観光客の数が衰えることはない。
まさにインバウンド。
いいこともあって大阪の繁華街ではどこへ行っても聞こえる中国語もここではほとんど耳にすることがない。

 「え〜、こんなに色んな国から外国人観光客がやってきてるんだ」

とびっくりすることが少なくない。

JR奈良の駅前も外国人がぞろぞろと。
京都と違う質のインバウンドが大和路快速の中の雰囲気。
天平時代の奈良の都を彷彿とさせる国際色豊かな車内なのだ。


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「猛スピードで走るんやけど、ウンワウンワもの凄い揺れてちょっと怖かった〜」
と言ったのは久しぶりに南海電車の特急に乗ったカミさんであった。

この日。
出勤からの帰りにいつも乗っているJR大阪環状線で人身事故が発生。
これに伴い、同線を走っているJR阪和線と大和路線も大きく影響を受けることになり運転再開まで1時間以上かかるという。
そんなこんななのでカミさんは振替輸送の南海電車で帰宅してきたのだが、乗った南海の和歌山行の特急が早いのはいいけれど、すっごく揺れるのでいささか怖かったという訳なのだった。

ということはいつもの乗っているJR阪和線の方が乗り心地がいいのか?
というと、良いという結論になってしまう。

これは関西空港開港以前には考えられなかった現象なのであった。

というのも昭和時代終盤から平成のはじめまではJR阪和線といえばオンボロ電車オンパレードな様相で、とりわけ私の子供時代は首都圏で不要になった車両の引き取り先みたいな存在になっていたのだ。
京浜東北線で走っていたブルーの103系。
どこで走っていのかわからないような垂直な座席の113系。
さらに昭和60年を迎えるころまでは横須賀色の70系などが、ワンワンとモータ音を轟かせながら走っていたのだ。

JR阪和線は全国でも最も混雑する路線の一つで、ラッシュ時は地下鉄にも顔負けしない頻度で走っている。
デイタイムも10分以内に次の電車がやってくるのだ。
こんな路線でボロ電車なので、
「何でだろう」
と思っていた。

それと引き換えに南海電車は関西大手私鉄の一つであり、プロ野球球団南海ホークスの親会社であり、日本で最も歴史の長い私鉄でもある貫禄が、車両の美しさ、乗り心地に反映されていた。
これは生活スタイルにも影響していた。
例えば南海電車でなんばへ買い物に出かけるのと、国鉄阪和線で天王寺へ買い物に出かけるのは、自宅近くの最寄り駅で電車に乗るときから雰囲気が異なっていた。
これは阪神地区でJR沿線、阪急沿線、阪神沿線で雰囲気が異なるのに似ていなくもなかった。

それが国鉄の民営化で首都圏とは異なる会社になったことと、日本で唯一だった24時間空港の関西空港の開港で大きく変異。

阪和線には次々とステンレス車両の最新型223系、225系が導入された。
コロナ前についに全車両が最新型に入れ替わった。
しかもこれまですべての電車が天王寺止まりだったのが、環状線に乗り入れるようになり快速は大阪梅田まで。
特急は京都や草津まで走るよになった。

気がつくと自社球団も手放し、沿線人口減も関西大手私鉄で最も大きな南海電車は車両がすっかりお年を召してしまい、すべての列車がなんばまでの南海とアーバンネットワークのJRの立場が逆転してしまっていたのだ。

はてさて、これからどうなっていくのか?

大阪南部の電車の乗り心地はちょっとばかし注目していたいポイントでもある。


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「関西の奥座敷 芦原温泉」
なんてキャッチコピーが完全に昔になってしまいったが、その言葉が完全に死語になる時が近づいている。
なんのことかと言うと、北陸新幹線が来年3月、福井県の敦賀まで開通するのだ。
それも東京方面からの開通で、大阪からの開通はいつのことになるやら分からないのだという。

地元での歓迎ムードはNHKも「ブラタモリ」で取り上げるぐらいなので、特別な出来事だ。
でも、関西地方に居を構える者にとっては至極迷惑。
現在、金沢まで直通で行ける特急サンダーバードも敦賀止まりなので、これでは関西のアーバンネットワークの代名詞「新快速」とかわりはなく、止まる駅の数が少し少ないだけで、メリットはほとんどない。
芦原温泉はもとより金沢へ行くのも途中敦賀での乗り換えが必要になってくる。

北海道新幹線と比べると北陸新幹線は遥かに利用者も多く、その利便性は認めるところだが、なんでこんな中途半端な開通を図るのか。
新幹線が開通しても特急でそのまま金沢や富山に行けてもいいんじゃない。

