「そこのみたらし団子は絶品なんです。是非食べてみてくださいね」
と10年近く前に教えてもらったのは京都祇園にある「みたらし団子」の某お店。
夕方そのみたらし団子を求めて京都祇園にあるみたらし団子屋さんへでかけた。
夜の街の人々御用達ということでここは昼間は営業しておらず、茶屋や置屋が店開きをする時間帯に開店する。
店は南座からさほど離れていない四条通沿いにあった。
小さな店構え。
商品はみたらし団子だけ。
「すいません。10本、くれます?」
「はーい」
ということで買い求めたみたらし団子。
他のものとどこがどう違うのか。
京都の花街のど真ん中のみたらし団子だけに期待は大きかった。
ワクワクしながら大阪に帰宅してから食べてみると、そのみたらしの蜜がすごい。
その粘着力。
ドロっとさ。
そしてしつこくない甘さ。
それでいて、すごく濃い味。
団子はほんのりと焼き目がついていて粘着力のある蜜にどっぷりと浸かっているので1本だけ引き剥がすのが難しいくらいであった。
蜜を垂らして衣類を汚さないように口中へ運ぶ。
「.......んんんん〜......美味い! でも.....食べにくい」
という感想が口から出た。
ともかく四条河原町で夕方まで時間を潰して開店するのを待ってよかったと思えるだけの価値あるみたらし団子だった。
先日所用で岐阜県の高山市へ行ってきた。
一般に飛騨高山と言われるところだが飛騨市と高山市は別の街であることを今回始めて知った。
いわゆる飛騨高山は高山市の方で飛騨市ではない。
この高山市。
岐阜県という滋賀県の隣の県にあるにも関わらず、大阪からはかなり遠いところなのであった。
滋賀の隣というと大津の隣という感覚があるので「快速電車ですぐ」「大阪の通勤圏」という感覚があり、滋賀県の大垣市などは昔は近鉄電車も走っていて岐阜と聞けば中京圏ではなく関西圏、という感覚があった。
ところが高山となるとそうはいかず、めちゃくちゃ遠い。
よくよく考えてみると高山はほとんど富山なのであった。
大阪から5時間ほどのドライブで到着。
街は新型コロナの影響だろう。
観光客が少なく少しく寂しい感じがする。
しかしそこは伝統文化が輝いている飛騨高山。
古い町家の風景を楽しみながら約束の時間がくるまでぶらぶらすることとした。
街のあちこちにはおしゃれなカフェやレストラン、和菓子屋、飛騨家具を扱うお店など、バラエティに飛んでいて実に面白い。
観光客だけではなく、地元の生活感もありなかなか素敵だ。
関東や関西からの大資本のチェーン店はほとんどみかけないのがまたいい。
マックカフェやスターバックスは旧市街にはなく、JR高山駅を挟んで反対側に展開しており、どこへ行ってもスタバがある、という京都や東京のような感じではない。
ふと見ると街角のあちらこちらに電話ボックスぐらいの大きさの屋台があって、
「みたらし団子」
「五平餅」
の看板を出している。
五平餅は飛騨や木曽、信州の方では一般的な餅菓子だ。
そこへ「みたらし団子」が登場して少しく気になる。
価格を見ると1本80円とある。
安い。
奈良の有名なだんご庄の団子と同じ値段である。
これは、食べてみなかれば。
ということで、
「2本ください」
と買い求めた。
1本ではないのは私が食いしん坊だからだ。
暫く待っていると団子を焼いて蜜を浸けてビニールにくるんでそのままくれた。
「はい、160円。丁度ね」
手に持つ団子が温かい。
「コロナの心配はないな、焼いてウィルスは死んでるやろし。」
と勝手なことを思いながら蜜がたれてこないように慎重に包を開いてみた。
「?」
なにか、違う。
「...蜜......ないやん」
そう。
飛騨高山のみたらし団子は蜜ではなく醤油を絡めた団子なのであった。
関西ではこういう団子は「みたらし団子」とは呼ばず単に「団子」という。
飛騨高山は祭りの山車のスタイルを見てもわかるように完璧に京都の影響を受けている。
街の雰囲気も京都そのもの。
でも、なぜに。
私はあの祇園で買った「ドロドロで粘着質の甘い蜜」のみたらし団子を思い出し、暫しその謎について考察したのであった。
「これは、もしかすると小型の五平餅かもしれない」
そう思い至ったのであった。
五平餅も醤油ベース。
所変われば品変わる。
文化と歴史がその街のお菓子にも大きく影響し、都のものもアレンジされて同化するに違いない。
関西とは違ったみたらし団子のスタイルに、大いに遠くへ来たもんだと旅愁を感じた飛騨高山の一時であった。