19世紀。
そもそもどうして日本とタイだけが西欧列強の侵略から逃れることができたのか。
歴史の大きなテーマで色々な意見が出されている。
「西欧から日本は遠く遠征するための兵站距離が長過ぎるため」
だとか
「西欧が政治的に諸事困難を迎えていて極東の島国まで本気でちょっかい出すのが大変だったから」
などなどなど。
結局その理由は学校でも教えてくれないし、誰もきちんとしたことは説明できないので自分で考えるしか無いとも思っていた。
で、私の場合は「多分経済システムが西欧と同等か、それ以上だったから」というのが欧米列強の思い通りにならなかった理由だったと考えていた。
封建社会といいなが経済的には現在とほとんどかわらず資本主義。
株も先物も両替もなんでもあって、ある意味日本より経済システムの進んでいた欧州の国は無かったかもしれない。
江戸時代の経済体制など中学高校で習うこともないのでスルーすることになってしまっていたのだ。
私は今回それに「危機対策が十分にできていたから」という要素を加えたいと思っている。
鈴木浩三著「パンデミックvs江戸幕府」(日経プレミアム新書)は江戸時代の江戸における災害、とりわけ伝染病のパンデミックに対応した危機対策システムとその事例が紹介されていて、ものすごく惹き込まれたのであった。
日本は江戸は、なんて凄いシステムを構築していたんだろう。
もしすると現政府より上なんじゃないか、という驚きなのであった。
当時、伝染病は流行病と言われていたが原因はもちろん誰もわかない。
知らない間に人々の間に広まっていくので、隔離するとか事業を制限するとか今と同じことをやっていた。
このような同じことは事業を制限するだけではなく、その日暮らしをしている多くの市民に対して生活費を補填するシステムまで存在した。
一揆や暴動が起こらないようにすることが目的とはいえ、現在とちっとも変わらない。しかもコンピュータもないのにたった数日で支給して正確に把握するなんぞどうやっていたんだ、と驚愕することしきりなのだ。
風邪と思われていたインフルエンザも麻疹、疱瘡もコレラも命取りになる。
だから迅速な対応が求められたわけで、そのための資金もちゃんと民間と幕府で積み立てる仕組みまであったのだというから、江戸時代は現代より優れていたといってもいいくらいだ。
さらにパンデミックだけではなく大火災や大地震も同様の仕組みで市民を守り、ついでに黒船が来たときもこのシステムが働いたという。
江戸時代は封建時代だから遅れていた。
そんな教育をされたのは大きな罪で、じつは優れた危機対策体制をもっていた近代的な社会だったのだ。
あ〜、知らなかったなんて、なんてこった!