<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地



アマゾンがMGMを買収した。
これっていいのか悪いのか。
それとも時代の流れなのか。

それにしても映画の名門MGMがGAFAの財力に身を委ねることになるとは思わなかった。
これで往年のハリウッドのミュージカル作品の数々はアマゾン・ドット・コムの傘下になってしまう。
それだけではない。
あの007シリーズもアマゾンということになってしまう。

そこで思いついたのだが、アマゾンの創業者ジェフ・ベゾスを悪役に新作を作ってはいかがだろうか。
彼の風貌は007シリーズ「007は二度死ぬ」に登場したドナルド・プレザンス演じる悪の組織スペクターの首領にそっくりだ。
そう、あの「オースティン・パワーズ」のドクターイービルのモデルなのだ。
ヘアスタイル(ツルッパゲ)。
雰囲気。
冷たそう。
どれをとってもぴったりではないか。

もしかすると彼もそれを意識しているのではないか。
なんてことは無いだろうが、コロナに引きづられてまたまた映画界に激震が走った。

ソニーに吸収されて稼げる映画会社になったコロンビア・ピクチャーズのようになることを祈る!


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俳優に限らず演出家、脚本家、画家、小説家、絵本作家といった人たちはいわゆる個人事業主が多い。
〇〇興行や〇〇事務所に属していたとしても、それはマネジメント契約を結んでいるプロダクションであり事業としては独立している。
だから仕事がないと収入も途絶えるし、やたら仕事が多いと「被雇用者」ではないので労働時間も長時間におよび労働基準法なんか関係がなくなる。
非常にシビアな仕事なのだ。

多くの若者が憧れる仕事ではあるものの、その現実は一般のビジネスと比較すると非常に厳しい。
運良く門が開かれたとしても、その仕事に従事するとするとかなりの精神的な決意を必要とする。
芸大や美大、専門学校ではこの部分はあまり教えない。
多くの場合は論理と技術を中心の教育・研究とするので卒業してから試練が訪れるパターンが大部分を占める。
結果的に精神的にダメージを受けたり、受ける前に転職していわゆる「カタギ」な仕事に鞍替えすることが多い。

女優の深田恭子が適応障害で休業するというニュースが流れてそんなことを思い出した。
華々しい芸能・芸術に世界もウラとオモテとでは大きく異る。
顔が売れているだけでに逃げることが難しい上、売れているがゆえに世間は遠慮なく批評してくる。
批評を受けるのも仕事のうちだといいなが、それを気にする性格だと次第に精神が病んでしまうといこともまたあり得ることなのだ。

今はいいけど、この先は?
SNSにこんなことを書かれていたけど皆そんな目で見ているのかな?

そんなことを考え始めたらキリがない。
しかし、当人にとっては不安が次々に生まれてそれを止められないのだ。


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昨年のクリスマス。
フライドチキンを買おうと思って近くのケンタッキーフライドチキンへ行くと、
「今日は予約のお客様だけなんです」
と言われた。
この忙しいのに今頃来んな、という意味なのかと思い、他の店へ行っても大方同じような対応で少しムカついたが、それはそれ。
これはこれ。
かの
書き入れ時に予約もせずに行った私が馬鹿なんだろうと思ってモスバーガーへ行ったらモスチキンを簡単に買い求めることができた。
めでたしめでたし。

そこで思い出すのがケンタッキーのコマーシャル。

決り文句が「ケンタッキーにしない?」

この「〇〇にしない?」
というのは東京では「それにしませんか?」という意味になるのかと思うのだが、関西では「〇〇にしない?」と訊かれたら「しません!」と答えるであろう。
ということでテレビのCMで「ケンタッキーにしない?」というセリフを聞いたら、私は「はい、せえへん!モスチキンにします」と心のなかで答えることにしている。



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NHKの受信料を払いたくない人が多いのは周知の事実。
「見てないのに払わないといけないなんて、ボーッと生きてんじゃねーよ!」
って、あなたNHK見てますね。
は、ともかくとしてNHKの受信料というのはNetFlixやWOWWOW、アマゾンプライムなんかと異なり公共料金に含まれる。
電気代、ガス代と同じ扱いだ。
だから「皆さまの公共放送」なんだそうだが、こういう固定費というのは払いたくないものだ。

毎年今頃の季節になると自動車税、固定資産税などがやってくるし、もう少ししたら国民健康保険料のお知らせもやってくるだろう。
これら税金や保険関係はなんとしてでも払わねばならない支出である。
一方絶対に払わないといけないど電気代、ガス代、水道代は頑張れは節約することもできる。
これからの蒸し暑い季節。
コロナで在宅勤務をしているのをポジティブに受け止め、マクドナルドのCMよろしく下半身はパジャマで、上半身は正装でというのもいいけれどZOOM会議なんかでも無理やりビデオ画像を出す必要もないので無映像にセットしたままパンツ一丁で会議に参加ということも節電という意味ではOKだろう。

