<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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サイクリングでロングライド。
注意すべきは休憩時間のとり方なのだった。
電車を待っているうちに中途半端に休憩すると疲れが出ていないのに疲れが出てしまうことがあるとわかった。
休憩で気分も少し緩んだのだろう。
雰囲気も和歌山の海辺の街。
ほのぼのした雰囲気。
心が弛緩していたのかも知れない。

加太駅を出発してすぐに左手に砂浜が広がっている場所に出てきた。
ここで記念写真を撮ることにした。
「こんなにキレイだったんだ」
少々びっくりするくらい景色がいい。
砂浜もキレイで海もキレイ。
考えてみれば関西空港付近で海は十分にキレイなので、このあたりがキラキラしていても不思議はないのだ。
自撮りで1枚撮影してさっさと大阪方面へ走り始めた。
ここで時間をつぶすと益々気分が緩んでくるように感じたからでもあるが、そもそもランチは自宅で食べる予定で今回のライドをスタートした。
なのであまり休憩や寄り道ばかりしているときっと帰宅が昼を過ぎる。
となるとランチが三時のおやつになってしまう可能性もある。
そうなっては次は晩飯に影響が出る。
と、気がついたら食べることばかり考えながら走っていたのだった。

加太を過ぎて北上し始める。
県道は海沿いを走り、左手の海辺は岩場になっていて磯遊びをする家族連れの姿がそここで見受けられた。
海岸線を離れるとすぐに山道になって軽い上り坂があった。
そんなに勾配はきつくないと思ったのに、さっきの疲れが多少でているのか、休んだために漕ぐリズムが壊れたのか、かなり苦しい思いをして坂を登ったのであった。
坂を登りきったところにトンネルがあった。
少しばかり長いトンネルで、中は薄暗いので自動車が来たら危険かなと思ってしまうこともなかったが、その心配を吹き飛ばす景色がトンネルの出口に覗いていた。
望遠鏡の丸い輪郭を覗いているようなトンネルの向こう側に広がる景色に思わず息を飲んだ。
真っ青な海が広がっていたのだ。
大阪と和歌山の府県境の海辺の風景は南国の香りがする実に美しい光景だった。

紀淡海峡とその向こうの大阪湾がキラキラと青く輝いている。
海には淡路島との間に友ヶ島をはじめいくつかの島が浮かぶ。
なかなかの絶景ではないか。

友ヶ島は最近訪れる人が多い。
第2次世界大戦中の要塞跡が廃墟ブームで注目されていることもあるが、キャンプにうってつけの場所でもあり、滞在できる施設もいくつかある。
定期船は無いのでここへ渡るには船をチャーターする必要があるけれども、加太はそういうニューズを満たすための基地の役割も果たしている。

トンネルを抜けて、小さな漁港を過ぎると大阪府と和歌山県の府県境を通過。
大阪側にはすぐに海釣り公園兼道の駅があった。
そこを過ぎると道は山道に入り小さな峠越えがある。
途中バイクのツーリングで少し人気のあるカフェがあるが立ち寄るのは次回。
今回は頑張って大阪方向を目指すことにした。

再び小さな峠を越えると岬町の多奈川だ。
ここには南海電車多奈川線の多奈川駅がある。
みさき公園駅から分岐する支線で、今では加太線が観光で成功しているのとは対象的に超ローカルになっている。
多奈川駅の一つ大阪側に深日港駅がある。
ここは淡路島へのフェリー埠頭があったところで、かつては大いに賑わいのあったところだが、今は往年の賑わいは消え去り、この日は魚釣を楽しむ多くの人で賑わっていたのであった。

かつて淡路島とを結んでいた大阪湾フェリーの船は今はインドネシアで活躍というから船の人生は少しばかりドラマチックと言えるかもしれない。

深日港でメインの府道を離れて海沿いの道を走ることにした。
土日に運行されているという洲本行きの高速船の埠頭を通過すると、右手に丘、左手に関西空港が望める穏やかな海が広がってきた。

つづく


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南海電車加太線は紀ノ川駅で本線から分岐する支線で、加太までの約10kmを走る私鉄ローカル線だ。
数年前に大掛かりなブランディングが実施されて魚をモチーフにしたデザインの「めで鯛」電車を走らせている。
お魚をあしらった塗装や内装が特徴だ。
加太が魚釣のメッカであり、マリンスポーツを含む観光地としても近年ものすごく脚光を浴びている、ということもあいまってブランディングは成功。
休日は多くの観光客で賑わっている。

