<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地



2003年4月。
SARS旋風吹き荒れる中、私は一人、ベトナムの旅を楽しんでいた。

「ハノイじゃ何人かSARSで死んでいるけど、大丈夫?」
と訊いたのは私ではない。
サイゴンで一日チャーターしたバイクタクシーのドライバー、ドンさんに私が訊いた質問であった。
「1000km以上北の話で。ここじゃ関係ないですよ。」
というのがドンさんの答えだった。
誠にもって他人事なのであった。

日本中、いや、世界中がSARSで大騒ぎしていたとき、死者を出していると報道されていたベトナムでは、いや、その国の最大の街、サイゴンでは誰も騒いでいなかったのだ。

とはいうものの、
「なんでこんな時、ベトナム行ってたの?」
と帰国後色んな方面から呆れ加減の質問を受けた。
もちろんサイゴンでは多くの観光客にであったものの、飛行機を利用する人が減っていたために私は利用する予定だったサイゴンからバンコクへの帰りの午前便がキャンセルになり、半日遅れで夕刻便でバンコクへ戻るはめになってしまった。

バンコクのドンムアン空港に到着すると入国審査場への通路の途中で白衣を着た検疫所のスタッフがバリケードを築いていた。
いや、バリケードではなく臨時の診察所なのであった。
私たちサイゴン、もといホーチミン市タイソニャット国際空港からの乗客を一人一人診察し、熱を計るという力のいれようで、SARSを水際で食い止めようと躍起になっていたのだ。
この時、とりわけ印象に残ったのが、熱を計るためにおでこに貼るフィルムだった。
平熱以上の体温がある時は色が変わって、
「あんた入国ダメね。はい、こちら」
と即刻入院隔離措置が取られる様子なのであった。

豚インフルエンザのニュース映像を見ていて思い出したのが、このSARS騒ぎ。

当時は日本人でSARSにかかった人が皆無であったことから、なんら危険を感じることはなかったのだが、今回は違う。
なんといっても今年の正月休みの期間には、私はインフルエンザにかかったばかりなのだ。
もちろん豚インフルエンザではなく普通のインフルエンザなのだったが、これで豚インフルエンザには罹らないという保証はまったくなくなった。

連休明けには大切な展示会がドイツのフランクフルトで始まる。
私の会社は経費節約という理由で社員は私を含めて誰も行かないのだが、うちのアドバイザーや取引先のかなりの人数は展示会視察に出かけるのだ。
彼らがインフルエンザウィルスを貰ってこないという保証もない。
さらにさらに、私自身が中国への出張しなければならないという危険性をはらんでおり、かの衛生上芳しくない国家でウィルスにさらされる恐れがあるのだ。

などとと思っていたら、
「あの国の人は豚、大好きでっせ。ウィルスぐらい、本体の豚もろとも食べてしもて問題ないんちゃいまっか」
という意見が私の頭の中から浮かんできた。

ともかくSARSを思い起こさせたブタなのであった。



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久しく映画館に通っていなかったので、せめてビデオでも。
ということで、久々にプレーヤーにかけたのは2003年作の「オーシャン・オブ・ファイヤー」。
実在の人物と実際にあった話を下敷きにした冒険物語だ。

まず結論から言うと、かなり面白い。

スリルとスピード感。
剣劇。
男の孤独。
愛馬。
砂漠の過酷だが、美しい大自然の風景。

映画の重要な要素が数多く詰まっているのだ。

アメリカのカウボーイがイスラム教徒と競り合う大冒険ホースレースはドイツの冒険小説作家カール・マイの作品を彷彿させるものがある。
イスラム教徒が何らかの競争に登場すると、必ず出てくるのは「アラーの思し召しだ」のセリフ。
勝者も敗者も、勝負を決定するのは競技者本人ではなく、アラー。
唯一神の思し召しなのだという。

このセリフが登場すると私はひしひしと異文化を感じる。
アラーへ帰依するイスラム教徒の信仰心を理解することは、私たち日本人にはなかなか難しいことだ。
なぜ、全てがアラーの成せる技なのか。
全能って何?

