会社を退職して自営を初めて二回目の年末を迎えている。
昨年はとあるプロジェクトに関わっていて、それはそれで忙しかったのが今年よりは大幅にマシなのであった。
今年は夏から横浜に本社のあるとある会社のアドバイザリーをやっていて、これが昨年以上に忙しい。
自営になって忙しいのは大変ありがたいことだが、忙しすぎて休みがないのが玉に瑕なのだ。
働き方改革は自営業者には関係ないのかもしれない。
で、仕事だけならまだマシ。
というのは今年は年初からプライベートに振り回されて、ついにこのブログも1ヶ月に1回か2回のアップロードになってしまっている。
今月などもう終わりなので今回が初めてだ。
何が大変なのかというと親の介護なのである。
ついに私にもその役回りが巡ってきたのが今年なのであった。
父と母はそれぞれ1931年と1932年生まれ。
四捨五入すると90歳になる年齢なのだが、少なくとも今年の正月までは例年通りとあまり変わらなかった。
父が一昨年大病を患ったこともあり体力がいささか頼り投げになってしまったいるのだが、問題は母なのであった。
母の認知症が急速に進み、正月には雑煮を作ることができていたのに、3月には料理が次第に作れなくなり、伝え歩きになり、市指定の病院で認知症診断を受けたときはかなり進んでいて自分の誕生日も言えない状態に悪化していた。
MRIの検査で、
「水頭症の可能性が大です。まずは水頭症を治療する必要があります。」
と専門医の先生の診断が出たので市内の総合医療センターを紹介してもらい受診。
ところがそこの脳神経外科医は、
「そんなに問題になるような状態じゃないですね」
と言い切り入院もさせない。
「そうなのかな」
とどうするか考えている2週間ほどの間に増々悪化してついに言葉も発しなくなり失禁もするようになったのでかかりつけの病院に相談したら入院となった。
どうしても総合医療センターの診断が信じられず認知症の先生に再度相談して別の病院を紹介してもらった。
「水頭症ですよ。こことここ。隙間あるでしょう。ここが圧迫されているので、まずはシャント手術という方法が有効だと思います。」
86歳で手術を受けても大丈夫かと悩んだのだったが、このまま何もわからなくなって寝たきりになる可能性が大きいとのことで手術を受けることにした。
手術を受けて1ヶ月間は何も改善は見られなかったのだが、3ヶ月ぐらいを迎える頃には表情もしっかりしはじめ、一見もとに戻りつつあるように思えたのだが、すでに多くは手遅れというか手の施しようがなかったのだ。
最近の記憶はまずない。
病院を訪れるたびに「なんでここがわかったん?」という。
私のかみさんと孫の顔は忘れ、ついに先日息子である私の顔を見て「誰や?」と言ったので愕然としてしまったのであった。
10分ほど一緒にいると私が息子であることを思い出すようで、今ではその繰り返しとなっている。
特老を申し込んでもいっぱいで入所は順番待ち。
正直誰かが亡くならければ入れないという、なんとも言い難い社会環境なのだ。
そんなこんなで仕事をして親の面倒を見て、家族の相手をしているうちに、クリスマスであることなどどうでも良いと思うようになっていたのか、クリスマスケーキの発注を失念していて昨日は売れ残りのショートケーキを買ってきた次第なのだ。
かみさんはこんな状態でもパートで頑張ってくれているし、母のオムツなどを届けたり相手をしてくれたり介護も頑張ってくれている。
自営はうまくいき始めているが、なかなか仕事だけではない体力と気力のいる年末なのだ。
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