恐らくこの電車のブランディングは和歌山電鉄の「たま電車」に刺激を受けたものだろう。
JR和歌山駅から貴志川駅までを走る和歌山電鐵。
ここは「たま駅長」で世界的に有名になった中小私鉄だが、元を正せば南海貴志川線なのであった。
それがずいぶんと以前に赤字を理由に南海電車が手放して売却されてしまったが、買った会社が只者ではなかった。
それは岡山の両備グループなのであった。

和歌山の鉄道を岡山の会社が買い取るという、話し言葉では「Wakayama」「Okayama」と耳の調子が悪いと、とてもわかりにくい地域どうしの売買の結果誕生したのが「たま電車」というわけなのであった。
両備グループのトップはアイデアマンなのであった。
和歌山電鉄は今、両備グループ傘下の岡山電気軌道、つまり岡山駅を起点に市内を走っている路面電車の子会社であり、地方によくある第三セクターではない。

この和歌山電鉄「たま電車」の成功に刺激を受けたのだろう。
両備グループよりずっと大きな南海電車が成し得なかった「たま電車」の大成功をプライドもなんにもなくて、マネせずしてなんとする。
南海電車はホークスを福岡に売りに出した時点でプライドは捨てていると沿線に住んでいる私は思っているくらいだ。
で、誕生したのが「めで鯛」電車、だと思える。

自転車を駅の駐輪場に止めてヘルメットを外す。
凄い汗をかいているものの疲れてはいない。
バックからカメラを取り出して駅舎へ向かって歩き始めた。
自転車置き場の横が柵越しにプラットホームになっていて、柵には「めで鯛電車」のカラフルな幟がいくつも立って風に羽ばたいていた。

駅前にはお出かけファッションに身を包んだ老若男女が仲間がくるのを待っている、という感じだった。
ここ加太駅は1時間に2本の電車。
つまり次の電車まで30分の待ち時間があり、ここを待ち合わせ場所にすると待つ者は結構長い時間を潰す必要がある。

「めで鯛」電車はぜんぶで4種類。というか4編成。
それぞれ
「がしら」
「かい」
「なな」
「さち」
の名前が付けられていて、それぞれデザインが異なり南海電車にしてはかなり念の入ったデザインだ。
私が先ほど見かけたのは「もも」であり、これは「めで鯛電車」の最初のポスターで広められた代表的な車両だけに撮り損ねたのはかなり痛い。
次の電車が来るまで20分ほどあるが、何が来るのか。
私は駅前に掲示された時刻表を確認した。

そこには「がしら」とある。

がしら、という魚は加太で捕れる代表的な魚だ。
特徴は大変醜いということ。
見ていて、かわいい、などとというような容姿ではなく、むしろキショイたぐいの魚なのだ。
ところが、このがしら。
見かけとは裏腹に極めて美味という特徴があり、人気の魚なのである。
背びれに毒があるので調理する際に注意を要する。
カミさんが以前、岸和田の漁師にもらって帰宅したことがあり、ビビりながら調理をしていたが、できあがった刺し身や煮付けは極めて美味であった。

なお、私は魚の調理はできない。

電車が来るまで時間があるので改札前のベンチに腰をおろして自販機で冷たいドリンクを買って一息ついた。
ここまで自転車で50km以上の距離を走ってきたものの、疲れていない。
と思っていたが、この休憩があまりよくなかった。

自転車で長距離を走るときは不必要に長い休養を取るのはやめたほうがいいことを知ったのはこの時なのであった。
電車の写真を撮りたいがために30分の休憩で冷たい飲み物をごくごくは疲れを呼び起こすのに十分な時間なのであった。

電車の写真を撮って、再び自転車にまたがり漕ぎ出したら、なんとなくさっきの軽快さが半分ぐらいになっていることに気がついた。
この調子を取り戻すには少しく走らなければならない。
とはいえ、ここからは海岸線に沿った大阪へ向かう道になる。