異文化というよりも異質なものを内蔵しているイスラム教徒の中で1人、私たちにとってノーマルなのがアメリカ人の主人公だ。
ノーマルな人がアメリカ人というのも、考えてみれば凄いことだが、この主人公はインディアン(ネイティブアメリカン)血が流れているというのが、ひとつの救いになっていて、つまりインディアンというアメリカ大陸に於ける馬の民と、アラビア半島に於ける馬の民の戦いという構図が本作の骨格であり、また面白みでもあるのだ。

そしてこの映画のもう一つの魅力が主人公の馬。
本作品の原題である「HIDALGO」は馬の名前なのだ。

このHIDALGOというアメリカ産の野生馬は、頭が良く、それでいてユーモアに溢れ、頼もしい相棒なのだ。
時として昔のテレビ番組「ミスターエド」のふざけた「話す馬」を思い起こさせるシーンがあるけれども、違和感はまったくなく、ごく自然で、見ているうちに自分もあの馬が欲しくなってくるのだ。
それも愛馬、というよりも相棒という感じでいとおしくなってくる。

2時間を越える少しばかり長い映画だが、その時間を忘れさせる魅力溢れる作品だ。
なお、最近めったに見ることのない美しい撮影は、是非、ブルーレイで見たいものだ、とも思ったのだった。

~「オーシャン・オブ・ファイヤー」原題:HIDALGO 2003年 ブエナビスタ配給~

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なんと、選手年俸であの、ケチの、貧乏の、どんくさい、我が阪神タイガースが虚人を抜いて首位に立ったのだという。

阪神首位!

これを春の珍事といわずしてなんという。

古来より甲子園球場に本拠地を置く阪神タイガースは人気球団ながら「年俸が低い」というホントかウソかわかならいことがまかり通っていたものだ。
実際、ケチで有名なあの監督や、あの選手などがマンガに取り上げられることが少なくなく、大阪の球団(兵庫県にあっても大阪の球団なのだ)ということも相まって「大阪人のケチキャラ」という印象が定着していた。
その阪神がついに選手年俸の合計で、あの金満球団、ナベツネジャイアンツを越えてしまった。
これは歴史的なことで、ある意味、新聞ビジネスの凋落を表しているといえるだろう。
でもその本当の理由は.........

阪神タイガースはホントは今は、.........阪急タイガースだから.......。

なのかもわからない。

ご存知のように、阪神タイガースの親会社である阪神電鉄は数年前の村上ファンド事件で窮地に立たされた結果、阪急と事実上の合併。
阪急阪神タイガースになってしまったのであった。

阪急電鉄は関西の大手私鉄だが、そのビジネス範囲は関東の私鉄でも真似の出来ない幅広さを誇っている。
鉄道経営はもちろんのこと、百貨店、スーパー、運送業、バス、少女歌劇、そして映画など。
あらゆるジャンルのビジネスで成功を収めているのだ。
このうち、阪急の映画会社である東宝は邦画メジャーではナンバーワンの売上げを誇っており、ここ数年、毎年最高益を達成している。
この阪急電鉄で唯一挫折したビジネスがプロ野球なのであったが、ブレーブス身売り後幾年月。
ついにブレーブスに代わる球団を手に入れたのが、その村上ファンド事件の時なのであった。

ビジネスというのは、とかく上手な人と下手な人がいる。
なんでもないのにお客の心を掴んで、軽快に儲ける会社と、努力に努力を重ねても、忙しいだけでちっとも儲からない会社だ。
阪急は前者であり、阪神や私の会社などは後者にあたるわけだ。

したがって、阪急グループの一員となった阪神グループの経済的活況は阪神タイガースだけに留まらない。
例えば、阪神電鉄は新型車両が劇的に増えた。
もともと阪神電車といえば、山側から阪急、JR、阪神がグレードが最も庶民的であって、したがって走る車両も先の2社に比べるとお歳を召した歴史あるものが多かった。
ところが柄にもなく大阪のミナミに乗り入れるのに併せて新型車両が続々と登場したというわけだ。

このように見てみると、あはり阪神タイガースの年俸首位は、阪神独自の力ではないような気がするのは私だけか。

ともかくうちの会社も阪急グループにならないか、と考える今日この頃ではあった。

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ようやく新しいアップルのソフトウェア「iLife'09」と「iWork'09」を購入した。

