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<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地



首里城が焼け落ちた。

今から15年ほど前。
営業職を離れる事になりそうだった私は担当地域だった那覇市に行った時、はじめて首里城を訪問した。
大阪への戻りの飛行機が夕方便だったのだが県庁での打ち合わせが午前中に終わったので得意先と別れて首里城へ向かったのだった。
もしかすると当分のあいだ沖縄に来るのは難しいのではないかとの気持ちももちながら。

朱の城郭。
中国の影響を色濃く受けている建物。
異国情緒をたたえた建築だが、紛れもなくそれは日本を代表する建築美の一つなのであった。
入場料が少々高いなと思った以外は沖縄の文化に触れ、首里城から見渡す景色も堪能することができた。
たまたま観光客も少なく城内は閑散としていて、ある意味独占的に見学することができたのであった。
「ああ、沖縄っていいな〜」
と思いながら帰路についたことを今も覚えている。
そういえば帰り道に国際通りで黒糖バームクーヘンなるものをかったのもこの時だったかも知れない。

その首里城が焼け落ちた。
原因はまだ特定されていない。
不審火なのか。
火の不始末なのか。
いずれにせよ京都の金閣寺、パリのノートルダム聖堂と同様、一度失ったものは二度と戻ってこず、それを取り戻すことは難しい。
あの美しい沖縄の伝統建築。
そして沖縄の人々にとっては琉球文化のシンボル。

首里城の一日も早い復活を願うばかりなのである。
国の総力を上げた再建



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大阪天王寺から快速電車でわずか20分。
にもかかわらず電車は1時間に1本。
ラッシュ時は2本のJRまほろば線。
奈良県王寺町の王寺駅と奈良駅を桜井経由で結んでいる大阪近郊ローカル線だ。

このまほろば線。
走っているルートは生活と観光の両方で役立つはずの路線でもある。
なんといっても王寺駅から天王寺まで快速で20分、難波まで30分、大阪駅まで40分。
普通に考えると大阪駅まで40分というのは実に便利でもある。
途中の大和高田は人口8万人、橿原市は12万人。
奈良は市町村合併があまりなかったので周辺には小規模だが人口の多い街が分散。
見込み利用者になんの不足があろうというもの。
しかも奈良から桜井間は山の辺の道を走り、桜井から高田の間は大和三山に恵まれた日本の歴史溢れる風光明媚なところなのだ。
観光路線としてなんの不足があるものなのか。

とはいえ、奈良は近鉄王国なので、実際のところ並行して走っている近鉄線は10〜15分おきに走っていて、当然複線。
大阪方面はもちろん京都や名古屋方面にも強いダイヤで運行している。

とはいえ、大阪近郊半時間。
そこを1時間1本の列車しか走っていないのは、寂しいを通り越していささか謎でもある。

なお、この路線はワンマンカー運転をしているのだが、車両は最新型。
乗り心地も悪くない。


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北海道大学の40代の教授が中国で身柄拘束。

東北地方や関東地方を襲った台風19号の被害にいち早くお見舞いを言ってくれた中国。
心配顔で「友達日本を心配しています」と言っていた、ちょうどその時、旧7帝大の一つ北海道大学の教授の身柄を拘束していたというのだ。

容疑はどうやら「スパイ活動」。

防衛省出身で中国政治と近現代史を専門にする岩谷教授と思われる、とネットでは伝聞されているようだが、これってヤクザと同じではないかと思われてならない。
にっこり笑って、
「大丈夫ですが、怪我はありませんか」
と言いながら腹の底では、
「死んでしまえばいいのに」
「まあ、そのうちお前は俺の言いなりよ」
という薄気味悪さというか、なんというか。

笑顔の中国にはご注意ください。


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来年の東京オリンピックのマラソンと競歩を札幌で開催するのだという。
理由は、暑いから。
IOCはアホなのか。
夏の、札幌。
涼しくはない。
むしろ沖縄本島で早朝に実施したほうが涼しいかもしれず、日本の夏はそんなに甘くはない。