ところが節約できない公共料金がNHKの受信料。
しかもNHKを視聴していなかってもテレビを持っているだけで払わねばならず、納得いかないことこの上ない。

で、この納得いかない公共料金の中にどうもサブスクやクラウドストレージが入ってしまうんではないかと近頃私は考えるようになった。

先日、長い間使用してきたMSオフィスというソフトが動かなくなってしまった。
2011年バージョンの製品で5年ほど前にサポートは打ち切られ、使っているパソコンのOSはバージョンアップ。
近頃起動するとエラーが出ること頻繁で「いよいよこりゃダメだわ」と思っていたらついに起動しなくなった。
MSオフィスは仕事では必須のソフトウェアで「互換性があります」と言って売っているパッチもんソフトは数多あれど、どれも詰の点で使用できない。
そこで新しいのをと考えたのだが、そこに立ちはだかるのが「サブスク」という新手の公共料金なのであった。

近頃のソフトウェアは買取ではなくて月払いまたは年払いになっているものが多い。
MSオフィスもご多分にもれずサブスクが大半を占めているので、購入するとなると毎年固定費が発生する仕組みなのだ。

実は昨年末にiPhoneの動作がよろしくなくなった。
調べてみるとiCloudの容量が逼迫しているという。だから、
「追加の容量を買ってください」
というわけだ。
iPhoneが円滑に使えないとこれも仕事に差し支えが出るので50GBの追加を契約。
毎月数百円だが固定費が発生した。
しばらくしているとカミさんのiPhoneでも同様のことが起こり、結局ファミリーシェアということで200GBの容量を契約。
毎月の支払いが増えたのは言うまでもない。

このように仕事に必要。
生活に必要な分野にサブスク支払いというのが入ってきた。
これは明らかな公共料金。

時代は進歩しているのかも知れないが、進歩するということは支払いが増えることなのか。
大いに疑問を呈する必要がありそうだ。





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星野源と新垣結衣の結婚は久しぶりに明るいニュースだ。
もちろん星野源、新垣結衣の熱狂的ファンにとっては暗いニュースかもしれない。
しかしここんところコロナパンデミックに中国の人権弾圧、ミャンマーの軍事クーデーター、埼玉の一家四人殺傷事件などの暗い話題がいっぱいだっただけに少しは社会にポジティブな影響が出ればいいな、と思ったのは言うまでもない。
たぶん、ラジオで「私は本田翼よりも新垣結衣の方がいいね」と言っていた辛坊治郎氏も太平洋の真ん中でショックを受けているに違いない。

朝のラジオ番組で芸能人の共演者同士が結婚するのは「職場結婚」ということになるというようなことを浜村淳が言っていた。
山口百恵と三浦友和はもう古いのか例に上げられることはなく堺雅人と菅野美穂や篠原涼子と市村正親などが取り上げられていた。
パソナリティーが浜村淳なのでもっと古い長門裕之と南田洋子なんかが例として上げられるかと思ったのだが予想外だった。

何度も恋人や夫婦役で共演すると情もうつってお互いのキャラなんかもよく分かるようになり、結果的に「ほんならホンマにけっこんしようか」となるのであろう。
関西弁で言うかどうかは別として共演するというのは、旅先で出会ったカップルがやがて結婚してしまうというような状況にも合致する共通の経験を通しての成り行きかもしれない。

ということで、実は私も職場結婚。
夫婦役も恋人役もすることがなかった一般部課のしごと仲間でもこういうことになるのであるから、まして嘘でもドラマでカップルになったら現実になってしまうことがあっても不思議ではない。


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日本が欧米列強の植民地にならなかったのは欧州から距離が離れていたことが幸いしているという人も多いが、それ以上に為政者である侍階級の教養とモラルの高さと愛国心、市井の高い民度だったと言えるのかもしれない。
で、さらに一つ重要な要素がある。
それは「当時としての先進的な経済体制」だったんじゃないかと私は勝手に考えている。

江戸時代の日本は世界でも突出した資本主義の国であった。
こんなことを言うと、
「江戸時代は封建主義でしょ」
と突っ込まれるかもしれない。
確かに身分制度や家制度。
現在と比べると自由は少ないが、経済は紛れもない資本主義。
この経済の資本主義に引きづられ、封建制度はかなりのフレキシビリティをもって運営されており、幕府とて経済抜きに政を取り仕切ることなどできない社会なのであった。
幕府に限らず先進的な諸藩では有用な人材を身分関係なく取り込んでいたことは学校ではあまり教えない事実でもある。
それが証拠に新政府になっても経済の要の大蔵省は旧幕府の勘定方がそのまま移行して業務を継続。
現在の財務省に至っている。

