「桜田門の写真撮ってきて」
家を出かける時にカミさんが言った。
なんでも仕事にしている情報誌の記事で幕末のことをとりあえげている部分があり、記事に使いたいから井伊直弼暗殺の舞台になった桜田門の写真を撮ってきて欲しいというのだ。
頻繁に大阪から東京へ出かける私は何も観光旅行で出かけているわけではない。
会社の出張で出かけているのであって、そのあたりを勘違いしてもらっては大いに困るのでる。
だから「東京へ行くならついでに桜田門の写真が欲しい」というのは言語道断。
亭主関白な私としては断固拒否すべきところなのであるが、普段仕事で家を空けることが多く、夜も帰ってくるのが遅くなることも少なくない私には、ちゃんとご飯を用意して待ってくれていたり娘の世話をちゃんとしてくれているカミさんでもあるので、多少のわがままは聞いてもいいのではないかと考え、
「ええで」
と返答したのであった。
とはいうものの、仕事とは関係のないところで地下鉄を降りるのは些か面倒くさいことであった。
とりわけ「桜田門」の駅は地上に出ると皇居の桜田門はともかく、直上に警視庁があり、左手というか西方向には国会議事堂が見るようなところで、大阪人の私には非常に異次元で親しみの持てない環境であったことは言うまでもない。
まさしく映画や刑事ドラマで展開される景色であって現実感に乏しいのだ。
しかもこういうところで写真を撮っていると、
「ちょっとちょっと、あなた。ここで写真を撮ってもらっては困りますね。身分証明書かんなか持っていますか?」
と、警察官が近づいて来て、いやな思いをするのではないかと想像してしまうのだ。
なぜなら私はずっと以前、タイのバンコクで、
「アラブの方ですか」
と言われた経験があり、時にしてヤマトンチュに見えないことがあるのだ。
尤も、ここは中国でも北朝鮮でもなく日本なので、そんなことで職質を受けたり逮捕されたりすることは無いのだが、ミャンマーの地方空港で写真を撮っていたら血相を変えた兵隊さんがやってきて「写真を撮ってはいかん!」とどやしつけられそうになった経験のある私としては、どうしてもそういう雰囲気になってしまうのであった。
で、任務だった桜田門の写真をパチリとやってそそくさと帰ろうと思っていたのだったが、そのまま帰ってしまうのは惜しい気がしてきた。
出かけるときに、カミさんが私に付近の地図をくれていたこともあり、
「ちょっとだけ散策してみようかな。赤坂もそんなに遠くなさそうだし」
と歩くことを決心したのであった。
でもここで一つちょっとした問題があった。
カミさんのくれた地図は現代の地図ではなく、江戸時代の地図なのであった。
従ってiPhoneで地図を検索しつつ、江戸時代の地図と照らし合わせながらの移動になり、それはそれで面白いのだがすごく手間が掛かりそうな気がしたのだ。
まず、位置の目印が容易にわからない。
容易にわかるのは皇居=江戸城ぐらいで各大通りは今と大差はないが、その江戸城周辺が劇的に変化しているのだ。
とはいえ東京街歩きは10年近く前に、上野から神田、日本橋、門仲と歩いたことがあり、
「ほー、時代劇の舞台はなかなか散策にぴったりやな」
と感じたことがあった。
江戸城まわりとなると下町と同じ訳にはいかないが、それでも時代小説の舞台になっているところはきっと少なくないはずで、私の心は出張の仕事中の移動とはいえ、旅好きの私は少々ときめいたのであった。
桜田門から赤坂に向かって歩くにはまず、国会議事堂に向かって歩かねばならない。
まずはお堀に沿って歩くか、警視庁の建物に沿って歩くかのどちらかを選ばなければならない。
愛国心篤い私としては天皇陛下のお住まいである皇居のお堀のふちを歩くのが筋である。
決して警察に後ろめたいところがあるわけではない。
それにしても皇居の周りに深いお堀があるというのは、どうもいただけない。
警備上、便利かもしれないが、皇室たるものもっと国民に身近な存在であるべきで、京都御所のようにすぐにでも乗り越えられる程度の「塀」でなければならないと私は思っている。
江戸城はもともと要塞の一種だから仕方が無いが、雅な皇室に無骨な武家の本拠地は似合わない。
出来るだけ早く京都にお戻りいただきたいと思う関西人の私なのであった。
桜田門の駅から国会議事堂前に歩くとすぐ緑地帯がある。
この緑地帯の交差点が東京らしいややこしい交差になっていて、左手に行くと六本木方面で、右手に行くと皇居を周回するコースで新宿方面でもある。
でまっすぐ行くと国会議事堂だ。
手元の地図を見ると驚くなかれこの緑地帯が井伊直弼邸跡。
つまり彦根藩の屋敷なのであった。
つまり井伊直弼は自邸を出発して数分もしないうちに勤王派の水戸浪士の襲撃に遭った。つまり桜田門の変と言いながら自分の玄関先で襲われたことになる。
これはこれで実際に来てみないことには判らない臨場感なのであった。
私が行かなければならないのは赤坂見附と溜池山王のちょうど間ぐらいだったので左手に取ることにしててくてくと歩いた。
手元の古地図を見ると、国会議事堂やその周辺の小高い丘になっているところは、かつて各藩の江戸屋敷のあったとこであることがよくわかる。
それこそ大小とりまぜて多くの藩邸が並んでいて、大きな藩邸のあるところの通りは○○通りとか、○○坂といったお屋敷の名前が付けられていたりするのだ。
国会議事堂向かい側の外務省や財務省のあるエリアは地図を見ると「松平◯◯守」とあり、江戸城に隣接するこの辺りは徳川家の重要な血筋で固められていたことがよくわかり、その中にあって井伊家の屋敷がそのど真ん中にドンと据えられているのが、政治の力の恐ろしさを感じさせるものなのであった。
肝心の溜池山王については本当に溜池があったことが地図に記されている。
今はそんなものは片鱗もなく、ただただ役所の建物や高層オフィスタワーが建ち並んでいる東京らしい場所になっているのだ。
ふと気づいたのだが、地下鉄銀座線はその溜池のあった場所を走っているのではないかと思った。
溜池だったので、当時は何のことやらよく分からなかった地下鉄を掘るのに文句をいう人はおらず、工事もスムーズに進めることができたのであろう。
東京はあまりに江戸から変わりすぎている。
ために謎も少なからずあるのだろう。
ずっと以前読んだ帝都の地下の謎みたいな本を思い出し空想に浸るひとときであった。
カミさんの一言から始まった大江戸散策。
またいつかしてみたいと思いながら、取引先のオフィスに向かった。
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