加太の海岸はすでに夏。
自動車は渋滞して駐車場を探し、浜辺は海のスポーツを楽しむ人達で賑わっていた。

つづく



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県道粉河加太線は阪和道の高架下をくぐるまではJR阪和線とほぼ並行して走っていて道は総じてなだらかな下り坂だった。
下り坂は歓迎だ。
それもなだらかで距離のある下り坂は大歓迎なのだ。
私はペダルを踏んでいるのかいないのか、というような軽さでサ〜〜〜っと走るれるところが大好きなのだ。
というか、多分みんな大好きだと思う。

この狭い県道も交通量は少なくない。
途中、紀伊駅、六十谷駅前を通過するときは道路が狭いこともあって道路が自動車で混雑。
自転車のわたしはあまり関係はないものの、和歌山と言ってもここは大阪府から境を越えてすぐなので人口はすくなくない。
東京や大阪の郊外の田舎街がいきなり人口増加で道路インフラが対応できずにそのままきている、というよくある風景だった。
この辺りは府県境というだけではなく、JR阪和線を使うと大阪駅まで乗換なしで行けてしまうのだからメリットは小さくないのだろう。
ということで住宅と田園風景が混在する和歌山の最北部はサイクリングには悪くない風景だ。

この冬。
南海高野線の橋本駅からJR和歌山駅まで折りたたみ自転車で今回走っているところとは紀の川を挟んで対岸を走った。
そのときは寒くて風が強くて往生したのだったが、今回は春ということもあり清々しい気分で走ることができた。
右手に大阪府との府県境である和泉葛城山。
左手には和歌山を代表する大河紀の川。
素敵なエリアなのだ。

しばらく走っていると同じ方向へ派手な装飾を施したトラックが走っていく。
この日はなにかトラックに関わるイベントがあるのか、電飾キラキラのトラックが1台や2台ではないうえに、何台かが連なって走っていたのだ。
大中小、様々なサイズのトラックが走っている様は往年の人気映画「トラック野郎」を彷彿させるものだった。
それだけに何か時代が少しずれてんじゃないのかと思うこともなかったが、こういう所有者の個性が発揮されているトラックは、見ていて面白い。

岐阜県ナンバーを付けた軽トラ、ワゴン、普通トラックのグループが私と並んで走っていた。
ここを走っているということはたぶん京奈和道経由で走ってきたのだろう。
お友達感覚で集団で走っていた。
彼らと並行に走っていると邪魔になるんじゃないかと思った。
なぜなら道路がそこそこ混んでることと、私の足がちっとも疲れておらず快走していることもあって、これらのトラックには追い抜かれたり、信号で追いついたりを繰り返し、結局加太近くまで並行して走っていたからだ。

100km走ろうと思ってスタートして、すでに半分の距離。
途中食ったものがシュークリーム1個なのでエネルギー消費としては悪くないのかもしれない。
水分は500ミリリットルのペットボトルが約1/3消費。
まだまだへばるようなことはなさそうなのであった。

和歌山市内に入ると道路は片側2車線になって交通量もかなり多い。
道路のコンディションは悪くない。
今回初めての100kmライドの休憩は南海電車の加太駅でとるつもりだった。
ここでは「めでたい電車」という南海電車の観光列車、というか加太線のブランディングの結果生まれたお魚をあしらった電車の写真でも撮影しようと思っていたのだ。

加太は幼稚園のときに両親に連れられて一泊したことのある観光地だ。
紀淡海峡の本州側の半島の先っぽということもあり魚釣のメッカでもある。
今でこそキャンプやマリンスポーツで滞在する人も増えているようだが、当時は宿といえば釣宿で、なんとなく小汚い印象が子供の私には強かった。
そこで子供の私が何を持ったかと言うと「一刻も早く家に帰りたい」ということだけなのであった。
夜断水する。
停電もする。
なんだか騒々しい。
暗闇に照らされた階段に置かれた飾り物の布袋さんの人形と「早く帰りたい」といことが鮮明に記憶に刻み込まれた「思い出の場所」。
それが加太なのであった。

県道は南海電車加太線と並行して走っているはずだが線路が見えない。
地図で確認すると少し離れて並行になっているようで電車を見ながら走るということは無理なようだ。

やがて道路が狭くなりカーブになっている坂を登る。
登り切るとまたカーブになっていたが、突然右手に南海電車の線路が見えてきた。
そして踏切があり、警報が鳴っている。
自転車を止めて撮影しなければ、と思った。
もしかすると「めでたい電車」が走ってくるのかもしれない。
バックバックを引き下ろし、カメラを取り出そうとしたその瞬間、電車が手前側からゆっくりと走ってきて和歌山市方面に過ぎ去った。
電車は「鯛」を外観にあしらった「めでたい電車」のいわば看板車であった。

くそっ!