いずれのソフトもアップルのMacを買うとはじめから付属しているソフトであるためMacユーザーであれば誰でも持っているソフトだ。
Windowsしか知らないユーザーには信じてもらえるかどうかは分からないが、この2つのソフトがあれば、プライベートと仕事でのパソコンの使用はだいたい問題がなくなるのだ。

とりわけiLifeは優れもので、これさえあれば従来は業者にお願いしないと作成できなかったような写真集やビデオソフトを自分で簡単に作成できるのだ。
プロのクリエイターの仕事を奪う、恐るべきソフトウェアということができよう。

実際、先月に発売された新バージョンは、iDVD以外の全てのソフトがかなり大きな進化を遂げていた。

iPhotoでは従来からある写真を名前や日付で整理する機能だけではなく、顔の認識、認識した顔を整理して名前を付け、Facebookなどで仲間と共有できる機能や、Google mapを使って撮影した場所を登録できる機能などが装備されているのだ。
これは正直言って写真の整理方法が大きく変わることだろう。

ビデオ編集ソフトのiMovieの進化はさらに凄いものがあった。
テーマを選んでトランジションをかけると、まるでプロダクションに注文したような素敵な映像切替えができるのだ。
完成した映像は売り物にさえなりそうだ(但し、自分の子供のビデオや結婚式、お葬式などのビデオは買う人がいないだろう)。
そんな新機能のなかで最も驚くべきものは「手ブレ補正機能」。
ビデオカメラなどには標準で装備されているような機能だが、すでに撮影したビデオのブレを計算で算出し、画像処理して揺れていない画面を作成する。
驚くべき機能なのだ。

正直、業者に頼んでもここまで作ってくれるとは思えない。

iLife'09。
1万円でおつりあり。

下手なクリエイターは失職する時代がくるかもしれない。

私はサラリーマンで良かった。

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端的に言ってモード・バーロウ著「ウォータービジネス」の言いたいこと以下のような内容ではないかと思われる。
つまり、

1.人類は経済活動をするな。
2.国家間の借款では、貸した方の国はタダでくれてやったと思わねばならず、借りた方の国は借金は踏み倒しても構わない。
3.大企業は全て悪だ。
4.大企業ばかりではなく私企業は全て悪で、市民団体、労働組合は全て善だ。

以上のことを総合すると、本書は「左巻き」とうことになる。

たしかに資本主義は悪で共産主義は善のような構図が見えてきて、
「本書は水資源問題にからめた左巻き思想の入門書か」
と思わせるものが全編に漂っている。

事実、そんな雰囲気がみっちりと漂っているので、著者の近影が書籍に掲載されているにも関わらず、読み進んでいるうちに作者の顔に福島瑞穂の顔のイメージが重なってくるという、非常に持って不愉快な体験をすることになった。

それはともかく、そういう不愉快で不可解な部分を除くと、本書が提起している水資源の問題は本当に深刻的だ。

「日本は水に困らないから、どうでもいいや」

という考え方も改めねばならないことに気付くことになる。
日本が大量に輸入をしている食料品は海外の水資源を使って栽培されており、これらを食べることは、その国の、そして地域の水資源を日本人が大量に消費していることにほかならない。
その大量の水資源に巨大企業が群がって利益をむさぼるという構図は、本左巻き書籍が提示する通りなのである。

考えてみれば小さなペットボトル一本のエビアンが100円以上もするのだ。
300mlくらいで100円なので、ガソリン価格の3倍はしている計算になってしまう。
ぼったくりなのだ。

タダの水なのに、それをフランスかどっかで汲み上げ、石油資源をタンマリ使ったペットボトルに詰め込んで、これまた遠路はるばる日本まで海上輸送。
健康に良いかどうかは知らないが、そのために大量のCO2を排出しているのであれば、ある意味、エビアンだとかボルビックは人類の敵以外の何ものでもない。

公営水道の水が1番健康に良くって環境にも優しいのだ。

私の住む大阪府では「公営水道の水」を缶詰めにして防災用や公営水道のPRに使用しており、私も某市の水道局の方から一缶頂戴したことがあるが、正直言って、冷やせばエビアンやボルビックとちっとも変わらない味なのであった。