私は山陽新幹線が岡山まで開通した時、まだ小学生だったが、親にせがんで「特急しおじ」に岡山から大阪まで乗せてもらったことがあった。
つまり山陽新幹線の途中開業でも山陽本線を走る特急しおじは下関から新大阪まで走っていたわけだ。
それがなんでサンダーバードでできないの?
という不満がある。

ということで北陸新幹線、関西から西ではその必要性がほとんど認められない迷惑な地元新幹線なのだ。


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先日、初めてJR和歌山線の高田〜五條間に乗車した。
王寺〜高田間や内田〜橋本間はずっと以前に乗車したことがあったのだが、この区間ははじめであった。

JR和歌山線は大阪近郊路線にもかかわらず、走っている本数が極端に少ない。
1時間に1本程度しか走っていない。
父の故郷・岡山を走る伯備線や吉備線以下の運行本数だ。
かと言って、極端な過疎地域を走っているのかというと、先述の通り大阪の近郊路線なので、例えば大阪第三のターミナル・天王寺(あべの橋)から五條までは1時間の距離だ。
これは南海高野線を利用して橋本経由でも難波から1時間。

1時間以上の通勤時間をかけて滋賀県や三重県から大阪市内まで通っているビジネスマンや学生の数が数万人であることを考えると、時間的には滋賀や三重より格段に大阪に近い奈良県五條は時間的には有利と思えるのだ。

なんといっても五條市は金剛山という山を挟んでいるとはいえ大阪府河内長野市や千早赤阪村と隣わせ。
大阪の郊外としての位置づけの資格は十分にある。

ところが電車は1時間に1本。
不便極まりない、と思っていた。
なので電車の社内はガラガラで、いつ廃止路線候補に上がっていても不思議はないと考えていた。

今回始めて乗って、その考えは間違えていたとこがわかったのだ。

仕事と関係なく一緒にハイキングをするデザイン関係者のグループがあり、今回私は幹事として五條を案内することになった。
いつもなら五條は自宅から自動車で行くので鉄道は使ったことがなかった。
なんといってもトンネル一つ越えて高速道路を少し走る大阪の自宅から五條は45分ぐらい。
なので今回大阪近郊超ローカル線JR和歌山線を体験することを楽しみにしていた。

で、乗って驚いたのはJRまほろば線と分岐する高田で大勢の乗客が降りたのだが、高田から乗車してくる客も多く、車内は決してガラガラではなかったことだ。
大和路線から乗り換えた王寺駅では座れないくらい混雑していたので、かなりの意外性だ。
往路は五條の一つ手前北宇智駅で下車したのだが、ここでも座席はほとんど埋まっていた。

帰りは学生の下校時間と重なったこともあり五條駅から6割乗車で若干混雑。
座れることができたのだが、多くの学生は立っておしゃべりに興じていた。
たぶん、智弁学園の学生たちではないか、と勝手に思ったのだが、馬鹿騒ぎするようなことがなく落ちつた雰囲気の学生たちなのであった。

考えてみれば大阪から1時間。
関西空港までも自動車なら1時間。
旧幕府領で京都、奈良から奥吉野・大峰山や太平洋側・新宮へ抜ける交通の要衝。
幕末は天誅組事件もあった。
現在も木材の集積場や加工場、豊富な農産物の生産地でもあり人口は少なくない。

単なるローカル線だと思っていたJR和歌山線は意外な準混雑路線なのであった。


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秋祭りの季節がやってきた。
3年ぶりのまともな秋祭りだ。

新型コロナを第5類に分類するのかしないのか。
政府が科学よりも政治を優先しているために経済活動と合致せず、大いに問題になりつつある。
その経済活動と合致しないのは大きなマイナス要素で、円安、株安、物価高のダメージはある意味、民主党野田政権が安倍晋三政権にバトンタッチしたときの雰囲気に似ている。

「ああ、もう日本ダメかもしれない」

と思ったあの時だ。
結局、安倍晋三政権が周囲からイチャモンを付けられ、デマを流され、さんざんに攻撃されながらも日本経済を通常軌道に持ち直させたのは、お笑い芸人でも認めている事実だ。
岸田首相は自民党だが野田なのか。
注目が集まっているところだが、さて祭り。

祭りとて同じでコロナが拡散している時にやってもいいのかどうか。
主催者側にとっては判断の難しいところだろう。

私は大阪南部に住んでいるので当然、秋祭りが盛んだ。
私の町にもだんじりがあるが、10月祭礼なので現在準備中。
中止する、ということは聞いていないし、今年は何があっても開催するという方向なのだ。
これは各地区とも同じという感じで、どこへ行っても提灯は上がっているし、電柱や標識などは紅白の布で化粧されている。

