<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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9月の岸和田祭は台風18号接近にも動ずることなく予定通り二日目の夜の地車曳航まで完了した。

例年と比較して屋台の数は半分程度。
「多分、二日目の宮入は中止やで」
畑仕事をしていた近所のお爺さんの予想も当たる確率は極めて高いと思われた。

ところが初日こそ雨が降ったものの、台風の強風圏内に入った二日目は朝から晴れていて、
「もしかしたら中止されるかも」
と信じられていた宮入も無事完了。
各町の地車はそれぞれの氏神様へお参りし、気がついてみると観客もいつもと同様のも凄い数になっていた。
おまけにインバウンドの効果なのか、今年はとりわけ外国人観光客の姿が目に留まった。
関空のトランジットの合間に訪れているのか、それとも京都や奈良を訪れるように岸和田にやってきていただろうか。
観客は少ない屋台ながらも、その分いつもより広くなった各街路を豪快に駆け抜ける地車の喧騒に魅了されていたのだった。

で、夜間曳航が終わると同時に台風18号の暴風圏内に突入。
待っていたように電車が徐行運転し、あるいは運休。
考えてみればいつもの9月祭礼になっていた。

岸和田は全国的に祭りの街として名を広めていて、行政も産業が少なくなった市の振興策として祭を中心に様々な方針をたてている。
岸和田や周辺の街はかつて繊維産業の中心的地域で今は昔になってしまっている。
それだけに祭を使った地域振興には熱が入る。
その情熱は凄まじい。
つい先年まで暦通りに祭を開催していたので、平日であろうが休日であろうが祭は決行されて地域の会社が社員が出社せず機能不全に陥るという光景が度々見られた。
結局、最近は祭は土日に行われるようになったものの、祭に注がれるエネルギーは衰えることを知らない。

その執念が天に通じたのかどうかわからないが祭は無事に執り行われ、台風は祭後の知らない間に通過してしまったのであった。


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それにしても前回のブログからあっという間に時間が過ぎ去ってしまった。
この間、私は検査入院をしていたわけでも、海外旅行をしていたわけでもない。
仕事が超忙しかったのだ。

忙しいと言う字は「心を忘れる」という意味なのだそうだが、まさしくその通り。
1つの仕事が終われば次の仕事が待っているというなんとも恐ろしい連チャン状態で土日もなにもなくなっていたのであった。
実際のところ曜日感覚は喪失し、ただただ仕事の作業をするだけのマシンとなってしまっていたのだった。
そんな仕事も一段落。
ということで、ず〜〜んとぶっ飛んで続きを始めよう。



幸せの国のブータン展に行って幸せを噛みしめる(下)

そんなこんなで超混雑の兵庫県立美術館であったが、「幸せの国 ブータン」展は比較的ゆっくりと鑑賞できる展覧会であった。

ところでブータン。
この国を訪れるのはなかなか難しいと言う。
私の大好きなミャンマーもその昔は入国するのが非常に困難な国であった。
なんといっても1970年代から80年代にかけては鎖国状態で訪問するにはそれなりの理由を提出しなければビザもなかなか取れない国だった。
「今時鎖国をしている国です」
と中学校の地理の時間で習った時は「鎖国」と言う言葉で私は江戸時代の日本を連想し、完全に閉じられた環境で独特の文化を育んでいるんじゃないかと勝手に思い込んでいたのだった。
実際は文化の育成ではなく、異文化の追放と異文化による経済掌握から脱出するためであったことは、後々知ることになる。
鎖国という言葉が妙に作用してミャンマーは私の忘れられない国の一つになった。
それにしても他に方法はなかったんかいと、今ではつくづく感じている。

で、文化保全のために国を鎖国にしている国がブータン王国なのだ。
鎖国とっていも完全な鎖国ではなく、外国人や自国民の往来数を制限しているというのが実際だが、それだけに自由に出入りすることが困難なことに変わりはない。

その訪れることが困難な国が、向こうから来てくれたのが今回の展示会ということができる。

展示は大きく分けて2つ。
前半の現代の産業や工芸を紹介するエリア。
後半のチベット仏教を中心とする伝統的な心の部分の2つのエリアだ。
前半は最近の美術展では一般化しつつある「写真撮影可能エリア」。
こういうところでは自分自身気に入った作品はそのディテールまで余さず撮影することができるので楽しい。
ここではブータンの伝統工芸である織物の数々を見ることができた。
おそらく基本は曼荼羅にあるのであろう様々な文様の織りなす仏教アジア的な作風は我々日本人が親しみを持つことのできるデザインだ。
さらに和服に似たブータンの民族衣装はさらに親しみを増す要素になっていた。
さらにさらに、今回は王と王妃のお召し物も特別展示されていた。
なとも贅沢なエリアなのであった。

もう一つの写真撮影禁止だったエリアは宗教や歴史に関するエリア。
ブータンはチベット仏教を信仰する王国で、その昔、チベットが中国に侵略される前はチベットの首都ラサまで歩いてお参りしに行っていたという。
その時間片道わずか3日間ほど。
ブータンはチベットやネパールに地理的に近いと思っていた。
しかし実際にはそのあたりの土地勘は当然私は持ち合わせていないので「近いだろう」と思っていた程度だった。
でもホントに近かったのだ。

様々な資料から伺うブータン王国は仏教、和服に似た衣装、そして顔つきやおそらくメンタリティー部分など国民の精神の根幹を成すところが日本にとってもよく似た国であるらしい。
そんなことを強烈に認識して、難しいながらもやはりホントに訪問してみたいと思うようになってしまった。
そんな展覧会なのであった。



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