ということで、本書では数々の問題が提起されているが、それを非難するばかりで解決策がほとんど明記されていないところがいかにも「左巻き」でははあるものの、今、世界を取り巻く水問題、とりわけ上下水道の問題を知るには、なかなかな良書であるといえる。
とりわけ朝日新聞的なものの考え方をおする人には良書に違いない。

ともかくお勧めしたくないが、お勧めしなければならない一冊だった。

~「ウォータービジネス」モード・バーロウ著 佐久間智子訳 作品社刊~



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マスコミや警察の粋の無さはすでに致命的であろう。

もし、酔っぱらって裸になって公園で騒いでいたのが落語家や漫才師ならこれだけ騒いだだろうか?

否。

普段は礼儀正しく高感度も高いアイドルタレントだから、「今だ!」とばかりに血祭りに上げられるのかもわからない。
それとも彼が所属するプロダクションへの日頃たまりに貯まった鬱憤晴らしなのか。

SMAPの草彅剛が泥酔して全裸になったため逮捕された。
公然わいせつ罪だという。
新聞やテレビでは「容疑者」という称号を与え、重罪犯のように報道しているが、これって行き過ぎではないだろうか。

かつて笑福亭鶴瓶は人気バラエティ番組「噂のチャンネル」で全裸になって一物をさらしたということだが逮捕された、ということは聞いていない。
江頭某もまた公衆の面前で全裸になって芸をした、なんてことも耳にするが「容疑者」扱いされているのは見たことがない。
なぜ、彼だけが容疑者なのか。

背景に麻薬事件でもあれば話しは別だが、要は酔っぱらって全裸になって公園で騒いでいただけ。
実に、人間的だと思うのだが、警察やマスコミにはその辺をサッと流す粋の善さはないのか。
人気タレントを演じるのは想像以上にストレスの貯まるものに違いない。

ビール10杯以上飲んで何が悪い!

酔っ払いも時には善し。
だって人間なんだもん。


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日本ビクターのCGソフトはトライマジンというZバッファ法という手法を用いたレンダリングソフトなのであった。
モデリング機能は、正直使い物にならなかった。
X68000で使用するC-TRACEの方が使いやすいくらいだった。

モデルを作るには別に三次元CADが必要だった。

このときの私たちの場合、どちらかというと業務で使用するCADを探していたわけで、CADを必要とするCGソフトを購入することはちっとも問題にはならなかった。
問題は、どのCAD を購入するのかにあった。
時、パソコンCAD黎明期。
どれがメジャーで将来性があるのか。
どれが使い勝手に優れているのか。
どのメーカーがしっかりしているのか。
なかなか難しい買い物であった。

結局そのモデリングに必要なCADは日本ビクターが紹介してくれることになった。
ビクターの担当の方は、私の会社が同社の下請け仕事をやっていることを知ると、身内のように接してくれたのであった。
で、紹介されたのはクボタのCADKEYという三次元CADなのであった。

パソコンで使う三次元CAD。

当時としては三次元CADは珍しい存在だった。
というのも、当時のパソコンの機能は現在のものと比較にならないくらいグラフィック処理と演算速度が遅かった。
たとえばCADの図面をモニターに表示する速度さえ「早い」ということがそのソフトのセールスポイントになった時代だった。

一瞬にして描けます。

今では当たり前の事実でも、当時は事実ではなく、一般的にCADは再描するごとにコンマ何秒から数秒の時間、待たなければならなかった。
そんな時代に、三次元CAD。
今考えると、ちょっと無理なCADのように感ぜられるのだが、実際はそんなことはなく結構サクサクと動く優れものの機械設計向けのCADであった。

このクボタのCAD(実際は海外製)とビクターのCGソフト、そしてそれを動かすためのパソコン、拡張メモリ、プロッタ、昇華型カラープリンタなど〆て見積金額は400万円程度だった。