まず、今月9月の祭礼となると、やはり大阪岸和田のだんじり祭りと大阪堺の百舌鳥八幡宮のお月見祭りが筆頭だ。
両者とも地域で最も大きく、方や勇壮で、方や雅な祭りというのが特徴だと、私は勝手に考えている。

昨年、堺の方は確か中止していたと思うが、岸和田の方は一部の町が我慢できずにプライベート開催し、他地域からの顰蹙を買っていたのだ。
警察も止めればいいものを、止めると町と揉めるので中止させる勇気がなかったのだ。

今年はというと、警察も関与することはたぶんない。
普通の秋祭りが開催されようとしているのだ。

昨日、一昨日と開催された堺の百舌鳥八幡宮のお祭りは例年と同じように屋台はでてる、メインのふとん太鼓も全町出てる、見物人で溢れかえっているという状況なのであった。
実際に見に行った私が言っているので間違いない。
周囲の道路は通行止め。
神輿を担ぐ各町の人たちはマスク付けてるけど口は覆わず。
もちろん律儀にマスクを付けていると熱中症と呼吸困難で倒れる人続出であったと思う。

太鼓の音。
掛け声。
雑踏。

祭りが普通にできるているのに、何を政府は規制したいのか。

はじめの話に戻ってしまう、今年の普通の秋祭りの風景なのだ。



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新年の初お出かけは「せんなんロングパークのスタバでお茶」なのであった。

ここ泉南ロングパークは関西空港の対岸に位置する長〜〜〜〜い、海辺の公園だ。
対岸と言っても淡路島ではなくもちろん大阪側。
ここにはコテージ、地産マーケット、レストラン街、スポーツ施設があり季節を問わずに大勢の人々で賑わっている。

とりわけここにあるスターバックスは全国で唯一水着のままで入ってくることができるスタバのお店だという。
昨年は残念ながら新型コロナのために水着での入店はできず、お店のすぐ前のビーチも遊泳禁止になってしまっていた。
それでも広い前面ガラスの窓からは海が一望でき、沖合には関西空港の全景。
飛行機の離発着を眺めながらいただくコーヒーはなかなかおつなものがある。

ここ付近の大阪湾の海はとっても美しく天気が良いと底が見える。
堺生まれの私の母は子供の頃、浜寺公園の白砂青松の浜辺の話を時々してくれたものだが、戦前のその風景には負けるかも知れないが大阪の海は随分ともとの姿を取り戻しつつあると感じることのできる場所でもあるのだ。

ここは夕日タイムがベストかもしれないが、朝もなかなか良い。
朝の陽光が関空のターミナルビルの銀屋根に反射して、それはそれで美しい光景が広がる。
遥か彼方には明石海峡大橋の壮大な姿も拝むことができる。

公園はシンプルで美しく整備されていて、犬を連れて散歩をする人、自転車で走る人、スケートボードをする若者たち、などなど。
まるでテレビドラマに出てくるアメリカ西海岸の風景を彷彿させる明るさと暖かさがある場所なのだ。

道路を挟んで陸側には大きなショッピングモールがあるのだが、そことは少し隔絶された世界でもあり、それがまたナイスなのだ。

ということで新年最初の朝の一時は海を眺める一杯のソイラテでスタート。
大阪とは思えない大阪の素敵な風景。
ほんわりする一時なのであった。


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空港で働いているカミさんの勤務先が関西空港から大阪空港に変わって約1年。
ここへ来て大きな問題が持ち上がった。

それは「大阪空港のアクセスは悪かった」ということが再認識されたことなのであった。

かつて関西空港がなかった頃。
関西の空港は大阪空港しかなかった。
八尾空港は定期便がないの除外するので大阪空港しかなかったのだ。
この大阪空港には大きな問題があった。
それはアクセスがめちゃくちゃ悪いということなのであった。

ここへ行くためにはバスがタクシーしかなく、最寄りの阪急電車蛍池駅からは歩いたら30分近くかかる、とんでも空港なのである。
今は大阪モノレールが通じていて「駅」はあるのだが、モノレールは大阪市中心部に通じておらず、どこかで鉄道に乗り換えなければならないので不便だ。

仕方がないので大阪市内からは空港バスを利用することになるのだが、これがいけない。
空港バスは渋滞次第ではいつ到着できるのかわからないというリスクがある。
したがってキチンとした所要時間を読むことができない。
だから予約している飛行機に乗り遅れないように早めにバスに乗車する必要がある。
なので万一に備えて早めに出発するから、渋滞も事故もないまま空港へ至るとめちゃくちゃ早めに到着してしまうので時間を持て余すことになる。
こんなことなので東京や福岡へ行くときは新幹線になる。
余裕をもってバスで移動する時間があれば、同じ時間で新幹線は東に向かうと名古屋へ、西に向かうと岡山に着いてしまう。
飛行機よりも新幹線のほうが圧倒的に早いという結論になる。
まったく無駄の限りなのだ。

