<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地



コロナ禍もここまで来るとは思わなかったというのがJR山陽新幹線の車内販売休止のニュース。
利用者がガタ減りしている山陽新幹線でさらにガタ減りしている車内販売を来月からしばら休止するのだという。

えらいことではないか!

特急、急行の車内販売といえば子供の頃は旅行の楽しみの一つなのであった。
何かを売りに来るごとに私は何かを買ってもらいたくてドキドキしていたものだ。
弁当&お茶の定番はもちろん。
アイスクリーム、ジュース、お菓子などなど。
車内販売のカートの中は夢の詰まったワンダーランドと言っても過言ではなかった。

大人になっても出張帰りのビール販売は必需品であるし、ホットコーヒーなんかは朝のひとときに欠かせないアイテムでもあった。

それがコロナで休止とは。

在来線の特急や私鉄の特急では車内販売を見かけなくなって久しい。
以前、甲府から静岡まで身延線の特急に初めて乗った時に車内販売が無いので愕然としたことがある。
あんなローカルな特急、何も買わずに飛び乗ると途中で買い物をするのは車内販売しかないではないか、とどこに怒りをぶちまけたらいいのか悲しくなったことがあった。
近鉄特急から車内販売が消えたときもショックなのであった。

このように特急の車内販売は新幹線が最期の砦だったのに。
コロナ禍である。

飲食に関するあらゆる災いはついに新幹線にまで及んだ。
恐ろしきかな、なのである。


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「残業したら晩御飯は自炊かコンビニ弁当」

昨年東京へ単身赴任で転勤したという元同僚がため息交じりにつぶやいたのは先週のこと。
なんでも一人暮らしなので夕食は外食をしたいが、少しでも残業があると自宅の近くの駅にたどり着くのが7時を過ぎてしまい外食の機会を逸してしまうという。
「自炊はしんどい」
と私同様に自分で料理をすることなどなかったオッサンの一人暮らしにはかなりきついものがあるようだ。

ある日の夕方。
得意先との急な打ち合わせで、南海電車の某駅で下車。
駅前の居酒屋さんの前を通りかかると、
「ラストオーダー7時。8時まで営業しています。是非、お立ち寄りください」
みたいなことが書かれていて、思わず、
「頑張れ!」
とつぶやいてしまった。
時刻は午後6時前。
打ち合わせが6時からだったので終わってから立ち寄るには、かなり難しい。
7時を過ぎるのは明白だからビール一杯を飲むこともできない。
その隣の立呑屋さんでは仕事帰りと思われる女性が二人、丸テーブルでぽつんと飲んでいた。
午後7時のオーダーストップまでの1時間。少しくリラックスタイムということなのだろうか。

緊急事態は延長の見込みという。
まだまだ気楽に飲めそうにないのが辛い午後7時のオーダーストップなのだ。


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ゴダイゴのプロデューサー・ジョニー野村氏が亡くなった。
享年75歳。
イメージしていたよりも若い年齢だったことに正直驚いた。
私は中学生の時からゴダイゴのファンだったが、ジョニー野村氏は良く知らなかったからだ。

唯ひとつを除いて。

ゴダイゴを初めて知ったのは中学二年生の時。
日曜日の朝に放送されていたドキュメント紀行番組「地球は音楽だ」のテーマ局「Symfonica」と、その番組の中間で流れる日立マクセルのCMソング「What did you do for tomorrow?」の2曲を聴いた瞬間、
「誰?これ。メッチャええやん」
と思った。

英語の歌なのできっと海外の人気バンドなんや、と思っていた。
丁度、クイーンやイエス、ピンク・フロイドなんかが人気になっていた時期だったこともある。

そんな時、とあるFM放送の番組で「英語でしか歌わない日本のロックバンド、ゴダイゴです」
と紹介された。
流れてきた曲はテレビのものとは違ったけれどもタケカワユキヒデの特徴あるボーカルと特徴あるサウンドはすぐにわかった。

へー、そんなんあるんや。
歌謡曲かフォークソングしか知らない中学生には小さくない驚きだった。
やがてすぐに「西遊記」という番組のテーマ曲がヒット。
続いて私の好みの2曲が入った「CM Song Graffitii」というアルバムがチャートインした。