そこまで暑さを言うのであれば1964年同様秋にオリンピックをすべきだ。
あの時は「夏の日本は暑すぎる」というのが10月開催の理由の一つだった。
それを強引に夏にするのだから知っていてやったのか。
今後バンコクやホーチミンなど東南アジアで開催することになったらマラソンと競歩はどうするのか。

いっそ東京ドームや東京ビッグサイト、八重洲の地下街、新宿西口の地下街でマラソン、競歩を実施したらどうだろう。
エアコンは効いているし、交通規制も要らない。
史上初の室内マラソン。
札幌で東京オリンピックはナンセンスだ。
こっちのほうがよっぽどいいような気がする。


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今回の台風19号による大雨は予想を超える雨量を記録。多くの人々が罹災して今もなお5千人を超える人々が避難生活を送っている。
しかも東日本大震災からやっとのことで店を再開したら今回の災害に見舞わらた、というような報道も耳にすると、被災された方の想いいかほどばかりか、と心を痛めること計り知れない。

ところで、今回の災害で気になるところが一箇所。
もしかすると天災ではなく人災ではないかと思われる災害があった。
それは二子玉川の水害。
それなりのネームバリューで通っている首都圏の住宅エリアだ。
報道によると堤防が決壊した場所はかねてから行政が「危険箇所なので防災対策を実行させてほしい」と地域にお願いしていたところだという。
決壊したというよりも最初から十分な堤防が築かれていなかったのだ。
その理由は、
「景観が壊れる」
「プライバシーの侵害になる」
という理由で建設整備に根強い反対があり対策が遅れに遅れていたのだという。
これって行政の責任ではなく、堤防整備に反対を続けた地元の反対者の責任ではないだろうか。
つまり人災。

日本の行政は治水に関しては昔から多くの対策を行ってきた。
その歴史は大和朝廷の時代にさかのぼる。
私の住む関西であれば古くは仁徳天皇の勅令で施工された茨田堤に始まり江戸期に実施された官民共同事業の大和川の付替、明治初期の新淀川の掘削など数しれず。
地方においても数多くの治水のあれこれを見ることができる。
だから行政が危険箇所について手を抜くことはありえず従来から分けのわからないものがその対策を妨げてきた。

今回の水害を呼び起こしたのは治水工事を阻害する個人の権利だ。
プライバシー。
景観。
どっちが優先されるべきなのか。

ここでまた一つ、思い出すのが周囲の反対を押し切って村長の判断で建設されたという岩手県普代村の高さ15メートルの防潮堤。
明治期の津波被害を想定して「そんなものは必要ない」という声をお仕切り予算を確保して建設。
長らくそんなもの必要ないと揶揄されていたのだが、結果的にこの高層防潮堤が東日本大震災の津波から村を救うことになった。

防災対策は個人の権利と切り離して考える必要があるのだろう。


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京都芸大と言われてどの大学がイメージされるのか。
私は素直に京都市立芸術大学が浮かんでくる。
京都の芸大といえばここしか無い、という感覚が今もある。

私立京都造形芸術大学が名称を「京都芸術大学」へ変更するという申請が何故か許可されたため大きな波紋を呼んでいる。
誰が許可したんだ?という感じだ。
双方譲らずで解決の糸口はいまのところ見えていない。
このために法廷に持ち込まれようとしている。
ことは大学の名称である。
鉄道の駅名を変えるのとはわけが違う。

私の出身大学である大阪芸大も十把一絡げで扱われている人もいるが大阪に芸大は大阪芸大しかない。
しかも京都市芸大は大阪芸大とは私の在学していた30年前から仲がよく、当時は京都と大阪それぞれ2つしか無い芸術大学は共同でイベントなどを開催していたものだ。

京都造形芸術大学は未だ創設されて30年ほどの新しい大学だ。
それでも商売は上手いようで規模は年々大きくなっている。
講師集めなどには我が大阪芸大の成功実績のある手法を採用。
現場で活躍する第一線の芸術家やデザイナーを集めて大きな規模の芸術大学に育ててきた。
しかも今の学長は総長カレーを生み出した元京大総長だ。
商売がうまく、京都大学出身だけあって政治力もあるのだろう。