「社長の車より安いからええやないですか」

と若かった私は迷いもなく大胆な発言をしたのだった。

社長の愛車はリンカーンコンチネンタル。
社長はアメ車をこよなく愛する「ちょっと変な」オッサンであった。
なぜヘンなのかというと、毎月のようにどこかが故障して、そのつど近鉄モーターズのサービスに取りに来てもらって修理しなければならない自動車に乗り続けていたという、そういうアホ気なことを繰り返す根気を持った「ヘン」なのであった。

しかし、私のその失礼な発言をものともせず、稟議は即決。
早速、そのシステムを導入することになったのであった。
これはまた私が始めてNECのPC-9801に触れる機会にもなったのであった。

つづく

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「三匹のおっさん」

というタイトルを読んで、「三匹の侍」というテレビ番組を思い浮かべる読者は果たしてどのくらいいるのやら。
有川浩の読者は、私の勝手な思い込みだが「三匹の侍」を知らない世代が中心のはずだ。
従って、「三匹のおっさん」と読んで多くの若い読者の頭に浮かんだのは黒沢映画の「七人の侍」の方だと私は思っている。

最近のライトノベルの人気作家、有川浩の新作「三匹のおっさん」はいつもながら軽快で、アイデアに秀で、登場人物も生き生きとしている楽しい作品であった。
とりわけ主人公である三人のおっさんが面白い。
個性の使い分けが秀逸なのだ。

いずれも60歳代。
定年を迎えた男。
店を息子に譲った男。
そして、四十代をすぎてから授かった一人娘を育てる、初老というには酷な、町工場を経営する男。

どこにでもいそうな三人のおっさんが、町で起きる様々な事件に果敢に挑み、知恵と勇気と行動力で解決する。
その、どこにでもありそうなアイデアが、これまで無かったのが不思議でならない。
有川裕という作家を待って初めて実現した、現代サムライドラマだ。

ところで、この「三匹のおっさん」というタイトルはいささか引っかけの雰囲気がなくもない。
というのも、先に「三匹の侍」を連想する人はすくないと書いたものの、やはりこのタイトルには、そういう昔の痛快時代劇を意識したセールス戦略が感じられてしまうところも否定できないのだ。
私はこの本を書店で見つけたとき、内容はともかくタイトルに引かれてしまったことは正直なところだし、その作者が「阪急電車」の有川浩だということで、必要以上に内容に対して期待した部分も少なくはなかった。

この必要以上に期待したことが、内容に若干軽すぎる部分を見つけたとき、一種の失望のようなものを感じたことも、また事実なのだ。
その失望は初期の作品「空の中」を読んだ時に感じた詰めの甘さと、不自然さと共通しているように思われる。

それでも現代版捕物帳としての楽しさは認めねばならないだろう。

~「三匹のおっさん」有川浩著 文藝春秋社刊~



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「本郷の東京大学、赤門前まで行ってもらえます?」

日本橋馬喰町で流しのタクシーを拾って上司と一緒に乗り込んだ。

「すいません。東京大学への行き方がわからないんです。」

と言ったのは私ではない。
タクシーの運転手がカーナビの画面を眺めながら言ったのだった。

「なに? タクシーやってて、東京大学の場所もわかんないのかい?」

と言ったのは私の上司であった。
正直私も驚いた。

確かに東京都内でタクシーをやっていて東京大学赤門の場所もわからないというのは、わけがわからない。
これは京都で例えると、京都大学百万遍交差点を知らないことに匹敵する恐るべき地理音痴なのだ。

「すいませんね。まだ運転手になって2週間しか経ってなんいんですよ。」

これが男の運転手なら怒って降りるところだったが、運転手は20代後半とおぼしき女性であった。
したがってこちらの文句もそこまで。
しかし、

「カーナビちゃんとセッティングしてよ。」

と私の上司が言ったところ、

「今、できなんです。走っているとどうしても。」

と運転手は答えた。

「トンでもないタクシーにのっちゃったな。」
「どうもすいません。」
「車で、東京大学へは暫く行ったことがないからな~。」

東京在住歴20年の上司は日頃は、
「俺は東京には詳しいんだ」
という態度を示し、若干不快感を醸し出すこともなくはないが、いざ、こういう事態に陥ってしまうと、地理に詳しいのか疎いのか、まったく頼りにならなくなってしまうのだ。