ゴダイゴの歌を覚えることで悪かった英語の成績が多少とも上がった。
発音が良いと、嫌いな英語の先生に褒められた。

ゴダイゴのアルバムはその後全部買い揃えたが、最もお気に入りは「Dead End」と「CM Song Graffitii」。

このCM Song Graffitiiの中のUncle Johnという歌の中で、ジョニー野村がUncle Johnに扮して話し言葉を吹き込んでいる。
テープの速度を変えているので、ずいぶんなオッサンに聞こえるのだ。
それがジョニー野村は結構な年齢のプロデューサーなんだと今日まで勝手に思い込んでいた原因になった。

ゴダイゴのプロデュサーの訃報を知って、最初に思い出したのがUncle John。
歌詞のように山のように大きく、木のように背が高い人だったかどうかは知らない。
でも私に音楽の楽しみに大きな幅をもたせてくれたことは間違いないだろう。


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一昨年頃から高野秀行の冒険談が楽しくて文庫本を買い求めてはワクワク感に浸っている。
そんなところ、いつも行くTSUTAYAで見つけたのが「西南シルクロードは密林に消える」。
令和3年の年明け読書第一弾として良い一冊かなと思い早速買って読み始めたのだ。

この一冊。
手にとって見てみると中国の昆明あたりからミャンマー北部のジャングルを通り抜けインドへ至る不法入国と徒歩によるとんでも冒険談であるらしい。
しかも物語の多くを占めるミャンマー北部のジャングルはミッチーナという街から徒歩で1日の距離をあるくのだというので私の好奇心はにわかに高まった。
というのも、私はこのミッチーナ市に10年少し前に3日間ほど滞在したことがあり、非常に懐かしく感じたからなのであった。
その時、私がミッチーナ市を訪れた目的はエヤワディ川の源流を見てみたいという好奇心だった。

東南アジアには文化と歴史、そして経済を支えている大河が3つ流れている。
ベトナムのメコン川。
タイのチャオプラヤー川。
そしてミャンマーのエヤワディ川。
いずれもチベットやウィグル自治区など、現在は無理矢理に中国領土にされているあたりを源流としてそれぞれに南シナ海やタイ湾、インド洋に流れている。

エヤワディ川はミッチーナ市から北に向かって車で1時間少し走った場所にその源流がある。
マリ川とンマイ川という2つの川が合流するところがエヤワディと名前の変わるポイント。
つまりここがエヤワディ川としての源流だ。
この川はここからミッチーナ市を通り、旧都マンダレー、遺跡の街バガン、最大都市ヤンゴンを貫きインド洋へ至る全長約2200km。
ミャンマーの歴史を育んできた大河なのだ。

この合流地点は多少観光地化されていてはいたものの、私が訪れたときは未だ途中の道は十分に整備されておらず、ところどころ凸凹の土道で中国の企業らしき怪しい土建屋が工事をしているところを見かけたものだ。
昆明に向かうにはこの道をさらに奥地へと進んでいくようだが決してコンディションはよくないというようなことを聞いたものだ。

よくよく考えてみると、この道こそが先の大戦で日本軍を苦しめた「援蒋ルート」であったわけだ。
それだけ歴史を背負っているところ言えるだろう。

著者の高野秀行がカチン独立軍の人たちとこの北方を東から西に向かったわけだから、もしかすると私がのんびりと写真を撮っていた場所からその通過地点はさして遠くなかったかも知れず、それだけ親近感をなんとなく持てる話なのであった。

それにしても現代に日本人がこのようなハチャメチャな旅をすることに何やらフィクションめんたものを感じなくもないが、全て実際にあった話だと思うと著者がいかに超人であるのかよくわかるというものだ。
中国では官憲に拘束され、ミャンマーでは道に迷い、インドでは武力紛争に巻き込まれる。
なんだかんだわけのわからない「旅」なのだが、こういうのを「旅」と言っていいのかどうかも大いに疑問になるところだ。
同じバックパック旅行でも沢木耕太郎の深夜特急と比べると危険さの種類が違う。
面白いからと言って深夜特急のような旅と異なり間違っても真似をしてはいけないと思ったのはいうまでもない。

ということでコロナ禍で海外はおろか国内の旅行もままならない2021年の幕開けだが読書だけは世界に連れて行っていただいたという面白い始まりなのであった。

※私が撮影したマリ川とンマイ川が合流してエヤワディ川になる地点の写真。
ここでもお釈迦様は欠かせない存在だ。
左手側からがマリ川。正面奥からンマイ川。右手に流れて行ってエヤワディ川。
2200kmほど大きく西に湾曲しながら南に下るとインド洋に出る。
比較にならないが大阪から2200kmほど南に下るとフィリピンに行き着く。