しかしである。

京都市立芸術大学を差し置いて京都芸大を名乗るなど「控えおろう!」と思っている人は少なくないはずだ。
私も思っている。
なんの為に名前を変えるのか。
商売のためか。
研究活動のためか。
私は前者しかないように思われてならない。

名称を変えてイメージアップを図っている大学は少なくない。
つい最近、同じ京都にある某私立大学が奈良先端科学技術大学院大学をイメージさせる名称に変更。
某私大は京都の有名企業の創業者が創設した大学だそうだが、その企業の技術レベルの知名度と大学は大きくかけ離れていると言わざるを得ない。
一方奈良の方は国立の大学・研究機関でありバイオサイエンスや情報系では世界の最先端を走っているところであることはつとに有名だが、京都のそれが同様かどうかは疑問符が灯る。
また学部が限定されると困るのか兵庫県の某大学は看護学科を優先するためか名前にあった「芸術」を削除。卒業生はきっとびっくりしているに違いない。

このように私立大学のなんでもありの体質は目に余るものがある。
かつて田中真紀子がやった唯一の驚きの好決断は新設大学の申請を却下したこと。
地方に計画されていた3つの大学と学部は当時の国民が持っていた「そんなに大学が必要か?レベル低いのはいただけない」との印象を受け止めた良い事例なのであった。

件の造形芸大がどんな芸大なのかを私は知らない。
とはいえ京都市立芸術大学は東京芸大とともに日本では特別な芸術大学でもある。
その京都市立芸術大学を京都芸大と呼ぶ我々にはいくら学長が元京大総長だからといって私学が経営のために好き勝手にする権利はないと思っている。

会話の中でも京都芸大と呼ばれるのは京都市立芸術大学で、その他の大学ではないことは間違いなのだ。


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こう毎年ノーベル賞受賞者が日本人から選ばれると、
「今年のノーベル賞はいったい誰が?」
というような感覚に陥ってしまうのではないかと、いささか心配になったしまう。
しかも今回のように民間企業の方が授賞するというのも別の意味でも頼もしくなってきて期待感が一層増幅されるというもの。
もしも来年は出ないといことになるとアホな○○民主党あたりのアホな議員が、
「安倍のせい」
とやりかねないじゃないかと想像してしまって笑ってしまうくらいだ。
で今回もまたもや京都大学出身者。
ということで同じ用に国の予算をたんまりと使っている東大、阪大を始め旧七帝大の皆さんは是非とも頑張っていただきたい。
アホな議員を送り出すだけが帝大の役目ちゃいまっせ、と納税者として思ったのは言うまでもない。

で、この連続ノーベル賞はいつまで続くのか。
日本の基礎研究力は低い、ということが予てから言われているが実際そうなのかどうなのか。
私は科学者の愚痴が多分に混じっているのではないかと思っている。
科学の仕事は難しく予算がつくものとつかないものの差が大きい。
トータル予算はおろか科研費さえも取りにくい、という状況が一般研究者をして「基礎研究は大丈夫じゃない」という感情的な発言に繋がっているんじゃないだろうか。
でも、今回も旭化成という一般企業に勤務している先生が授賞するくらいに、実は日本でしか作り得ない工業製品もたんまりあることを考えると日本の基礎研究力は決してだめなものではないのだろう。

お隣の国の産業を根底から脅かしている化学物質もそうだし、液晶テレビのフィルム、集積回路を固める特殊な樹脂、ステルス戦闘機の電波を反射しない特殊塗料、デジカメの撮像素子から果てはマヨネーズのチューブや大粒イチゴや寒冷地でも育つ米など、実にすごいことなのだ。