この経済がどのように資本主義であったかを知るにピッタリなのが大阪の米市場を見つめること。

大阪は昭和の初めまで日本経済の中心地だった。
そのもとになったのが江戸時代前半に始まった堂島米市場。
現在の地下鉄淀屋橋駅近く。
日銀大阪支店の直ぐ側にあった米取引場での取引システムが日本全体を資本主義というか自由主義に否が応でも導いた。

当時は米が重要な役回りをしていた。
武士の給与は米。
公共工事も米換算。
諸藩の予算は当然米。
だから米の相場というのもは非常に重要で大中小に関わらず諸藩はその値動きに敏感になっていたというわけだ。

大阪の中之島周辺は現在は諸官庁や文化施設、大手企業の本社が建ち並ぶエリアだが、このあたりを中心に江戸時代は諸藩の米蔵が並んでいた。
各藩は収穫して納税された米をここへ持ち込み商社を通じ全国に売りさばいていたのだ。
でも実際のところ米の現物を取引するのは容易ではない。
重い。
扱いにくい。
場所を取る。
季節性がある。
などなどなど。
そこで登場したのが米切手。
現在の証券にあたるもので各藩はこれをもって取引を実施していた。

で証券になると扱いやすいことに加えて、実は現物がないけど証券を発行、金を調達なんてのも出てきたりした。
さらに見込みで取引することも可能になるので予め相場を立てて取引するというような先物も現れ活況を呈してくる。
これらが行き過ぎると経済が混乱するので幕府としても黙って見ているわけにいかないので経済介入する。
ところが大阪の商人たちは巨額の利益を上げながら市場を牛耳っているので権力で圧してくると経済でやり返すということが繰り返されたのだという。

まったくもって面白い。
この先物取引は現在では世界最初の先物取引として国際的に認識されているくらいなので、いかに当時の経済システムが進んでいたかが見て取れるというものだ。

こういうことを具体的に知りたいな、と長年思っていたところに見つけたのが高槻泰郎著「大坂堂島市場」。
とってもわかりやすい文書で書かれたこの分野を知ることのできる良書なのであった。
それにしても大同生命が米相場を采配していた大店がもともとだったなんて知らなかった。


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NHK朝ドラ「おちょやん」が完結した。
始まったときはどうなるものやらと心配したドラマだったが、結果的には久しぶりに楽しめる「なにわど根性ドラマ」なのであった。
しかも本家松竹新喜劇が得意とした形式の泣き笑い劇場でもあった。

最近は少なくなってしまったが大阪を舞台にしたドラマに面白いものは少なくなかった。
機械工具商社の創業者をモデルにした「どてらい男」
メリヤス問屋を舞台に「あかんたれ」
などなど。
いずれの作品も脚本家・花登筺の存在が大きいがそれなりに楽しめる物語でいずれも全国ネットで高い視聴率を獲得していた。
とりわけ「どてらい男」は主演の西郷輝彦のはまり役となり、今でも西郷のことをドラマの主人公の名前「猛やん」と呼ぶこともすくなくない。

「おちょやん」はそういう意味で花登筺が描いていた浪花ど根性物語のエッセンスを持っていて回を重ねるごとに面白くなってきたのだった。

このドラマの魅力はなんといっても各キャラクターを演じる俳優陣にあった。
主演のおちょやんを演じた杉咲花は東京出身だそうだが大阪弁のセリフを巧みに扱い不自然さを感じさせず、かつ各回ごとに魅せる部分があり、この人が主人公でピッタリとしかいいようがなかった。
正直、次回作が楽しみになるほどの俳優なのであった。

この人がピッタリと言えば主人公の父を演じたトータス松本。
もし日本にエミー賞があれば間違いなく助演男優賞だと思う。
朝ドラ史上最低の父親なんだそうだが、この人がいることでシリーズ前半に大きくインパクトが与えられたのは間違いない。
篠原涼子の「ごりょうんさん」。
名倉潤の「だんさん」。
成田凌の「天海一平」。
富川みつえの岡福の娘。
全編を通して実に魅力的なのであった。

忘れてならないのは子供時代と養女を演じた子役の毎田暖乃と鶴亀の社員を演じた西川忠志が光っていたのも忘れられない。

コテコテの大阪弁。
これもまた大阪人である私には魅力的で、どこまで正しいか判断しかねる部分もないこもないが、大いに楽しめるエッセンスだった。

ということで「エール」「おちょやん」と個性の強いドラマが続いたので来週からの現代劇「おかえりモネ」が楽しめるかどうか大いに心配していることだ。
カレーライスを2杯食べた後にお粥を飲むようなことにならないか。
注目されるところである。