※この辺では砂金が採れるとかで、作業をしている人たちが大勢いたが収穫はあるかどうか......悩みどころだと思う。

いずれの写真も書籍とは関係ありません。


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2月に始まる大河ドラマ「晴天を衝け」は明治の実業家・渋沢栄一を主人公にした物語だ。

で、気がついたのは今やっている大河ドラマのタイトル「麒麟がくる」。


渋沢栄一は多くの企業を生み出した。
王子製紙やみずほ銀行なんかがそうだがキリンビールもその一つ。

「麒麟がくる」
は予告編タイトルだったのかもしれない。


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NHK大河ドラマ「麒麟がくる」がいよいよクライマックスを迎えている。

で、このタイミングで今回の大河ドラマの1つの回を初めて通しで真面目に見た。
なかなか良くできているところと、どうでもいいようなところがあり、それなりに見入ってしまったのであった。

戦国時代を舞台にした大河ドラマが放送されると、おおよそストーリーの中味の推測できてしまい、最初から見る気が失せてしまう。
これはすでに多くの時代小説で戦国期のいろんなストーリーを読んでしまっているからで、
「今さら....」
と気分がなっていることが大きい。

大河ドラマで戦国期を描いた作品で最初から最後までまともに見たのは「黄金の日々」と「独眼竜正宗」の2作のみ。
「黄金の日日」は大阪府堺市を舞台にしていて、堺市立の中学校に通っていた私達当時のガキどもには学校から「NHKの大河ドラマを見るように」というようなお達しがでていた。
少なくともうちの中学校ではそうなのであった。

この「黄金の日々」はそれなりにヒットし、話題も呼んだ。
なんといっても石川五エ門を演じた根津甚八。
善住坊を演じた川谷拓三の出世作となったのが最大に印象的なのだが、ほかにも、
堺の豪商・今井宗久を丹波哲郎が。
キリシタンの女性モニカを夏目雅子が。
千利休を鶴田浩二が好演していたことも印象に深く刻まれたのだが、武将関連の登場人物も秀逸なのであった。
織田信長を高橋幸治。
豊臣秀吉を緒形拳。
この「太閤記」のコンビが再登場しているところがなかなか憎めない配役なのであった。
このときの明智光秀は内藤武敏が演じていて、現在の長谷川博己と比べても実際のイメージに近い配役なのであった。

「独眼竜正宗」は渡辺謙の出世作でもあるが、この時代劇は前作までが現代劇という異色の大河ドラマが放送されていたことから原点回帰ということで注目が集まり、私も見てしまったシリーズだった。

で、「麒麟がくる」。
安土城築上の過程で様々なドラマが展開させるわけだが、ここで明智光秀の「ええところの家」出身の生真面目さと信長の破天荒な性格、秀吉の腹黒さがぶつかり合うところが見せ場になっていて現代時代劇ながら緊張感がみなぎっていたのだった。
「で、いつ信長のかんしゃく玉が切れるんやろ」
と考えていたところでドラマは「来週へ」となったわけだが、これだけ主人公をいい感じに描いていて、その光秀の最期をどう描くのか。
少々気になった。
光秀は最期は落ち武者となって追い剥ぎ同然のドン百姓に殺されるわけだが、そういう死に方はこういうドラマでは見たくないな、と思わなくてもなかった。

そこでふと考えたのだが、同じ題材で何度も作り続ける大河ドラマは、こういう史実とは違うけれども、みんなはこう見てみたいというところを描くところが息の長いシリーズになっている理由ではないか。

そう思う、最終回近くの大河ドラマなのであった。


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コロナ禍の第三波がなかなか落ち着かず「東京オリンピックは大丈夫か?」という声がよく聞こえる。
が、私はそれより「来年の北京冬季オリンピックは大丈夫か?」という声が聞こえないのが不思議でならない。