ということで私も若ければ科学者を目指していたかも知れないと思えるおめでたいニュースなのだ。


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大学時代のクラブの仲間に親父さんが今話題の電力会社の重役を務めていた女の子がいた。
今ではオバサンだが、当時は女の子なのであった。
彼女の家は親父さんの社会的地位もあってかかなり厳格で、我々仲間の男子が彼女の家へ電話するのはそれなりに勇気が必要だった。
男が電話したりして親父さんが出ると、
「うちの娘にどのようなご用件でしょうか?」
と訊かれたり、
「うちの娘とはどのような関係でしょうか?」
と訊かれるのは未だ優しく、私は経験ないのだがいきなり電話を切れらたヤツもいたぐらいなので、その厳格さは今も伝説になっているくらいなのだ。
きっと真面目に働き頂上の一角に登りつめた人だったんだろうと思う。

こういう真面目な人が役員をする。
インフラを司る大企業のエリートさん。
こういう人たちはもしかすると「その筋とのお付き合い」に関する応用が効かないのではないかと思ったのは、今回の関西電力役員が土地の有力助役から高額な贈り物をもらい、使うこともできずにそのままになっていたというニュースを聞いて暫く経ってからなのであった。

元助役は関係の組織に属していていささか法令遵守の感覚に欠けていた人だったのだろう。
もしかするとマル暴との結びつきもあったのかもしれない。
そういう御仁から贈り物が会った場合、どのように対処する必要があるのかはインフラを司る大手企業であればマニュアルがあって然るべきだ。
贈り物を無下に断ると法令遵守などなったく関係ない圧力や嫌がらせがかかるかもしれない。
また受け取ると受け取るで会社にルールがなかったらどうしていいのかわからないのが真面目なエリートなんだろう。
このような人への対応は総会屋対策と似たようなところがあるので、何らかの方法があるに違いないし、多くの企業はそういう人対策のための知恵とノウハウを持っていると思う。
その筋の人が出てきたら、その筋に近い人に応援を頼むとか。
警察OBを抱えるとか。
いろんな方法があるんじゃないだろうか。

関西電力くらいになると問題のある地域に電線を敷かなければならないこともあるだろう。
用地買収で苦労している人もいるだろう。
だから実務社員だったらこういう「その筋」の人との付き合い方も知っているに違いない。

真面目エリートが抱え込んだ奈落の底への切符だとしたら応用が効かないのが気の毒でならない。



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小学校、中学校、高校を通じて担任をしてくれた先生で、この先生は良かったなと思っている先生は数人いる。
小学校3年生のときの担任の先生は厳しいけど優しい先生で、宿題を忘れるとオデコに赤色スタンプで「寺内(先生の名前) 昭和〇〇年○月○日」というスタンプを押された。
家に帰ると一目瞭然である。
「また宿題せえへんかったんか!」
と母に叱られる。
給食を残すことも先生は許さず食べきるまで昼休みはずっと食器と向かい合わされる。
食べ物の好き嫌いの多かった私は当然学校給食は大嫌い。
食べずにバケツに捨てようとするのを先生は許さなかった。
でも食べきると、
「美味しいやろ、ちゃんと食べられたやん。好き嫌いしたらアカン」
と叱られたものだ。

小学校4年のときの先生は大学を卒業したばかりの福岡出身の先生で九州弁で我々生徒と戦った。
言うことを効かない大阪の子供と対峙する若い九州女子の先生は仲良くあるいは喧嘩もしながら非常に印象に残った1年間を過ごさせていただいた。
先生は生徒の誕生日には九州の石を使った名前はんこを自分で掘ってプレゼントしてくれた。
私は3月生まれなので最後の最後だったが今も手元に残っていて年賀状なんかに押している。
つい3年ほど前に数十年ぶりの同窓会で再会したときも、お土産として先生は新しい判子をプレゼントしてくれた。
感動なのであった。

小学校6年のときの先生は朝鮮半島からの引き上げ時の苦しく辛い話を良くしてくれた。
もう中学生になるのだから日教組が教えるような反戦教育ではなく生の真実を知って欲しいということで授業時間を割いて父母のものとは違う終戦前後の話を聞かせてくれたのだ。