シャッターチャンスを逃した私は若干悔しいながらも加太駅で待っていると他の電車が来るだろうと思って再び走り始めた。
加太駅はどこだろうと思って電車に沿って走っていると小さな駅舎があり、そこから人の波ができている。

「ほ〜人が大勢。加太はもう少しなんだな」

と思って、さらに進んでいると右手の電車の線路が無くなっている。
なんてこった、さっきの小さな駅舎が加太線の終着点「加太駅」なのであった。
加太駅を通り過ぎて、大阪方面に一心不乱に私は走っていたというわけだ。

ということでUターンして再び加太駅へ。

ここで次の電車まで休憩することにしたのだった。

つづく


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坂を下り始めてすぐに大型車が通行不可能であることがわかった。
大阪からの上り坂は緩やかだったが、和歌山紀ノ川沿いへの下り坂は急傾斜でカーブも半径の短い急S字カーブが多い。
とても大型車が曲がれる半径ではなく、2tトラックでもロングだったら通らないほうがいいような道なのであった。
しかも勾配が急だ。
ということは、この坂を降りるということは引き返すに必要な脚力は並大抵ではないことを意味している。
私は下り坂の勾配と急カーブを楽しみながら滑降していったのだったが、同時に、
「ああ、これで大阪に帰るには海に回るしかない。この急坂を登る気力はたぶんない」
と最初からヘタレな心境なのであった。

ちょうどS字の連続を過ぎたあたりを走っていると雄大な景色が見えてきた。
前方の左右の山肌をつなぐように京奈和道の高架が100m以上はあるかと思える高さにかかっていたのだ。
なんでもない高速道路。
ただ単に人家の少ないところをまっすぐに道路を作るとこういう凄い景色が出現するのか。
この付近には阪和道と京奈和道とのジャンクションがあり、将来的には大阪府内を通らなくても和歌山の物産を名古屋や首都圏に運ぶことができるようになるのだ。

などと思いながら気楽に下り道を走っていると、その雄大な橋の下を私とは逆の大阪方向に坂を登っていくロードバイクとすれ違った。
ライダーの年齢は私とあまり変わらないような感じだった。
きっとヒルクライムも恐れないベテランサイクリストか、何も知らないこの辺り初めての初心者さんかのどうちらかであろう。

やがて大阪府方面からの県道は県道粉河加太線と交差する谷東の交差点に到着。
この交差点の角にあるローソンでエネルギーの補充を図ることにした。
まだまだお昼の時間には程遠いが腹が減ったらパワーがでない。
私はここで「ローソン生カスタードシュークリーム」を買い求めおもむろにむしゃむしゃと食べることにした。
最近は走る距離が伸びてきた関係で食物を持参することが少なくない。
だいたいはバームクーヘンだとかドーナッツといった甘いものを持参することにしている。
サイクリスト用に開発された大手食品メーカーのスポーツ食パックなんぞは買うことがないのだ。
以前、おにぎりを持参したこともあるが、あれは美味いが即効性にかける。
しかも食べた後に体が重く感じる負の効果があって自転車を漕ぐのが大変になるので食べないことにしている。

日本陸軍が先の大戦で白人国家に負けたのはご飯食とパン食の違いがあるということをどこかで聞いたことがある。
「ご飯のエネルギー量はパンよりも素晴らしいが戦闘食には向いていない。
その点、パンは保存も効きやすくエネルギーに転換されるのも早い」
のだと。
先の大戦中、マレー半島で活躍した陸軍の銀輪部隊は何をもってシンガポールを陥落させることに成功したのか。
少なくともおにぎりは食べていなかったのではないか。
海軍みたいに洋食で進軍していたのかと、ふと思ったりした。

で、話は戻って、今回は100kmを目指しているといこともあったので食べ物を持参することも考えたが、なるべく身軽な方がいいとも思って飲み物はともかく食べ物を途中で買い食いすることに決めていた。
コンビニも売店もないのは今走ってきた山の中だけで、あとはたぶん何キロおきかになんらかの店があるに決まっている。
これから和歌山市内の最も人口の多いエリアに入ることもあり食料には不便することはないだろう。

つづく



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