マスメディアが多分や北京やソウルに乗っ取られているからだろうと勘ぐったりしたくなるくらい声が聞こえない。

1年延期になっている2020年東京オリンピックは「コロナさえ決着が付けば」必ず開催されるのは間違いない。
なぜなら他に問題はまったくないからだ。
もちろん東南海地震が発生したりするうと話は別になるのかもしれないが、そういう自然災害はこの際考える必要はない。
だからワクチン接種や消毒、予防措置などでコロナを抑え込むことができるとなれば規模は縮小しても東京大会は開催される。

一方、北京大会。
東京がコロナを抑えて開催されるとなればコロナの心配はまずない。
しかし、北京が避けて通れないのが人権問題だ。

言論の統制で一国二制度をないがしろにした中国政府をイギリスはじめヨーロッパの国々はだんまりを決め込むのだろうか。
香港の民主派弁護士や政治家は収容所送りとなっていてもオリンピックに参加するのだろうか。
外国人弁護士が拘束されて拷問にかけらていてもアメリカはオリンピックに参加するのだろか。
西側の親友が全員参加しないと言っても我が日本は参加できるんだろうか。

人権問題だけではなくコロナの問題、情報隠蔽、産業スパイに領土侵攻。
借金地獄で他国を侵略する一帯一路。
世界を赤い闇に陥れる中国共産党政府を誰が正義と認めるのか。

北京冬季オリンピックの開催が心配だ。


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「赤信号、みんなで渡れば怖くない」
漫才師ツービートの往年の持ちネタ。
決まった規則でも集団で無視すればちっとも怖くないというやつで、現在の北野武の数々の発言のスタート地点と言っても良い名文句でもある。

この「赤信号」の部分を「非常事態宣言」に、「渡れば」を「破れば」に置き換えると現在の状況になる。

罰則規定がなにもない非常事態宣言はコロナ禍が1年も経過して「あたりまえ」の状況になってくると、正直なんの効果もないんじゃないかと思われてならない。
前回の春の宣言は志村けんや岡江久美子が亡くなってそれなりに緊迫感があったし、非常事態、そのものが目新しく恐ろしく、多くの人や企業がそれに倣えをしていた。
ところが夏を経て、秋を経て、Go to TravelやGo to Eatを経験してしまうと、重症化するのはごく一部の人で、多くは重症化しないし、無症状もある。
それに毎年大勢が亡くなるというインフルエンザと比較しても、その致死性は著しく低い。
少なくとも日本では。
ということになってしまっている。

今回の非常事態宣言。
出す前に有効な罰則規定や命令を出さなければほとんど無意味になっているのではないだろうか。
少なくとも電車の中でマスクをしていないと罰金を取られる程度のことはあって然るべき。
助成金を出す代わりに休業要請に従わないと開業許可を取り消す、ぐらいの手段は必要なんじゃないか。

ゆるーい社会が重大事態を無意味にしている。
悲しいかな逆の社会体制・中国が封じ込めに一見成功しているのは、こういう違いがあるのだろう。


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トランプ大統領はそこそこ面白い大統領だと思っていたが、最後の最後がよろしくなかった。
自分の支持者に「議事堂へ行進せよ」と言ったのが気に入らないのではなく、男らしく負けを認めなかったところだ。

そもそも米国人の偉い人は正々堂々としているところが魅力なのであった。
歴代大統領でも初代のワシントンは周囲の「王位につけ」の説得を拒否して選挙によって元首を選ぶという画期的なアメリカスタイルを誕生させて、米国型民主社会の礎を作った。
個人の利益よりも公共の利益を優先したのだ。
第二次世界大戦終結後、卑屈になっている日本海軍首脳に激を飛ばしたのはニミッツ提督なのであった。彼は「負けたので廃棄します」といった戦艦三笠を「世界の歴史を変えた誇るべき戦艦を廃棄する必要なし」と保存を訴えた。
もちろん卑怯な米国人も少なくないが、一本筋が通った偉人が多いことがアメリカを民主国家のリーダーたる位置につけていることは間違いない。
そこんところが中国とは違うところだ。

このトランプ大統領。
もう一つの失態はCDCの予算を削ってしまったことだ。
このCDCの予算を削り、人員を削減させていしまったことが今回の新型コロナウィルスのパンデミックの間接的原因になっている。

そもそもCDCはアメリカの感染症に関わる情報集約研究機関であり、この仕組を持った世界で活躍できる機関は他に無い。
日本の国立感染症研究所の何倍ものスケールで全世界的に凶悪な感染症を監視し封じ込める組織なのだ。