「えーと、このまま靖国通りをまっすぐに行って、神田小川町の交差点を右折してくれます。ほんでから、また、まーすぐに行ったら正面に東京医科歯科大学病院が見えてくるよって。そのままJRのお茶の水の駅、つまり、神田川渡ったらそのまま道なりに、ぐーっと左に曲がって。ほんでそのままずーっと行ったら、右手に東京大学が見えてくるから。」

と、説明したのは大阪から出張で来ていた私なのであった。

なんで、大阪人の私が東京の地理を説明しなければならないのか。
まったくもってマヌケな話しなのであった。
日頃、訪問した街は歩き回ることをモットーにしていることが役に立った瞬間なのであった。
東京も時間的余裕があれば、出張の際はできるだけ歩くようにしているのだ。

「東京大学は中学の修学旅行で来て以来ですね。」

と運転手のオネエサンは言った。

「と、いうことは運転手さん。あなた出身は東京じゃないの?」
「はい~、青森です。」

運転手さんはほんの最近、青森から東京に出てきたばかりのオネエサンなのであった。

東北出身者にはこの運転手のオネエサンのようなキャラが少なくない。
そのキャラとは、なにかこちらにとって不都合なことがあったとしても、なんとなく怒りを感じないソフトなイメージ。
このオネエサンもまさにそういう「の~~~~~~んび~~~~~り~~~~~~~」とした癒し系(田舎系とも言う)東北人の典型的なキャラなのであった。

「右手に見えてきたあの森みたいなのが東京大学ですよ。」

と関西訛りの私が説明すると、

「ありがとうございました~。これで東京医科歯科大学病院と東大を一度に覚えることが出来ました。」
と真面目に感謝されたのであった。

首都東京。

地理を知らなくてもタクシーの運転手が勤まる不思議な街だと思ったのであった。

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CNNの報道によるとユナイテッド航空は、
「肥満した人に配慮を払ってきた『二人分席の対応』を、これからは便の混み具合によってはお断りして別の便に乗り換えてもらうか、別途追加料金を徴収する方針に切り替えた」
とのこと。

要約すると、
「デブは普通料金で乗るな」
ということらしい。

私は一人分料金で二人分の席を確保することができていたことに驚いた。
が、この「デブ・サー・チャージ」制度。
超肥満した人はともかく、普通の体格をした人には歓迎すべき内容かもしれない。

というのも、飛行機や新幹線の普通座席は一般的な体格の人を想定して設計されているので、そこに超肥満した人が座ったらどれだけ窮屈になってしまうのか、想像しただけでも空恐ろしいものがある。
いや、そんな経験をした人はすでにかなりの数に上るであろう。

私自身、ちょっぴり大きめの体格であるため、たとえば満席の新幹線のA~C席のB席なんかに座ると窮屈さを感じて仕方がない。
飛行機でもB737-500のような小さな機種だと、テーブルが腹につっかえて開きにくいことがあったりなんかするのだ。

でも、それは日本的スケールの話。
アメリカ人の肥満のスケールは日本人のそれとは大きくかけ離れている。

日本人の肥満は「ちょっぴりメタボ」的感覚があるのだが、アメリカ人のそれは「まるで関取」と言っても過言ではない超巨大な小錦級肥満なのだ。
したがって、そんなオッサン、オバハンが狭いエコノミー席の隣などに座られたら溜まったものではない。
もちろん座ったデブ本人も辛いことは間違いない。

考えてみればエアラインとしての今回の決断はビジネスの上でも正論ということが言えるだろう。

一般の人の体重が70kgとして超肥満のオッサン、オバハンの体重が160kgとする。
この体重差だけで90kgあるわけだから、これが手荷物だったりすると確実に超過料金を徴収されることになるのだ。

メタボな脂肪は超過手荷物、と考えれば十分に理解することができる。

ということで、これは昔から持っている疑問なのだが、大相撲の海外公演なんかは最初から超過料金が取られているのだろうか?下っ端の相撲取りはエコノミーに詰め込まれるのか?
デブ・サー・チャージ制度の話を読んで、私はしょーもないが、非常に興味あふれる疑問を思い出したのであった。

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