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私の苦手な読書ジャンルにファンタジーがある。
例えばトールキンの「指輪物語」なんかは大いに苦手で、高校生の頃に映画の公開に合わせて「読んでみよう」と勇んで買ったものの、「んんん〜〜〜〜、よくわからん!」と途中で投げ出してしまった数少ない私の「投げ出し本」の一つになっている。
この作品の場合、単に現実ではない世界が描かれていることにとどまらず登場人物が多すぎるし、それらの名前が訳のわからないものが多かった。
このためファンタジーなのにイメージが膨らまず何がなんだかわからないまま強烈な疲労感が生じたため、あっけなく挫折したのであった。

でもファンタジー全般がダメかというとそういうことはなく、例えばオーウェルの「1984年」だとか、上橋菜穂子の「鹿の王」などは読めなくはないのだ。

とはいえ、どちらかというとファンタジー物は敬遠しているというのが正直なところ。
「指輪物語」がトラウマになっているということもできなくはないが、やはりリアルな物語に興味が誘われるのは性分なのかもしれない。

そんななか、久しぶりに買った小説は一種のファンタジーだった。

重松清著「ルヴィ」。

自殺を遂げた中堅作家が3年ほど前に自殺した女子高校生の「ルヴィ」に出会い、死ぬかもしれない人たちを死から救うという物語。
7人の命を救うとルヴィは天国へ行って成仏することができる。
それに同行するのが自殺したばかりの中堅作家なのだが、果たしてどのような死ぬかもしれない人たちに出会い、どのようにして救うのか。
なかなか面白い生と死の境目を扱ったファンタジーなのであった。

重松清というと「ファミレス」や「希望が丘の人々」など数作を読んできたが、いずれも現代の普通の生活を通じて家族や社会のちょっとした問題点をユニークに描いているのが魅力的だと思っていた。
今回の「ルヴィ」は少し表現は違うものの、死んだものの目を通じて、今まさに死を選ぼうとしている人たちに生きるきっかけを与える。
そのことが小さな希望を読者に感じさせ、自分にも少し当てはめたりして感動をもらう。

こういう物語がファンタジーだが真実性をもってリアルに迫ってくるのは、やはり自死に関するニュースが多すぎるからだろうか。
それでも圧倒的多数の人は苦しくても生きようとする。
それが惰性であるのか、はたまた意志の強さによるものか。
それは人それぞれかもしれないが、そういう現代人の姿をファンタジーで描いた読み応えのある小説なのであった。




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ここんところ新聞報道では訃報が多い。
コロナが関連しているものも少なくないのだが、やはり私が子供の頃に活躍した方々などはすでに老域なので何があっても不思議ではないというところなのだろうか。

阪神タイガースのブリーデン元選手が亡くなった。

ブリーデンといえば同じ外国人選手のラインバックとセットになっていたような記憶が私にはあり、
「ひげを生やしていない方がブリーデン」
という認識をなんとなく持っていた。

バース以前の外国人としては強く印象に残っている選手だ。

享年76歳。
晩年は保安官なんかもしていたという。
また一人、思い出の有名人が旅立ってしまった。


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「コロナの罹患率なんて全人口の1%ぐらい。大したことない。」
と言っている人が非常に多い。
SNSはもとよりテレビのワイドショーや報道番組のコメンテーターや司会者の大方はこの手の人達で成り立っている。
だから、
「非常事態宣言なんか要らないんじゃないか」
「政府のやっていることはトンチンカン」
と言うのが大方の論調だ。
正直、私はも最初はそう考えていた。
人口1千万人で毎日感染が500人。
大したことないやん、と。

でも改めて考えてみると、これは大いに誤った考え方であることに気がついた。
そして非常に反省しているところなのだ。

新型コロナでの死者数はすでに全国で1万人を超えている。
米国やブラジル、インドと比べると少ないのかもしれない。
だから大丈夫という認識はいかにも下を向いて歩こうの考え方。
よくよく考えてみると災害としてのコロナ禍は恐ろしい事実に直面していることに気がつくのだ。
死者数1万人といえばすでに「阪神大震災」の死者数を上回っている。
しかも毎日数百人単位で死者が増えているので「東日本大震災」の死者数にもまもなく到達するだろう。

阪神大震災の死者数約6400人。
東日本大震災の死者数約1万6000人。
いずれも行方不明者はカウントせずでの人数。
で、コロナの死者は昨日現在約1万700人。

コロナのパンデミックが「大したことはない」と言っているコメンテーターに是非とも訊ねたい。

「そこのコメンテーターのあなた。『神戸の震災や東日本の震災の死者数は少なかった。日本の全人口1億2千万人で考えるとたった1%以下。大したことはなかった。』と神戸や岩手、宮城や福島に行って、言えますか?」

物理的に何かを破壊されなければ気が付かないのか。
少し深刻に考える必要がある新型コロナのパンデミックだと思うのは言うまでもない。


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