この組織は単なる研究機関ではない。

感染症に対するCIAというか隠密同心のような役目を果たす機関でもある。
世界のある地域で未知の感染症が発生したという噂が伝わると、即研究員が送り込まれる。そしてある時は公に、またある時は隠密理に調査し、原因の病原体を見つけたときは冷凍して持ち帰りバイオセイフティーレベル4の研究室でそれらの正体を暴くという重要な任務をこなすのだ。

当然のことながらこれらには非常に多くの費用を要する。
細かい話になるけれどもときには領収書をもらうことのできない費用もかかるのだ。
そう、ジェームズ・ボンドが「領収書ください」と言っているのを見たことがないように、CDCの研究員も領収書の取れない任務を多数抱えているのだ。
火付盗賊改方長官の長谷川平蔵が手下に自腹を切ってお金を渡すのも同じ。

従ってCDCには地球規模で感染症から人々を守るための潤沢な資金が必要になる。
トランプ大統領は直接的な銭勘定しか考えていなかった。
だからCDCの予算をカットして弱体化させ、今回のコロナを食い止めることができなかったのだ。

ハヤカワ文庫「ウィルスハンター アメリカCDCの挑戦と死闘」はエボラのみならず世界で発生している謎のウィルスに挑戦するCDCの姿とその設立から今日に至る歴史を記したノンフィクションだ。
そもそもそんなに重要ではなかったCDCを、世界でも特筆すべき研究施設に育て上げた多くの人々の努力が垣間見られて面白い。

CDCはアメリカの機関だが世界の機関でもあることを痛烈に意識させる良書なのであった。


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新年早々コロナ感染者の数が急上昇。
仕方がないのので国は首都圏と周辺の3県を対象として緊急事態を宣言。
人気キャスターの辛坊治郎は移動制限で大阪〜東京の移動を控えるほうがいいとの判断で、東京の番組は大阪からのリモート出演。
東京のマンションに蓄えていた食品のうち食べきれない生卵6個をわざわざ新幹線で大阪の自宅に持ち帰ったという、笑っていいのか悪いのかという珍奇なエピソードを披露してれた。

で、この非常事態宣言でまたもや大きな制約をうけることになったのが外食産業。
とりわけお酒を提供する居酒屋、宴会関連、接待業が大きな影響を受けることになった。
なんでもお店でのお酒の提供は午後7時まで。
これでは「飲むな」と言われていることに等しく、昼飲みをしない限り外食での飲酒は難しくなりそうだ。

「飲酒の午後7時までに科学的根拠があるの?」

という意見がメディアで伝えられることが多くなってきた。
なんで7時なの?
7時までだったらコロナにならないの?
という疑問だ。
一見、行政側の思いつき時間に見える午後7時制約。
これには大きな理由が存在することが実は発表されていないんじゃないかと私は疑っている。

午後7時までということは前述のように「飲むな」というのに等しい。
この「飲むな」「飲ませるな」がコロナの感染に大きな影響を与えることを国はなぜか発表しない。
そこに何やら陰謀めいた疑惑が浮かんでくるのだが、経済に大きな影響を与える因子でもあるのでできれば発表したくないのだろう。

どういうことかというと、一部の信頼できる研究機関やワクチン開発に全力投球している創薬メーカーでは、
「体質が酸性になっているとコロナに感染するリスクが一挙に高まる」
という事実がすでに既知となっているのだという。
例えば焼肉屋で焼き肉を食べながら飲酒をする。
すると肉が体質を酸性にすることに加え、飲酒がそれを助長してさらなる酸性体質に拍車をかける。
この状態で呼気や唾液などに含まれた新型コロナウィルスを肺に吸い込むと確実に感染する。
これに対して酒も飲まず、野菜生活を主にして体をアルカリ体質にしていると同様の状況に置かれても感染することが少なく、その差は非常に大きくなるのだという。

飲酒が感染リスクを大きく高めるという事実は酒類とそれに関連するビジネスに大きな影響を与える。
従って「飲酒でコロナの感染率がアップする」なんてなかなか言えず、ましてや税収ともつながるこの分野の負のステートメントを政府も出しにくいということが背景にある。

酒を飲ませない、酸性体質を防ぐ、感染させない。
というプロセスがどうも存在するようだ。
ただし、「飲酒でコロナ罹患率が上がります」とは、言わないのが政策らしい。



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