中学校1年のときの担任はラグビーを教えてくれた。
このことは先日ここに書いたとおり。

高校の現国の先生は、
「うちの学校には日教組に入っているようなアホはいません」
と堂々と言う人だったし、
九州出身の地学の先生は、
「おまら真面目に勉強せんのならその場で正座!文句あるんならどこからでもかかって来たらよか」
と空手有段者として突っ張り連中と身体を張って対峙していた。
みんなこれらの先生に文句は言うけど、心から反発する者はいなかった。

かように先生はいい人が多く、今思いだすと年齢を重ねるごとに感謝の気持ちが高まってくる。
共通しているのは大人になるために何をどう身についけたらいいのかということが主だったように思われる。
いずれも公立の学校だしバリバリの進学校でもなかったので勉強の出来は二番目の目的で、真の目的は人間形成だったのかも、と時々思うことがある。

神戸の若手教師いじめのニュースを見ていると、これはなんじゃい!
校長は名前が仁王という人らしいが天の邪鬼退治のできないお仁王様だったようだ。
これが目指していた教育なのか。
少なくとも神戸は私の出会ったような先生はいないのかもしれない。



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1995年作のダスティン・ホフマン、レネ・ルッソ主演の映画「アウトブレイク」は衝撃的なシーンから始まる。
アフリカのザイールに原因不明の致死性感染症が発生して猛威をふるい解決が見込めない。
その病気の拡散を防ぐため米軍がとった措置が驚くべきものなのであった。
感染者を収容しているキャンプに核爆弾に次ぐ破壊力を持つという燃料気化爆弾を投下。
治療施設、患者、研究者もろとも爆弾によって処理してしまったのだった。

感染症というのはこれほどまで極端ではないにしろ、非常に危険性をはらんでいる恐ろしい災害だ。
米国のCDCや日本の国立感染症研究所のバイオセキュリティレベルを考えると、その重要度がわかるというもの。
とりわけ新型であったり、その原因がわからない謎の感染症が発生したら人類そのものを守るために極端な政策も必要なわけだ。
初期のエイズもその一つだった。
実際には映画のようなことは無いにせよ、衝撃的であるに違いない。

ハンセン病の隔離政策に対して政府が補償をすると言い出したのは小泉純一郎政権のとき。
今はハンセン病は原因がわかっている感染力の弱い病気で、適切に対処すれば隔離は必要ないとのこと。
だから過去に患者を隔離したのは憲法に定められた人権に反するのだというのがその論拠だ。
裁判も補償をするようにという判決を出したが、これっておかしくないだろうか。
あくまでも個人的意見だが、この判決は生命の安全確保を逸脱させる常軌を逸した判決であり政策ということが言えるのではないかと考えている。
ハンセン病は当時は解決策のない伝染病の一つだったのだから。

例えばわけのわからない伝染病が蔓延したときにこのルールでいくと発症者を隔離することができない。
隔離すると後日補償を求められる可能性があるからだ。
健常者を守るために感染症患者を隔離することは最大の防御策である。
この方法を取れないとなると、政府はどのようにして国民の安全を守るのか疑問になってくる。
ましてハンセン病は家族ですら忌避して感染者を見せない、存在を言わない、差別するという対象だったのではないか。
ハンセン病が出ると結婚にも影響がでる。
就職にも出る。
その他様々な社会的影響に囚われて、それが科学知識の不足であったにせよ、感染症から身を守る生物としての基本的な反応でもあったということはできないのか。
その家族も当時差別をした補償対象に含めるのだという。
言ったもの勝ちの様相だ。

ハンセン病患者隔離政策。
そもそも患者の人権を守るための意味もあって施設をつくって隔離して生活を補償した政策だ。
今の科学技術と価値観で見ると悲しい歴史だが当時の医療エベルや健常者保護の観点から政策が間違っていたということは言えないように思えてならない。
補償するにせよ方法や対象の選定にせよ、もっと納得の行く説明がない限りいくら裁判といっても税金を払っている方からすると「?」が出てくるのも否めないのだ。



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