この事故渋滞はともかくカミさんの通勤に大きな障壁がもう一つあることがわかった。

関西空港から大阪空港へ転勤したのが昨年の今頃。
この頃はコロナの真っ只中で空港が関空だけではなく大阪空港も閑古鳥が泣いていた。
というか飛行機に乗る人はヒジョーに少なくJALもANAも創立以来の危機的状況にあった。
このため空港バスはガラガラで貸切状態に近いものがあった。

ところがである。
コロナは終わっていないが終わったようになった先月から急激に利用者が増え始めた。
特に国内線しかない大阪空港はかなりの乗客が戻ってきていることに加え、出かけることができなかった中高生の修学旅行が復活。
この修学旅行生と出張客と一般旅行客が空港バスに集中し、なんと、
「満席です。次のバスをお待ち下さ〜い」
という状況は出現しているのだという。

この満席状態が出現しだした時期と阪神高速道路のリニューアル通行止め工事が重なり、カミさんはなんどかタクシーに飛び乗らなければならない状況におかれたという。
もちろんタクシー代は会社から出るわけがない。
畢竟、同じようなバス待ち客に声をかけ割り勘でタクシーという非経済的な状況が発生。
しかもその状況は阪神高速の工事が終わっても収まらず、乗りたいバスのその前の時間にバス停に到着しておかなければならない悲惨な状態になっているのだ。
で、そのバスの時間とは、初発なのだ。
それより早く行くには前の日の最終に乗る必要があるが、そんなアホなことなどできそうにない。

「もう一台出して!」
と言っても話にならない。
大阪空港バスは私が大芸大の学生時代に利用した金剛バスのスクールバスより融通がきかない困った公共交通だった。

ということで、コロナが落ち着いたことは良いけれど必死のパッチでスリル満点。
とり残されると遅刻になってしまう割りに合わない空港バス通勤。

関西空港へ戻れる日が待ち遠しい。



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箕面の森は大阪府の北摂地域のメジャーなハイキングコースで、春夏秋冬季節を満喫できる場所として知られている。
特徴はなんといっても交通の便が良いこと。
その入口は阪急電車箕面駅前にある。
阪急の箕面駅は宝塚線の急行で梅田駅からわずか約15分ほどの石橋阪大前で箕面線に乗り換え約5分で到着する。
乗車賃も梅田からたったの270円。
都心からのトンデモ便利なハイキングスポットなのだ。
石橋阪大前駅からわずか5分程度ということは大阪空港からも至近距離で、トランジットの待ち時間の間にハイキングができるという場所でもある。
尤も大阪国際空港といいながら国際線は一便も飛んでいない国際空港なのでトランジットシている人を見かけることはないが、そんな場所のハイキングスポットなのだ。

今回、紅葉を観るために私は初めてこの箕面の森へハイキングにでかけることになった。
正直に言うと生まれてはじめての箕面訪問なのであった。

大阪に生を受け、育ち生活して半世紀。
こんなにメジャーなスポットに行ったことがないという我ながら貴重な経験だった・

今回は箕面駅から箕面の滝、勝尾寺を歩き北大阪急行線(メトロ)御堂筋線千里中央駅に至るというかなりの距離を歩いた。
その中で大きなトラブルもなく紅葉を楽しんだのだが、一つだけ心残りができた。

それはお猿にちっとも出会わなかったこと。

箕面といえばお猿さん。
野生の猿共がハイカーの弁当をつまみ食いする、おやつを奪う、子供に喧嘩をうる、などその悪行はかなり有名で、箕面の名物であったはず。
そのお猿さんたちに一頭も出くわさなかったのだ。
正直猿が多いだけに周辺でもトラブルが少なくないのは知っていた。
例えば大阪大学の吹田キャンパスも大して遠くないので、ここにお猿さんが現れると大変なことになるということを耳にしたことがある。

「えらいこっちゃ!実験動物が逃げ出したかも!」

と言う具合に。
もし本当に医学部あたりから頭にアンテナを埋め込まれたようなお猿さんが逃げ出したらテレビのニュースになるわ新聞記事になるわ、動物愛護団体から突き上げを食らうわ、周辺住民からなんと言われるかわからない。
実際そんなことは起こっていないのだが、きっとそうなるに違いない。

それほどここのお猿さんは有名でもある。

ハイキングコースの途中に箕面市野猿管理事務所なるものもあったのだが、事務所員の姿はお猿さん同様に見かけることがなかった。

箕面のお猿さん、どこいったんや?
初めての箕面の森のたったひとつの期待はずれだった。


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